「単刀直入に言うわ、クビよ」
「……はい?」
二月も終わりが近づいてきたが、幻想郷の冬はまだまだ寒い。震えながら、いつも通り朝六時に花畑へと行くと、今日は曇っているというのに日傘を差した幽香さんが待ち構えており、俺に衝撃的な一言を浴びせた。
「え……クビってあのクビですか?」
「ええ」
「リストラってことですか?」
「ええ」
「俺はもう必要ないってことですか?」
「ええ。つまり、貴方はもう死んでいいってことよ」
「それは絶対違うでしょ!?」
口調は軽かったが、リストラが嘘という訳ではないだろう。何故ですか、と聞き返すと、返ってきた答えは実に理に叶った物だった。
「今は冬だから、ほとんど花の世話とか必要ないじゃない」
「あっ」
言われてみると確かにそうだ。冬が旬の花も無くはないが、他の季節に比べるとあまり多くないし、幽香さんは今まで春も夏も秋も冬も一人でこの沢山の花の世話をしていたのだから、今更この楽な時期に人を雇ってまで花の世話をする必要はない。
「ということでリストラよ。さっさと帰りなさい」
「あの……言いにくいんですが、今までのお給料は……?」
「二月に入ってからは貴方、殆ど仕事なんかしてないじゃない。そんなもの無いわ」
それはいくらなんでも酷いと思うが、思い返してみると確かに働いてない。少しは水を撒いたりしたが、八割どころか九割ほどは幽香さんが動いてたし、終わってからも幽香さんの家でお茶を飲みながらゴロゴロしてた。お給料は二食とお茶代で消えてしまったのだ、と思って我慢しよう。
「少し早いけどホワイトデーよ。クッキー焼いたから、これ持ってさっさと帰りなさいな」
「はーい……」
小包を受け取り、お世話になりました、と深くお辞儀してとぼとぼと歩き出す。足取りが重たい。また無職になってしまった。これからどう生計を立てていこうか……そんなことを考えながら、コートの中の小包に触れた。
「……とりあえずこれ食べて元気出そう」
* * *
「…………」
俯きながら歩く少年の姿を、二人の女性は花畑から見下ろしていた。やがてその姿が見えなくなる頃に、緑髪の女性は楽しそうに呟く。
「貴女、殺していいかしら?」
「妖怪の癖に朝から元気で物騒ね。まあ、出来ないことはあまり口に出すべきではないと思いますわよ?」
刹那、巨大な閃光が空を裂いた。周りの花を散らしながら放たれたそれは、しかし何を穿つこともなく虚空へと消える。気配を感じ振り返ると、そこには胡散臭い笑みを浮かべた金髪の女の姿があった。
「そう怒らないでください。私はこれでも貴女に感謝してるのよ?」
「よく言うわね。私を脅してあの子をリストラさせた癖に」
「脅しなんてとんでもない。私は、貴女に自分の身の安全と彼の身の安全を天秤にかけてもらっただけだもの」
「…………」
金髪の女――八雲紫は、少し楽しそうに、風見幽香への話を続ける。
「貴女があの子を独占しすぎるのは、バランス的に大変良くなかった。今やあの子を手篭にしたいと思っている女は、幻想郷に数多く存在する。今のところ、あの子を誰か一人の所有物にする訳にはいかない。例えあの子がそれを望んだとしても。ましてや、傷つけるなんてとんでもないわ」
一人の男を巡って幻想郷で戦争が起こるなんて、そんな洒落にならないことが起こり得るなんて怖いわあ……と、恐怖を微塵も感じさせない緩んだ表情で紫は笑った。
「そんな困った事態になる前にあの子を殺しちゃえばいいんじゃないの?その時は私も手を貸してあげるわよ?」
「分かってないわね、本当は分かってるくせに」
溜め息混じりに聞こえた紫の呟きを聞いて、幽香は妖しく頬笑む。
「妖怪は精神に依る弱い生き物だものね。心の支えとなってる想い人を突然失ったりなんかしたら、どうなるか分かったものじゃない」
「そうね。それに、あの子のファンは只者じゃない人物ばかりだから、後始末も大変よ……」
「モテる男は辛いって本当なのね。……まあ、兎に角この件は貸しってことにしておいてあげるから。何かあったときに有効に使わせてもらうわ」
「ええ。ありがとう」
「それと、覗きのことは黙っておいてあげるから」
「……ええ」
不敵に笑う幽香を睨み、紫は自らの能力で開いた空間の裂け目の奥へと消えていった。残された幽香は、曇り空を仰ぎ静かに目を瞑った。
***********
「はあー、あー、あ~~~~~~」
幽香さんから貰ったクッキーを食べながら、熱燗をちびちびと飲む。寒い縁側で飲むからこそ、酒が体の芯まで澄み渡る様な気がしてより美味しいような。
「……やっぱり寒いな」
冬の風は風呂上がりの体に厳しい。明日から新たな職を探さなければならないというのに、今風邪をひくわけにはいかない。褞袍の両袖を抱き締め、囲炉裏に当たろうと立ち上がろうとしたその時、背中に一肌の温もりを感じた。
「暖めてあげましょうか?」
「……紫さん、絶対酔ってるでしょ」
「そんなことないわよお?」
耳元で囁かれるのは相変わらず慣れないが、別に気持ち悪い訳ではないしもう気にしないことにする。
「酒臭いですよ」
「貴方もね」
「俺はまだ一杯目ですよ」
「あら、私だってまだ十杯目よ」
「十分出来上がってるじゃないですか」
腰の辺りに回されていた手を振り解くと紫さんは少し不満そうだったが、無視して囲炉裏まで歩くととぼとぼと着いてきた。
「熱燗か、いいわね。一杯頂けるかしら?」
「どうぞどうぞ」
「今の、忘れないでおいてね?」
ん?という疑問の声を無視して紫さんは熱燗を飲み始めた。俺から瓶を奪って。浴びるように飲む、という定型句が似合うくらいがぶがぶと飲み、あっという間に瓶は空になってしまった。
「ちょ、ちょっと紫さん飲み過ぎじゃないですか!?」
「忘れたの?さっき私が"一杯"頂けるかしら?って聞いたときに、いいって言ったわよね?」
「……あっ」
盲点だった。完全に騙されてしまった。
「それは酷いですよ……」
「ごめんなさい、でもちゃんと話を聞かない貴方も悪いのよ?」
「人の善意を踏み躙るなんて酷いですよお……」
「タダより高いものは無い、ってことよ」
「それはこっちの台詞ですが……」
「……っとまあ冗談はおいといて」
瓶を傾け最後の一滴を飲みこみ、紫さんは赤くなった頬を撫でながら笑った。
「お酒のお礼に、お仕事紹介してあげるわよ?」
「まだ芋焼酎とか残ってますけど飲みます?」
「頂くわ」
まだまだ月は沈まない。夜は中々終わらない。