やんでれびより   作:織葉 黎旺

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模詩萌の二。ふもふもの裏側と内側もさわさわしたい

「調子はどうだ?」

 

「まあまあ……よく、なってきた気がしますね……」

 

 朝食を運んできてくれた藍さんに、苦笑いで答える。腰から上にはもう、何の問題もない。ただ、足だけが未だに動かない。お医者さんの見立てだと下手すると――もう一生、車椅子生活を余儀なくされるかもしれない、とのことだった。

 

「そうか、それなら……よかった」

 

 微笑む藍さんに、少し心が痛んだ。確かによくなってはいるのかもしれないが、明確な結果として出てきてはいない歯痒さがあった。

 

「いただきます」

 

「召し上がれ」

 

 程よい焼き加減の焼き鮭を口に運び、同時にご飯をかきこむ。俺も一人暮らしで多少料理の心得があるためよくわかるが、藍さんは本当に料理が上手い。一見簡単そうなものでも、やってみると美味しく作るのは難しいものである。今の生活がいいわけではないが、彼女の料理が食べられなくなるのは少し――イヤだなと思い始めている自分がいた。それは別に、料理に限った問題でもない。

 

「そういえば藍さん、この前借りた本面白かったですよ」

 

「ああ、あの本ね」

 

 藍さんは数学が好きらしく、それに関係した本を結構所有している。完全に文系だった俺からするとあまり好んで読みたい代物ではなかったのだが、簡単なのをお願いします、と念を押して一冊借りてみたら、案外面白かった。

 

「小学生向けの問題でも、書き方次第であんなに難しく見えるんですねえ。なんかミステリ小説でも読んでるような気持ちで読んでました」

 

「興味があるならいくらでも教えるぞ?」

 

「まあ、気が向いたらお願いしたいです」

 

 藍さんは俺のベッドのすぐ傍におかれた机に頬杖をついて、悪戯っぽく微笑んだ。それからしばらくとりとめのない話をしていたが、仕事があるそうで、部屋から出て行った。午後には帰ってくるとのことだったが、無理せず安静に過ごしておけ、と釘を刺していかれた。

 

 

「……ふう」

 

 寝っ転がって、無機質な白い天井の乳白色の蛍光灯を眺める。頭の中で自分の体のことと、彼女のことがぐるぐると渦を巻いていた。彼女の世話になることが当たり前のようになっているが、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだし、早く体を直したいと思っている。しかしその為には、大きな手術に望まないといけないらしい。あの銀髪のお医者さん曰く、成功率は五割ほどだと――

 

「…………」

 

 勿論、手術への不安もある。今までそんなものをしたことがなかった故の不安もあるし、もし失敗したら――もし成功したら、どうなるのか。

 無論成功すれば、多少のリハビリは要するらしいが、今まで通り自分の足で立って歩くことが叶うようになる。それは喜ばしいことである。藍さんに迷惑をかけることもなくなるし、むしろ今までの恩返しとして、彼女を助けていくことも出来るかもしれない。

 いいことだらけだ。だというのにどうして、こんなに不安なんだろう。手術がただ怖い、というわけではないはずだ。そう――俺は、きっと失敗が怖いんだ。

 

 いくらなんでも手術に失敗して、一生車椅子生活になった男を介護していってくれるお人好しはいない。あくまで今の状況は、原状回復までの繋ぎでしかないのだ。気づいてしまえば笑えるほど簡単なことである、俺は――藍さんと、離れるのが怖いのだ。手術を受けてしまえば結果がどうあれ、現状は崩れてしまう。変わってしまう。それが堪らないのだ。

 

「なら、変えなければいいじゃない」

 

「ゆっ、紫さん……!?」

 

 紫さん。藍さんの上司だというお方である。その人がいつの間にか、藍さんの定位置に座って俺を眺めていた。ニヤニヤと何処か胡散臭い笑みを浮かべて、彼女は嘯く。

 

「藍も『無理して手術を受けるべきじゃない』って前言ってたでしょう? 身体にメスを入れるのだから、勿論ノーリスクじゃない。今のこの状況は、彼女がやりたくてやっていることなんだから、別に貴方が気にする必要はないんじゃないのかしら?」

 

「い、いや、そういうわけにはいきませんって……」

 

 否定しながら、ふと疑問が浮かんだ。そういえばそうだ、彼女は何故俺なんかの世話を甲斐甲斐しくしてくれるんだ? 別に家が資産家って訳でもないし(数少ない資産である家も燃えてしまったし)、取り立てて顔がいいわけでもない。何故――なんだろう。

 

「『八雲藍が、俺に惚れているから』――でいいんじゃない? その解は」

 

「そんなわけ、ないじゃないですか……!」

 

 見透かすような物言いの紫さんに少しイラッとして、強い言い方で否定した。彼女が俺に向ける笑顔も、好意も、愛情も。全ては憐憫からきているものであり、そこを履き違えてはならない。あくまでこれは、彼女の善意――のはずなんだから。

 

「まあ貴方がどう思おうと自由よね」

 

 そう言い残して、彼女はいつの間にか部屋からいなくなっていた。これに関してはいつものことなので大して気にせず、藍さんが置いていってくれた本を読んだり昼寝したりしながら時間を潰した。

 

 

「ただいま。多少遅くなってしまったな、すまない」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 仕事から帰ってきて疲れているはずなのに、彼女は人懐っこい笑顔を見せて部屋の掃除を始めた。昼間考えたことが頭の中でぐるぐると回って、俺の口から「あの」という言葉を発させていた。

 

「どうした?」

 

「……いえ、何でもないです」

 

 寸でのところで言い淀み、ぎこちなく、誤魔化すように笑った。藍さんは首を傾げつつも、「何かあったら言ってくれ」といって掃除に戻った。その後ろ姿を見ているうちに、声は自然と溢れていた。

 

「藍さん。俺、手術受けようと思います」

 

「……いいのか?」

 

 真っ直ぐにこちらを見つめる瞳に、深い頷きで返す。

 

「はい」

 

「そうか、頑張りなさい」

 

 言ってすぐに、頑張れというのはおかしいか、と頬をかく彼女の姿に、思わずくすりとはにかんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――

 

 桜舞う春、手術は無事終わった。体は無事。しかし、結果は――失敗だった。

 

「クソっ!!」

 

 やり場のない怒りを壁にぶつけた。拳が痛むが、そんなことは今はどうでもいい気分だった。一生車椅子――これからはそうなるのだ。どこへ行くにも、この窮屈な乗り物に乗らなければならない。自分の足で、大地を踏みしめて歩くことはもう――出来ない。

 コンコン、と病室のドアをノックする音が聞こえた。苛立ちを隠し、どうぞと答える。開いた扉の向こうには、藍さんの姿があった。

 

「……手術、残念だったな」

 

「……そうですね」

 

 人生が、終わってしまったような気持ちだった。もう歩けない。しかも、藍さんとの生活はもう終わりだ。このまま車椅子で、高所から飛び降り自殺しようと思った。

 

「じゃあ、とりあえず帰ろうか」

 

「………………え?」

 

「ん、どうかした?」

 

 まるでそれが当たり前であるかのように呟いた一言が、今の俺には全く信じられなかった。

 

「え、手術に失敗してもうこの生活は終わってしまうんじゃないんですか!?」

 

「誰がいつそんなことを言った」

 

 困ったように頭をかく藍さん。

 

「勿論お前がそれを望むなら、私も渋々従うけど――それでいいのか?」

 

「――藍さんは、何で俺の世話をしてくれるんですか? 俺は貴女に何もあげられないのに」

 

 いつかの時に言えなかった言葉を、震える声で紡ぎ出した。いつの間にか、目頭が熱くなっていた。

 

「ふむ、そうだな……一言で言うなら、好きだからかな?」

 

「好き……?」

 

 脳内で単語を繰り返すこと数回、意味を理解するまで数十秒。恐らく顔を赤くするまでに、コンマ一秒ほどだったと思う。

 

「す、好きって恋愛的な意味での?」

 

「無論そうだが?」

 

「え、えええええええ」

 

 頭がショートしてぶち壊れそうだった。何だそれ、まるで意味がわからない。でも、緩む頬が抑えられなかった。

 

「だからお前は何も気にしなくていい。これはその――私の我儘で、私の自己満足なんだから」

 

「藍さん」

 

 幸せ過ぎて流れそうになる涙を堪え、笑顔で一言。

 

「俺も好きです」

 

「……そうか」

 

 ぎゅっと、優しく抱き締められた。それだけで、全てがどうでもいいような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回は悪かったわね」

 

「まあ、別にいいわよ」

 

 迷いの竹林の永遠亭。その中の一室、庭に面した茶室で、二人の女が向かい合っていた。一人は八雲紫、そしてもう一人は医者・八意永琳。

 

「手術ミスを故意に起こしてほしいっていうなら無論断ったけど、変な効能の薬を処方するくらいならね」

 

「ふふ、感謝してるわ」

 

「自己治療薬――とでも名付けようかしら? この、『本人の意思次第で術後の結果が変わる』薬は」

 

「そんな薬を使うことなんて早々ないでしょうし、名前なんていいと思うけれどね」

 

 それじゃあまた、といって紫は、スキマの中に消えていった。裂け目が閉じるのを見届けて、永琳は嘆息する。

 

「穢れているわね――地上の妖怪は。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

 

 まあ墜ちた私も似たようなものだけれど、と嘲笑するように吐き捨てて、彼女は空に浮かぶ満月を眺めるのだった。

 

「まあ彼も、最終的にはその道を望んだのだから――きっと幸せなのでしょう。要するに、()()()()()()()()()()()()()()()()――」


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