昔から、明晰夢というものが見れる体質だった。
眠ってる時に夢を見ると、"あ、夢か"と何となく分かるのだ。むしろ夢だと気づかぬまま夢を見たことがない。
しかし、不思議なことに夢が自分の思い通りになることは一度もなかった。ただ"これは夢だ"と理解出来るだけ。正直大した効果はない。でも所謂、"三人称視点の夢"を見たときは割と便利だ。
しんしんと雪の降る冬。竹林の中を忙しなく駆け回る男がいた。パッとしない顔立ち、上下ジャージというセンスの欠片もない服装、しかしある意味で何処か見覚えのある男。
毎朝鏡で嫌というほど目にするソイツは、まあ言うまでもなく俺自身だった。
男はどうやら道に迷っているようで、ぐるぐるぐるぐる同じ場所を回っている。迷いの竹林と呼ばれる程、似たような景色が続く場所なのだから、一度迷いだしたらほぼ確実に出られないというのに。この低音下であの薄着、客観的に改めて見ると、あと数時間も経たないうちに凍え死にそうな感じがする。――そうだ、これは前に体験したことの記憶だ。まだ永遠亭で働いてたころのある冬の記憶。迷いに迷った俺は、雪の中倒れていたところを彼女に発見された。
腰までかかる白髪を束ねる、後頭部に結ばれた大きなリボン。この冬だというのに少し薄そうな白いカッターシャツ、赤いもんぺのようなズボン。顔見知りといえば顔見知りな彼女の名前は、藤原妹紅という。
(よく姫様と殺し合ってるんだよなあこの人)
時々勤め先であった永遠亭に時々押しかけてきて、姫様と仲睦まじげに殺しあっていたので、多少の面識はあった。ただ、そこまで深い会話をしたことも無かったが。今考えると、永琳さんや姫様が意図的に遠ざけていたような。
そんな思考を繰り広げている間にも夢は進み、妹紅さんが俺を担いで何処かへと歩き出した。こう、自分が誰かに担がれている様子を眺めるというのは新鮮で少し気恥しい。なんて酷い夢だ。
着いた先は竹林の中にある小さな一軒家。ガラリと引き戸を開け、妹紅さんは俺を中に投げ入れた。
(えっ、ちょ、扱い雑じゃないですか!?)
まあどう見ても命の恩人だから、文句は言わないが。言いようもないし。妹紅さんは特に気に留めることなく、料理を始めた。雪の中倒れてた人の体を暖めてあげるくらいしてくれてもいいと思うのですが。すぐ近くに転がっている毛布をかけるだけでだいぶ変わると思いますよ……?
とはいえ、屋外に比べると遥かに暖かい屋内に移動したためか、数十分して男は目を覚ました。瞼を擦り、間抜けヅラで欠伸をしている。ぶん殴りたい、あの時の俺ぶん殴りたい。
数秒して、現在の状況に困惑してあたふたし始める。蹴り飛ばしたい、とても蹴り飛ばしたい。
「お、目が覚めたか」
「あ……妹紅さん……!?」
状況を飲み込めず男はあたふたとしている。何故俺がここに?とか、何かやらかしたのか?とそんなことを考えながら。
「雪の中倒れてたから拾っといた。永遠亭まで運ぶのがめんどくさかったからとりあえずうちまで運んできたんだ。雪が降ったら自力で帰りなさいよ?」
「自力で帰れないから迷子になったんだが……」
人里まで薬を届けた帰り道。永遠亭から人里までの道は何とか覚えていたのだが、突然降り出し急激に積もった雪のせいで、道が分からなくなって迷子になったのだ。
「……とりあえずなんか食べる?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
少々早めの夜ご飯を食べ、特に会話もなく二人ぼーっと過ごす。片や主の宿敵、片や宿敵の部下。割とよくわからない間柄の俺たちは、微妙に気まずい雰囲気を味わいながら過ごしていた。よく見ると、妹紅さんの顔が少し赤い気がするが寒さのせいで風邪でもひいてしまったのだろうか。
「……あの」
この空気が嫌で、俺は会話を振った。
「何?」
「妹紅さんってどうして姫様と殺しあってるんでしたっけ?」
なんてデリカシーのない質問をしたんだ、とこのときの自分を殺してやりたい気分だが、まあ一々黒歴史に腹を立てていてもキリがないので我慢する。
妹紅さんはんー、と首を傾げ、囲炉裏に火をくべた。
「どうしてだろうね」
不思議そうに笑う。誤魔化すように、彼女の人差し指から火の粉が宙を舞った。あのときの俺は綺麗だなーとしか思わなかったがよく考えると引火の危険が。
「昔は色々恨みとかもあったんだけどね、今でもムカつくことに変わりはないけど、前よりかは気にならないかな」
彼女は蓬莱人、老いることも死ぬこともない。それだけ長い年月を生きてきたのだろうし、これからもそうして生きていくのだろう。自分だったら――と考える。死にたくはないが、生き続けたい訳では無い。そんな状態になったら間違いなく狂うだろうし、そういった意味では憎む相手がいるというのは救いなのかもしれない。
「あんたは輝夜のこと、好き?」
「……それは、どういった意味で?」
「聞くまでもないでしょ」
囲炉裏のお陰で室内の空気も暖まってきたが、まだ背中の方は冷える。縮こまりながら、大きく嘆息した。
「異性としては好きではないな。何というか、美人だとは思うけどそのせいで遠い存在に感じるんだ。性格もいい分さらにね」
「輝夜の性格がいい?ああ、あいつ本当にとってもいい性格よね」
「いや皮肉じゃなくて普通にね……」
冗談よ、と言いたげに妹紅さんはニヒルな笑みを浮かべた。
「じゃあ永琳は?」
「んー、頭良くて美人で優しくて完璧超人って感じだからそういう風に見れない。絶対釣り合わない」
「ふうん……」
体育座りで、やはり寒いのか膝に顔を埋め上目遣いで男を見つめる。それに対して熱でもあるのかな、と阿呆な心配をした鈍すぎる過去の自分は、本当にどうかしていた。
「じゃあ……私は?」
「……え?」
二度見。耳がおかしくなったかと思って、聞き返す。
「だから……私は、そういう対象にはなれないのかな、と」
「……本気で?」
「本気だよ」
「どうして俺なんかを?」
「……最初はちょっとちょっかいかけて輝夜を困らせてやろうかなってつもりだったんだが、目で追ってるうちにいつの間にか…」
ごくり、と生唾を飲み込んだ。女の子からの告白に胸が踊らないはずがない。しかし、彼女は。彼女達だけは、俺に受け止めることは出来ないのだ。
「……ごめん、俺に君の気持ちを受け止めることは出来ない。俺と添い遂げたとしても、君は一緒に逝くことなくずっと俺という存在を引きずっていきていかなきゃいけなくなる。蓬莱の薬を飲んで不老不死になる覚悟も俺にはないし、君の気持ちを受け止めることはできない」
「……そうか」
申し訳ないが、彼女の為でもある。そう考えこの時の俺は断ったが、今は許せない気持ちで一杯だ。今すぐ現在の彼女に謝りにいきたい。寿命だのなんだのを盾にして、ただ妹紅さんの思いから逃げただけじゃないか。本当に彼女のことを思うならすぐにでも蓬莱の薬を飲んでいただろうし、素直に引き下がってくれた妹紅さんははどれだけ辛い思いをしたんだろう。
先程よりも、遥かに気まずい沈黙が続いた。気がつくと場面は夜から朝になっていて、外の雪は止んでいた。男はまだ寝ており、すやすやと寝息が聞こえる。
「…………」
隣の妹紅は、寝れていないのか目の下に微かに隈が出来ていた。ぼーっと、何かを考え込むように座っている。
「……決めた」
立ち上がり台所の方へ向かった妹紅は、包丁を手に持ち野菜を刻み始めた。朝ご飯の献立でも悩んでたのだろうか。
「…………」
朝日を反射して鈍く煌めく刃を見つめ、妹紅はまたも何かを考え込むような表情を浮かべた。自分の腹を見つめ、刃を徐々に近づけていく。
(まさか自害……!?)
やがて刃は腹の前で止まる。ふう、と小さく息を吐き、振り上げられた包丁が妹紅の綺麗な腹を縦に割いた。
「ぐ……うああああ!!」
あまりの痛みに絶叫する妹紅を見て、もう見ていられない。早く夢から覚めてくれ、という気持ちでいっぱいになる。しかし視点は妹紅からズレず、夢から覚めることもなく、ただこの光景を見せつけられる。
俺が目覚めることを恐れてか、下唇を強く噛み、どうにか声を抑える様子の妹紅。やめろ。もうやめてくれ。
勢いよく右手を切った場所に押し込み、中の物を無理やり引きずり出す。声にならない呻き声が漏れる。床中に赤いものが飛び散る。
(これは夢だこれは夢だこれはただの夢現実じゃない現実に起きたことじゃないただの悪夢)
不意に、妹紅はバタりと倒れた。出血多量のせいか激痛のショックのせいか。しかし彼女は蓬莱人、すぐに元の肉体は滅び、新たな肉体へと変わる。
「つぎはうまくやらなきゃ」
それから彼女は何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も無限に無限に無限に無限に幾重にも何重にも何回でも同じことを繰り返し、繰り返す、返して、返した、気がついたときには、辛く、しかし満足気な表情の彼女が、左手に赤いナニカを握り締めていた。
「……っ、はあ…やっと……だ…」
そのナニカをまな板に乗せ、切り刻み、野菜と混ぜて火で炒める。
(……待てよ)
(あのときの朝ごはんって……確か……!)
「朝ごはん出来たよー」
「ん……ああ、ありがとうございます。いい匂いだけど今日の朝ご飯は?」
「精がつくように、レバニラ炒め」
「……妹紅さん、顔色悪そうですけど大丈夫ですか?」
「ああ、気にしないで……低血圧だから、朝は調子悪いの」
「それならいいんですけど……」
いいんですけど、なんていって無視できるものではない。今にも倒れそうなくらい、妹紅の顔色は悪く、腹部から未だ出血が続くのかポタポタと床に赤い染みが増えていく。なぜ気づかなかったんだ、異常に。
「それじゃあ、いただきます」
(やめろ)
「召し上がれ」
(食べるな)
蓬莱人の生き肝を食べたものは、不老不死になる――永琳から聞いた、そんな話が脳裏をよぎった。
箸で掴まれた肉は、ゆっくりと俺の口に運ばれていく。
不意に、妹紅がこちらを向いた。見えないはずの、
「――私がこうしなくても、いずれ輝夜か永琳が同じことをしていたさ。例え選ばれないとしても……お前の初めては、私がもらうんだ」
未だ死にかけてる人間とは思えないほど心底嬉しそうに、歪な笑みを浮かべる。そうこうしているうちに、肉はあちらの俺の口の中に入った。
「……なあ、味はどうだ?」
(食うな噛むなやめろ吐き出せ味わうな飲み込むなあああああアアアアアアア!!!)
「あああああ!」
全身が汗でじっとりと濡れていて気持ち悪い。布団を蹴り飛ばして、起き上がった。
「はあ、はあ……」
呼吸が落ち着かない――一体何があったんだろう。思い出せない。俺は明晰夢を見れるっぽいのだが、大抵起き上がると内容を忘れてしまうのだ。
「……ん………?」
何か、頭がベトベトする。手で触れてみるとぬめっとした感触。見ると血がべっとり付着していた。
「特に痛みはないし、どこかに頭をぶつけたわけじゃないよな……寝てる間に鼻血でも出したか……?」
枕が濁った赤色に染まっている。これは洗濯が大変だ。
「……ん?」
味噌汁の匂いがする。昨日料理の支度をした覚えはないのだが。まさかと思い台所へ急ぐと、既に朝食ができていた。
「……これはこれで不気味だよなあ………」
大方、早苗とかアリスとか文とかあの辺の誰かの仕業だろう……それにしては顔を出さずに消えているのが不自然だが、そのくらいしか犯人が思い浮かばない。
「せめて使った包丁くらい片付けて帰れよ……」
生肉でも捌いたのか、血のような赤い何かが付着した包丁が食卓に置かれていた。少しズレたツッコミをしたことに気づいて、俺まで病んで狂ってきたのか、と深い溜め息を吐いた。