結論から言うと、木の棒なんかで野生に生きる妖怪に叶うはずがなかった。
突っ込んでくる狼に攻撃することには成功したものの、ほぼノーダメージだったようでそのまま突撃されて太股を引っ掻かれた。咄嗟に後ろに下がらなければかすり傷程度ではなくて周りの肉が抉られていただろうことを思うと、ある種幸運ではあったのかもしれない。
去り際に、ヤケクソになって栗を投げつけてみると、意外と直撃してダメージを与えられたようだ。栗をぶつけられた狼は驚いて逃げていった。しかし、一匹消えたところで現状が変わるわけではない。
「く……」
獲物の思わぬ抵抗に驚いてか、奴等は一度距離を取った。
――どうする。
今の攻防で、戦闘で勝ち目が無いのは目に見えている。逃げられるかといえば、それも無理だ。
そういえば、以前温泉に向かった帰りもこんな風に妖怪に襲われたんだっけ……あの時は確か、一歩後ずさって――後ずさって、どうなったんだっけ?
思い出せないが、まあどうにかして逃げたのだろう。だが、今回は逃げようがない。先程引っ掻かれた傷口が痛み、右足が満足に動かないのだ。
「あー……今度の今度こそ、終わりか」
今まで悪運で生き延びてきたが、意外とあっさりと諦めはついてしまった。
楽に死ねるといいな――そう願いつつ、目を閉じた。
――立てなくなるほど足が震えていることに気づく。
――嗚呼、やはり怖い。意地汚く、生き延びたいと思った。
意外なことに、この希望はあっさりと叶った。
狼の一匹が、振り返り何かを睨んだ。かと思うと、踵を返して明後日の方向へと走り抜けていく。
どうしたのか、それを気にして同胞も先程狼が睨んだ方向を見た。そこにいたのは、大きなリボンが特徴的な、緑髪の女性。救急箱を持って、何かを心配するような表情であちらこちらを右往左往している。
「雛……さん……?」
どうしてここに?そんな疑問が浮かぶ中、狼が一斉に何処かへと走っていった。
遮る物が無くなり、雛さんもこちらに気づいたようだ。
「全くもう、私の言うことを聞かずに飛び出すから……」
「……いや、でも言うほど不運でも無いみたいですよ?」
「渋柿を食べ渋桃を食べ栗に手を痛め崖から落下して狼の群れに囲まれた割によく言いますね」
「ずっと見てたんですか……人が悪い」
といいつつも、来てくれたことが嬉しくて自然と口が綻んだ。
「雛さんが来てくれるっていう何よりの幸運を呼び込んだんですから、厄なんて大したことないですよ」
「……っ」
雛さんの顔がリボンと同じ赤色に染まった。ついでに、俺の頬にも赤い紅葉模様が出来た。
「痛っ!?」
「厄を嘗めちゃいけません!もう、すぐに博麗神社でお祓いしてもらいなさい!」
「はーい……」
雛さんの平手打ちは大変痛かった。それは、被虐趣味の無い俺にとっては大変不幸なクリーンヒットだった。
◆◇◆◇◆
「雛さーん、そこの醤油取ってください」
「はい醤油。そこのソース取ってくれると嬉しいわ」
「はーい」
どうやら雛さんは目玉焼きにソースをかけるタイプの様だ。醤油派の俺とは好みが合わない。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
満腹満腹。腹も満たせたところで、用意しておいた手荷物を持ち、立ち上がった。
「じゃあ雛さん、今度こそお世話になりました」
「うん。今日で五日目だったかしら、今度こそもう会うことがないといいわね」
「ええ……あの、」
「何?」
「……いや、やっぱりなんでもないです」
「えー……何を言いかけたのよ、気になっちゃうわ」
「今日帰ってきた時に聞けばいいじゃないですか」
雛さんと出会った一日目。雛さんと別れ、そして再開した二日目。あのあと雨が降ってきたので、渋々帰ってきた結果。二日連続で、妖怪の山をさ迷い続け、結局この家に帰ってきた。道もちゃんと教えてもらった通りに進んだし、非常時の対策もバッチリだった。しかし、何故かこの家に帰ってきてしまうのだ。厄の力、恐るべし。
「貴方今日も帰ってくる気なの……まあ、私は別に構わないけれど」
「帰ってくる気はないんだけどなあ……毎回名残惜しみつつこの家を後にしてるんですけどねえ……なかなか上手くいかない」
「案外そういう心持ちの方が成功するかもしれないわ。不幸なことにね」
不幸なことに、か。確かに、そういうことも起こり得そうだな……と笑った。
「……さっきの話」
「え?」
「さっき言いかけたことあったじゃないですか。あれ、言ってから今日戻ってきちゃったら恥ずかしいなあ、って思ってやめてたんですけど……言いますね」
「ええ」
「雛さんとの日々も……不幸なこともあったけど、何だかんだ楽しくてとっても幸せでした」
「……ありがとう」
「それじゃ、もう行きますね」
「うん。――どうか、お幸せにね」
「はい。雛さんもお元気で」
俯いた雛さんの声は、少し震えていた。目頭が熱くなる。振り返らずに走り出した。
「……彼が帰ってこなかったら、それはここに帰ってこないことが彼にとって不幸だということ。つまり、ここにいるということが一番幸せだったということ……そうよね、きっと。帰ってきたらその時は……まあ、私は幸せだからいいわ」