「…………ふわあ」
小さく欠伸をする。我ながら情けない声だなあ、なんて思いながら立ち上がり、料理。食事。着替え。家事をこなした後、時間に余裕を持って家を出る。歩く。到着。扉の開閉。挨拶。談笑。仕事開始、整理、普通魔法使い襲来、迎撃、捕獲、談笑、昼食、業務、巫女襲来、混戦、乱戦、弾幕、回避、説得、送還、定時、帰宅。
「…………」
間が長くても、夜になって振り返ってみれば一日なんてあっという間に終わっている。熱燗で晩酌を楽しみ、アルコールも回ってほろ酔いする。体が火照って良い気持ちになってきたところで、ふと思う。
「……平和だ」
何も起きない、極めて普通の日常生活。朝起きたら拘束されていることもなければ、無断で女の子が家に侵入してくることもない。ここ一週間ほどは、全くヤツらを見ていない。遂に俺に対する配慮が出来上がり始めたのか、と思わないでもないが、恐らくそれぞれ何かしらの事情でもあるのだろう。
「………………」
お猪口に映る三日月が揺れた。無意識の内に手が震えていたことに気づく。誤魔化すように酒を煽り、小さく息を吐いた。
「心配なのね」
「……紫さん」
まるでそこから生まれたかのように、暗闇から紫さんが音もなく歩いてきた。まるで俺の心中を見透かしたように呟き、無言で俺の隣に座ると、徳利でお酌をしてくれた。
「どうも。紫さんは飲まないんですか?」
「ちょっと今、酒断ちしてるのよ」
「へえ……珍しい」
酒豪であり無類の酒好きだと思っていた分、そもそも酒断ちなどということが出来るのが意外だ。いやまあ、アル中とまで思ってた訳じゃないが。俺の心を知ってか知らずか紫さんは小さく嘆息し、珍しく真剣な眼差しでこちらを見つめる。
「貴方が幻想郷に来てから、本当に色々あったわね」
「ええ」
「多数の女の子が色呆けして病むわ、事あるごとにゴタゴタと揉め事が起きるわ、頻繁に貴方が拘束されたり調教されたり犯されるわ……」
「ちょっと待って今聞き逃せない単語があった気がするんですけど!?」
「本当に面白……いや、管理者として大変でしたわ」
「完全に面白がってるじゃないですかぁ!!」
会話が楽しくて、自然と破顔した。紫さんも頬が綻び、しばし和やかな雰囲気が流れていたが、話を戻すようにコホン、と咳払いが聞こえた。
「楽しい?」
「え?」
「幻想郷での生活は、楽しいかしら?」
「……楽しくなんかないですよ」
普通に暮らしたいだけなのに危険な目によく遭うわ、不法侵入してくる輩が多いわ、なくなる物が多いわ、もう散々である。
「……でもまあ、幸せではありますね。何だかんだ言って、周りの環境には本当に恵まれてると思います」
こういったことを話せる気の置けない友人もいますしね、と言って紫さんを見つめると、複雑な表情でこちらを見る。
「……そういうところなのよね」
「?」
「貴方が、そう誰にでも優しいから人は病む。"自分に気があるんじゃないか"と舞い上がる。好意を向けても明確に拒絶しないからつけ上がる。非力だからこそ、簡単に篭絡される」
「……そんないい性格の優男ではないですよ、俺は。っていうかそういった態度関係なしに病む奴は病んでるじゃないですか!?」
「……まあそれは置いておいて」
置かれた。紫さんにしては珍しい失言だったようだ。
「口ではあーだこーだと言いつつも、結局彼女達のことが心配なんでしょう?」
「……まあ、そうみたいですね」
普段ぞんざいな態度をとっている分何となく照れくさかったが、どうやらそうらしい。俺の中であいつらは、割と大切な存在になっていたのかもしれない。
「今日は答えを聞きに来たのよ」
「答え……?」
「いつだったかに聞いた、貴方は誰を選ぶの?って奴の」
はて、そんなこと聞かれていただろうか――しかし、それに対する返答は決まっていた。
「いや、俺はそういうのは――」
「いえ、いいのよ。何も言わなくて」
肩を強い力で掴まれた。無理矢理正面を向かされる。吸い込まれそうなヴァイオレットの瞳が、一点にこちらを見つめていた。
「だってもう――あなたの望むことは、分かりきっているのだから」
「あ、ん……?」
世界がぐるぐると回りだした。