「おはよー!」
「…あと五分寝かせて……」
「むう……じゃああと五分だけだからね?」
「うん、ありがとう…………っていいんかい!!」
無意識に発したノリツッコミと共に目を覚ます。うーん、朝からツッコむと寝覚めが良いなあ……って、ちょっと待て。
「ん……ごめん、どなたでしょうか?」
「え?」
どうしたの?みたいな顔をして、目の前の少女は首を傾げた。長い黒髪に大きなリボン、白いブラウスと緑のスカートに黒い大きな翼を付けた出で立ちの貴女と俺は、絶対初対面だと思うんですが。
「あ、私は霊烏路空っていうの。お空って呼んでいいよ!」
「じゃあお空って呼ばせてもらうね。俺は次郎、よろしく」
うん、よろしく!と元気な声でお空は言った。失礼ながら、若干頭が悪そうな子だなあ……なんて思ったり思わなかったり。さとりさんがこの場にいたら怒られてたかな。
「……あ」
そうだ、さとりさん……昨日あの後どうしたのだろうか。お空にそれを聞くと、多分まだ寝てるんじゃないかしら?と若干ズレた回答が返ってきた。
「そういえば、お空は何でここに?」
「お燐が朝ご飯だから呼んできてーって言ってたの」
「あー、なるほど……」
お空に連れられてリビングに向かうと、お燐がお皿を並べているところだった。連れてきたよー、というお空の声でこちらに気づいたようで、おはようと挨拶をされた。
「さとりさんは?」
「多分まだ寝てるんじゃないかな?朝に強いタイプじゃないしね」
「ふーん……」
一言謝りたかったのだが――そう考えたところで、気づく。果たして俺は何を謝ろうとしているんだ。それすら分かっていないのに形だけの謝罪を果たすなんて、何の意味も無いじゃないか。例え本当に申し訳なく思っていようとも、理由すら分からずに謝罪されても、心の読めるさとりさんは傷つくだけだろう。
「じゃあいただきまーす!」
「どうぞ召し上がれ」
「あ……いただきます」
冷めないうちに食べなければ。手始めに味噌汁を啜る。美味しいのだが心做しか、昨日のよりもしょっぱく感じた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ご馳走様でした」
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした〜」
食器を片付けるのを手伝う。洗い終え、拭き終わった後もさとりさんが起きてくることはなかった。まだ寝てるのかな。
「ん?ああ、さとり様は昨日夜更かしして何やら色々やってたみたいだからね……もしかしたら午前中は起きてこないかもね」
「そうか……」
……仕方ない、後でまた戻ってくることにしよう。お空とお燐に一言告げてから、地霊殿を出た。
金も無いし、昨日みたいに誰かに絡まれるのも怖いが、地底の街に宛もなく繰り出す。本当は地霊殿から動かないべきなんだろうけど、生憎自分は動いてないとネガティブな想像しかしない質なのだ。
何も考えず、ただ只管に真っ直ぐ歩いていると、交差点の端にある雑貨屋が目に入ってきた。何の気もなしに店頭を眺めると、よくわからない小物ばかりが並んでいたが、その中に一つだけ、目に付く商品があった。
「……でもお金がなあ」
「お困りの様ね」
聞き覚えのある、というか聞き慣れた声に振り返ると、そこにいたのはやはり紫さんだった。スキマから上半身を出し、とまるで見計らっていたかのようなタイミングに一瞬疑念を抱いたが、まあ俺ごときが大妖怪たる紫さんに見張られてる筈もないし、ただの偶然だろう。
「…………」
「紫さん?どうしました?」
「いえ、何でもないわ」
何か考えている様子の紫さんだったが、コホン、と咳払いをして話を戻した。
「お金が無いならあげましょうか?」
「ん……いいんですか?」
「ええ」
ニヤニヤと胡散臭い笑みを浮かべながら、紫さんは頷いた。これは流石に妙だ。"貸す"ならまだ分かるが、"あげる"とは。
「あら、私のこと疑ってる?」
「…まあ、そりゃあ……」
「その気持ちももっともだけどね、本当に気にしなくていいわ。私はただ、バランスを取っているだけだもの」
「バランス……ですか?」
「ええ」
バランスとは、と聞こうとしたのだが、どうやらこれ以上の情報を渡す気はないようで、紫さんは袖口からピッタリ商品分の代金を取り出し、俺に渡した。
「そうそう、一つ言っておくことがあったわ」
スキマに戻りかけた紫さんは、振り返って嘆息した。
「貴方はもう少し、自分の存在の大きさと、それが他者に及ぼす影響を考えた方がいいわ」
「……え?」
「……うーん、説教っぽくなっちゃったわね……そういうのは閻魔様の仕事なのに」
よくわからないことを言いながら、よくわからないタイミングで今度こそ紫さんは帰っていったようだった。
渡された百円玉を握り締め、店内に入った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
寝れない。悶々とした気持ちで、ハート型のクッションを抱き締めた。
私はきっと、彼の事が好きだ。でも彼の視界にも思考にも古明地さとりという存在は、友人としてしか映っていないのだ。『心を読んでくるけれど、根は優しくて、可愛い一面もある友人』――だと。
「……友人として認識されてるだけ、良かったと思うべきなのでしょうか」
昨日も今日も、些細な事で怒ってしまった。癇癪持ちというか、怒りっぽい狭量な妖怪だと思われてしまっただろうか。もしも次に目覚めた時に彼が他の者達みたいに、『もう関わりたくない』――なんて、私の事を疎ましく思ってくるようになってたら――
「こんばんわ」
「きゃっ!?」
何処からか声が響いてきた。水滴でぼやけていた視界を鮮明にするために目を擦り、侵入者を探すために暗闇の中に目を光らす。
「警戒されてるみたいだけど、私は敵じゃないから心配しなくていいわよ」
「…そう言うなら、まずは姿を現すべきじゃないですか?」
「仰る通りですわ」
刹那、虚空に裂け目の様なものが広がった。そこから妖しげな雰囲気の女が出てきた。夢でも見ているんじゃないか、と疑う光景だ。
「お久しぶりですわ。……いや、面と向かって話すのは初めてかしら」
「……もしかして貴女は」
言葉の意味を探ろうと、相手の心を読もうとして気づく。本来常時発動しているはずの能力が機能していない。目の前の女の思考が読めない。
「生憎、少し細工をさせてもらったわ。貴女に心を読まれるわけにはいかないものでねえ」
「……一体、何者なんですか?」
「八雲紫と申します」
彼女はそう言って恭しくお辞儀したが、それすら胡散臭く感じた。一体何の用なんだ。
「……今貴女の所で過ごしている、"彼"のことでお話があって参りました」
そう言って笑った彼女の顔は、酷く歪んで見えた。