「……とりあえず夜ご飯でも食べますか」
「そうだね」
地霊殿に戻ってきた。掛け時計の針は六時過ぎを指している。俺がソファーに座ると、さとりんもその隣に座った。
「一つ聞きたいんですが、いいですか」
「どうぞどうぞ」
何故だか不安そうに俺の顔を覗き込むさとりん。数秒して、意を決したように口を開いた。
「次郎さんは、私の事どう思ってますか?」
「んー、どうって言われても……」
まだ出会って二日しか経っていない。古明地さとりという一人の妖怪の事で、俺が知っていることなんかほとんどない。どう思っているか、と言われると中々難しいな……
「……まあ、一番大きいのは恩人というところかな」
「恩人……ですか」
少し残念そうに、さとりんは目を背けた。期待していた回答と違ったのだろうか。
「ありがとうございます。それじゃ、今日は私がご飯作ってきますね」
「あ、お願いします」
「……今、『え、さとりさん料理作れるの!?』って考えましたね、失礼な。まあ味の保証はしませんけど、一応作れますよ」
「あはははは……」
こちらの考えが筒抜けなのを忘れていた。さとりさんは地霊殿の主だし、家事はお燐やら何やらに任せているのかと思っていたのだ。
数十分待っていると、美味しそうな匂いとともに料理が運ばれてきた。エプロンを付けたさとりさんの姿も新鮮でまた良し。
「出来ましたよ、お口に合うかは分かりませんが」
「おお……」
白いホカホカのご飯に、いい匂いのするお味噌汁。肉汁滴るビーフステーキという中々に美味しそうな晩餐が運ばれてきた。
「じゃあ早速、いただきます」
「召し上がれ」
とりあえずステーキを一口。柔らかいし噛む度に美味しい肉汁が溢れる。程良い脂身の甘さも良く、白いご飯との相性も最高である。焼き加減が俺の好きなミディアムレアなのも良し。こういうところでさとりさんの能力が役立つのか。
「……どうですか?ふむふむ、『べ、別にこれは素材の美味しさだし……焼き加減だって簡単に調整できるし……』と。何故ツンデレ口調なんですか」
「べ、別にツンデレなんかじゃないんだから!」
思わずノリでツンデレになってみた結果、さとりさんの視線がゴミでも見るかのような辛辣なものになった。痛い痛い。俺の心に突き刺さる。
「……りょ、料理の腕っていうのは味噌汁を飲めば大体分かるって聞いたことがあるんだよなあ、俺。肉焼いてご飯炊くくらい誰でも出来ますし」
「ほうほう。ではお食べください」
一口飲む。濃厚な味噌の香りが鼻腔をくすぐり、シャキシャキとしたネギの食感が良い。うん、まあ普通に旨い。
「……俺の口には合わないですかね」
「『普通に旨い』ですか。ありがとうございます。何で心を読まれてるって分かってるのにそんな嘘を……」
ジト目で睨まれたが、まあアレだ。何となく言いづらいことってあるじゃないか。口先だけでも自分の気持ちを誤魔化しておきたいのである。
……いや、でもなんかこうさとりさんの作ってくれたご飯を食べてると不思議な気分になるなあ。例えるなら……
「……!?」
「あっ……い、いや今のは違うんです。別にそんな変な思いがあって考えた訳じゃ……」
「…………」
さとりさんが黙り込んでしまった。やっぱり失礼だっただろうか。思い返すと、恥ずかしさすらこみ上げてくる。
「……『こうやってさとりさんの作った料理を食べて、一緒に過ごしてると何だか新婚さんみたい』……ですか」
「……俺ごときが、失礼なことを考えました。ごめんなさい」
「何故謝るんですか」
「何故、って言われても……」
声色から、さとりさんが怒っているということが伝わってきた。でもどうして。俺が怒らせる原因を作ったのは分かるが、何故謝ったせいで怒られる……?
「……どうしても分からないんですか?」
「……はい」
数秒の沈黙。理由を探す俺の思考を遮るように、バンッ!と机を叩く大きな音が響く。
「貴方は…自分のことを卑下し過ぎです……ッ!」
大粒の涙を瞳に浮かべたさとりは、唖然とする俺の横を走り抜け、何処かへと向かっていった。怒られた理由も飛び出していった訳も放たれた言葉の意味も分からないまま、俺は呆然と床に零れた味噌汁を眺めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
布団の中で小さく丸まる。何故だか震えが止まらない。目を閉じて休もうとしても、脳裏に浮かぶのは唖然とした彼の顔だった。
心が読まれていると分かっているからこそ、思考が止められずにどんどんボロを出し、傷口を広げていく。サトリ妖怪として生きてきて、今までそんな相手をたくさん見てきた。今日の彼は、正にそれだった様に思える。
「……やっぱり彼も、他の人妖と同じなのかしら」
いいやそれは違う、と心の中で自問自答した。心を読まれることを嫌がる素振りも気持ちも彼には無かった。自分の気持ちが違ったから、同じに見えただけだ。
「…………」
心を読む、というこの能力が嫌いだった。サトリという種族の性質上仕方ない事ではあるが、知りたくないことも知ってしまうし、どんな考えも筒抜けになってしまうが故、私なんかと必要以上に仲良くしようとする者はいなかった。
まだ出会って数日も経っていないのに、自分でも不思議なくらい彼に近付きたい気持ちが強くなっている。それ故、どれだけ仲良くなったつもりでも、心の中で越えられない一線を引かれているのが悲しくてたまらないのだ。
「……はあ」
恋、なんていうありふれていてそれでいて大それた感情では無いつもりだが――そう思えば思う程、彼を想う気持ちが本物であることに気づかされる。確かに、こういった感情を他者に知られるのは嫌かもしれない――と、少し彼の気持ちが理解出来た気がした。
「……どうしましょう」
思考はどんどん加速していく。眠気も冴えてきてしまった。考えは一向に定まらないまま、夜は更けていった。