聖剣伝説 Hunters of Mana   作:変種第二号

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斧と鋸

 

 

 

「なんだあ、ありゃあ……」

 

「嘘……」

 

 

異変の原因を探ろうと戻った其処で、アンジェラ達は信じ難い光景を目の当たりにした。

獣人達の咆哮と悲鳴、更に激しい破壊音と破裂音が響き渡る湖畔の村。

村の中心を貫く通りの終点、湖畔の船着場で、その狂演は繰り広げられていた。

 

桟橋に追い詰められた住民達を背に、アストリアに攻め入った数百もの獣人、それらを真っ向から相手取り互角以上に戦っている人間が居たのだ。

それも大勢ではなく、たったの2人。

理解した瞬間、デュランは未だ癒え切らぬ傷の事も忘れ、加勢に走ろうとした。

圧倒的多数の獣人達を前に、死地にて奮闘する勇者を見捨てられぬと。

多少は冷静であったアンジェラでさえ、デュランとほぼ同時に一歩を踏み出していた。

 

が、そんな2人の英雄的行動は、直後に数名の獣人が木の葉の如く吹き飛ばされ細切れになり、或いは襤褸切れの様に四肢を引き裂かれる光景を前にした事で中断する。

生々しい音と共に周囲一面へと叩き付けられる、凄まじい量の血と肉片。

聴覚を埋め尽くしなお流れ込む、聞くも悍ましい悲鳴と絶叫。

其処で繰り広げられていたのは、獣人から住民を護る為の決死の抵抗でも、自棄になったが為の自殺的抗戦でもなかった。

 

 

「囲め! 攻撃の暇を与えるな!」

 

「退くな、攻め続けろ! 群れで圧殺するんだ!」

 

 

焦燥と敵意、悲壮と恐怖。

それらの負の感情に満ちた声は、人間ではなく獣人達の側から上がっていた。

数人の獣化したビースト兵が、抜群の連携で爪が到達するタイミングを合わせ、単一の目標へと跳び掛かる。

攻撃の対象となっている者は一溜まりもあるまい。

人智を越えた膂力で以って振るわれる爪に、為す術もなく引き裂かれ微塵となるだろう。

だが、彼等が狙う『獲物』は、そんな常識が通じる相手ではなかった。

 

 

「……ォアッ!」

 

 

たった一拍、ただそれだけの叫び。

大質量の塊が空を切り裂き、空気の壁をぶち破る異様な音。

全く同時に響き渡る、固い何かが砕ける音、水気を含んだ何かが弾ける音、弾力の在る何かを引き千切る音。

それら全てが幾重にも響き渡り、次いで伝わるのは幾つもの重く湿った何かが地面を叩き転がる音。

それらが何を意味するものか、デュランもアンジェラも自身の目ではっきりと捉えていた。

 

6人もの獣人達が跳び掛かったのは、漆黒の装いに身を包む並外れた長身の男。

その男は迫り来る数十もの爪を前に、回避しようと試みる素振りを全く見せなかった。

それどころか、その場で地を砕かんばかりに踏み締め、左側面へと大きく身を捩ったのだ。

男の両手に握られた得物、巨大な長柄の斧の頭は捩られた身体の左側面にて、恐るべき力が解放される瞬間を待っていた。

 

そして、一瞬の雄叫び。

空気の壁をぶち破り、大気が割れる轟音を響かせながら振り抜かれた斧の刃は、自身の主を八つ裂きにせんと迫っていた不逞の輩、その身体を完膚無きまでに打ち砕いていた。

切り裂いたのでも、叩き割ったのでもない。

跳び掛かってきた全員の身体を散り散りに、更には個々の部位が原形を留めないまでに粉砕したのだ。

四散した肉体の破片が、男を中心とする周囲十m四方もの範囲に豪雨の如く降り注ぐ。

 

あまりにも凄惨な光景を前に、しかしアンジェラには何が起きたのか、皆目見当も付かなかった。

幾ら膂力に秀でていたとして、人間が斧を振るっただけで、人よりも遙かに強靱な獣人、それも複数の身体が四散する事など在り得るのだろうか。

なまじ聡明であるが故にそんな疑問が先行し、現実を受け入れる事ができないのだ。

尤も、彼女が現実を正確に認識していた場合、否応なしに逆流する胃の中身との格闘を強いられていた事であろうが。

一方でデュランは、その剣士として鍛えられた視力と類稀なる才能によって、斧を振るう男が繰り出した常軌を逸する一撃の正体を目の当たりにしていた。

 

 

「冗談だろ……」

 

 

斧は『2度』振るわれていた。

限界まで捻られ、収縮した全身の筋肉。

その凝縮された力を一気に爆発させて放たれた斧の横薙ぎは、男の前方の空間を薙ぎ払うだけに止まらなかった。

刃は勢いのあまり男を軸に周囲を一回転しつつ、更には靴で地面を削りながらその身体そのものを2m程も前進させていたのだ。

その上で斧の刃は、あろう事か勢いを些かも減じる事なく、そのまま2撃目の横薙ぎとなって獣人達へと襲い掛かったのだ。

 

第一撃で絶命していたであろう者と、幸か不幸か死に切れなかった者。

双方の区別なく、既に幾つかの部位に分かたれていた彼等の身体を、続く第二撃が無慈悲にも木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。

しかも二撃目の刃は跳び掛かった6人だけではなく、その後方から時間差で襲い掛かろうとしていた別の2人をも捉え、その四肢と胴を諸共に真っ二つにしていた。

一瞬の内に放たれた2つの横薙ぎが、一度に8人もの身体を打ち砕き、その命を奪い去ったのだ。

 

デュランは思う。

あれが、人間の放つ技だろうか。

否、あれは技などではない。

人ならざる膂力に物を言わせ、あらゆる技巧や戦術を嘲笑い、覚悟も決意も等しく微塵に打ち砕く、理不尽かつ純然たる『暴力』。

主義主張といった不純物を含まない、何処までも純粋に目の前の存在を否定せんとする、完全なる破壊と殺害の為の『力』。

自身が持ち得ないそれに対し、しかし感じているのは憧憬や嫉妬ではなく、畏れ。

デュランは無意識の内に、斧の男が放った一撃に込められた『何か』を、自身とは相容れぬものと見做していた。

そして、敵を否定せんとする男の猛攻は、その一撃で終わりではなかった。

 

斧を振り抜いた体勢、長柄の端を右手のみで保持したまま、左手を腰元に遣る男。

その目と鼻の先には、瞬間的に吹き荒れた死の暴風に呆然とする、数人のビースト兵が佇んでいた。

我に返ったのか、はっとした様に体を構え直す獣人達だが、男の方が圧倒的に早い。

男は既に最も近くに居た獣人、その鼻先に腰元に据え付けていた小型の『砲』らしきもの、その砲口を突き付けている。

次の瞬間、金属同士がぶつかり合う音と、僅かにずれて火薬の炸裂音が響き渡った。

 

 

「ギ……ッ!?」

 

「げ、あ!?」

 

 

直後、またもや大量の血と肉片。

砲口から雷鳴と大量の火花を纏い雨霰と飛び出した何か、恐らくは大砲に用いるものと同じ原理の散弾が、正面に立つ獣人の上半身を捉えたのだ。

デュランの見間違いでなければ、それらの弾体は大気との摩擦によるものか、いずれも赤熱し光を放っている様に見えた。

矢や魔法とは比較にならぬ程の速さ、恐らくは音のそれをも超えているだろう散弾の壁が、屈強な獣人の上半身を粉微塵に打ち砕いていたのだ。

 

無傷な儘の下半身。

一方で上半身が在った場所には、今や幾らかの肉片が付着した僅かな骨格しか残されていない。

肉体を構成していた殆どの部分は、今や赤に塗れた無数の破片となって周囲の地面に撒き散らされている。

だが、散弾が被害を及ぼしたのは、その挽き肉となった獣人だけではなかった。

 

発砲の直後、上がった悲鳴は複数。

だが、一瞬で上半身を砕かれた犠牲者が、声を上げられる筈もない。

悲鳴を放ったのは、その犠牲者の後方に位置していた複数のビースト兵たちだった。

広範囲に撒き散らされた散弾の一部や、着弾の衝撃で犠牲者の身体から弾き出された骨片が、後方に居た彼等を襲ったのだ。

それは致命的な傷を齎すには至らないが、それでも肉を穿ち目を潰し、続く行動を阻害するには十分に過ぎる威力。

そして、この場に於いて一瞬であろうと動きを止める事は、それ即ち死神の鎌に捉えられるも同義であった。

 

 

「ぐげ……ッ!」

 

「があッ!?」

 

 

飛来した散弾に踏鞴を踏んでいたビースト兵が、一気に距離を詰めた男の斧により、次々に身体を叩き割られてゆく。

斬るのではない、叩き割っているのだ。

何時の間にか柄が縮まり片手用と化した巨大な斧は、男の右腕が振り抜かれる度に血化粧を撒き散らす。

 

洗練とは程遠いその動き、力任せの荒技。

ただ一つの目的、目の前の敵を叩き潰す事に特化し、その為にのみ昇華された技術。

一切の迷いが無いそれは、技術と膂力の双方を併せ持つ獣人達を、一方的に屠ってゆく。

その一撃一撃が正に必殺。

振るわれる斧の前には急所も何もない、身体に当たった時点で致命傷なのだ。

 

肩口に当たれば脇下まで袈裟に真っ二つ、脇腹に当たれば胴が上下に泣き別れ、胸板に当たれば上半身が微塵に吹き飛ぶ。

果ては、自棄になったか或いは怯えが勝ったのか、腕を盾に身を守る構えを見せたビースト兵、その鉄の手甲に覆われた両腕と胴を諸共に横薙ぎにして二分する始末。

更に、仲間が瞬く間に原形を留めない肉塊と化しゆく様を前に恐慌を来し、引き攣った叫びと共に背を向けたビースト兵に対し、男は両者の間合いを無視して斧を頭上へと振り被る。

絶対に当たる筈のない間合い、どんなに速く振り下ろそうとも間に合う筈のない距離。

投げ付けるつもりか、とのデュランの予想は、大いに裏切られる事となった。

 

柄から散る火花、金属が擦れ合う異音。

振り抜かれる斧は、男の頭上で再び長柄の斧と化す。

デュランは漸く、斧の変形の仕組みに気付いた。

 

『仕掛け武器』

あれは、柄の長さを片手用と両手用に切り替える事で、威力と間合いをも自在に変化させる武器なのだ。

そしてたった今、目の前で行われた変形。

男の強大な膂力、其処から生まれる遠心力を利用した強引なそれは、変形の過程そのものを強力な一撃と化すものだ。

ただでさえ強力な振り下ろしの一撃だというのに、振り抜く最中に柄を伸ばす事で更に遠心力による威力を増幅し、しかも間合いを伸ばす事でより離れた目標へと刃を到達させる。

強引で、力任せで、後先など考えもしないであろう、それ故に比類なき破壊力を叩き込む一撃。

 

背を向け逃げるビースト兵の頭頂部へと炸裂したそれは、そのまま轟音と共に地面を叩き割り、比喩でなく土砂を巻き上げた。

土や小石が音を立てて降る中、割れた地面の上に残されたのは両断された獣人の亡骸。

正確には身体の正中線上の骨肉が裂け、拉げ、こそげ落ち、微塵となり、結果として両断された、獣人だったものの残り滓だった。

そうして10秒と経たぬ内に更に6つもの死体を生み出した男は、地面に斧を叩き付けた状態からゆっくりと立ち上がり、包帯に覆われ窺う事の出来ない両目で残る獣人達を無感動に見遣る。

その吐息の音は、獣人であるビースト兵のものよりも、余程に『獣』のそれに近いもので。

 

 

「ひ……ヒィッ!?」

 

「な……貴様、逃げるな!」

 

 

遂には耐え切れなくなり、その場から逃げ出す者が出始めた。

それも1人や2人ではなく、少なく見積もっても20人以上が。

指揮官が逃亡を防ごうと叫ぶが、恐怖の伝播は止まらない。

30人、40人と逃亡者が増える。

 

敵が如何に恐ろしい相手だとて、僅かに十数人が殺されただけで勇猛果敢なビーストキングダムの兵が逃げ出すものだろうか。

否、その程度の犠牲ならば、寧ろ怒りと高揚を綯交ぜに爆発させながら、その強敵の血を見ようと更に激しく攻め立てる事だろう。

だが、だらりと垂らした腕に血の滴る斧と砲を握った男、その後方。

湖に突き出た桟橋へと続く道の上は既に、殆ど原形を留めていない死体、即ち獣人であったものの成れの果てに埋め尽くされていた。

赤と白の骨片、大小様々かつ無数の肉片、何処の部位であったかをどうにか判別できる程度に形の残された肉塊。

そんな悍ましいものが、燃え盛る家屋の炎に照らし出された道の上に、所狭しと散らばっているのだ。

その量からして、どれだけ少なく見積もっても百は下らない数の獣人が『解体』されているのだろう。

つまり、デュランたちが村の中に戻るまでの間に、この場で獣人達に対する『虐殺』が延々と続けられていたという事だ。

ビースト兵達の恐怖が限界に達したのも、無理はあるまい。

 

 

「アイツ……本当に人間か?」

 

 

火が回っていない横道、荷馬車の陰から惨劇の様子を覗き込みつつ、掠れた声で呟くデュラン。

と、その背後から、小さな呻き声が聴こえてくる。

彼が我に返り振り向くと、其処には地面に崩れ落ち、手で口元を覆って嘔吐するアンジェラの姿が在った。

咄嗟に彼女の動揺を見抜いたデュランは、すぐさまアンジェラの背に手を添わせ、優しく撫ぜ始める。

 

 

「う……う……!」

 

「大丈夫、大丈夫だ……我慢するな、アンジェラ。楽にするんだ……!?」

 

 

凄惨な光景と彼等の元まで漂ってくる濃密な血臭に、耐え切れず嘔吐するアンジェラ。

そんな彼女を気遣っていたデュランは、しかしまたもや聴こえてきた悲鳴に慌てて通りへと視線を戻す。

そして、信じられない光景を見出した。

 

 

「な……何でだ? 何で戻ってきやがった!?」

 

 

なんと、逃げ出した筈のビースト兵たちが、同じ場所まで駆け戻ってきたのである。

まだやるつもりか、と身構えたのも束の間、デュランは彼等の様子がおかしい事に気付く。

荒い息、喚き声、女神に助けを求める叫び。

戻ってきたビースト兵たちは、一様に何かに怯えていた。

斧の男に対しては勿論の事、逃げた先に在る『何か』に。

しかも逃げた際よりも、明らかに人数が減っているではないか。

しかし『何か』から逃げたとはいえ、それで彼等が安全な場へと脱した訳ではなかった。

 

 

「う、がッ!?」

 

 

引き返してきたものの、斧の男に近寄る事も出来ずに踏鞴を踏んでいたビースト兵たち。

それが1人、2人、3人と、次々に目元を手で押さえ崩れ落ちる。

彼等の指の隙間から一様に突き出す、鈍色の光沢。

投擲用のナイフだと、デュランは気付いた。

何処からか放たれたそれらが、正確にビースト兵たちの眼球を射抜いている。

悲鳴を上げ蹲ったビースト兵の数は4人。

内1人は今や完全に地面へと倒れ伏し、痙攣を始めていた。

恐らく、ナイフの切っ先が脳にまで達したのだろう。

 

そして斧の男の後方には、いつの間にか別の人影が佇んでいた。

何時の間に現れたのかデュランでさえ気付かなかったが、その人物の手に握られた鈍色が、投げナイフを放った者が誰であるかを雄弁に語っている。

黄色掛かった分厚い装束、目元以外を完全に覆い隠すマスクと飾り羽の付いた帽子、纏う者は体躯からして恐らく男性。

彼は右手のナイフを腰のベルトに差すや、腰の側面に掛けられていた武器らしきもの、巨大な歯が並んだノコギリの様なそれを握り、弾かれた様に駆け出した。

佇む斧の男の傍らを駆け抜け、放たれた矢の如く突き進む先には、目にナイフを受け未だ立つ事も出来ないビースト兵たち。

敵の接近に気付いた彼等に構える暇さえ与えず、ノコギリが振り下ろされる。

ぞり、という嫌な音が、離れた場所に居るデュラン達の耳にまで届いた。

 

 

「ッ―――!」

 

 

最早、生物の声かどうかも判然としない悲鳴。

腕、脚、胴の一部、顔面の半分。

身体から力任せに、それも鈍い刃で削ぎ落とされた部位が、次々に地面へと落ちる。

生きながらにして骨を断たれ、肉を削がれるという想像を絶する苦痛に、連続して斬り付けられた3人のビースト兵が絶叫した。

だがそれらの悲鳴は、更に振るわれる刃により強制的に断ち切られる。

張り詰めた筋肉の繊維の束、それが無理矢理引き千切られる耳障りな音。

赤に塗れたノコギリが振り抜かれた後には、幾つかの部位に解体された獣人の死体のみが残された。

 

 

「何なんだ……」

 

 

震える声は、ビースト兵たちの指揮官のもの。

ノコギリの男は、無感動にノコギリを振るい、血と肉片を払った。

斧の男は僅かに俯いたまま、再び柄を縮め片手斧に戻すと空いた左手に砲を携える。

 

 

「何者なんだ、貴様等……!」

 

 

更に放たれる言葉。

2人の男は微動だにせず、獣人達の新たな動きを待つかの様に佇んでいる。

指揮官が、叫んだ。

 

 

「人間じゃない……貴様等が人間でなどあるものか! この……『化け物』め!」

 

 

堪えきれなくなった恐怖の発露、感情の爆発。

それでも、斧とノコギリの男は動かない。

動いたのは、指揮官の方だった。

 

 

「……うおおおオォッッ!」

 

 

痺れを切らしたか、それとも蛮勇か、或いは破れかぶれとなったのか。

指揮官は雄叫びを上げ、遂に自らも外套を脱ぎ去ると、見る間に青み掛かった毛並みを持つ獣へと変貌する。

明らかに他の獣人とは異なる容貌に、デュランは状況が悪化しつつある事を悟った。

 

 

「ヤバい……アイツ、別格じゃねえか……!」

 

 

獣人に関してはとんと疎いデュランだが、それでも異常な毛並みの色が意味するところは理解できた。

獣人達の毛並みは大抵が白か灰色である事は、これまでの観察から解っている。

青白く光る毛並みは月光の色、即ち精霊ルナの加護を得ている事を示すもの。

嘗て上級騎士が剣に土の属性を付与する技を用いた、その様を目にした事が在るからこそ気付いた違和感。

だが、明らかにこの指揮官が纏う月のマナは、属性付与の様に一時的なものではない。

長年に渡る月夜の森での鍛錬と、幾重にも死線を潜り抜けた経験が、月の加護そのものを肉体の一部として取り込んでいるのだ。

未熟なデュランにさえ解る、膨大な月のマナを内包したビースト兵。

先程まで嘔気に苛まれていたアンジェラも、異常なマナの昂ぶりに気付いたのか、蒼白な顔で通りを見遣る。

 

 

「……死ねッ!」

 

 

そして遂に、月光が動いた。

微動だにしない2人の『化け物』目掛け跳躍。

地が爆ぜ、月光の影が宙を翔ける。

輪郭すら朧気にしか捉えられぬ程の速さで以て、敵を引き裂かんと迫る月光の獣。

それでも2人の男はその場を動かない。

抵抗を諦めたのか、それとも反応すら出来ないのか。

そうして遂に、月光纏う爪が振るわれんとした瞬間だった。

 

 

「が……ッ!?」

 

 

轟音。

斧の男、左手の砲が火を噴いた。

途轍もない速度で打ち出された散弾は、宙を翔け迫る青白い影を的確に捉える。

宙を舞う血飛沫と、千切れ飛んだ獣の左腕。

片腕を失い、更に被弾の衝撃で体勢を崩した獣が、本来の標的であったろう斧の男の傍らを擦り抜ける。

その身体の向かう先、佇むノコギリの男。

 

直後、デュランとアンジェラは我が目を疑った。

黄色の装束を纏う男は、何と手にしていた自らの得物、その異形のノコギリを手放し地に落としたのだ。

体勢を崩したまま突っ込んでくる獣人を前に、無抵抗のままその突進を受けんとするかの様な振る舞い。

だが、その後に彼が取った行動は、無抵抗とは間逆のものだった。

 

 

「げ、グ……!?」

 

「な……」

 

 

何と男は向かってくる獣目掛け自ら一歩間合いを詰めると、得物を手放し空いた右手をその胴、腹へと突き入れたのだ。

突進を強制的に止められ、勢いの儘に残る四肢のみを前方へと投げ出す指揮官。

胴に隠れた男の右手がどうなっているのか、デュラン達の位置から窺う事は出来ない。

だが、指揮官が上げるくぐもった呻き声が、何らかの攻撃を受けているのだと示していた。

そうして2秒か3秒が過ぎた頃、男は右肩で指揮官の身体を突き飛ばしながら、胴に隠れていた右腕を引き抜く。

瞬間、男と獣の間、宙空で血が爆ぜた。

 

 

「ぐ……!?」

 

「うっ……う、え……!」

 

 

呻くデュラン、堪え切れず再び嘔吐するアンジェラ。

2人の視線の先には、理解を超えた光景が広がっている。

何もかも、一切合財が炎と血の赤に染まった中、仰向けに倒れた獣人と、右手に何かを握ったまま佇む男。

だが、その様相は両者共に異常そのものだった。

残るビースト兵の間から、そして桟橋の側からも、ひとつふたつと悲鳴が上がり始める。

男が手にしているものが何であるか、それを理解したが故に。

 

 

「酷ぇ……!」

 

 

呻く様に吐き捨てるデュラン。

その視線の先で、帽子から爪先まで完全に血塗れとなった男は、手にした『それ』を地面へと放った。

重々しい水音と共に、潰れる様に折り重なる『それ』。

 

 

 

―――ビースト兵の『内臓』

 

 

 

「あ……あ……ガ、げェ、エ……」

 

 

仰向けに倒れたまま立ち上がろうともしない、あるいは出来ない指揮官が、泡立つ異音混じりの声を上げる。

痙攣する彼の身体の前面は、まるで解体途中の家畜の様に『開かれて』いた。

左右へ強引に抉じ開けられた肋骨が、柱の様に並び宙へと向けて突き立っている。

その中から覗くのは、乱れた脈を打つ小さな塊と、赤と紫が混じり合う引き裂かれた2つの袋。

心臓と、破れた肺。

だが、それらの下に在るべき各種の臓器は影も形も無い。

無くて当然だ。

それらは今、本来の持ち主から数mほど離れた地面へと、無造作に打ち捨てられているのだから。

 

 

「ぁ……ぁが……ひ……!」

 

 

引き摺り出された臓器、その滑る表面。

炎の明かりを受け怪しく輝く其処を、無数の細かな血管が覆っている。

それらは本体から切り離されてなお、独自の生命を持っているかの様に脈動し、蠢いていた。

 

一方で、体内の臓器の殆どを抉り出された指揮官は、激しく痙攣し声すらまともに発せない状態であるにも拘わらず、必死に手を伸ばし続けている。

何かを手繰り寄せようとするかの様に蠢く腕の先には、地の上へと無造作に放られた彼自身の内臓。

手にしたところで今更どうしようもないそれを、しかし一縷の希望に縋り付こうとするかの様に、必死に求め続ける。

その姿は、母親に縋り付こうと必死に手を伸ばす、無垢な赤子の様で。

 

だからこそデュランは、あまりの哀れさと悍ましさに目を逸らしそうになった。

それを押し止めたのは彼自身の意志によるものではなく、その背に縋る華奢な身体の所為。

縋り付き、顔を埋めて震えるアンジェラの存在だった。

彼女の精神は、もはや限界なのだろう。

あまりに凄惨な光景が続いた事で、感覚が麻痺するどころか更に鋭敏になってしまっている。

 

全てが血に染まった村、散らばる無数の肉片、充満する鉄と死の臭い。

多少は荒事に慣れている筈のデュランでさえ危ういのだ。

暖かな王城と純白の雪原しか知らぬ繊細な少女に、百を超える死体と炎の熱に埋め尽くされた赤の空間は耐えられるものではないだろう。

もう何も見たくないとばかりにデュランの背に顔を押し付け、離れないでくれと懇願する様に両手で服を握り締め、童話の怪物に怯える幼子の様に震えるアンジェラ。

そんな彼女を放って自身が怯んでいられるほど薄情なデュランではなく、これ以上はアンジェラを不安にさせまいという一心で、辛うじて表向きは平静を保つ事に成功していた。

お人好しも此処までくれば大したものだが、そうでなければ自身が怯えに呑まれてしまうという危機感も在ったのだ。

だからこそ、アンジェラの心を護ると同時、無意識に自らの精神と誇りをも護る為の行動が、目の前の凄惨な光景と正面から向き合い続けるという選択だった。

 

 

「……ぇ……ふ……ッ」

 

 

指揮官の藻掻く動きが、徐々に小さくなる。

あれだけ噴水の如く吹き出していた血も、もはや底を突いたのか完全に止まっていた。

血の泡を噴きながら白目を剥いて痙攣する彼の隣を、斧の男がゆっくりとした足取りで通り過ぎる。

彼の向かう先には、腰を抜かしたビースト兵。

低く掠れた声が、死に埋め尽くされた通りに響く。

 

 

「『獣』は退く事を知らん。貴様等がこの村を出れば、次はジャドの連中が大挙して押し寄せるのだろう? ならば生きて帰す訳にはいかんな」

 

 

その言葉に、息を呑んだのは誰か。

斧の柄が引き伸ばされる金属音が、妙に大きく鼓膜を打つ。

デュランの掌は、何時の間にかじっとりと汗ばんでいた。

 

 

「とはいえこの数だ、流石に殺し切る事は出来まい……最期まで諦めずに向かってくるのなら別だが」

 

 

寧ろ、その方が有り難い。

そう言わんばかりの口調で、斧の男に続くノコギリの男。

装束は今やどす黒い赤に染め上げられ、元の黄色は全く見出す事が出来ない。

自身と同じく血塗れのノコギリを振ると、それは金属音と火花を放ち巨大な鉈と化す。

あれも仕掛け武器か、と戦慄するデュラン。

実質この2人は、砲と合わせて3つもの武器を同時に使い熟しているも同然なのだ。

否、ノコギリの男に至っては投げナイフも含め4つか。

 

 

「まあ、逃げたいのならば逃げるが良い。運が良ければ街道に出られるだろう」

 

 

その言葉が終わるか否かというところで、数人のビースト兵が背を向けて走り出した。

後ろを振り返る事もなく、只管にこの場を離れる事しか考えていない疾走。

釣られた様に、周囲のビースト兵もまた駆け出した。

重なる悲鳴、意味を成さない絶叫。

恐怖の感情を振り撒きながら、彼等は遁走した。

佇む2人は、追おうともせず。

 

 

「どれだけ減らせると思う」

 

「ゲールマンを下す程だ、唯の狩人とは比較になるまい。周りも大分静かになっている様だしな」

 

「ふん、化けたものだ。『烏』の助太刀で精一杯だったというのに」

 

 

ビースト兵達が逃げ去った方角から響く、複数の破裂音。

遅れて、幾つかの悲鳴。

僅かに顔を上向かせた斧の男が、無感動に呟く。

 

 

「……根絶やしにしかねんな。好都合だが」

 

 

荷馬車の陰から2人の男を窺いつつ、デュランは思い至った。

最初に逃げたビースト兵達が戻ってきたとき、彼等の人数は減り、酷く『何か』に怯えていた事に。

つまり今、斧の男とノコギリの男、この2人の脅威に耐え切れずに再度逃げ出した連中は、再び『何か』による攻撃を受けているのだろう。

そしてその『何か』は、この異常なまでの強さを持つ2人をして、仰ぎ見る程の力を有しているらしい。

 

どんな奴だろうか。

これ程の猛者達から、こうまで言われる者。

知りたい、会ってみたい。

どうやってその強さを手に入れたのか、直接会って話を聞いてみたい。

 

つい先程まで自身を苛んでいた悍ましささえ忘れ、デュランは思考に沈む。

強さを、力を手に入れたい。

圧倒的なそれを目の当たりにしたからこそ、彼の欲求は更に燃え上がっていた。

力の拠り所を選ばないそれは、ある意味では彼の怨敵である紅蓮の魔導士に通じるものが在る事に、冷静さを欠いたデュランは気付かない。

そんな彼を引き戻したのは、未だ青褪めたままのアンジェラだった。

 

 

「デュラン、貴方……」

 

「アンジェラ?」

 

「凄く……怖い顔、してる」

 

 

未だ嘔気に苛まれているのだろう、今にも崩れ落ちそうな程に衰弱していると一目で解る様にも拘わらず、彼女は自身よりもデュランの事を気に掛けていた。

力を求めて止まなかった者が、どの様な変貌を遂げたかを知るアンジェラだからこそ、圧倒的な力に惹かれるデュランの危うさを見抜いていたのだ。

無論、デュランには其処まで彼女の内心を窺う事など叶わないが、それでもアンジェラが必死に此方を引き留めようとしている事は解った。

一瞬だけ呆けたものの、すぐに彼は自身の未熟に思い至り、恥じる様に頭を振る。

馬鹿な事を考えた、とばかりに。

そうして彼女を安心させようと、実に彼らしく憎まれ口を交えた言葉を返そうとして、デュランは気付く。

アンジェラの顔色が、数瞬前よりも遥かに蒼褪めている事に。

 

 

「アンジェラ?」

 

「デュラン……後ろ……」

 

 

瞬間、ぞわりと粟立つ背筋。

咄嗟に振り返った彼の視線の先で、あの『化け物』達が此方を見据えていた。

全身が凍り付いてゆくかの様な感覚。

 

動けない。

蛇に睨まれた蛙の様に、動けば『死』が訪れると肉体が認識してしまっている。

そんなものは錯覚であると、幾ら思考が訴えても身体がそれに従わない。

遂には呼吸さえ乱れ始める。

見えぬ呪縛に捕らわれゆく2人。

ノコギリの男が、そんな事は知らぬとばかりに声を掛けた。

 

 

「……酒場で痴話喧嘩していた連中か? 愚図愚図するな、さっさと桟橋へ行け」

 

 

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「……やっぱり」

 

 

桟橋の上、燃えゆく村を見つめながら、フェアリーは呟く。

彼女の視線の先では、殺戮に一段落を付けたらしき2人の『狩人』が、物陰に居る誰かと話をしていた。

だが、彼女が見据えているものはその先、通りの遥か先の闇に潜む者だ。

 

あの男、漆黒の装いに身を包んだ『狩人』は、自分達を逃し獣人達の前に残った。

だが2人の『狩人』が殺戮を始めた頃から、村内の別の場所でも無数の月のマナが急速に散ってゆく様を、フェアリーとしての感覚が認識している。

考えられる可能性はひとつしかない。

あの『狩人』が、ビースト兵達を殺し回っていたのだ。

 

 

「只人じゃない……」

 

 

それは疑惑ではなく、確信だった。

彼等は、明らかに唯の人間ではない。

その身こそ人間ではあるのかもしれないが、しかし同時に異質な何かがその内に潜んでいる。

あの常軌を逸した膂力は、その異質より齎される超常の力ではないのか。

 

 

「『狩人』は『獣』を狩り、やがては『血』に呑まれる……あの人もそうだった」

 

 

背後から呟かれる言葉。

フェアリーは燃える村から目を離さず、耳を傾ける。

 

 

「『獣』を狩り『血』を受け入れ、また『獣』を狩り……そうやって『狩人』は、自らもまた近付いてゆくの……『獣』に、ね」

 

 

途端、総毛立つ。

思考へと浮かんだ、恐ろしい可能性。

あまりにも悍ましいそれに、フェアリーは戦慄した。

 

或いは。

或いはあれが、元から『人』の内に潜むものであったなら。

超常によるものではなく、超常に触れたが故に発現した『人』の内に潜む『何か』なら。

 

 

「そんな……」

 

 

 

あれが『人間』の、真の姿なのだとしたら。

 

 

 

 

 

闇を掻き分け、炎の中を歩み。

3人目の『狩人』が、村の中から桟橋へと歩み来る。

全身、至る所から返り血を滴らせ、しかしそれに頓着する素振りすら見せず、彼は村人たちの前にまで辿り着いた。

そして、怯える彼等をゆっくりと見回し、フェアリーの姿を見付ける。

自身を睨む彼女の姿を前に、しかし何ら気にする素振りも無く、彼は言い放った。

 

 

「君は『マナ』とやらを扱えるのか? 可能なら、結界を解いて欲しい……ウェンデルまで案内しよう」

 

 

 

 




1週目のぼく「お、何やあの黄色いの! オラ内臓決まった、超楽勝! なんやコイツ弱いぞ!」

2週目のぼく「おっほ後ろから奇襲できるやん! よっしゃ内臓決まってアレ殆ど喰らってなあああああああああぁぁぁぁぁぁ!?」(YOU DIED)





烏羽の狩人「先越されたと思ったのにヘンリックしか居なかった。どゆこと?」

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