尾道茶寮 夜咄堂   作:加藤泰幸

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第四話『5.8742諭吉 その二』

「お姉さん、注文お願いしますー」

「こっちも注文お願いー」

「あぁん、プウちゃん可愛い!」

 

 夜咄堂(よばなしどう)に、幾多の人の声が響き渡る。

 千尋の声でも、オリベの声でも、ヌバタマの声でもない。

 他ならぬ、客の声である。

 

 

 

「本当にうまくいっちゃったよ……」

 

 客席から聞こえてくる活気ある声に、千尋は未だに戸惑いつつも、溜まっている注文を台所で片づけていた。

 一つ一つは大した調理ではないのだが、とにかく数が多い。

 調理に専念して、接客をオリベとヌバタマに任せていなければ、到底捌ける状況ではなかった。

 とはいえ、むしろ忙しいのは二人の方だろう。

 なにせ、付喪神(つくもがみ)達が見なくてはいけないのは、客の様子だけではないのだ。

 

 

「なっ、なっ。俺の言った通りだっただろー?」

 台所に入り込んでいるロビンが偉そうにのたまう。

 付喪神とはいえ、体の造りは犬。

 甚だ不衛生な状態なのだが、仮に客が台所を覗いても、今なら苦情の類は寄せられないだろう、と千尋は思う。

 

 

 

 

「まさか、お前の言う犬カフェが、こんなに客を呼び込むとはな……」

「知り合いの野良犬で可愛い奴をフル動員したからな。これくらいは当然だぜ」

「トリミング代も馬鹿にならなかったけどな」

「俺へのご褒美も忘れるんじゃないぞ?」

「はいはい……」

 次々と生じる出費に嘆息するが、あまり憂慮はしていない。

 この調子なら、トリミング代は今日の売上だけで取り返せるだろう。

 接客中の犬達は夜咄堂で飼っているのではなく、あくまでも野良犬なので、連日のシャンプーは欠かせないが、それでもまだお釣りは来る。

 それ程に、ロビンの提案した夜咄堂犬カフェ化計画は成功していた。

 店内に犬がいる事をあらかじめ説明した上で、一階に五匹程犬を解き放っただけで、客が殺到したのだ。

 それも、多くは若い女性客。

 今日も既に、全ての席が若い女性客によって埋められていた。

 恐るべきは口コミ効果である。

 

 

 

 

「千尋さん、注文入りました。

 サンドイッチ二つと、ホットコーヒー二つですー」

 空いた食器を手にしたヌバタマが台所に入ってくる。

 そこで、千尋の足元に転がっているロビンの姿を見つけた彼女は、眉を思いっきり顰めてみせた。

 

「おいおい、女の子がそんな怖い顔するなよ。一応見た目はJCなんだからもったいないぜ?」

「ふざけないで下さい! 普段お店を手伝わないばかりか、犬だらけにしておいて……」

「分かった。じゃあ今からでも手伝うよ。俺も接客してくれば良いかな」

「駄目です! ロビンさんに女性の接客をさせちゃ、何をするか分ったものじゃありません」

「俺のストライクはJCだけだから安心しろって」

「馬鹿犬!」

「でもごめんな。お前は『生後』十五年でも『生産後』は百十五年だからNGだ」

「駄犬!!」

 散々にロビンを怒鳴り散らす。

 それからヌバタマは表情を一変させて、それこそ犬のような懇願の目つきで千尋を見上げた。

 

 

「ねえ、千尋さん」

「ああ……まあ、言いたい事に予想はつくが、なんだ?」

「お店、やっぱり元に戻しましょうよ。

 千尋さんの生活が大変なのは、私も理解しましたけれど……。

 お給料だっていりませんし、映画も我慢しますから」

「むう……」

 ヌバタマが泣きそうな声で訴える。

 視線を合わせるのが辛くて、千尋は顔を背けながら唸る事しかできなかった。

 

 

 ヌバタマの言いたい事は重々分かる。

 茶を愛するヌバタマにとって本当に重要なのは、一服を所望する客なのだろう。

 しかしながら、客が増えたとはいえ、二階で抹茶セットを注文する客は皆無なのである。

 仮に増えたとしても、雰囲気が一変した一階の喧騒は、茶室にまで影響を及ぼすだろう。

 その上、犬の世話なんて仕事が加わったのだから、憂鬱になってしまうのも無理はない。

 

 しかし、この人気を捨て去り難いのも現実だ。

 元の夜咄堂に戻れば、また常に金策の日々となる。

 同程度の集客案さえあれば、戻すのもやぶさかではないのだが、容易に代案が見つかるのなら苦労はない。

 

 

 結局、何も言えずに視線を逸らし続ける。

 そこへ、客席から店員を呼ぶありがたい客の声が聞こえてきた。

 

「あ……呼んでるみたいだな。今度は俺が行ってくる」

「千尋さん! 話はまだ終わってません!」

「じ、じゃあな。ヌバタマは少し休んでなよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げるようにして客席に向かうと、四人掛けの机に座っていた若い女性客が手を上げていた。

 近くにはオリベもいたが、彼は別の客からの注文を受けている最中で、手が離せないようだった。

 代わりに千尋が小走りで近づこうとするが、足元で眠っていた白雑種犬を蹴飛ばしかけて、歩調を狭める。

 喫茶スペース内の雑種犬達は、眠るなり、客と遊ぶなり、自分の尻尾を追いかけるなりと、各々が自由に過ごしていた。

 自由気ままな犬達に、まるでロビンが増えたような錯覚を覚えながら、ようやく客席へと辿り着いた。

 

「お待たせ致しました」

「注文決まりましたから、お願いできますか?」

 女性客が丸いレンズの眼鏡を整えて、お品書きを見ながら優しげな声で言う。

「はい。お伺い致します」

「ええと……ダージリンティーと、ショートケーキ。あと、ワンちゃん用おやつジャーキー」

「ありがとうございます。すぐにご用意致します」

「あと、写真もお願いできますか?」

 そう言って、恥ずかしそうにスマートフォンを差し出す女性客の膝上には、チワワ犬がいた。

 ロビンの知犬の中でも珍しい犬種で、夜咄堂でも現在一番人気の犬である。

 聞く所によれば、父の代では夜咄堂の店内撮影は禁じられていたそうだが、犬カフェとなってはそうもいかない。

 なによりも、膝に犬を乗せて幸せそうに笑っている女性に、否定的な返答をするのは気が引けてしまった。

 

「はい、お任せ下さい」

 笑顔を浮かべて素直に頷き、女性からスマートフォンを受け取る。

 距離を取って千尋が構えようとした……その時だった。

 

 

「ヒャインッ!!」

「わ、わわっ!!」

 最初に蹴飛ばしかけた犬に足を引っかけてしまった。

 犬はすかさず逃げてくれたので、それは良い。

 良くないのは……体を九十度回転させてしまった千尋である。

 

 

 

 ッデェンッ!!

 

 

 

 横転し、背中と尻に鈍い痛みが走る。

 両手で客のスマートフォンを持っていた為に、顎を引いて致命傷を守るのが精いっぱいだった。

 床が抜けたりしなかったのは、せめてもの救いだろう。

 

 

 

 

「ま……まあ、ええことよ……」

 

 千尋は、力なく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜咄堂の閉店業務は、普段ならすぐ終わってしまう。

 殆ど汚れなかった店内を掃除して、殆ど増えなかった洗い物を終えて、殆ど減らなかった食材を点検するだけ。

 連日、三十分もあれば終わってしまう仕事だったのだが、今日は違う。

 客が帰り、そして野良犬達が野に帰った後に残されたのは、大量の犬の毛にまみれた店内と、後回しにしていた洗い物、そして空になった冷蔵庫だった。

 ただし、嬉しい仕事も一つ程増えている。

 店内清掃を付喪神達に任せた千尋は、本日の売上を帳簿に記すべく、自室で金勘定をしていた。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……と。ふふっ……」

 みっともなく頬を緩めながら、手元の札束を何度も何度も数え上げる。

 諭吉さんが二人、一葉さんが三人、英世さんが二十五人。

 他小銭諸々で、しめて5.8742諭吉。

 無論、夜咄堂始まって以来の大繁盛である。

 たった一日の売上だけで、学問を五回程すすめる事ができる。

 思わず、偉人様方に拝みたくなってしまった。

 

 

 

 

「千尋さん、ちょっと宜しいですか」

 早速帳簿に向かい合った所で、扉の外からヌバタマの声が聞こえた。

「ああ、入って良いよ」

「失礼します」

 静かな声とともに、そっと扉が開かれる。

 中へ入ってきたヌバタマの表情は、日中同様に冴えていなかった。

 

「掃除、もう終わったの?」

「いえ、そちらはまだですが……お店の事でお話が」

「ああ」

 そう言われれば、うやむやにした話があったのを思い出す。

 どうにも、逃げられる話題ではないようだ。

 しかし、諭吉力を失ってしまうわけにもいかない。

 どう説得したものかと考えながら、部屋の片隅に置かれていた座布団を差し出すと、ヌバタマはぺこりと頭を下げてそこに座した。


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