作物語【物語シリーズ】   作:八畳

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遅くなりましたが第二話です。


こよみリセット 002

「僕は……誰だ……?」

 

暦お兄ちゃんは記憶喪失になりました。

以上です。

 

いや、そんなわけありません。

異常です。異常事態です。

 

「こ、こ、暦お兄ちゃああんっ!?」

「暦お兄ちゃん……? それって僕のこと……? 駄目だ、分からない。もしかして記憶喪失なのか? 僕は。誰なんだ? 一体、僕は。こ、怖い……!」

 

朦朧とした意識を必死に保ちつつ、頭を押えながら呟くように呪詛のような自問を繰り返す暦お兄ちゃん。

とても撫子を責めるための演技には思えません。いや、暦お兄ちゃんがそんな事をするはずが無いのですが。

しかし、となると本当に記憶喪失という事になります。

 

「な、な、撫子の事も忘れてしまったのかな……?」

「ごめん……分からない……。僕の妹なのか……?」

「あわわわわ……!」

 

あまりのショックで撫子も記憶喪失になりそうです。

悲壮感と罪悪感で押し潰されそうです。

逃げ出したい、というかいっそ撫子も記憶喪失してしまいたい――

でも、そうも行きません。

とりあえず、暦お兄ちゃんに話しかけてみます。

 

「えっと、暦お兄ちゃん」

「あ……僕のこと……?」

「あ、あの、その大丈夫かな……」

 

ついそんなおよそ意味の無い質問をしてしてしまう自分の愚鈍さが嫌になります。

しかしそうは言っても、記憶喪失なんて漫画ではよくある展開ですが、現実的にはどう対応したら良いのか、勝手が分からないのです。

分不相応な身の丈に合わない物を与えられたの時のような、どうしたら良いのか分からない、次から次へと湧いて出てくる不安で気が狂いそうです。

 

「と、とりあえず、病院……。救急車、呼ぼう……」

 

撫子は携帯を取り出して救急車を呼ぼうとしましたが、途中で冷静に考え止めました。

吸血鬼の特性で傷はほぼ完治している暦お兄ちゃんですが、記憶喪失になった暦お兄ちゃんを病院に連れて行ったらどうなるか。

暦お兄ちゃんの家族にこの事実を知られる事になるのは自明で、そうなると妹である月火ちゃんにも――それは、ヤバいです。

治ればそれで大丈夫でしょうが、もしそうで無かったらただでは済まされません。

どんなキツイ折檻か、やり場のない怒りによる八つ当たりのお仕置きか、想像しただけで恐ろしいです。

だから、それは最後の手段だという事を如実に表しています。

しかしそうなると撫子がどうにかするしかありません。

 

「と、とりあえず目立つのは拙いよ。移動した方が良いかも。立てる? 暦お兄ちゃん」

「え……? ああ。うん。何か運が良かったのか、傷はあまり無いようだから……」

「そうだね。い、意識は大丈夫?」

「うん。まあ、何とか自我は保ててるかな」

 

最初こそ情緒や精神が不安定で、衝動的な自傷行為を働くかもという可能性も少なからず懸念しましたが、どうやら思ったよりは大丈夫なようです。

これで安全だというわけでは勿論ありませんが、息は撫で下ろせます。

 

「でさ、僕の名前って、暦……か? フルネームで教えて欲しいんだけれど」

 

おお。やっと円滑に話が進められる話題が出てきました。

撫子はとりあえず、幸い人はあまりいませんでしたが、それでも人目を憚るために、暦お兄ちゃんを誘って移動します。

ここから距離的には数百メートル程ありますが、暦お兄ちゃんを休ませるために、一番近場の公園に行こうと思ったのです。

その道中で、色々暦お兄ちゃんの質問に受け答えしていきました。

 

「えっと、阿良々木暦さんって言うんだよ。こざとへんに可能性の可に、良い人の良いを繰り返して、接ぎ木の木、暦は年間とかの暦だよ」

「……な、何か凄い名前だな……。そうか。それで君は? 見た感じ中学生ぐらいか?」

「私はね、千石撫子って言うんだよ。千羽鶴の千に小石の石、名前はなでしこと打つと一発変換出来る撫子だよ。中学2年生の14歳で、暦お兄ちゃんは高校3年生の18歳だったと思う」

「えっとさ、口振りから察するに、君は僕の妹とかでは無いんだよね?」

「そ、そうだね。だけど、どうして?」

「いや……高校3年の僕が、中学2年の君と、フルネームで名前を覚えてもらえる程の関係があって、しかも呼び名が他人なのにお兄ちゃん呼びという事実に、どうも自分が生きていた世界観への不理解を覚えてさ……」

 

混乱し困惑した表情を見せる暦お兄ちゃんを見て、撫子はしまったと思いました。

確かに、撫子と暦お兄ちゃんは特に結構珍しい人間関係に見えますから。

 

「あ、いや、その。ごめんなさい」

「いや、謝る必要なんて無いだろ? それより、君は一体僕とどういう関係だったんだ?」

「えっと、それは……」

「こんな物凄く可愛い女の子と僕なんかが」

「か、可愛いって……! そ、そんな事無いよ……。お世辞は止めて……!」

「いや……可愛いだろ……。美意識は記憶とは関係無いし、記憶を失くした僕から初めて出た、確実な僕の本心って自信があるよ」

 

そうやって暦お兄ちゃんにべた褒めされた事に、たじろいでしまいました。

その感情は嬉しさ半分、恥ずかしさ半分だと思いますが、でもどこか複雑な気持ちもありました。

暦お兄ちゃんは、今まで撫子の事をそこまで可愛いと言ってくれた事が無かったから、違和感のような物でしょうか。

 

「暦お兄ちゃん――」

「それで……そんな可愛い君が、僕なんかと一体何をされて知り合ったんだ? まあ僕なんかと言っても記憶前自分がどういう人間だったか、というか今自分の顔すら覚えていないんだが……そんなイケメンなのか? 僕は」

「あ……えっと……」

「ひょっとして僕は記憶を持っていた頃は年下の女の子をはべらせて、自分をお兄ちゃんと呼ばせる事を趣味にしていた下衆な変態だったとか。うわ……! 何か罪悪感で死にたくなってきた……」

「いやいやそんなんじゃ無いよ! 暦お兄ちゃんは紳士この上ないお兄ちゃんだよ!」

「じゃあ……一体僕と君はどういう関係だったんだ?」

 

暦お兄ちゃんのその質問に撫子は言葉が詰まります。

だって、撫子と暦お兄ちゃんがどういう関係だったのか、正直撫子にはいまいち掴めていないというか、分からないのですから。

 

ただの知り合い?

いや、そこまで仲が良くないとは信じたくないです。

友達の少ない撫子が自分の家にまで招いて遊んだ人なんて、片手の指で数えられる程しかいないのですから。

じゃあ友達?

休日にたまに遊ぶという面を見ればこれで正解なのかも知れませんが、でも立場上一応撫子は暦お兄ちゃんの妹である月火ちゃんとの友達なのです。

それに友達というには4歳と年齢が離れていて、ちょっとおかしい気もします。

男女で、しかも学校も違うから先輩後輩という関係でもありませんし。

なら普通に妹の友達と自称するのが無難なのでしょうか。

 

「…………」

 

でも、何だかそれは嫌でした。

 

妹の友達――。友達未満に聞こえる、一見そこまで親しくなさそうなその関係の肩書きは、小学生で初めて出会ったその時からそうで、最近再開して怪異絡みも含めて、数年とは言え通っている学校が変わるぐらいには撫子も大人になって、それで撫子の、そう、「大好きな暦お兄ちゃん」と二人きりで王様ゲームやツイスターゲームをして遊ぶぐらい仲良くなれたのに、まるでそれでも小学生の時と同じ立場なんて、昔と何も変わらない、つまり何も進展してない事を表し、認めるかのようで。

憧れの暦お兄ちゃんと両想いになろうだなんて、撫子の身の丈に合わない、おこがましい夢である事ぐらい分かっています。

でも、小学2年生からずっと、片時も忘れずに、同級生の男の子を振って、結果トラブルを起こす切っ掛けを作ってまで想ってきた暦お兄ちゃんへのこの気持ちを、自ら否定したくは無いのです。

 

撫子は――暦お兄ちゃんを想っていたい。少しでも仲良くなりたい。近付きたい。

暦お兄ちゃんの質問に対する返答への悩みと、その感情の昂ぶりが変に合わさって、撫子は記憶喪失の暦お兄ちゃんにとんでもない事を口走ってしまったのです。

 

「撫子は……暦お兄ちゃんの恋人だよ」


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