聖剣伝説 Hunters of Mana   作:変種第二号

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冒涜のフォルセナ

 

 

 

「……貴様、何処から現れた?」

 

 

そう呟きつつも、紅蓮の魔導師は呪文の無音詠唱を開始する。

作戦の推移は順調だった。

市街地での陽動で騎士団の多くを引き付け、手薄になった城内へと単独で空間転移。

城門内の兵士を『ファイアボール』で焼き尽くし開門、外部にて待機中の魔導兵を城内へと侵入させる。

そうして下級騎士団を沈黙させた後、自軍兵士を退避させ魔法生物を召喚、残る敵戦力を一気に殲滅する段階まで事は進んだ。

だが其処で、思わぬ闖入者が現れたのだ。

 

 

「フォルセナの者ではないな。貴様、我が兵達をどうした」

 

 

それは、奇妙な格好の女だった。

とはいえ女らしいと推測しただけで、確信にまで至っている訳ではない。

何しろ、全身を覆う高位聖職者のものらしき分厚い法衣に、両の目を隙間なく覆う装飾付きの仮面を付け、左右に広がった蝙蝠の羽の如き奇妙な形の帽子を被っているのだ。

肌が露となっている箇所など、それこそ口元程度である。

その唇や肌の様相から、恐らくは女であると当たりを付けただけだ。

だが、その女は自軍の女性魔導兵と比しても、明らかに異様な空気を纏っていた。

 

 

「杖を持ってはいるが……魔導師ではないのか」

 

 

目前の人物がマナを纏っていない事に気付き、嘲笑の意を含んで唇の端を釣り上げる。

玉座の間へと続く通路、彼我の距離は10m前後。

右手に持つ金属製らしき杖、左手に持つ奇妙な形状の道具。

これらが女の得物である様だが、いずれにせよこの距離では完全に魔法が優位だ。

無音詠唱は既に済み、後は術を発動するだけ。

その次の瞬間には、複数の拳大ほどのダイヤの結晶が、目の前の女を串刺しにする事だろう。

 

だが一方で、未だ燻る疑問も在った。

この女が出現した方向には、退避中のアルテナ軍兵士たちの内、部隊の1つが向かっていた筈だ。

通路は一本道であり、英雄王が豪奢な装飾を嫌う為か多種の武具が飾られているのみであった其処には、凡そ人が隠れられる場所など無かった。

つまり、この女は退避中の兵士たちと正面から遭遇した筈なのだ。

にも拘らず此処に居るという結果が意味するものは、それらを排除したという事実に他ならない。

アルテナ軍でも手練れの内に入る上級魔導師数名を同時に相手取り、魔導師でも騎士でもなかろう女がどうやって。

 

 

「英雄王の奥の手か、それとも……」

 

 

術の発動、その好機を計る彼の足下には、褐色の光を放つ魔法陣。

この地に満ちる土のマナを用いた、魔法生物召喚の為のそれ。

先程から『ダイヤミサイル』発動の為の詠唱と並行して進めていた術式の構築は、後一歩で完了するところまで来ている。

今、此処を離れる訳にはいかなかった。

彼の主の望みである、主の仇敵たる英雄王の抹殺を成し遂げる為、そして嘗てフォルセナに与して英雄王とその友への全面的な支援を行っていたアルテナ、双方の国家を破滅へと追い遣る為。

この魔法陣より喚び出される魔法生物たちには、両国家間に決定的な対立と憎悪の応酬を生む為の撒き餌として、この王都に住む人間どもを地獄へと叩き落とすという役目が在るのだ。

その為にも今、此処で陣を破壊される訳にはいかない。

 

 

「いずれにせよ、無謀な試みだ……な!」

 

 

彼の手が何かを掴み取る様に握り締められた瞬間、周囲の空間に生じる歪み。

空間中、幾つかの点で急激な集束を起こす、膨大な量のマナ。

一瞬にして巨大な透明の結晶、鋭く尖った槍状のダイヤモンドと化したそれらは、高速で回転しつつ風切り音を立てながら彼の周囲を旋回する。

その数、実に30以上。

平均的な魔導師が生み出す数を、大きく超えていた。

彼の目前に佇む女が、僅かに身動ぎする。

予想を超える術の規模に動揺したのだろうか。

何にせよ、彼にとっては些末事だ。

ゆっくりと掲げた腕、正面に向けられた掌。

それを振り下ろすだけで、目の前の闖入者の命は掻き消されるのだから。

 

 

「では、死ね……ッ!?」

 

 

その動作を実行せんとした瞬間、彼の背筋を奔る冷たい怖気。

彼の視界は、偶然にそれを捉えていた。

自身の周囲を、回転しながら旋回するダイヤの結晶。

その表面に一瞬だけ映り込んだ、在り得ないもの。

自身の背後、手にした剣を今にも突き込もうとする影。

 

 

「くッ!?」

 

 

間に合わない。

咄嗟にそう判断した紅蓮の魔導師は、回避を切り捨てて結晶を投射する。

狙いは女ではなく、自身の周囲だ。

一斉に回転を止め、弓より放たれた矢の如く射出される、総数30を超えるダイヤの槍。

碌に狙いも定めずに放たれたそれらは、紅蓮の魔導師を中心とする周囲の床に着弾、轟音と共に大量の破片を宙へと巻き上げる。

ダイヤの槍と、床の破片。

双方が術者自身である紅蓮の魔導師の身体を掠め、切り裂き、或いは肉を喰い破り突き刺さる。

両の腕で目の周囲を庇いながら苦痛に呻く彼は、しかし見事に狙い通りの結果を手繰り寄せる事に成功した。

唐突に現れた背後からの襲撃者は、標的の周囲を覆う様にして降り注いだ幾つものダイヤの槍、それらが巻き起こす衝撃と破片の飛散によって標的へと至る剣の軌道に狂いが生じたのだ。

 

狙いを外れた切っ先が自身のすぐ横の空間を貫く鋭い風切り音、掠めた二の腕の皮膚が切り裂かれる感覚に、彼は臓腑が凍り付くかの様な冷たい感覚に襲われる。

あと一瞬でも決断が遅かったならば、間違いなく心臓を串刺しにされていただろうという、恐ろしい確信。

沸き起こる怖気を必死に押さえ込みながら、紅蓮の魔導師は自身の術で傷付いた身体から鮮血を流しつつ、追撃を避ける為にその場から横へと飛び出す。

立ち並ぶ柱に身体をぶつけ更に石畳へと叩き付けられ、呻きながらも身を守っていた腕を床に突き、身を半ばまで起こしながら背後へと振り返った。

そして、舌打ち。

 

 

「……運の良い奴め。これでは割に合わないな」

 

 

彼の視線の先に佇む者、一見なんら変哲の無い学者風の男。

その身に纏う装束はアルテナ城内でも良く見かける学者、彼等の内でも年若い者達が身に着けているものに良く似ていた。

上質な生地が使われていると解る、簡素だが洗練された衣服。

違いが在るとすれば、幾ら上質な生地とはいえ簡素に過ぎる事と、ショースではなく余裕を持った黒い脚衣を履いている事だろうか。

短く纏めた色素の薄い金髪、簡素ながら珍しい造形の眼鏡。

そして、その右手に握られている物は、腹に壮麗な装飾を施された銀の長剣。

左手には女と同じ奇妙な道具を持ち、背には鞘にしてはあまりに巨大な何かを背負っている。

 

そして、あれだけの至近距離でダイヤの槍が着弾した際の余波を受けたというのに、男はその衣服の所々に僅かな血を滲ませているだけであった。

恐らくは標的であった紅蓮の魔導師の体躯が、飛散する破片に対して丁度良い盾となっていたのだろう。

皮肉な事に、術により最も大きな被害を受けたのは、他ならぬ術者自身である紅蓮の魔導師であったという事だ。

腹立たしいやら情けないやら、様々な感情が入り混じった自嘲の笑みを浮かべながら、よろめきつつも立ち上がろうとする。

同時に『エクスプロード』の高速無音詠唱を開始。

だが彼は、次いで目に映った光景に動きを止めた。

 

 

「なに……?」

 

 

彼の視線の先、未だ構築途中である召喚用魔法陣の中央。

其処に、目隠し帽の女が佇んでいた。

『ダイヤミサイル』によって一部が破壊された陣は、それでも未だ機能を保っている。

完成の時を待つ陣の中央で、女はそれまで背負っていたらしき袋を床へと落とした。

 

その袋を見た時、紅蓮の魔導師の脳裏を過ぎった感情と思考は、果たして如何なるものであったか。

少なくとも良いものでない事は確かだが、それ以上に久しく感じた事のないものであった。

本能が鳴らす警鐘、此処から逃げろと叫ぶ内なる声。

それらが何によって齎されているのかも、彼は気付いていた。

視線の先の袋、其処に滲む赤黒い染み。

そして、女の手によって袋の中身が陣へと空けられる。

撒き散らされた幾つもの奇妙な物品の内の1つ、床に突かれた紅蓮の魔導師の手元にまで転がってくる円筒形のそれ。

迂闊にもそれを凝視してしまい、絶句する。

 

 

「ッ……!?」

 

 

反射的に、背後の柱まで身を引く紅蓮の魔導師。

冷静な思考や警戒などではなく、抗う事の出来ない圧倒的かつ生理的な嫌悪感により齎された咄嗟の行動。

しかし彼の視線は円筒形の物体に釘付けとなっており、それから視線を逸らす事で恐ろしい何かが起こるとでも確信しているかの如く、限界まで見開かれた眼は微動だにしない。

否、正確には彼が見詰めているものは物体、即ち円筒形のガラスの容器そのものではなく、その内に満たされた何らかの液体中に浮かぶ代物。

凍り付いた様に見詰める彼の目を、容器の内から同じく見つめ返すそれ。

 

 

 

―――血走った、人間の眼球

 

 

 

「これは……ッ!?」

 

 

柱に背を預けたまま、視線を魔法陣へと移す紅蓮の魔導師。

其処には依然として、剣を手にした眼鏡の男と、杖を手にした目隠し帽の女が佇んでいた。

此方を警戒してはいるのだろうが、追撃を掛けるでもなく佇むその姿からは、目の前の敵に大した関心を持っていない様にも感じられる。

そして紅蓮の魔導師の注意も、目の前の敵よりもその足元に散らばる種々の物品に釘付けとなっていた。

あまりにも異常かつ、悍ましいそれらの物体。

血の染みそのものの色を中心に備えたくすんだ白の花や、青白く輝く粉末の様な物やカビらしき物の集合体などはまだ良い。

問題はそれ以外の、健常な精神を持つ者ならば決して受け入れられはしない、異常極まる代物だ。

 

落下の衝撃で割れたらしき瓶の中から溢れ出し、奇妙に蠢く血液らしき粘性の液体。

真珠の様な輝きを持ち、それでも明らかに生きていると解る無数のナメクジ。

眼球と同じくガラスの容器に詰められた、変色し腫瘍だらけの人間の臓腑らしきもの、或いは黄色く変色した脊椎の一部。

干乾びた人間の手首、王冠を被ったまま同じく干乾びた人間の頭蓋。

 

これだけでも、並の人間ならば耐えられない程に悍ましく、異常な品々だ。

だが、特殊な経緯こそ在れど強靭な意思を持つに至った紅蓮の魔導師、彼の意識すらも蝕む最大の要因は別の物に在った。

滑りと薄い赤の光沢を持つ小さな塊と、枯れ木の集まりの様な小さな塊。

一見しただけでは単なる塵の塊としか思えないそれらを凝視してしまったが故に、その正体を看破してしまったのだ。

その事を後悔する暇さえ無く、沸き起こる強烈な吐き気。

しかし事態は、彼に異の内容物を吐き戻す為の、僅かな時間さえも与えなかった。

褐色の光を放っていた陣が、突如として赤黒い光を放ち始めたのだ。

 

 

「……何だ……何が起こっている!?」

 

 

途端、紅蓮の魔導師は自らを苛んでいた吐気すらも忘れ、叫んでいた。

それまで確かに感じられていた膨大な土のマナが消え失せ、全く別の何かに置き換わったのだ。

光の色から火のマナかとも考えたが、彼の感覚はそれを否定している。

魔法陣から放たれる赤黒い光は確かにマナを含んではいるのだが、それ以上に明らかに異質な『何か』を内包していた。

その正体こそ掴めないまでも、しかし同時に彼は敵の狙いを理解するに至る。

そして、戦慄した。

 

 

「貴様……貴様らッ……まさか!」

 

 

詰まる所、彼は利用されたのだ。

この闖入者どもはアルテナによる奇襲が始まった瞬間から、召喚用の魔法陣が敷かれるその時を窺っていたのだ。

横合いからそれを奪取し、まるで別の目的を果たす為のものとして作り変える為に。

撒き散らされた袋の中身は、それを果たす為の触媒だろう。

徐々に強さを増す赤黒い光の中、徐々に変化するそれらの様相を見詰めながら、紅蓮の魔導師は血が滲むまでに唇を噛み締めた。

文様さえも秒を追う毎に変化し、それどころか全体が徐々に拡大してゆく魔法陣。

 

何が起こるというのか。

召喚対象を上書きする目的ならば、陣を拡大する必要などない筈。

だが現実には、陣は当初の3倍ほどの大きさにまで達し、今もなお拡大を続けている。

陣の端は柱や壁にも及び、更にそれらを透過して通路の外にまで達している様だ。

一体、何処まで広がるのか。

 

其処まで思考が及んだ時、彼は目隠し帽の女、彼女の異様な行動に気付く。

右手の杖と左手の道具を腰元の鎖に掛け、空いた両手の指先を頭上で合わせる様に掲げたのだ。

上半身を仰け反らせ、合わせた自身の手を見上げる様な姿勢。

咄嗟に、無音詠唱が完了した『エクスプロード』を放とうとするも、同時に凄まじい警鐘を鳴らす本能。

何かおかしい、此処に居ては拙い。

何ら根拠の無い衝動は、直後に確信を伴うそれへと変わった。

女の手の内に集う白い光、その身を取り巻く『星の海』。

知らず、彼は叫んでいた。

 

 

「くああっ!?」

 

 

悲鳴か雄叫びか、どちらかも判然としないそれと共に放たれた『エクスプロード』は、正面ではなく背後の壁へと向けられたもの。

指向性を与えられた火のマナによる強烈な爆発が、一瞬にして壁面を破壊する。

更に彼は風のマナを用い、自身の身体を爆発の只中へと躍らせた。

それは、もはや魔法ですらない乱暴かつ強引な、単にマナの奔流を背中にぶち当てただけの力技。

自身がその場を脱する為だけに行われた、緊急的かつ無謀な加速方法。

だが、それを実行に移した彼の判断は、間違いなく正しかった。

 

背後からも視界を埋め尽くす程の、凄まじいまでの白い光の炸裂。

遅れて届く『エクスプロード』とは明らかに異なる爆発音。

前方に吹き飛ばされている最中にも拘らず、背中を穿つ無数の小さな瓦礫と皮膚を焼く熱。

だが、それらに気を回しているだけの余裕など、彼には無い。

視界が白一色に塗り潰されている中、吹き飛ばされる身体の先に何が待っているかも解らないのだ。

『エクスプロード』の発動から2秒も経たぬ内に、マナによって強制的に加速された思考は次なる行動を起こしている。

 

風のマナを前方に集中、圧縮させ空気溜まりを形成。

一瞬の内に形成されたそれに、自身の身体を突っ込ませる。

衝撃、鈍い音。

白く光った後、赤く染まる視界。

衝撃を殺してなお、壁に衝突したのだと理解する。

だが、加速した思考は止まらない。

魔力も貴重な触媒の温存も一切考えず、常に発動準備状態に在った緊急転移の術式を発動。

壁に次いで床へと叩き付けられた身体が、膨大な量のマナに包まれた事を感じ取る。

転移の実行までは数秒ほど掛かるが、その間に今の彼が出来る事といえば、追撃が無い事を願うだけだ。

果たして幸運にも、彼の願いは叶えられた。

追撃を受ける事なく、彼の身体は王都の西の上空に待機していた空母ギガンテス、その艦内へと転移を果たしたのだ。

手に触れる石の感触が、冷たい鉄のそれへと変化した事を感じ取るや、彼は全身の力を抜いた。

 

 

「く……あ……!」

 

 

血塗れで呻く彼が転移した場所は、ギガンテス艦内に設けられた彼の私室だ。

満足に身体を動かす事も出来ぬ中、自身に残された僅かなマナを使って『ヒールライト』を発動する。

出血は止まった様だが、一度の術では失った血液を取り戻すには至らない。

如何にか這って移動すると、術式触媒の収められた棚まで辿り着き、俯せのまま扉を開けて『天使の聖杯』を取り出す。

予め神官によって癒しの術式を組み込まれたそれは、忽ちの内に杯の内を光のマナを帯びた水で満たし、それを浴びる様に傷付いた体の上へと零すや見る見る内に全身の傷が塞がり始めた。

急速に消えゆく痛みに如何にか安堵の息を吐きながら、紅蓮の魔導師は考える。

 

あの2人は何者か。

魔法陣を書き換えるという極めて高度な術式の改竄を行っておきながら、眼鏡の男はともかく実際にそれを行った目隠し帽の女からも、マナは全く感じ取れなかった。

撒き散らされた種々の異物が何らかの触媒であった事は確かだが、しかしそれらの物品もどれひとつとしてマナを含んではいなかったのだ。

にも拘らず、召喚陣は別の何かへと書き換えられ、その効果を広範囲へと齎さんとしていた。

フォルセナで今、何が起きようとしているのだ。

 

 

『魔導師殿、御帰還されましたか……魔導師殿?』

 

 

艦内のマナ変動を観測したのだろう、艦橋に繋がる伝声管から艦長の声が飛び込む。

暫し伏せたまま、訝しげなその声を聞いていた紅蓮の魔導師であったが、やがてのろのろと身を起こすと伝声管へと歩み寄る。

そして、常よりも殊更に無感動な声で告げた。

 

 

「……艦長、進路をアルテナに取れ。一刻も早くこの国を離れよ」

 

『な……魔導師殿、それは……』

 

「作戦は失敗、英雄王の抹殺は成らなかった。城内に突入した部隊は全滅、市街地で活動中の者共も回収は叶うまい。現状の作戦行動は全て中止する、直ちに帰還に移れ」

 

『お待ち下さい! 高原各所には未だ作戦行動中の部隊が……!』

 

 

瞬間、紅蓮の魔導師は伝声管へと掌を叩き付けた。

彼の身に残されたなけなしのマナが、しかし鋭い風の刃となって伝声管の内部を翔ける。

そして数秒の後、伝声管の向こうで何かが切り裂かれる音と、重く水気を含んだ何かが鉄の床に落ちる音、僅かに遅れて悲鳴が巻き起こった。

それらを気に留める事もなく、彼は続ける。

 

 

「副長、応答しろ」

 

『……はい、魔導師殿』

 

「其処に転がっている『ゴミ』を投棄せよ。今この瞬間から、貴様が新たなギガンテス艦長だ。良いな」

 

『……はッ』

 

 

伝声管に蓋をし、紅蓮の魔導師はその場に頽れる。

傷が癒えてなお痛む身体と、全身に纏わり付く自身の血の感触が不快だったが、今はとにかく眠りたかった。

久しく無かった、命を賭しての戦い。

それも優勢などとは程遠く、あまりに劣勢かつ短時間の、極限まで凝縮された死闘。

挙句の果てにまともな反撃すらも叶わず、目晦ましに放った自身の魔法で傷付きながら、命辛々どうにか逃亡に成功したという有り様。

だが、不思議と痛恨や憎悪といった類の感情は無い。

そんな感情よりも、驚愕や疑問といった類のものが脳裏を埋め尽くしているからだ。

 

フォルセナの兵ではなく、当然ながらアルテナ兵でもない。

ナバールのニンジャ、ローラントのアマゾネス、ビーストキングダムの獣人、ウェンデルの神官、いずれも違う。

男が手にしていた長剣以外、いずれの国の兵士が得意とする得物とも重ならない。

その長剣でさえ、明らかにフォルセナで用いられている物とは異なる造形だった。

奴等は何処から現れ、何の為にあの場所に居たのか。

あの赤黒い光、まるで血の色の様なそれを放つ魔法陣は、フォルセナに何を齎そうとしているのか。

 

 

「……匪賊め……申し訳、在りません……竜帝、様……」

 

 

その呟きを最後に、紅蓮の魔導師は意識を失う。

極限にまで達した疲労は、否応なしに彼を眠りの世界へと引き摺り込んだ。

当初の目的を果たす事も、未だ祖国の為に戦い続ける兵士たちを救い上げる事も叶わぬまま、アルテナが世界に誇る最大最強の空母ギガンテスは逃げる様に北へと向かう。

今やその巨艦は、戦い続ける味方を見捨てて逃避する卑怯者たちの檻、彼等の箱舟に他ならなかった。

 

 

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「ブルーザー、左を殺れ! ギムは右、デュランは私と正面だ!」

 

「はッ!」

 

「敵を攪乱する、行くぞケヴィン!」

 

 

劫火に包まれる王都の一角で、聖剣の一行は巡回騎士団と共に、アルテナ兵との戦闘に突入した。

アルテナ兵たちは市街地の各区画で、突如として火の魔法を放ち戦端を開いたらしい。

燃え落ちる民家や商店、騎士たちの詰め所。

これではとても、全ての住民が避難するには至らなかっただろう。

どれだけの犠牲者が出ているのか、現状では想像も付かない。

 

通りには激しい戦闘が繰り広げられた事を物語る、フォルセナ兵とアルテナ兵の死体が其処彼処に転がっていた。

火に焼かれた者、巨大な氷塊に圧し潰された者、袈裟懸けに真っ二つにされた者、首と胴が泣き別れになった者。

凄惨な様相の死体が無数に転がる中、王都外壁に程近い地区で戦っていた騎士たちを殲滅したらしき手負いのアルテナ兵たちの一団は、何故か統率を欠いた様子で王都外部への逃走を図っていた。

しかし彼女たちは運悪く、戦闘中の王都に外部から突入して来た一団、即ちデュラン達と鉢合わせしてしまったのだ。

 

王都から逃げ出してきた住民達より事の次第を聞かされていた彼等は、迷う事なく直ちに戦闘へと突入した。

騎馬の機動性を活かしつつ団長の指揮の下、見事な連携で襲い掛かるデュランを含めた騎士団。

自らの俊足と跳躍力を活かし、周囲の地形を利用して猛禽の如く跳び掛かるホークアイ。

強靱な脚力で以て地を爆ぜさせながら、咆哮と共に獣肉断ちを振り被り突撃するケヴィン。

無論、アルテナ兵たちも迎撃の為に魔法を放とうとするも、周囲に指示を下していた魔導兵の頭部から、何の前触れもなく血と脳漿が弾け飛ぶや、呆気に取られて詠唱を中断してしまう。

遅れて響く銃声。

生まれた一瞬の空隙は、この場に於ける雌雄を決するには充分に過ぎるものだった。

 

 

「ひ……ぎぁ!」

 

「ぐ……ッ!?」

 

 

フォルセナの誇る駿馬が、その巨体の重量と蹄で以てアルテナ兵たちの身体を一瞬にして弾き飛ばし、或いは踏み潰す。

馬上から、或いは馬から飛び降りて、一刀の下に魔導兵たちを切り倒す騎士たち。

地の利を活かして跳び回るホークアイが次々にアルテナ兵の首筋を切り裂き、ケヴィンの振るう獣肉断ちが数名のアルテナ兵を纏めて挽き肉と化す。

そんな混戦の中、どうにか詠唱を完成させ術の発動段階にまで漕ぎ着けた者が居ても、銃声と共に飛来した銃弾が例外なくその頭を撃ち抜くのだ。

 

斯くして、双方の戦力規模の大きさに反し、この場での戦闘は僅か数分の内に、フォルセナ側の一方的な勝利という形で幕を下ろした。

空になったエヴェリンの弾倉に水銀弾を装填するモントの横で、フェアリーは矢を放つ事の無かった弓を下ろす。

そして、アルテナ兵からの優先的な攻撃を警戒し、リースやシャルロットと共に護衛していたアンジェラへと、気遣わしげに声を掛けた。

 

 

「その、アンジェラ……」

 

「……大丈夫、私は大丈夫だから」

 

「……アンジェラ、こっちへ」

 

 

到底、その言葉通りには見受けられない、青ざめた顔色のアンジェラ。

見るに見兼ねたのか、周囲を警戒しつつもリースが彼女の手を取り、近くの燃え残った建物の陰へと連れて行った。

その背を無言の儘に見送ったシャルロットは、次いでフェアリーとモントに向き直る。

 

 

「デュランしゃんたちがケガしてないか心配でち、ちょっと行ってくるでちよ」

 

 

そう言って歩き出す小さな背を見送りながら、強い娘だとフェアリーは思う。

常に周囲に気を配り、自らの成すべき事を冷静な思考でしっかりと捉えている。

本来ならば年長者が成すべき事を、この一行の中で最も的確に行っているのが最年少の2人だという事実に、フェアリーは何処となく心苦しいものを覚えた。

今はデュランやホークアイと共に、敵兵の生存者が居ないか確かめているケヴィンもまた、シャルロットと同様に周囲を気遣う術に長けている。

彼等の境遇を知っている今、其処にそうならざるを得なかったという背景を感じ取れるからこそ、感心よりも悲しさが先に浮かぶのだ。

そんな事を考えていたフェアリーの耳に飛び込む、数々の雑音とモントの呟き。

 

 

「妙だな……」

 

「え?」

 

「街の中央から聴こえる声の質が変わった。悲鳴ばかりだ」

 

「悲鳴……」

 

 

唐突な言葉に耳を澄ますも、フェアリーには燃え盛る炎が立てる音と、それらの熱が巻き起こす風の音しか聴こえない。

しかし、まさかと思いケヴィンに目を遣れば、彼もまた何かを感じ取ったか、戸惑う様に王都の中心部の方角を見遣っていた。

モントたち狩人が獣の力の一部を我が物とする過程に於いて、人間離れした五感や身体能力を得ている事は既に聞き及んではいるが、こういった場合にそれが事実であると思い知らされる。

彼は獣人であるケヴィンと同じく、唯の人間には感じ取れない何らかの異変を察知しているのだろう。

いずれは自分もそうなるのだろうかと、同じく狩人となった筈である自身の変化を思い、僅かに気を重くするフェアリー。

そんな彼女の思考は、突如として足下を覆った赤黒い光によって中断させられた。

 

 

「きゃっ!?」

 

「何だッ!?」

 

「くそ、馬が! 離れてろ、お嬢ちゃん! コイツら気が立ってやがる!」

 

「今のは何です!?」

 

 

地面の発光は、一瞬にして止んだ。

後には、先程と何ら変わらぬ死体に埋め尽くされた通りと、燃え盛る街並みだけが残される。

突然の事に戸惑い皆が警戒を強め一箇所に集まる中、唯2人だけが先程の光の正体を看破していた。

フェアリー、そしてリースと共に戻ってきたアンジェラだ。

 

 

「フェアリー、今のってまさか!」

 

「アンジェラも気付いた?」

 

「おい、何なんだ?」

 

 

戸惑いを隠そうともせずに訊ねるデュラン。

既に叔母と妹が王都外に避難している事は、避難民を護衛していた同期の騎士見習い達から確認済みである。

その為か今のところは、暴走する様な素振りは見せていない。

無論、再び故郷に攻め入ったアルテナに対する怒りは人一倍強いのだろうが、それでもアンジェラに当たり散らす様子がない事に、フェアリーは微かな安堵を覚えた。

 

 

「今のって魔法陣よ、術式を構成する紋様が見えたもの。発動が済んで消えたみたいだけど……」

 

「だけど?」

 

「……妙だわ、マナを殆ど感じなかった。8つの属性のどれでもなかったし、そもそもあんな色の光を放つマナなんて見た事が無いわ」

 

「今の魔法陣……記憶違いじゃなければ、召喚陣よ。でも、街全体にまでなんて拡がる筈がないし、そもそも発動持続型だから陣が消えるなんておかしいわ」

 

「つまり正体不明の魔法って訳か? アルテナは何を……」

 

「違う」

 

 

デュランの言葉を遮ったのは、モントの一言。

騎士団を含め全員の視線が向けられる中、彼は強い口調で言い切った。

 

 

「この襲撃と今の光は別件だ。いや、関連性は在るのかもしれないが、少なくとも今の魔法陣とやらを発動させたのはアルテナじゃない」

 

「じゃあ何だって……おい、まさか」

 

「……ああ」

 

 

其処で、これまで共に旅をしてきた一行は気付く。

モントが何を言わんとしているのか、この事態の裏に潜むものが何か。

そして、彼は言い放つ。

 

 

「『カインハースト』か、それ以外か……いずれにせよ『ヤーナム』の者の仕業だ」

 

「ッ……何か来る!」

 

 

モントの言葉が終わるか否かというところで、ケヴィンが警告の声を上げる。

皆が咄嗟に各々の得物を構え直す中、燃え盛る通りの遙か先で蠢く何かの影。

一同の間に、緊張が奔る。

影は、かなりの速度で此方に向かってくる様だ。

 

 

「ッ! モント、アンジェラ!」

 

「見えてる」

 

「解ってるわよ!」

 

 

ホークアイの声に、モントはエヴェリンを構え、アンジェラは『ホーリーボール』の詠唱に入る。

向かってくる影が射程内に入れば、水銀弾と光の魔法が同時に襲い掛かる事となるのだ。

だが、そんな彼等をケヴィンが制す。

 

 

「待って……あれ、馬だ。多分、フォルセナの。でも……」

 

 

そう言って鼻をひくつかせるケヴィンが、次いで表情を更に険しくした。

詠唱を完了したアンジェラは戸惑う様にそんな彼を見ていたが、一方でモントは銃口を下ろす事もなく更に警戒を強める。

 

 

「血……物凄く濃い血の匂いと、内臓の臭いする。それに……『獣』の臭い」

 

「『獣』だと?」

 

 

騎士の1人が聞き返す間に、馬はすぐ其処にまで迫っていた。

人の姿を認めた為か、減速して一同の側にまで寄る。

だが、その馬上に跨がるものを目にした瞬間、一同は凍り付いた。

 

 

「ひっ!?」

 

「ぐぁ……畜生! 畜生が……ッ!」

 

「う……!」

 

 

其処に在ったもの。

それは、具足を着けた人間の腰から下、唯それだけ。

力任せに捩じ切られたか、或いは巨大な顎に喰い千切られたかの様な断面からは、解けた腸や崩れ掛けの臓器が零れ出している。

腰から上が完全に失われた人間の残骸だけが、鐙の上に跨がっていたのだ。

フェアリーを含め、耐え切れぬといった体で目を背けようとする者達へと飛ぶ、鋭い叫び。

 

 

「散れ!」

 

 

その瞬間、フェアリーはモントの腕に抱えられ、強制的にその場を飛び退かされていた。

理解が追い付かぬまま激しく動く視界の中、一瞬前まで自身が居た場所に巨大な黒い影が飛び込んできた事を遅れて理解する。

モントが着地し地面に下ろされたところで漸く、フェアリーは影の正体を目の当たりにした。

 

 

「何なの……!」

 

 

その場所、一瞬前まで皆が集まっていた地点に、頭上から降ってきたもの。

それは、巨大な狼にも似た『獣』だった。

漆黒の毛並みに覆われ、通常の狼の3倍は在ろうかという異様な大きさの頭部、その剥き出しの歯茎にずらりと並ぶ同じく巨大な牙。

当然ながら頭部の大きさに見合うだけの巨体、同じく漆黒の毛皮に覆われたそれを持っている時点で、唯の狼でなどであろう筈もない。

だが、何より異常なのは、その四肢だった。

 

 

「なんだ、コイツ……獣人か!?」

 

「違う! コイツ、獣人じゃない!」

 

 

ケヴィンが叫ぶ。

少なくとも旅の一行には、彼の言葉が正しいと断言する事ができた。

彼等がこれまでに目にしてきた獣人と、眼前の『獣』とではあまりに相違が過ぎる。

獣人とは飽くまで、獣の特徴を備えた人間と言い表すのが相応しい存在であり、決してその逆ではない。

一方で、目の前で低い呻りを上げる『獣』は、正しく人の特徴を備えた獣、それ以外の何物でもなかった。

 

異様に長い四肢、獣ではなく人間のそれと同じ方向に曲がった関節。

胴と同じく分厚い漆黒の毛皮に覆われたそれの先端には、人間の五指の如く並んだ、並の短刀よりも遙かに大きく鋭い爪。

獣人の様な直立二足歩行ではなく、這い蹲った人間の様な姿勢、折り曲げた四肢を交互に動かしての四足歩行。

それは正しく、人間としての要素を僅かばかり混ぜ込んで形作られた、異形の『獣』だった。

そして、周囲が唖然と見つめる中で数歩ほど闊歩していた『獣』は、突然その頭を最寄りの人物へと向けて呻り出す。

即ち、リースとアンジェラへと。

 

 

「ッ……!」

 

「リース、退がって!」

 

 

獣そのものでありながら、同時に掠れた人の声にも聴こえる雄叫びを上げる『獣』を前に、槍を構えて前に出ようとするリース。

しかし双方の体躯の差から、リースが不利と判断したのだろう。

既に詠唱を済ませていたアンジェラは、リースに退がるよう促すと『ホーリーボール』を発動せんとする。

これまでの経験を鑑みれば、決して間違った対処法ではない。

問題は、相手がこの世界に存在する種々のモンスターや、敵対する人間などとは全く異なる規格外の存在であった事。

『獣狩りの夜』より迷い出た『獣』であった事だ。

 

 

「これで……なッ!?」

 

「アンジェラッ!」

 

 

杖を振り『ホーリーボール』を発動した瞬間、アンジェラは我が目を疑った。

数瞬前まで数m先で呻りを上げていた筈の『獣』が、今まさに目と鼻の先で此方を噛み砕かんと大顎を開いていたのだ。

術の発動の為、精神を集中せんと目を閉じた一瞬。

その一瞬を経て瞼を上げ杖を振らんとした、その瞬間にはもう、眼前に『獣』の牙が迫っていたのだ。

後は『獣』の咬合力に物を言わせて、アンジェラの女性的な魅力を持ちながらも華奢な、当然ながら抵抗できるだけの膂力など在ろう筈もない身体を噛み砕くだけ。

彼女自身も、理解には至らずとも本能が察知したのだろう。

無意識に強ばった身は、回避する為の最後の猶予を、彼女から奪ってしまった。

対処したのは、別の人物。

 

 

「うおオォッ!」

 

 

横合いから咆哮を上げつつ突っ込んだ影が『獣』の巨躯を弾き飛ばす。

否、正確には『獣』自身がアンジェラへの突進を中断し、横へと飛び退いたのだ。

明らかに苦痛を含んだ呻りが、牙の並んだ口から零れ出る。

その白濁した目が向けられる先には、血塗れの剣を構える青年の姿。

硬直が解けるや、アンジェラは叫ぶ。

 

 

「デュラン!?」

 

「退がってろ、魔法じゃ相性が悪い!」

 

 

突っ込んできた影は、デュランだった。

魔法の発動に際し、魔導師には隙が出来る。

数瞬の事とはいえ、無防備となるアンジェラを援護する為『獣』が突進の体勢に入った瞬間には、誰よりも早く駆け出していたのだ。

突き出された切っ先は見事に『獣』を捉え、刀身の根本までを敵の胴に食い込ませる事に成功していた。

『獣』がアンジェラへの攻撃を中断してまで飛び退いた理由は、唐突に齎された激痛と自身の生命の危険を感じ取ったが故だろう。

だがアンジェラを救い、更には虚を突いての反撃さえ成功させた当のデュランは、その表情を一層に険しくして叫んだ。

 

 

「クソッ! コイツ、とんでもなく硬いぞ!」

 

 

『獣』から引き抜いた剣へと視線を落とし、舌打ちするデュラン。

マイアで新調したばかりの剣には、今や切っ先が存在しない。

正確には、切っ先から拳1つ分の刀身が折れ、完全に失われているのだ。

『獣』へと突き込んだ際に、剣が骨格に当たった感触は在った。

だが、それだけで剣が折れるなど、デュランはこれまでの戦闘で経験した事が無い。

刺突が骨に当たり切っ先が欠けるだけならばともかく、硬度に優れたフォルセナの剣、その刀身そのものが折れるなど、そう在る事ではないのだ。

どれほど馬鹿げた硬さの骨なのかと、知らず歯噛みするデュラン。

だが『獣』は、そんな彼の逡巡が収束するまで待つほど慈悲深くも、それだけの知性が在る訳でもなかった。

 

 

「避けろ!」

 

「な、うおおッ!?」

 

 

騎士団長からの警告にデュランは咄嗟に身を捻り、自身へと迫り来る『獣』の爪を、間一髪のところで回避する。

爪が掠めた二の腕に鋭い痛みが走り、次いで鮮血が噴き出した。

咄嗟の事とはいえ完全に回避した筈なのにと、声には出さずに戦慄するデュラン。

『獣』の瞬発力は、動体視力と反射速度に優れた彼の想定をも、僅かではあるが上回っていたのだ。

だが此処には、そんな『獣』の速度に追随できる者が、複数存在していた。

 

 

「ホークアイ!」

 

「そっちは任せるぞ、ケヴィン!」

 

 

速度と攻撃の鋭さでは他の追随を許さないホークアイ、獣の瞬発力と圧倒的な膂力を備えたケヴィン。

一撃一撃こそ正確無比かつ極めて強力だが、しかし速度に難の在るデュランを援護すべく、異なる速さを身に付けた2人が同時に『獣』へと襲い掛かる。

しかし、その速さと『獣狩りの武器』を手にした2人であっても、初めて目にする『ヤーナム』の獣を前にしては苦戦を免れ得なかった。

 

 

「この野郎、なんて毛皮だ! 刃が通らない!」

 

「く、そッ……ちょこまかと!」

 

 

ホークアイのダガーは、その毒さえ回れば如何なる敵であろうと死に至らしめるだろう。

ケヴィンの獣肉断ちは、まともに当たりさえすれば一撃で『獣』の身体を引き裂くだろう。

しかし、飽くまでも対人用でしかないダガーの刃は『獣』の分厚い漆黒の毛皮に阻まれ、その身に傷を刻むには至らない。

極めて大威力とはいえ、ケヴィンの膂力であっても大振りとなる獣肉断ちは、殊更それを警戒しているかの様な素振りさえ見せる『獣』の立ち回りに追い付く事ができない。

2つの必殺の刃は『獣』の常軌を逸した頑強さと俊敏さに翻弄され、標的を仕留めるには至らない。

しかしそんな状況も、何時までも続くものではなかった。

 

 

「包囲しろ! 逃がすなよ、此処で殺せ!」

 

「アンジェラ、もう一度ホーリーボールを! シャルロットは治療の準備!」

 

 

それまで迂闊に動く事を避けていた騎士団とリースが、ホークアイとケヴィンに掛かり切りとなっている『獣』を包囲し始めたのだ。

デュランもその包囲に加わり、アンジェラはリースに促され再度『ホーリーボール』の詠唱を開始する。

そんな中、自身の弓では大して力になれないと判断し静観する事を選んだフェアリーが、傍らに立つモントへと問い掛けた。

 

 

「貴方、専門家でしょう? なぜ何もしないの?」

 

「必要ないからだ。良く見ろ、皆もうアレの対処法を掴み始めている」

 

「え?」

 

 

モントに促され、改めて『獣』に立ち向かう皆を見れば、其処には彼の言葉が正しい事を示す光景が広がっていた。

四方八方から刺突を受け、一方に警戒を絞る度に後方から斬撃を浴びる『獣』。

悲鳴と共に後方へと振り抜かれる爪を紙一重で、しかし的確に回避し距離を取る包囲陣の面々。

騎士団も旅の一行も、皆が『獣』への対処法を掴み、言葉を交わさずともそれを共有している事が解る。

見事な連携を呆然と見つめるフェアリーに、モントが種明かしを始めた。

 

 

「あの『獣』は瞬発力が高く、しかもその膂力と相俟って正面から相手取るのは極めて危険だ。だが、奴には獣となったが故の弱点が在る」

 

「弱点?」

 

「アレも元は人間だ。外見こそ獣そのものだが、四肢を見れば解る様に、骨格には人間としての名残が在る。獣の力を我が物とした事による変化だが、しかし肉体的な利点ばかりではなく不都合な点も生まれているんだ」

 

「……それって、あの振り向く時の事?」

 

 

そう言い放つフェアリーの視線の先で、ついに発動した『ホーリーボール』が『獣』を捉えた。

聖なる光が凝集した光球、無数のそれらが『獣』を取り囲み、回転しつつその身に触れては血肉を焼いてゆく。

耳障りな絶叫が上がるも、しかしまだ『獣』は息絶える様子を見せない。

すると背後からリースが槍の一突きを浴びせ、背中を大きく抉られた『獣』が咆哮しつつ、後方へと爪を振り抜く。

しかし彼女は『獣』の動きを完璧に見切り、空気を切り裂いて迫る爪を難なく躱す。

 

 

「正解だ。四足で歩む獣が咄嗟に背後へと振り返る時、一瞬だが前脚を浮かせて後ろ足だけで立つ。ほんの僅かな時間ではあるが、それでも二足で立つ人間に比べれば遙かに長い時間、獣は無防備な背面を晒す事になる。斬り付けて、更に回避に移るとしても十分な程に」

 

 

モントの言葉通り『獣』は背後から攻撃を受けた際、反撃までに一拍の遅れが在った。

無論、遅れが在るとはいえ腕を振り抜く速さ自体は何ら変わりなく、まともにその爪を受けようものなら一撃で全身を引き裂かれる事だろう。

だが今『獣』を取り囲んでいる者達は、そのいずれもが秀逸なる武を修めた戦士。

常人には回避不可能な速さであっても、其処に一瞬の隙を見出す事が出来た。

更に数の利を活かし、巧みに反撃を封じつつ一方的に『獣』の血肉を削りゆく。

そうして、周囲の石畳が『獣』の血で以て赤く染め上げられた頃、独特の重々しい金属音を鳴らしつつ、ケヴィンが獣肉断ちを大上段に振り被った。

『獣』はケヴィンとは反対に位置する騎士へと相対しており、背後で振り被られた蛇腹状の刀身に気付かない。

 

 

「仕留めた」

 

 

モントが呟くや否や、咆哮と共に振り下ろされた獣肉断ちが『獣』を捉えた。

轟音を立て、毛皮に覆われた身体を直下の石畳ごと打ち砕いた蛇腹の刀身は、更にその鋸状の刃で以て血肉を削り引き裂いてゆく。

そうして引き戻される刀身は、周囲に血の雨を振り撒きつつ唸りを上げて大気を引き裂き、竜巻の如く渦を巻いた後にケヴィンの肩の上で火花と金属音を発し、元の無骨な鋸へと姿を戻した。

後に残されたものは、血に染まり元の姿を留めない程に破壊された石畳と、叩き潰され引き裂かれた『獣』の死体。

そして血塗れのまま肩で息をする、デュランとホークアイ、ケヴィンとリース、騎士団の面々。

少し離れた所では、緊張の糸が途切れたらしきアンジェラが、力なくへたり込んでいる。

そんな彼等の傷を癒す為にシャルロットが駆け出す中、フェアリーは険しい表情で死体となった『獣』を見遣っていた。

 

 

「……『ヤーナム』には、こんなものが跋扈していたの? 其処らのモンスターとはまるで別物じゃない」

 

「アレが『獣の病』罹患者の成れの果てだ。皆が皆こうなる訳じゃないが、病が進行するにつれ何らかの異形の『獣』になる。数なら腐るほど居た」

 

「この事態を引き起こした何者かは『ヤーナム』の『獣』を呼び出したのね?」

 

「目的は解らないが、そういう事だろう……それも、全く遠慮せずにな」

 

「それって、どういう……」

 

「おい、何だアレは!?」

 

 

フェアリーの言葉を掻き消す叫び。

その声を発した騎士の腕は、死体を乗せた馬が現れた通りの先を指していた。

其方へと向き直った皆が、薄闇の先に目を凝らすや否や凍り付く。

独り、無感動に呟くモント。

 

 

「『獣狩りの夜』だな、まるで」

 

 

闇の中、蠢く影が炎の明かりに照らし出され、その全貌を現す。

その姿は見紛う余地もなく、今まさに打ち倒した筈の『獣』そのもの。

それが1体ではなく、幾匹もの群れとなって此方へと向かってくるのだ。

その数は7体か8体か、或いは10体以上か。

光の角度と闇に阻まれ、正確な数を把握する事が出来ない。

だが、単体ですらあれ程に手子摺った相手なのだ。

それが複数、しかも最悪の場合は10体以上。

この場に居る殆どの者の脳裏に、程近く訪れるだろう最悪の未来の光景が過ぎる。

 

 

「火だ」

 

 

誰もが迫り来る『獣』の群れを呆然と見つめる中、モントが告げる。

 

 

「奴等は火を恐れる。そして実際に、罹患者には火が最も効果的だ。『獣』の血肉は火によって浄化される」

 

「……集まれ!」

 

 

モントの言葉を聞いた団長が、周囲の面々を呼び寄せる。

そして彼は何らかの詠唱を開始し、数秒ほどして自身の剣を石畳へと突き立てた。

瞬間、彼の周囲に集まっていた皆の得物から火の粉が散り、槍の穂先や刀身が赤い燐光を纏う。

フォルセナの面々、そしてフェアリーを除く全員が驚愕を露わにする中、団長が叫んだ。

 

 

「『フレイムセイバー』を掛けた! 迂闊に刀身に触れるな、火傷では済まんぞ!」

 

 

そんな警告の声を聞きながらモントは、赤く淡い光を放ち始めたノコギリ槍の刀身に、そっと手を這わせてみる。

手袋を通しても感じられる熱、炉から取り出したばかりの様な光。

しかし刀身が溶け落ちる様子もなく、触れた手の肉が焦げる事もない。

 

 

「不思議だな」

 

「火のマナを纏わせたのよ、斬り付ければ効果が解るわ。間違って自分の手を切らないでね、傷口が燃え上がるから」

 

 

フェアリーの説明に、まるで狩人が使うヤスリだな、とモントは独りごちる。

尤も、此方は特別な道具も必要とせず、複数の得物に同時に効果を及ぼすのだから『工房』の人間が聞けば目を剥いて驚く事だろう。

ただ『獣』に相対するのであれば、より最適な調整の施されたヤスリの方が効果は上だろうが。

 

 

「……来るぞ!」

 

 

団長の叫びと同時、群れの先頭に位置していた『獣』が大きく跳躍し、通りに面した建物の壁へと張り付いた。

壁面に爪を立て、そのまま這う様にして高速で近付いてくる。

後続の『獣』共もそれに続き、左右の建物の壁面と屋上を駆け始めた。

 

 

「奴ら、上を押さえるつもりだ!」

 

「屋根の上! 頭上に気を付けて!」

 

 

壁面を削る音と幾重もの低い呻りが、一同の周囲を取り囲む。

これではアンジェラの魔法も、モントの銃も狙いを付けられない。

屋根の上から飛び掛かられても対応は可能だろうが、それでも幾匹か同時に襲われれば回避すら困難となる。

不味い状況になったと、焦燥を覚えつつ弓に矢を番えるフェアリー。

皆も各々の得物を構え、緊張も露わに周囲を警戒している。

だがモントは、ノコギリ槍とエヴェリンを握る腕をだらりと下げたまま、微動だにしない。

それが無防備を意味するものではなく、獣の俊敏さに対抗する為に即応性を高めた構えである事を、フェアリーもこれまでの旅路で理解していた。

この後に『獣』が現れれば、真っ先に動くのが彼である事を、彼女のみならず旅の仲間全てが理解している。

だがらこそ、その瞬間に備えていた皆の緊張は、しかし意外な形で裏切られる事となった。

屋根の上から鳴り響いた、重々しい銃声によって。

 

 

「何だ!?」

 

「モント……じゃないのか。誰だ?」

 

 

皆が反射的にモントを見遣るも、彼の左手に握られたエヴェリンの銃口に煙は無い。

この世界で銃という武器を持つ者は、今のところモントを含む『狩人』しか在り得ないのだ。

その銃が弾丸を発射する際の轟音は、それを聴き慣れていない者の耳にも特徴的に感じられる。

今しがた轟いた破裂音もモントの持つエヴェリンが発するそれに似ていたが為に、彼の戦いを目の当たりにした経験の在る皆が銃声だと気付いたのだ。

そして、周囲を見回す彼等のほぼ中央に黒い影が落下、重々しい音と共に石畳へと叩き付けられた。

 

 

「うお!?」

 

「これは……!」

 

 

流れ出す血で石畳を赤く染めるそれは、紛れもなく『獣』の死体。

頭蓋と脳の殆どを吹き飛ばされ、頭部を襤褸切れ同然にされたそれだった。

その傷口を見て何かに気付いたか、デュランが呟く。

 

 

「こりゃあ……アストリアのアイツが持ってた……!」

 

 

直後に『獣』の叫び。

またもや頭上から、漆黒の影が落下してくる。

その数2体。

手負いではあったが、血を流しながらも危なげなく着地し、血反吐混じりの咆哮を上げた。

咄嗟に皆が得物を向け包囲に掛かるが、直後に眼前で巻き起こる衝撃と轟音。

 

 

「うわ!」

 

「きゃ……!」

 

「……派手な登場だ」

 

 

突然の事に殆どの者が腕で顔を庇い、或いは目を逸らしてしまう。

数瞬の後に我に返り、慌てて視線を戻した先には、既に事切れた『獣』の躯が在った。

胴を半ばから真っ二つにされたものと、頭部を中央から左右に割られたもの。

そして、分かたれたそれらの中央を更に断ち切らんとするかの様に、石畳を砕き食い込んだ無機質な鋼の輝き。

 

薄汚れ、幾重にも巻かれた布を『獣』の血でどす黒く染め上げた、無骨な長剣。

その刀身は半ばまでが1体の『獣』の胴を叩き斬り、切っ先がもう1体の頭部を両断していた。

2体の『獣』を、一太刀で同時に絶命させたのだ。

その長剣の柄を握る人影、色褪せた法衣にも似た装束を纏う人物。

モントは、世間話でもするかの様に語り掛ける。

 

 

「その姿で会うのは2度目だな……『聖剣』の狩人」

 

 

皆が唖然として見つめる中、膝を突いた姿勢から立ち上がる人影。

長剣を右手のみで軽々と振り上げ、刀身を肩に担ぐ。

左手には銃らしき、しかしモントのエヴェリンよりも、更に長大な銃身を持つそれ。

血に塗れた法衣は、祈る為の物ではない。

明らかに戦闘を意識して作られていると解る分厚い生地、黒い腰帯から吊り下げられた小物入れから覗くナイフと銃弾、幾重にも巻かれた革の手甲と一見して頑丈と分かるブーツ。

そして、頭部に被っていた黒いフードが避けられ、その下から現れたのは、くすんだ灰色の髪を持つ若い男の顔。

 

 

「……君か、若き狩人よ。こんな形での再会とは、君も私もつくづく『血』に魅入られているらしいな」

 

 

この世界の、誰も知り得ぬ英雄。

嘗て『ヤーナム』住民の誰もが憧れ、やがて誰もが畏れ、果ては誰もが蔑んだ男。

獣を狩り、獣となり、狩人の悪夢の虜となってなお、その身に宿す確たる信念を貫き通した『医療教会』最初の狩人。

 

 

 

 

「最早、あの『光』は見えないが……我が師の導きは未だ絶えてはいない。手を貸そう、最後の狩人よ」

 

 

 

 

『聖剣のルドウイーク』が、其処に居た。

 

 

 




AC7(空)だとぅ!?(驚愕)
AC6(陸)もまだだというのに!(狼狽)

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