ほんとうに あたまが おかしい
「はっ、はっ……!」
ガンガンと響くような頭痛がするが、立ち止まってはいられなかった。走り慣れ、通り慣れた道ですら、まるで得体の知れない何かに繋がっているように思える。
「……ッ!」
一体何なのだろう。一体何だったのだろう。幸せに思えた日々は全て仕組まれたもので、選択に意味などなくて。
「はあ、はあ……ッ!」
「おかえりなさい、あなた♪」
風祝は出迎える。
「おい、お前は……!」
「どうしたんですか?」
きょとんとする悟妖怪。
「お前は一体……!」
「顔が怖いわ、どうしたの?」
人形遣いは首を傾げる。
「一体何なんだ!!」
「何と聞かれても困るだろう」
「ねー」
吸血鬼姉妹は並んで微笑む。
「お前は知っているはずだ」
ワーハクタクは真っ直ぐこちらを見つめる。
「貴方なら答えに気づいているんじゃないかしら?」
花妖怪は三日月型の笑みを浮かべる。
「だってこれは、この状況は。この現状は、アナタの望んだものなのだから」
境界の管理者の瞳が妖しく光った。
『"選べないなら、一つに混ぜればいい"……なんて、そんな悪魔的なことよく思いついたわね』
「は……?」
『いくら
混ざりあった声の一つ一つに聞き覚えがあった。懐かしさを感じた。頭の中を嫌な想像が掠めた。至った最悪の結論に、震え声になりながら答えを確かめる。
「……お前は、お前は……誰で、誰が、誰なんだよおおおおおおおおお!!!」
『
彼女の不透明な輪郭が、秒ごとに移り変わり、知っていたハズのナニカに変わる。
――頬を、温かい何かがなぞった。
「お前は……お前は……ッ!」
「まずワタシタチの存在を、
「
「
「そして
「計画は
「それでも失敗しそうだったので、
「大丈夫――厄神の力で、全ては貴方の望まない方に向かったから」
彼女と別れた時の、悲しげな笑顔が脳裏をよぎった。
「ねえ――
「
『アナタは……幸せじゃないのかしら?』
「ッ……来るな!」
一歩、誰かがこちらへと歩を進めた。背中をじめっとした、嫌な汗が伝った。
『どうして?』
「そんなの……これが、こんな方法が、こんな現実が間違ってるからに決まってるだろうがッ!!」
二歩、ゆらゆらと揺らめきながらナニカは進んだ。
『何が可笑しいの?』
「人と人を混ぜて足し合わせるなんて……そんなの、狂気の沙汰でしかない!もう元には戻れないんだぞ!?お前はもう一生その異形のまま、歪なまま生きていかなきゃいけないんだぞ……!?」
『どんな姿だろうと、アナタに愛されていればワタシは構わないわ』
「俺は……俺は、お前を愛することは出来ない」
ゆっくりと歩を進めていた影が、足を止めた。
「いや……お前達を、か。お前らは狂ってる。本当に、もうどうしようもないほどに。まがいなりにも俺のせいでそうなったのだから、どれだけ謝罪しても許されることじゃないと思うけど……俺には、お前らの気持ちを受け止めることは出来ない」
視界が霞む。声が震えて、徐々に小さくなっているのが自分でもわかった。
「勿論――お前らは俺のことを許せないだろう。煮るなり焼くなり殺すなり、好きにすればいい。無論最低限の抵抗はさせてもらうが、それがせめてもの俺からの罪滅ぼしだ」
――睨まれているのが、分かった。
――笑われているのが、分かった。
――泣きたい気持ちも、伝わってきた。
――そして明確な、殺意もひしひしと感じていた。
ろくな死に方はしないと思っていたが、よりにもよって残虐で残忍な、地獄の方がマシってほどの罰を受けて死ぬことになりそうだ。
『フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ!!』
ソレは確かに目の前にいるはずなのに、ずっと遠くから聞こえてくるような錯覚を覚える。
『あハハははハハはハハハハははハハハハハははハハハハハハハハはハハハハはハはハハハハハはハハハハハハハハはハハハはははハハはハハハハはハハハハはハ!!』
――彼女の声が聞こえた。彼女が笑っていた。彼女は怒っていた。彼女が泣いていた。彼女は糾弾していた。彼女は達観していて、彼女は号哭していた。彼女は――一体何を思っているのだろうか。
不意に、堪えきれなくなって、抑えていたものがどばどばと溢れ出してきた。嗚咽はとめどなくこみ上げてきて、止まることを知らなかった。
『誰がオカしいの?』
穢れを知らぬ、無邪気な子供のようにソレは首を傾げる。
『本当に、何がおかしいの?ダレがクルってるの?』
「……は…………?」
『気づいていないのかしら?
貴方――ずっと、ずーっと。幸せそうな笑顔を浮かべてるのよ?』
――頬に触れる。口角は、確かに釣り上がっていた。
「ち……違う!」
『何が違うって言うんですか?』
「どうせ、どうせお前がやったんだろ!?薬だとか能力だとか暴力だとか、そんな何かで!」
『………………』
違う、違うと。口からは否定の言葉が拙くも次々溢れ出る。脳味噌もガンガンと、事実を振り払うようにぎちぎちと痛みを放つ。
『珍しく強情ね』
「俺はお前らをずっと迷惑がってたんだ!嫌いだった!離れてほしかった!関わってほしくなかった!一緒にいるのが苦痛だったし、どう取り繕うかにずっと必死だった!!」
「じゃあ、思い出してもらおうか」
ワーハクタクは俺に口付ける。と同時に、振り払う隙もなく流れ込んでくる数々の記憶――歴史。見たこともなく体験したこともないはずなのに――しかし確かにそれは、心の何処かで欠けていたパズルのピースを、次々と埋めていくものだった。
竹林の医者とまぐわった。吸血鬼姉妹と濃密に遊んだ。悟妖怪に襲われ、ワーハクタクに襲われた。蓬莱人の肝を喰らった。どれもこれも、全く身に覚えはなかったのに――不思議と、心はそれを受け入れていた。
『証拠だってありますよ、蓬莱人の肝を食らってるから……』
刹那、何処からか降り注いできたナイフの山が俺の体を貫いた。痛みは一瞬。悲鳴すら上げる間もなく、俺は死亡した――筈だった。
「………………」
『ほら、すぐに蘇れるんです。どんなハードなことをしてもすぐ。何度でも、痛みは無限に続くのよ』
「……嫌だ」
『え?』
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌いだ巫山戯るな俺に構うな何処かに行ってくれ……ッ!
『……貴方が本当に嫌がるなら、
それなら――何で、どうして逃げ出さないの?ソレは、不思議そうにそう問うた。
「……………………は」
俺が立っているのは入り口。拘束されてるわけではない、逃げ出そうと思えば簡単に逃げ出せる。無論、追いかけられるかもしれないし即座に攻撃を受けるかもしれない。しかし、本当に嫌なら慌ててすぐに飛び出すんじゃないか……?
「ははははは」
心の何処かには――この状況を喜んでいる、バケモノがいるのかもしれない。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
背筋のゾクゾクが止まらない。足のガクガクが止まらない。笑いは――壊れたステレオのように、いつまでたっても収まることはなかった。