突然だが、うちの嫁は亡霊である。
「……ほら幽々子、朝だぞ」
「ううん、あと二十四時間……」
「一日経っちゃうからな?」
もー、と不満げな声を漏らして渋々起き上がる嫁――幽々子を見て、思わず苦笑した。少し寝癖がついている、後で直してあげよう。
朝八時になると、ここ――西行寺家では家族揃って朝ご飯を食べる。だからいつもその十分前には、俺が彼女を起こすのだ。幽々子が作るのではないのか、と驚く人もいるかもしれないが、西行寺家には優秀なお手伝い――もとい庭師が常駐しているので、家事は割とその子に任せっきりになってしまっている。念の為言っておくと別に出来ない訳ではないが、適材適所というやつだ。
朝といっても、本当はこの場所にそんなものは関係ない。此処は陽の光の当たらぬ、暗い冥界――その一角の白玉楼なのだから。
「あ、幽々子様おはようございます。次郎さん、お手数おかけして今日もすいません」
「いやいや、気にしないで。家族なんだし」
「おはよう妖夢、朝ご飯は何かしら〜?」
台所周りを掃除する、銀髪おかっぱ頭の可愛らしい庭師、魂魄妖夢ちゃんへ挨拶を済ませ、寝ぼけ眼を擦りながら幽々子は食卓に着く。彼女は亡霊だというのにご飯をめちゃくちゃ食べる。食べたものが何処へ消えるのか、そもそも食べることに意味があるのか、それは永遠の謎である。
「今日はご飯に焼き鮭、卵焼きにお味噌汁です」
「普通ね」
「普通だな」
「普通で悪うございましたね」
む、と少し顔を顰めて妖夢ちゃんも腰を下ろした。この卓袱台は、三人で囲むと丁度いい。
「普通だけど、俺は妖夢の料理好きだよ」
「ありがとうございます、次郎さん」
妖夢ちゃんが微笑む。いい子だなあ、と思って頭をぽんぽんと撫でた。「は、恥ずかしいです」と言いながらも、満更でもない様子で目を細めた。
「じゃあ頂きましょうか。お腹空いちゃったわ〜」
「そうですね、早く食べないと冷めちゃいますし」
いただきます、の
「妖夢、おかわり」
「はいただいま!」
羽釜から手際よくご飯を盛る妖夢ちゃん。この光景を多分、あと三回くらいは繰り返し見ることになる。
「ご馳走様でした〜」
「お粗末さまでした」
食器の片付けは流石に手伝う俺である。妖夢ちゃんとともに、大量の食器をシンクに沈めていく。その間、幽々子はデザートを貪る。
「プリン、おかわりもらっていいかしら?」
「ほいほい」
冷蔵庫にストックされているプッチンして食べるプリンを幽々子の方に投げる。スプーンで一口すくって食べて、幸せそうな柔らかな表情を見せるのを見て、この人のこういうところが好きなんだよなあとしみじみ感じた。
「お手伝いありがとうございます、次郎さん」
「いやいや、このくらい大したことないさ」
本当に大したことはないのだった。家事全般を担当してくれている上に本職の庭師もそうだが各種雑務をこなしてくれている妖夢ちゃんに対して、俺は現在大変言いづらいことに所謂ヒモ状態である。そんなわけで、多少の家事手伝いくらいはむしろしないと申し訳ない。
「妖夢一人で出来ちゃうし、別に気を遣わなくてもいいのに」
「そういうわけにもいかないよ」
「ヒモになってる時点で、そういうわけも何もないと思うけれど」
ふふふ、とお上品に笑う幽々子。それは言わんといてください、とほっぺたが燃えるような気持ちで返した。
「でも貴方のそういうところ、好きよ」
「幽々子……」
見つめ合う俺たち。どちらともなく微笑んで、心做しか距離も近づく。いい雰囲気になったところで、コホン、と大きな咳払いが聞こえた。
「庭の手入れに行ってきます」
「は、はーい……」
それではごゆっくり、とばかりに、妖夢ちゃんはスタスタ立ち去る。何となくムードが崩れたので、さっきのを続ける気は起きなかった。
お昼寝しようかしら、と幽々子が呟いたので、そーっと寄っていって彼女の頭を膝の上に乗せる。食後のコレは、一つの習慣だった。ゆっくりと、髪の毛の手触りを楽しみながら頭を撫でる。目がとろん、と甘くなっていき。安らかな寝息が聞こえてきても、のんびり撫で続けていた。
「よく寝たわ〜」
「本当にな……」
二時間ほどして幽々子が目を覚ました。その頃にはもう、俺の足はすっかり痺れ切っていた。今度は俺が寝ようかな、と考えながら思いっきり伸びをした。足の痺れはとれないが、なんというか解放感を感じた。そうしているうちにいつの間にか、幽々子も隣で横になっていた。
「もう一眠りしようかしら」
「することないもんな」
「ないものね〜」
ぎゅー、とコアラのようにしがみついてくる。生温い体温がひんやりした冥界に心地よかった。されるがままにしておいて、そっと目を閉じる。
「……あ、そういえばやることあった。すまん幽々子」
「えー」
少し名残惜しかったが、まとわりついてくる幽々子を解いて立ち上がった。
「用事を終わらせたら帰ってくるよ。悪い、また後でな」
「早く帰ってきてね?」
ああ、と答えて彼女の頭をポンポンと撫でた。目を細める幽々子を見るといつまでもこうしていたくなるが、そんな気持ちをグッと堪えて、庭の方へと向かうのだった。