ナタリアの日記   作:Grim Monolith

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-傲慢な者達-

「あれ?あなたは…ナタリアの担当官の…ディーノさん…よね?」

 

 私は意を決して扉を開けようとしたのだが、思いもよらない声に身をすくめてしまった。

「こんな時間に…何を?そもそも、いくら担当官といったって、正当な理由がなければ義体棟には入れないはずなんだけど」

 怪訝そうな顔で近づいてきたのはトリエラだった。ヒルシャーの担当している子か。

 何度かナタリアとも共同訓練を行っており、彼女からもトリエラのことはよく聞かされている。

 彼女曰く、射撃ではまず負けることはないが、それを補って余りある格闘センスをもつ天才肌の少女だと。

 

 ノブにかけていた手を離し、彼女に向き合う。

 皮肉屋だが、どこか諦視したその青い瞳がナタリアのそれと重なり、私の心を波立たせた。

 

 どうにかやり過ごすためには、少し事実を含めて説明しないといかないな。彼女を見て私はそんなことを考えていた。ヒルシャーに比べれば融通のきく彼女なのだが、正義感が強く情に弱いところが玉に瑕か。

 

「いやなに、今日からクリスマス休暇のはずだったのだがね、先の事件だろう?ナタリアには申し訳ないことになってしまったと思って謝ろうとしたんだが、調査やらなんやらで解放されたのがついさきほどだったんだ。ちゃんと警備の方には話をつけてあるよ」

 

 自分の腕時計を指差しながら弁解をする。時刻は23時を回ったところだった。

 

「そう。なら仕方ないかな…。でも、他の子に見られると勘違いされるから、気をつけてね。王子様」

 

 王子様…?なんだそれは。まさか、彼女との関係を知っているのか?

 だとすれば…。

「なんだい、その王子様っていうのは?」

 動揺を抑えながら質問を返す。

 

「あれ?知らないの?私達の間では評判よ。ナタリアとその担当官は本当の兄妹のように仲がいいって」

 彼女の得意げな笑みに一瞬揺れるが、努めて冷静に対応する。

 

「そうか。それは気をつけないといけないな。またジャンにどやされる」

 

「担当官も大変ね。でも、私達は所詮使い捨ての道具なんでしょ?入れ込むと後が辛いんじゃない?」

 彼女の質問に対し、私は彼女の眼から真意を汲み取ろうとする。

 彼女の眼は硝子のように透き通っているが、その奥底まで読み取ることが出来ない。

 しかし、私の答えはこの一つに集約される。

 

「自分の家族を大切に出来ないような人間に生きる資格はないよ。私は…彼女の全てを知った上で受け入れて、愛している。覚悟は決めているさ。背負わなければ担当官という仕事は務まらんしね」

 

「そう…。あなたもあの人に似ているのね…」

 トリエラは呟く。

「まあ、それだけ真剣なら大丈夫そうかな。ナタリアもいい人に巡りあったね」

 そう言いながら彼女は視線を扉のほうに移す。

 そこには、扉の隙間から顔を覗かせるナタリアの姿があった。

 

「ナタリア。聞いていたのなら、声をかけてくれればいいのに」

 近づいて彼女の頭を撫でる。彼女はうっとりとした顔で私を受け入れてくれる。

 心なしか、彼女の顔は紅潮し瞳は熱を帯びている。

 

「でも、ディーノさんとトリエラさんが大事そうな話をしていたので…お声をかけづらくて…、それよりもっ!…ディーノさん、先ほどの発言は…ディーノさんの真言なのですか?私、期待してよろしいのですか?」

 彼女は私の手をとり、すがるように言う。

 

 ああ、この顔だ…。まるで底なし沼で身動きがとれないような、畏怖、圧迫感…。

 私は既にナタリアという魔女に魅了されてしまっているのだ…。

 

「あのー。2人の世界に入っているところ申し訳ないんだけど、いちゃつくなら人のいない所でやってもらっていい?」

 怒気の混じったトリエラの声にはっとするが、ため息を吐きながら彼女は続ける。

 

「まったく、夜遅くに不審者かと思って警戒して近づけば実は担当官で、しかも目の前で軽いメロドラマ展開されるなんて、これは何の罰なのかしら」

 

 …言い返す言葉もない。ナタリアも真っ赤になって目を伏せている。

 

「じゃあ、これに懲りたら密会はもっと慎重に行うべきね」

 そう言ってトリエラは私達に背を向け自室へ歩き出すが、ナタリアが声をかける。

 

「トリエラさんっ!あの…ありがとうございます。あなたのおかげで…私…道を違わずに…すみました」

 …何のことだ?私の頭には疑問符しか浮かばなかったが、トリエラはふっと微笑んだまま、歩いていってしまった。

 

「道を違うって…何のことなんだ?ナタリア」

 私は彼女に問いかける。

 

「ふふっ。秘密です」

 

 はにかみながら、だがどこか小悪魔めいた表情で彼女はほくそ笑む。

 ふむ…やはり彼女には笑顔が似合うな。

 

 それから私は思い出したように彼女に言う。

「そうだナタリア。クリスマス休暇のことなんだが…どうやら事件が解決するまで、私達は市外から出ることが出来ないらしい。まったく、ジョゼがうらやましいよ」

 

「ということは…」

 彼女は落ち込んだ口調でつぶやく。

「ああ、残念ながら旅行は取りやめだな。まあ、休暇は私の家で一緒に過ごそうか。こっちは大事な休暇を潰されているんだ。これぐらいは大目にみてもらえるだろう。だから、今日はもう休みなさい」

 諭すように、励ますように言い、彼女の肩をぽんと叩く。

 

「でも、ディーノさんは私に何か話があったのではないのですか?」

 

「確かに話はあったんだがね。トリエラに声をかけられたときから、話すタイミングを見失ってしまったみたいなんだ。少し冷静になって考えてみようと思う。それに…できることなら君自身の口から真実を聞きたいしね。さあ、我が愛しのナタリアよ。こんな時間に来た私が言うのもなんだが、もう夜も遅い。朝になったら迎えに行くよ。必ずね」

 

 私は手を広げ大仰に振舞う。うん、彼女も少し落ち着いたみたいだな。ドアの隙間から様子を伺っていた時の、あの陰りは払拭されている。

 

「分かりました…。私も…朝までに気持ちを整理しますから…。ですから…必ず…真実を話すことを…約束します…」

 

 意を決したように、彼女は話してくれた。

 

「ありがとう。その言葉が聴けただけで私は嬉しいよ、ナタリア。そうだ、私の家に来たときに、ピッツァを焼いてくれないか?それもバジリコ、モッツァレラ、トマトソースだけのシンプルなマルゲリータ。あれが無性に食べたいんだ」

 

「もう、こんなムードで…ディーノさんは本当に子どものようですね。大丈夫です。それもお約束しますよ…、安心してください」

 

 ついばむような口付けをしながら彼女に囁く。

 

 ナタリアに対する、私のささやかな我が侭。だが、彼女はそれに応えてくれるのだ。

 これも…条件付けの賜物なのだろうか?

 私には…もう分からない。分かる必要がない。

 …彼女が愛してくれる、只、その真実さえあれば。

 

「おやすみ…ナタリア」

「おやすみなさい…ディーノさん…」

 

 私達が地獄に堕ちる日は…近い将来必ず来るはずだ。それはどちらかの殉死かもしれないし、彼女が義体としての寿命を迎えるまでかもしれない。

 分からないが…一つ言えることは、二人なら、寂しくはない…ということだ。

 

 私達が不幸かどうかなど、そんなものは…私達で決める。

 

 ○月×日

 私は確かに撃つ覚悟を決めていました。扉が開かれたのなら、確実に。

 でも扉は開かれませんでした。入ってくる気配はせず、扉の前では誰かの会話が始まりました。

 声の主は…ディーノさんと、トリエラさんでした。

 二人はなにやら話しこんでいるようでしたが、聞き取りづらかったので音を立てないよう扉に近寄り、興味本位に扉を少し開けた…そのときです。

 ディーノさんの言葉を聴いたのは…

 

「自分の家族を大切に出来ないような人間に生きる資格はないよ。私は…彼女の全てを知った上で受け入れて、愛している。覚悟は決めているさ。背負わなければ担当官という仕事は務まらんしね」

 

 一瞬、私は自分の中で時間が止まったように思いましたが、頭を撫でられる感触に我に返りました。

 …あのときの言葉は…一生忘れたくありません。だから私はこうして、日記に残しています。一字一句、しっかりと。いつか忘れてしまっても、この日記を読めば…思い出すことが出来るだろうから。

 …少し後ろ向きですかね?

 

 そして、ごめんなさい…エルザ。臆病で卑怯者の私を許してください…。

 私は…ディーノさんに真実を話そうと思います。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…

 どれだけ謝罪の言葉をつづろうとも、あなたを裏切る罪悪感が消えるわけではありません。

 

 私は浅ましい身勝手な人形です…。親友を裏切るとともに、愛する人に自分の罪を背負ってもらおうとしているのですから。

 ですが、銃を持ち、一人さびしく恐怖と戦いながら震えるあの感情に、私は耐えることができません…。

 私も、時期が来ればあなたのもとへ向かいます。

 ですが…もう少しだけ時間をください…。

 

 私が書きかけの日記を閉じ時計に目をうつすと、針は4時を回ったところでした。

 さきほどまで、絵の具で塗りつぶしたかのような漆黒の空も白んできていました。

 約束の時まで、もう少し。

 

 どうか…神様…。もしいるのなら、私に歩き出す勇気を…お与えください…。

 

 ○月○日 晴れ

 今日、私はディーノさんに全てをお話しました。

 事件のこと、エルザと私の関係のこと、そして…エルザの日記のこと。愛情とも、怒りとも、恐怖にも似た色々な感情が堰を破る奔流のように私の口から語られていました。あの人は私が話している間、その大きな手で私の頭を優しく撫でていてくれました。

 話し終えた後、私は息も絶え絶えな状態でしたが、不思議なことにあれほど陰鬱だった気持ちは今日の空のように澄み渡っていました。

 

「ありがとう。辛かったろうによく話してくれたね、ナタリア。」

 

 この言葉を聴けたからでしょうか。あの人の言葉は、私に薬にも似た多幸感をもたらしてくれます。担当官の存在は私にとって麻薬にも似たものなのです。

 あの人はそれから約束してくれました。今回の事件の真相は決して話すことはないと、二人だけの秘密であると。堕ちるときは共に。それはまるで、自分自身を縛めるかのような言葉でした。

 私はあの人に依存しきっています。あの人といるときだけ私は人間になれる、勇気を持てるのです。それはまるで、神のような存在…。

 何度も繰り返します、それが植えつけられた感情であっても構わない。

 

 ディーノさんは隣のベッドで休んでいます。私も日記を閉じ、彼のベッドに入り込みます。彼の寝顔は遊びつかれた子どものように、無邪気そのものでした。彼の額にそっと口付けをして、瞳を閉じます。

 

 闇の中でエルザのことを想い、涙する。

 ごめんなさい…エルザ。それでも私は…幸せになりたい…と。

 


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