尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

13 / 66
第五話『七月三重殺 その一』

「オリベさん、ヌバタマ。

 こちらは、大学のサークルの先輩、岡本さんです。……多分」

「やっぱり忘れかけてたな、お前」

 千尋に紹介された女性……岡本知紗は、その千尋をジト目で睨みつけた。

 それから、どうしようもない、と言わんばかりに大げさに肩を竦めてみせる。

 

 岡本は日頃から、今のようにあけすけな女性なのだろうか、と千尋は思う。

 千尋は岡本の人となりを全く知らなかった。

 顔と名前さえ忘れかけていたのだから、当然といえば当然かもしれない。

 サークルの先輩でありながら、彼女の事を何も知らないのには理由がある。

 なにせ、千尋はろくにサークルに通っていなかった。

 彼がサークルに入って間もなく、宗一郎が亡くなった為である。

 

 

「大体さ。岡本じゃなくて、ちーちゃんで良いって言ったじゃないの」

「あれ、そうでしたっけ?」

「じゃあ、今からそう呼んでな」

「いや、いきなりそんな事言われても……」

 岡本のノリを上手にあしらえず、閉口する他ない。

 親しくないのにあだ名で呼ぶ事にも、開放的な彼女への接し方にも、どちらにも戸惑ってしまった。

 相手が良いと言っているのだから、機嫌を損ねない為にも応えるべきかとも思ったが、

 異性をいきなり下の名前で呼ぶのは、なかなかに踏み越え難い一線だった。

 

 

 

「千尋君、ちょっとそこをどきたまえ!」

 そこへオリベが、千尋を押しのけて前に出てくる。

「わっと……何するんですか、オリベさん!」

「うるさい! こんな美人な先輩がいるというのに、何故紹介しなかった!」

「いや、俺も忘れていたもので……」

「うるさい! 日頃、茶を教えている恩義を忘れてしまったのかね、君は!」

「教えてくれているのは、もっぱらヌバタマですが……」

「うるさい! 私がヌバタマだ!!」

 無茶苦茶なのであった。

 

「なんだか、面白いおじさんだね」

「おっ、おおっ? それはなんとも嬉しい言葉!」

 だが、岡本はそのやり取りに興味を示してくれた。

 オリベはキリリと表情を引き締めて、岡本と、彼女の対面に座った同伴の女性に対して、大げさに会釈をする。

 

「いやはや、不祥の弟子がお世話になっていたようで。

 私、千尋の茶の湯の師、オリベと申します。

 ちーちゃんも、眼鏡のご友人さんも、以後お見知り置きを。

 ああ、もう呼んでしまいましたが、私もちーちゃんと呼んでも宜しいかな?」

「オリベさんだね。カッコ良い苗字じゃない!

 もち、ちーちゃんでオッケーだよ。宜しくな! はっはっはっ!」

「ヒャッヒャッヒャッ!」

「はっはっはっはっはっ!!」

「ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」

 一体何が面白いのか、二人とも声を揃えて笑いだした。

 同伴の眼鏡の女性も、笑い声こそ立てていないものの、彼女は彼女で二人の様子を楽しそうに眺めている。

 一体、何がそんなに面白いのか、千尋には理解できなかったが、ひとまずは客が気分を害していない事を良しとした。

 

 

 

 

「大学……そういえば千尋さん、学生でしたっけか」

 馬鹿笑いをする二人をよそに、ヌバタマがそう尋ねてくる。

「うん。市内の大学にな」

「言われてみれば、全然学校に行っていませんでしたね」

「ああ、まあ……夜咄堂(よばなしどう)を開くのに、色々と忙しかったからな」

「そうでしたか。でも、もうお店は再開できましたし、通学されても良いと思いますよ。

 お抹茶も、私やオリベさんが点てても良いわけですし」

「……そうだな。そろそろ良いか。大して客も来ないしな」

 そう言って苦笑する。

 悲しい理由に虚しい笑いであった。

 

「お客様が来ないのは困りますけれどもね。

 ちなみに、サークルとは何なんです?」

「ああ、ヌバタマはよく分からないか」

 ふむふむと頷きながら、千尋も客席に腰掛ける。

 同じくヌバタマも腰掛けるのを待って、千尋は説明を始めた。

「さて……何と言ったものかな……。

 そうだな。サークルとは、学校内で同じ趣味を持つ人が集まる会、って所かな」

「なるほど。それは話に華が咲きそうですね。東雲ドーナツ店サークル、なんかもあるんです?」

 ローカル色ここに極まったサークル名をヌバタマが口にする。

 指で輪を作りながら、恍惚感に満ちた表情を浮かべている辺り、今の彼女の脳内は想像に難しくなかった。

 

「いやいや、そういうものじゃなく、一般的な趣味というか……

 例えば、俺と岡本さんは陶芸サークルなんだよ」

「ほう? 陶芸が好きだったのかね、千尋は」

 オリベが笑うのを止めて、会話に加わってきた。

 サークルに入った経緯を岡本の前で話すのは気が引けたが、勘違いされても困る。

 視界の隅に岡本を入れ、反応を伺えるようにしながら、千尋は肩を竦めた。

 

 

 

「陶芸は別に好きでも嫌いでも……」

「どっちでもないのに入ったのか。ちーちゃん目当てか?」

「オリベさんじゃないんですから。入学式の日に、岡本さんが無差別に勧誘していたんです。

 それに運悪……あいや、まあ、とにかく捕まったんですよ。

 で、『幽霊部員でも良いから』と言われて、とりあえず入ったわけです」

「なんだ。面識はあったんだな。だというのに、こんな奇麗な人を忘れるとはけしからん」

「いやー、だって仕方ないよ」

 オリベの問いには岡本が答える。

 

「だって、千尋、一度もサークル活動に参加していないんだもん。

 ま、それは良いよ。学校に聞いたら忌引きらしいし、大変だったそうじゃない。

 ……でも、これからは問題ないわけだ」

 彼女は千尋の方を見ると、楽しそうに口の端を上げてみせた。

 

 

 

「そんなわけで、明日辺りにでも、講義の前に部室に来いよ。

 お前にゃ、ちょっと頼みたい事があるんでな」

 岡本がキシシ、と笑う。

 ただただ、嫌な予感に駆られる千尋であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第五話『七月三重殺』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千尋の通う大学は、尾道の郊外にある。

 

 尾道駅前からバスで約三十分、トコトコと揺られ続けて早朝の大学に辿り着いた千尋は、物珍しそうに周囲を見回しながら歩いた。

 特に目につくのは、鮮やかな赤煉瓦の校舎。

 そして、校舎に沿って広がっている、少々濁りながらもそれが情緒を生み出すダムだろうか。

 だがすぐに、この時期にそんな初々しい事をやっているのは、入学直後に長期欠席した自分だけだと思い至ってしまい、

 気恥ずかしさを表に出さないように心掛けながら、校舎を迂回して部室棟の方へと向かった。

 

 まだこの日最初の講義が始まるまでには時間があるからか、道中は殆ど誰とも擦れ違わない。

 それはそれで少々寂しく思いながら、千尋は部室棟……の中には入らず、更にその裏へと向かう。

 部室棟の裏にして、大学敷地内の端。

 ようやく辿り着いた千尋の目的地は、学生達の目から隠れるように、ひっそりと佇んでいた。

 

 

(ここが陶芸サークル部室……か)

 

 千尋は、自身の眼前にそびえる建物を見上げた。

 校舎からも部室棟からも離れている、陶芸サークル部室。

 彼が視線を部室の横に移せば、煙突が備わっている巨大な窯が見えた。

 まるで怪物のように広げた口に、釉薬や絵付けの施された素地が入ってくるのを待ち続けている、立派な窯。

 これこそが、部室孤立の理由。

 焼成時の内部温度が千度を軽く超える、この怪物の危険性を考慮し、陶芸サークル部室は離れた位置にある。

 

「勿体ない代物だよなあ」

 ぼやきながら部室の玄関を開ける。

 中に入ってすぐ横に掛けられていたホワイトボードには、所属部員の名前が書かれていた。

 

 芸術学部 美術学科三年 岡本知紗。

 経済学部 経済学科一年 若月千尋。

 以上。

 

 たった三行の文字が、なんとも寂しく感じられる。

 これだけ立派な窯があるのだから、部室が完成した当時は、もっと部員で賑わっていたのかもしれない、と千尋は思う。

 だが、昔がどうであれ、今の部員は二人だけ。

 しかも、実質あの窯を使っているのは岡本一人しかいないのだ。

 

 無論、千尋自身がサークルに出れば、焼け石に水ではあるが利用者は増える。

 ただ、陶芸にそれ程興味がない千尋にとしては、できる事ならサークル活動に時間は取られたくなかった。

 勿体ないとはいえ、それはそれと、千尋は窯の事を忘れて部室の中に足を踏み入れた。

 

 

「よう、来たか。幽霊野郎」

 椅子に腰掛けて待ち受けていた岡本が、大層な挨拶を送ってくる。

 色が大分くすんだジャージをまとっていたが、おそらくは作業用なのだろう。

 ぺこりと会釈をして部室を見回すと、床や壁、作業台のあちこちに土がこびり付いている。

 お世辞にも綺麗な部室とは言い難いのだが、岡本はその汚れを気にする様子を見せない。

 それどころか、どっしりと作業台に腰掛けて煙草を吸い、まるで我が家のように振る舞っていた。

 

「幽霊部員を否定はしませんけれど、幽霊でも良いと言ったのは岡本さんですよ」

「そうだっけか? そうだったかも。はははっ」

 岡本が軽く笑う。

 あけすけというよりは、ずぼらな人なのかもしれない。

「で、頼みたい事って何なんです?」

「いきなり本題かよ。もうちょっと『素敵な部室ですよねー』とか、言う事あるだろうに。

 まあ良いや。ちょっとこれを見てくれよ」

 冗談めかしてそう言いながら、手にしていた煙草を灰皿に押し付け、傍に置いていた徳利を差し出してくる。

 反射的に受け取ってしまった千尋は、持ち上げるようにしてその徳利を見た。

 

 釉薬(ゆうやく)は掛かっていない徳利は、首が鶴の嘴のように長く造られていた。

 実に素朴。だが雑に非ず。

 素朴の中にも変化を求めようとしたのか、炎の当たりの違いで生み出される濃淡が特徴的だった。

 

 

 

「これ、どう思う?」

 岡本が言葉を短く切って尋ねる。

 もう、彼女は笑っていなかった。

「……岡本さんが造ったんですよね?」

「そ」

「良い徳利だと思いますよ。釉薬がなくても綺麗ですし、歪みもありませんね」

「あれ? お前詳しいな。陶芸は素人じゃなかったっけ?」

「いや……なんというか……」

 なんとなく、返事に窮してしまう。

 思ったままを口にしただけなのだが、的外れな事を言ったわけでもないようだった。

 脳裏には、付喪神達の顔が浮かび上がってくる。

 彼らから受ける日々の稽古の際には、その時に扱っている茶道具の説明を受けている。

 それなりに見る目が備わっていたのは、付喪神達の指導の結果なのだろうか。

 自覚はしていなかったのだが、それなりに身について知いた識に、千尋は自分でも戸惑っていた。

 

 

 

「とはいえ、まだまだ駆け出しって所だな。そんな大したもんじゃないんだよ、これ」

 千尋に構わず、岡本は嘆息した。

 だが、千尋の眼には特に欠点の見当たらない立派な徳利に見える。

「……お店なんかに置いても、見劣りしなさそうですけれど?」

「いやいやいや。底は微妙に高さがブレてるから、いざ使うと落ち着かないよ。

 それに、胴の膨らみも気に入らないね。

 プロの陶芸家は、こう……シュパッ! とさ。奇麗な形に作るんだよ」

「はあ。シュパッ……そんなものですか」

「そうだよ。あ、煙草良い?」

「構いませんよ」

 許可を得た岡本は、ポケットから新しい煙草を取り出して火をつけた。

 フィルターが取り払われた、両切りのピース。

 相当に煙草を吸う証でもある。

 全く咽る様子もなくそれを一度吸い、窓の方を向いて吐き出す。

 そのまま窓の外を眺めながら、彼女は早口で語り出した。

 

 

 

「スランプなんだよ。あたし」

「この出来で、ですか?」

「そだよ。もう全然駄目。両親が陶芸家で、その影響を受けて、陶芸は子供の頃からやってたんだよ。

 自分で言うのも何だけれど、センスがあるのかもね。中学、高校の頃は、なかなかの物を作っていた。

 ……でも、大学に入った頃から調子が落ちてるんんだ」

「………」

「三年になった今じゃ、もう酷いったらありゃしない」

「……なるほど」

「そこで、だ」

 岡本が千尋を見上げた。

 

 

「千尋には、スランプ脱出を手伝って欲しいんだよ」

「スランプ脱出……? いや、そういうの、俺には無理ですよ」

 千尋は大げさに首を捻る。

 確かに幽霊部員ではあるが、自分にできる事なら応えたい、とは思った。

 だが、ずぶの素人でもある自分には、的確な助言等、到底できるはずがない。

 厭うのではなく、憂慮するような表情を浮かべると、岡本は千尋の心情を察したのか、手を横に振った。

 

 

「あー、違う違う」

「はあ」

「別に助言をくれとか、作業を手伝ってくれとか、そういう事を頼みたいんじゃないんだ。

 気分転換に、ちょっと晩飯でも付き合ってくれってだけの事だよ」

 

 そう言ってもう一度煙草を吸った岡本は、歯を見せてニヤリと笑った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。