ナタリアの日記   作:Grim Monolith

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-喪失-

 △月○日 晴れ

 ヘンリエッタさんがジョゼさんのことでやきもきしていました。ジョゼさんの部屋に入った時に、女性へのプレゼントと思われる万華鏡を見つけてしまったとのことで。

 

 女性の影に怯えるヘンリエッタさんは正に恋する乙女という感じでした。

 

 ただ、女性の名前は「ルイーズ・アントワネット・ロール」だと聞いて、あれ?これって何でしたっけと頭の中に疑問符が浮かびましたが答えが出てきませんでした。

 

 すぐにクラエス先生が正解を言ってくれましたが。もちろんヘンリエッタさんへのフォローも忘れずに。

 

 素直に表現できるヘンリエッタさんは輝いて見えました。まるで、熱によって発光する蛍石のように。ですが、私にはある種の危うさにも感じました。

 加熱しすぎた蛍石の末路は…、まるで、私達のよう…。

 

 △月×日 曇り

 …甘味が分からなくなりました。

 

 気づいたのは、紅茶に砂糖を入れたとき。いくらいれてもまったく甘くなかったのです。試しに砂糖を手に取り舐めてみても、感触としてはよく溶ける砂のようで味を感じませんでした。

 

 どうしよう。あの人のために料理がつくれなくなる。いや、砂糖を使わない料理のほうが多いから、それはまだ大丈夫のはず。

 

 ただ、ケーキの魔法をかけることもかけられることも…出来そうにありません…。

 

 当たり前のことを感じないのがこんなに辛いなんて…。

 

 あの夜の感情のほうが、エルザの方がもっと辛かったはずなのに。

 

 なんで…こんな…。あれほど言われている感情のコントロールが、気持ちの整理がうまくできません…。

 

 △月□日 晴れ

 再びの事件。予感は的中しました。それも悪い意味で。

 

 暗殺者「ピノッキオ」の捜査のため、トスカーナに出張していたトリエラさんとヒルシャー担当官さんが負傷しました。幸いトリエラさんの怪我は軽かったのですが、それよりも精神的なショックのほうが強そうでした。ヒルシャー担当官さんからもらったSIGを奪われているのですから、当然かもしれませんが。

 

 私達もトスカーナ州にいたのですが、私とディーノさんはモンタルチーノの北東部、トッレニエリで聞き込みを行っていたため救援に遅れてしまいました。私達が合流した際にはトリエラさんは焦燥しきっていて、私は声をかけることが出来ませんでした…。

 

 時間が解決してくれるのを待つしかないのでしょうか。あるいは、彼女自身で決着をつけるしか。

 

 それにしても、いくら不意を突かれたとはいえ、義体が生身の人間に打ち倒されるとは…。

 

 私は…、私達は死ににくい身体であることを過信しすぎているのかもしれません。もしくは、「ピノッキオ」の力量が…義体の基本スペックを上回っているのか。

 

 どちらにせよ、もし対峙した場合、犠牲なしには抑えきれないでしょう…。

 

 追記:トリエラさんの心配をしている場合ではなくなりました。この日はホテルに宿泊したのですが、食べた料理はまったくといっていいほど…味を感じられませんでした…。

 

 肉はまるでゴムを噛んでいるような触感で、デザートのババロアは粘土細工の様…。ディーノさんは美味しいと喜んでいたのですが、私は自分自身の変化を隠し通すだけで精一杯でした。全て砂のように味気なく感じました。

 

 救いは、食後のエスプレッソを飲んだときだけ。深い風味、苦味だけは感じることが出来たのです。これからは紅茶からカフェに宗旨替えでしょうか…。

 

 カフェの味が分かるのなら、まだ大丈夫。料理も、レシピ通りにつくれば、味に変化はないはずです。

 

 嘘です…。不安です。どうしよう。助けて。

 

 段々と感覚が失われていく自分が怖い…。

 

 アンジェリカさんを見て、覚悟は決めていたはずですが、大切なことが失われていくのが哀しい…。

 

 ディーノさんに打ち明けるべきでしょうか。言えば何かが変わるのでしょうか。逆に、捨てられてしまうのではないかという不安で胸が張り裂けそうです。

 

 あの人の剣となり、盾となることが、役に立つことが私の存在意義なのに。

 

 あの人の役に立てないのなら、私は人間でいられない。

 

 人形にもなれない。何にもなれないまま忘れられ、終わる。

 

 いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。

 

 理由が欲しい。まだ終わりたくない。

 

 これは…親友を裏切り、自分だけ幸せになろうとした罰なのですか…。

 誰か…。

 

 □月○日 晴れ

 40mmのスコープ越しに覗いた世界は透明でした。まるで別世界のようにきらきらと輝いていたのですが、標的まで透けて見えるほどに…澄んでいました。

 

 標的にレティクルを合わせ、引き金を引き、牙を突きたてていく。

 これほどまでに引き金が軽いと感じたことはありませんでした。

 レンズ越しに鮮血の華を咲かす獲物を美しいと感じてしまう自分にも慣れてしまったようです。

 ディーノさんの指示を心地よいBGMにしながら…。

 

 …五感の一部が失われてから、私はどこかおかしくなっています…。

 

 □月×日 曇り

 愛の堕天使、プリシッラさんが負傷。任務中に左手首を骨折したそうです。

 

 最近は誰かしらの怪我が続いています。気をつけなくては。

 

 味覚は失われたまま。まだ誰も気づいていないのが、幸いでしょうか。

 最近は隠れて液体の栄養剤などを摂取しています。味が分からないのなら、何を食べても同じだから。

 

 自分が食べられないのに、料理をつくることがこんなに苦痛だったなんて。私の料理を食べて、笑顔になる人たちがいるのは喜ばしいのですが、同時に腹立たしい感情に流されそうになります。苦しい…。

 

 今ではディーノさんとのカフェだけが、心の支え。

 

 このまま何も考えず、ただ引き金を引くだけの人形になりたい。

 

 □月□日 晴れ

 午前から運動場でトリエラさんとの格闘訓練。「ピノッキオ」の一件があってから、トリエラさんに険がまとわりついているようです。だから、この左フックは誘い出すための囮なのですから、掴んで投げるなり折るなりするか、一旦距離をとらないと。身長差を活かしてインファイトに持ち込んでも、こちらもそれなりの対策をしているのでショートアッパーの餌食になるだけです。ああ、あれほど言ったのに…。

 

 正午になる頃には二人とも疲れきっていましたが、トリエラさんも少しすっきりしたようで、サンドバッグになった甲斐があったというものです。

 

 追記:奥歯が1本、いかれたのは内緒です。

 

 ○月○日 晴れ

 プッチーニは嫌いです。悲劇が嫌いです。イタリア人は死に対して感傷めいたものを感じる?

 だから悲劇が求められる?

 

 ふざけないでください。なら、私達の死を誰が悲しんでくれるのですか…。

 

 血を流さないことで問題が解決できるなら、誰だってそちらの方法を取るはずですよ。

 

 私達だって、できることなら暴力に頼りたくない。普通の女の子でいたかった。

 

 それすら奪っておいて…よくも…。

 

 追記:リコさんのスカート姿を見ることができたので許すとしましょう。

 

 ○月×日 晴れ

 五共和国派との衝突が激化しています。

 今日も軍警察の憲兵が銃撃され多数負傷、死者も出ています。

 他にも軍警察隊員による武器の密輸・横流しの発覚。

 それらに関わっている人物の検挙。

 

 ディーノさんは険しい顔で報告書を書いていましたが、終わると私をバールに連れていってくれました。私は空腹でないと嘘をついてカフェだけ頼みましたが、ディーノさんと飲むカフェはいつも、心まで温かくなります。

 

 追記:トリエラさんがGISの訓練に参加することになりました。訓練は過酷だと聞いているので、私はお声がかからなくて安心したと思ったのも、つかの間、巻き添えで明日から途中参加することとなりました。

 恨みますよ…ディーノさん…。

 

 ○月△日 曇り

 聞いてはいましたが、まさか女こどもを相手に平気で殴りかかってくるなんて。

 

 地面が冷たくて気持ちいい。地面とはいい友達になれそうです。

 

 ○月□日 晴れ

 サレス少佐相手に、持ちこたえられる時間が少し延びてきていることが嬉しい。今までの自分の闘いが、児戯だったことが分からされて悔しい。血を流し、地面に横たわるという結果が同じでも、やるのとやらないのでは大違い。

 

 だから、ディーノさん…そんなに辛そうな顔をしないでください…。

 

 ○月×日 晴れ

 トリエラさんはサレス少佐を相手に圧倒、早々に帰っていきました。流石は天才少女というべきですか。私はというと、一撃入れるくらいがやっとでした。

 

 帰り際、少佐からは貴様は一撃を入れる瞬間を大切にしろ、と助言をいただいただ

 けでも、今回の訓練に参加した意義があったのでしょう。

 

 …強くならないと。あの人を守るために。

 

 追記:悪いことばかりではないようです。パスタの国の王子様の新刊が発売されました。

 

 ○月△日

 書くことが辛い…。最近は悲しいことばかり起きています。

 

 ヘンリエッタさんは捜査中、対人地雷により指を失くし、クリスティアーノ氏の確保の際にリコさんは銃撃に遭い、そして…トリエラさんは暗殺者「ピノッキオ」と交戦し、辛くも勝利を収めました。右眼を潰されるという、犠牲を払いながら…。

 

 終わったという連絡を受け、麓で警戒任務についていた私達が邸に到着すると、毛布に包まれ満身創痍のトリエラさんをヒルシャーさんが優しく抱きしめていました。朝焼けに照らされる二人の姿はまるで一枚の絵のようで…不謹慎なのですが、美しかったのです。

 

 私達義体は…多少のことで死ぬことはありません。例えば、車に轢かれた上で撃たれ、車の鍵で目をえぐられようとも

 。

 身体のどこかを失っても、機械の部品のように交換すれば元通りになります。痛みを伴うことなく。

 

 でも、私達は磨り減っているのです。泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだり。

 

 そんな当たり前のことも出来なくなっていく。忘れていくのです。

 

 銃の撃ち方や人の殺し方、そんなことばかり覚えていて、愛する人や親友との思い出、美味しいケーキと紅茶の魔法のかけ方、本当に大切なことは忘れていくのです。

 

 磨り減って無くなった私は…いったい何になるのでしょうか?

 

 ○月□日

 ディーノさんに味覚を失っていたことがばれてしまいました。きっかけは些細なもので、砂糖と塩の入ったケースを間違えてしまったことから。

 

 ディーノさんは怒りも、責めもせず、悲痛な面持ちで私を抱きしめてくれました。

 

 ですから、そんな悲しい顔をしないでください。約束ですよ?

 

 追記:ディーノさんには申し訳なかったのですが、料理を食べたときの表情は…やっぱり忘れられそうにありません。

 

 

 

 先のクリスティアーノ氏の事件以来、ピリアッツィ氏の裁判はそれなりの進展を見せています。おかげで私たち義体が駆り出されることも、少し少なくなりました。

 

 今日はディーノさんが非番のため、朝からいつも通りの日課をこなしています。いつもの新聞を買い、バールでカフェをとり、ベンチで過ごす。ディーノさんは申し訳なさそうにジェラートを食べています。私はエスプレッソを。

 

 そんな彼を見かねて私は言います。

 

「ですから、そんな顔をしないでくださいと約束しましたよね?」

 

「でもなぁ、私だけっていうのも、気が引けてなぁ」

 

 そんなタマですか。あなたは…。私は心の中で毒づきながら、

「でしたら、もっと嬉しそうな顔をしてください。ディーノさんの笑顔が私にとってのドルチェなのですから」

 

 彼は呆気にとられていましたが、すぐにくっくっと笑い、

「ナタリアも言うようになったなぁ。誰に教えてもらったんだ?」

 

「私の初めてをもらっておいて、何をおっしゃっているのでしょうか?」

 決まりました。ジェラートが気管に入ったのか、げほげほと大げさに咳き込んでいます。そんな彼の背中を優しくさすります。

 

「はあー、まったく…。君の初めては…、いやそうじゃない。いいかい?私の部屋ならともかく、ここは公共の場所なんだよ?それにそんなこと、女の子が軽々しく言うことじゃあない」

 

「はて。私は初めてとは言いましたが、それは銃の撃ち方であって、ディーノさんはなんの初めてを想像されているのでしょうか?後学のために、ぜひともお聞かせください」

 

「まったく、君には敵わないな。出会った時はコッペリアのように可愛らしく大人しかったのに」

 

「それだけ人間に近づいたことなんでしょう。よかったらその可愛らしい人形とワルツでも踊りませんか?」

 ディーノさんの言葉は遺憾ですが、彼に一泡ふかせられたことに満足するとしましょう。

 

 私達の前を一人の男が通り過ぎる。猫背の背広姿で、手には一見なんの変哲もない紙袋。洗練された濃厚な甘い香り、ボッティガ・ヴェネタのオードパルファムでしょうか。

 

 その香りの中にかすかに混じる火薬の匂い。爆弾?

 

 だとしたら…。

 

「ディーノさん、今の男から、火薬の匂いが…。追いましょうか?」

 目を合わせることなく話す。

 

「非番だが、見てしまったものは仕方ないか。申し訳ないが頼む。私は二課に連絡を入れておく。いいか、ナタリア。絶対に深追いはするなよ」

 先ほどまでのくだけた表情を仕事用の顔へ変えて彼は言います。本当に…かっこいいです。

 

「大丈夫ですよ。心配しないでください。それよりも、終わった後の埋め合わせ、お願いしますね?」

 

 私はディーノさんにウィンクをして男を追いかけました。

 

 男は人ごみの中を泳ぐように進んでいきます。革靴を履いているはずなのに、よくあの速度を維持できるものです。私もスニーカーでなかったら、見失っていたかもしれません。

 

 男は人波を離れ、人気のない路地に入り込み、建物の角を曲がりました。私も追いますが、路地は迷路のように入り組んでいて、私は追っているつもりが追い込まれているような感覚に陥ります。

 

 ホルスターからグリズリーを抜き、構えながら進む。いた…!

 

 行き止まりの先に男が一人。こちらに背を向けています。甘い匂いに紙袋。

 

 間違いありません。

 

「動かないでください!あなたには銃が向けられています!その手の紙袋をゆっくりと地面に置いてください!その後、両手を頭につけて、ひざまずきなさい!いいですか!ゆっくりとです!」

 

 男は命令どおりに紙袋を地面に置き、そこまではよかったのですがこちらを振り返りました。

 

 膝を撃ち抜く。何度撃っても変わらないグリズリーのしびれるような反動。

 

 男は崩れ落ちますが、残された片方の足で懸命に身体を支えようとします。

 

「女こどもの殺し屋がいるとは聞いていたが…噂程度のものだと思っていたよ。」

 男は痛みに耐え、肩で息をしながらその全てを諦めたような、悲しそうな目でつぶやきました。

 

「最後の仕事が…まさかこんな後味の悪いものになるなんてな…。いや…案外、そんなものか…」

 

 まさか…この人は…。

 

「ナタリア!無事かっ!?」

 後ろからディーノさんの駆け寄ってくる気配。なんで…今はまずい…。

 

 駄目っ!こないでっ!!

 

 この人はっ!!

 

 男が奥歯をかみ締める。ガチっという信管の作動音。

 

 私はとっさにディーノさんに覆いかぶさっていました。担当官を守るという義体としての習性かもしくは愛のなせる業か。

 

 閃光、超音速の衝撃波、次いで爆風。何も聴こえなくなる。

 

 視界が暗転し世界が…閉じていく…。

 

 

 

 

 

 

 ………ナ……ア。……タ…ア。…ナ…リア…。ナタリア!…ナタリアっ!!

 

 暗い世界…。ディーノさんの私を呼ぶ声…。

 

 聞こえないはずなのに…よく聴こえる。

 

 目をゆっくりと開く。赤く染まった世界…。でもディーノさんははっきりと見ることが出来ました。

 

 ディーノさん…、なんでそんなに悲しそうな顔で泣いているのですか…?

 

 私なら…大丈夫です…。担当官の盾になること…、それが…私の役目…。

 

 大丈夫ですよ…。先生達がすぐに…元通りの私に…してくれる…はずですから…。

 

 コッペリアは人形だから…壊れても直せば…ほら…元通り…。

 

 だから…泣かないでください…。

 

 …約束したじゃないですか…。そんな顔しないでくださいって…。

 

 だから…笑ってください…。あなたの笑顔が…私を人間にしてくれる。

 

 人形に…命を吹き込んでくれるのですから…。

 

 彼の顔を撫でようと右腕をあげようとしますが、腕がないことに気づきます。参りましたね…。

 

 これでは…あなたを抱きしめられないじゃないですか…。

 

 そんなことを考えながら…私の意識は再び…闇の中へ…落ちて…いきました…。

 


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