ナタリアの日記   作:Grim Monolith

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-死せる生-

 …真っ暗な世界…。

 

 あたりを見回しても、なにもない。ここには私一人。不思議とさびしくはない。

 

 だって私は、一人で生きてきたから…。

 

 生まれたときから一人だったから。

 

 だから…大丈夫…。

 

 …世界の色が…変わる…?

 

 何だろう…暖かい光…。手を伸ばせば届きそうだけど…触れた瞬間に自分が溶けてしまいそうな…蠱惑的な光…。

 

 …耐え切れなくなり、私はその光へ手を…伸ばした…。

 

 

 

 

「ナタリアの容態はどうだ?」

 

「手術は無事に終わって、これから治療室への移動になります。全身に破片を浴び、臓器への損傷も見られていましたが、傷ついた部品は全て交換してあります。ですが…修復の際の投薬により脳へのダメージが…。」

 

「…障害はどれくらいになりそうなんだ?」

 

「起きてみてからでないと分かりませんが、何らかの記憶障害が引き起こされる可能性が…」

 

「…すまない…」

 

「いえ、私達は身体を直しただけです。精神のケアはまだ。これからが…あなた達担当官の仕事ですよ」

 

 事件が起きてから、五日間が過ぎた。ナタリアはまだ目覚めない。二課では五共和国派による無差別テロの方向で捜査を進めているが何の進展も見せていない。私はといえば、捜査に参加せず…ナタリアに寄り添っている。まったく情けない話だ。

 せっかく彼女が身を挺して守ってくれたおかげで、少し視力が落ち、左耳の鼓膜が破れるくらいで済んだというのに。

 

「なあ、ナタリア…、こんなにいい天気なのに…いつまで寝ているんだよ。もう昼を回ったからバールで一杯やりに行こう…」

 

 彼女は何も答えない…。あるのは呼吸の音とそれに合わせて膨らむ胸郭の動きだけ。

 

 それだけが、彼女が生きている証拠になっている。あれだけのことがあったにも関わらず、彼女は元通りになっている。色白でしみ一つない肌。整った眉にすっと伸びた睫毛。高く、すっきりした鼻梁。寝ているにも関わらず、艶のある唇。まるでコッペリアそのもの。

 

 私がコッペリウスなら…君に生命を与えてやれるのに…。

 

「少し、休憩してくるよ、ナタリア。戻ったら、また話をしよう…」

 

 私は彼女の額に口づけし、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 …目を開けて最初に飛び込んできたものは、真っ白な天井でした。

 私はこの天井を知っています。ここは病室です。

 

 身体を起こそうとしますが、力が入らずうまく起き上がれません。

 身体全体を使って何とか上体を起こしたときには体感で15分は経過していたでしょうか。私は肩で息をしながらあたりを見回します。

 

 部屋の壁は白く、窓のカーテンが揺れています。風があるのでしょうか…。窓からは燦々とした光が入り込んでいます。他にはベッドの側に簡素な床頭台が一つ。その上に一枚の写真立てが。

 私はその写真立てを手に取り眺めます。そこに映っているのは、私と…担当官のディーノ様…。

 

 ディーノ様と私がフラテッロであるということ以外…覚えていません。

 ディーノ様は私の大事な担当官。私はその盾であり、剣。

 

 でも、もっと大事なことがあったような…。

 

 足音が近づいてきます…。革靴の音に混じるどこか懐かしい匂い…。

 

 足音は部屋の前で止まり、扉がゆっくりと開き彼が入ってきました。

 

 ディーノ様は私を見て呆気にとられていましたが、すぐに気を取り戻したのか駆け寄って私に抱きついてきました。

 

「ナタリアっ!!よかった!よかった…。本当に…よかった…」

 

 嗚咽交じりのディーノ様。どうしてそんなに必死になっているのでしょう?

 

 そんなに強く抱きしめたら痛いですよ…。ですが、その痛みも私には心地よく感じられ、ディーノ様は私を抱きしめたまま離そうとしませんでした。

 

 それからしばらくして、ディーノ様は私を離し言いました。

 

「そうだ。ナタリア。君のために買ってきたんだ」

 

 そういってディーノ様は横に置いていた茶色の紙袋から水筒と紙コップを取り出し、注ぎ始めました。

 

 部屋一杯に広がる、芳醇なカフェの香り…。

 どうしてでしょう…。初めて嗅ぐはずなのに、どこか懐かしい感覚が…。

 

 ディーノ様は私にコップをくれますが、私はどうしたらいいか分からずその暖かな温もりを弄んでいました。

 

「飲まないのか?ナタリアの好きなカフェなのに」

 

 ディーノ様は言いますが、私はそこで初めて、自分がカフェ好きであるということを知りました。

 しかし、ディーノ様からの命令がなければ私は動くことが出来ません。

 

「出来れば…指示をいただきたいのですが、ディーノ様。これを飲めという…命令を」

 

 怪訝そうな顔でディーノ様は私に尋ねてきます。

 

「ナタリア…。もしかして今までのこと、覚えていないのか…?私が誰だかわかるか?なあ、答えてくれナタリア!」

 

 途中からディーノ様の声に怒気が混じり、私の両肩を掴みゆすってきました。

 私はカフェをこぼさないようにしっかりと持ちながら答えます。

 

「私の名前はナタリア=ギンズブルグ。ディーノ様が与えてくださった大切な名前です。あなた様は私の担当官のディーノ=ブッツァーティ様ですよね?私、ナタリア=ギンズブルグは社会福祉公社の所有物であると同時に、ディーノ様とは義体と担当官、通称フラテッロの関係にあたります。私はディーノ様の命令があればどんなことでもする所存です。担当官様の剣となり盾となること。それが私達、義体の役目なのですから。それ以外のことが…何かあるのでしょうか?」

 

 私は私なりの答えを出したのですが、これはディーノ様の望む答えではなかったようです。その証拠にディーノ様の顔は見る見るうちに絶望と失望、憤怒の入り混じったものへと変容していき、私を突き飛ばすと逃げるように部屋を飛び出していきました。

 

 本当に…おかしなディーノ様…。

 

 そのとき私の胸にちくりと痛みが走りましたが、それが何なのかは…私には理解できませんでした。

 

 

 

 

 

 走り…隠れ…そして撃つ。 

 そこに感情はなく、あるのは目標を仕留めるという目的のみ。石のような静寂をもって私は淡々とLARグリズリーの引き金を引く。

 

 ヘッドセットから聞こえる無感情な声。

「残弾は?」

 

「あと2発です」

 

「続けろ」

 

「了解」

 

 撃ちつくし、遮蔽物に身を隠しながら弾倉を手早く交換。

 再び走り、撃ち始める。これで最後ですか…。

 

 ヘッドセットからの声。

 

「終了だ。上がれ、ナタリア」

 

「了解しました。ディーノ様」

 

 私は管制室の主に向かって返事をし、射撃場を後にする。

 

 

 

 

 

 射撃場の入り口でトリエラさんに出会いました。

 彼女は驚いた顔で私を見つめています。

 

「病み上がりなのに、流石というべきなのかな。でも大丈夫?ナタリア、担当官とうまくいってそうにないように見えるけど」

 

「トリエラさん。ありがとうございます。体調は特に問題ありませんから、ご心配なく。それに早くディーノさんのお役に立ちたいので」

 

 あきれたようにトリエラさんは言います。

 

「いや、そういうことじゃなくてね、ああ、もう。私が言うのもなんだけど。もっと担当官との関係を大事にしろってこと。最近のナタリア、どこか変だから」

 

 …大事にしろ?

 

 おかしなトリエラさんですね。私達義体は担当官様のために、いつでもその身を犠牲にしなくてはならないのに。人と道具の関係…。私達にそれ以上の何があるというのでしょうか…。

 

 私は疑問を抱きつつ、その場を後にしました。

 

 

 

 

 

 彼女は…ナタリアは変わってしまった。

 あの日から何もかも忘れ、本物の人形になってしまった。

 ただ命令に従い殺すだけの無機質な人形に…。

 彼女が変わってしまったことを知ったあの日、私は病室から逃げ出した。

 見てしまったのだ…。

 あの青く美しかった瞳が…何の感情も宿していなかったのを。

 ぽっかりと空いた底なし沼のようになっていたのを。

 

 もうすぐ彼女が帰ってくる…。

 

 …恐ろしい。彼女の瞳を見るのが…。

 

 いっそ公社から逃げ出すことを考えたが…あの夜、彼女に対し誓ったことが私を踏みとどまらせた。どんな結末になろうとも彼女と人生を伴にする。そう覚悟していたはずなのに…。

 

その今にも崩れそうな誓いだけが…私を支えていた。

 

 扉をノックする音。規則正しく三回。彼女だ。

 

「ディーノ様。失礼します」

 

 扉が開く。

 

 あるのは何も映さない無機質な人形の眼。ここが地獄か…。

 

「ご命令を。ディーノ様」

 

 

 

 

 

 今日、アンジェリカさんが亡くなりました。

 担当官であるマルコー様を守った際の負傷と度重なる投薬により脳への損傷が深刻なものになったことが原因だと二課の方がおっしゃっていました。

 

 担当官を守って死ぬなんて…義体としては理想ではないのでしょうか。

 

 私はアンジェリカさんに会ったことがないのですが、義体としてとても理想的な人だったのでしょう。私もかくありたいものです。

 

 死ぬまで戦う。これが義体の役割なのですから。

 そこに…疑問を挟む余地はありません。

 

 ですが、不思議なものです。会ったこともないのに。

 

 どうして胸が痛むのでしょう?

 

 この涙は…いったい…なんなのでしょうか?

 

 夕日が沈む黄昏時、私は無意識に本棚から一冊の絵本を手にとっていました。

 

 その絵本には…

 

『パスタの国の王子様』

 

 そう書かれていました。

 


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