「…………」
照りつける真夏の日差しが体から水分を奪っていく。麦わら帽子を被っているのだが、気休め程度にも効果は無い。こんなにも暑いのに平然と作業を進めるのは流石花妖怪というか、何というか。
「…………」
視線に気づかれたようで、花妖怪――風見幽香がこちらを睨んだ。作業しながらもその微笑みと凛とした目が、早く仕事しろ屑という思いを滲み出している。紫さんも何故わざわざこんな職場を俺に紹介したのだろうか。仕事を紹介してくれるのは嬉しい。しかしもうちょっと、色々と優しい仕事だってあると思うのだが。
唯一の救いはここなら流石のヤンデレ娘どももやってこないって辺りだろうか。早苗もアリスも数回来たが、花を踏み潰したので幽香さんに秒殺された。文は空中から盗撮してたのを幽香さんに気づかれ、この子達は写真NGだからとか何とか理由をつけて傘から出した光線で狙撃されてた。幽香さんすごく楽しそうだった。
「………………」
一つ問題があるとすれば時折誰かの視線を感じることだろうか。まあヤンデレ娘の誰かだろう。幽香さんもそれに気づくのか定期的に笑顔でその辺の石を視線の先に投擲している。体に直撃すれば軽く死にそうな速度で投げてるからその都度ビビる。
「…………ふう」
「あら、やっと一列終わったの。遅いわね。あと十分以内にもう一列終わらなかったら今日の昼ごはんは抜きよ?」
「……善処します」
俺が手伝っているのは幽香の花や野菜の世話だ。水やりやら肥料やりやら何やら、大して花に詳しかった訳では無かったのだが、世話をしてると段々知識も増える。それにつれてこの作業も段々好きになってきた。
しかし、別段俺の作業が遅いという訳では無いと思うのだが、俺が花一列に水やりしているうちに、幽香さんは三、四列やっているのだ。何でそんなに作業効率が良いんだろうか。雑にやっているのだろうか、とか思ったけど良く見たらあげすぎずあげなすぎない的確な水やりをしている。何というかその道のプロって感じだ。
「あー、夏の仕事の後の飲み物は格別ね」
幽香さんの方を向くと、腰に手を当て、喜色満面って感じの表情で水を飲んでいる。多分その笑顔の一端には汗だくで作業を続ける俺の存在がある。人の不幸を喜ぶなんて全く良い性格の妖怪だ。
「……何よ、物欲しそうな目をして」
「まあ、それは……」
「いらないのなら全部飲むわよ?」
「…………ください」
「ふふっ、良いわよ」
そういって近づいてきた幽香さんは、笑顔で俺にペットボトルを差し出し、それを取ろうと手を伸ばした瞬間、頭上からとても冷たい何かが降り注いだ。
「……幽香さん…」
「なーにー?欲しいって言ったわよね?」
正直泣きそうだけどそれは堪える。どうにか堪えて黙々と作業を進めた。
これが終わったら絶対水もらおう、これが終わったら絶対水もらおう、これが終わったら絶対水もら―――――
********
頭がひんやりして気持ちいい。風が優しく頬を撫でていく。チリリン、と風鈴が雅な音色を奏でた。ボーッとしていた意識が徐々に明瞭になっていく。
「…………ん」
「あら、やっと目覚めたの」
パタパタと団扇を扇ぐ音。まさか幽香さんが扇いでくれているのか、と若干喜びながら振り向くと、気だるそうに此方に風を運ぶ幽香さんの姿が。
――っていうか。
「……幽香さん、ちょっと近くないですか?」
「この方が効率が良いじゃない」
右手でパタパタと(というかバタバタと)素早く忙しなく腕を動かし続けてくれる幽香さんの姿に、少し感動した。いやその渋々扇いでますって態度が無ければもっと感動したのだけれど。
「…………」
「……何よ?」
「いや、幽香さんがもうちょっと髪長かったら凄く俺の好みだなって痛いっ!?」
額に団扇を投げつけられた。丁度骨組みの固い部分が直撃したせいで悶絶する。続けて蹴られた。妖怪の蹴りって一般人には洒落にならないんですが幽香さん。腰を擦りつつのろのろと立ち上がる。
「そんな軽口を言えるくらいならもう大丈夫でしょう。さっさと昼御飯食べて仕事に戻ってくれる?」
「……はーい」
調子に乗って失言してしまったことに気づく。思い返せば早苗やアリスとの始まりもこんな何気ない一言だったかもしれない。相手を褒めたいだけなんだけどなあ。まあ幽香さんなら大丈夫だと思うが。
居間に向かうと、庭で採れた野菜や花をふんだんに使った華やかな料理が並べられていた。二人分にしては量が多い気もするが、まあ余っても幽香さんが全部食べるから問題ない。
「……何処を見てるのかしら?」
「イエナンデモナイデス」
笑顔から殺気しか感じない。良く食べるから大きくなるのかななんて純粋な疑問を抱いただけなのだが。
幽香さんが座ったのにつられて慌てて座り、いただきます、と口に出し手を合わせる。
「貴方、本当にそういうところ無駄に礼儀正しいのね」
「行儀良いのはテーブルマナーくらいですよ。日々の食事には本当に感謝しなきゃいけないですからね」
まずはシーザーサラダに箸を伸ばす。シャキシャキのレタスの食感が耳にも心地良い。この幽香さんが作ったドレッシングもよくサラダに合う。続けてスープに手を伸ばそうとしたときに、ふとした疑問を幽香さんに聞いてみた。
「そういえば、何で幽香さんはドS何ですか?」
「……え?」
きょとんとした顔をした幽香さんの顔が新鮮で可愛かったが、そんなことより質問の回答が欲しい。
「いや、だって幽香さんお花や野菜、植物にすっごく優しいじゃないですか。なのに人を虐めるのが好きって何処かチグハグだなー、と……」
「…………」
幽香さんははあ、と大きなため息を吐いた。鬱陶しそうな表情を浮かべながらも、ゆっくりと話始めた。
「……だって、植物は反応が無いから虐めても面白くないじゃない?」
「……えっ!?えっ!!??」
「いや、嘘だけど」
本当はね、とスープを口に運びながら幽香さんは答えた。
「動けないのに人間に蹂躙される草花が可哀想だと思ったから――かしらね。だからその分、私が人間を痛めつけるのよ」
妖怪もね、と言って背筋を逆撫でるようなゾクゾクとする綺麗な笑みを浮かべる幽香さん。御馳走様でした、と両手を合わせたが、意外にも、まだ食器の中には料理が残っていた。
「え、残しちゃうんですか?」
「今日はもう色々とお腹一杯だからいいわ。明日食べるからいいの。私は先に花畑に行ってるわ」
立ち上がった幽香さんは、残したら許さないと視線で此方に訴えつつ、そそくさと居間を後にした。地雷踏み抜いちゃったのかなあ、と内心自己嫌悪する。少し仲良くなったと思ったら、距離を詰めようとしてついついデリカシーの無い質問をしてしまうのが俺だ。嫌われてないと良いんだが、と思いつつ箸を進めた。
*****
晴れた夏の日の昼下がり。麦わら帽子を被った、豊かな森林を思わせる緑髪の女は、ごめんね、と小さく呟き向日葵の花を手に取った。
「好き、嫌い、好き、嫌い……」
一枚一枚千切られた花弁は空を舞う。気流に乗って、遥か空へと浮かび上がった花弁を見て頬笑む。
「…………ふふっ」
まだまだ終わらない、誰かの誰かへの恋を占う花占い。
「……痛めつけたら、どんな素敵な声で鳴いてくれるのかしら」