ナタリアの日記   作:Grim Monolith

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ある男の話です。


-ある担当官の告白-

 初めは"人"と"道具"の関係だった。少なくとも、私自身はそう思っていたはずだ。

 思わなければ担当官としての仕事をやっていけなかった。

 

 公益法人社会福祉公社、それが私の所属する組織の名前だ。表向きは政府主導のもと、身障者への社会的支援を目的に活動している。しかし、実際は身寄りのない子どもや身障者を集め人体実験と同じような感覚で機械の身体を与え、"条件付け"と呼ばれる薬物などの外圧行為によって洗脳し公社への忠誠を誓わせ、政府の汚れ仕事を強制させる、非人道的な組織。

 

 当時の私はある理由により軍警察を辞めており、半ば拾われるような形で公社の一員となっていた。

 

 その時の私は何も知らない甘い人間だった。ただ、何も奪い、奪われることなくこの命をもっと社会に役立てられることができる。

 そう思っていた。既に自分の首元には、悪魔の牙が食い込んでいたことにも気づかずに。

 社会支援を行う組織が、裏であのような、人を人と思わないような行為をしていると誰が予測できる!?騙された。そう思ったときには私は辞めることも逃げることも出来ない状況まで追い込まれていた。

 

 そんな荒んだ精神の中、私は彼女と出会ったのだ。

 "彼女"はある児童養護施設の出身で、日常的に施設職員や他の子どもたちから暴行を受けていた。彼女は生きるために施設を逃げ出したのだが、生きる術をもたなかった彼女は結局肉体を差し出すしかなかったという。妊娠・堕胎を繰り返し、不安定な精神の中でコカインなどの麻薬に手を出し、保護されたときには心身ともにぼろぼろの状態だった。

 身体は衰弱しやせこけ、その瞳はすべてを諦め、ただ虚空を見つめるだけで、その髪は薬物による影響か白髪となっており、私が会った時の彼女はかろうじて人間の形を保っている程度だった。また、彼女は常に精神依存に苦しめられており、治療は難航していた。薬物中毒は身体依存に比べ精神依存の治療ははるかに困難とされている。一人で生きることを強要されてきた彼女に誰が支えとなってくれるのか?誰もいるはずがない。

 

 彼女を救えるのは私しかいない。当時の私はそんな熱病のような独り善がりの感情に支配されていた。

 ジョゼの言葉を借りるとすれば、少しでも善行を積みたかった。救われたかった。

 彼女には申し訳ないが、あの時の感情を表現するとこう言うしかない。

 それほどまでに、私の心は追い詰められていた。

 

 義体化と共に条件付けを施された子の多くは、以前の記憶が抹消される。

 辛い過去をもつ彼女たちにとっては唯一の幸福なのではないかと私は考える。

 だが、私たちは自分たちの都合のためだけに、彼女達にもう一度地獄を見せようとしているのだ。

 彼女の眠っているときに、その細首に手をかけ永遠の眠りにつかせるべきではないかと何度考えたことか…。

 

 …彼女にはナタリア=ギンズブルグと名づけることにした。ある作家の名前であり、優しく、力強い家族像を描く物語は、家族のいない私にとって決して手の届かない夢物語であり羨望の対象であった。今思い返してみると、私は彼女との家族ごっこを望んでいたのか。

 もしくは、手に入ることのない家族を欲していたのか。

 

 彼女は物静かで、私の言いつけをよく守る賢い子だった。

 人格の再構成が行われた影響か、あるいはこれが彼女の本来の人格だったのかもしれない。

 ナタリアは与えられた課題を難なくこなし、1月経たないうちに不自由な義体を自分のものとしていた。初めの一週間は歩行すらおぼつかない状態であったのに、信じられなかった。砂漠に水をこぼすように、彼女は知識・技術をその身に吸収していったのだ。

 

 名前の次に彼女に与えたものは、LARグリズリー・ウィンマグとM110。私自身が、米国の銃器を好んで携行していたためでもあったが、引き金を引くだけで生命を奪うことのできるこの不恰好な銃は、少女には少々不釣合いだった。だが、その日から彼女にとっては宝物同然となっていた。無理もない、洗脳により無理やり好意を抱かせるように刷り込まれているとはいえ、想い人からの贈り物だったのだから。

 

 彼女の最も得意としたものは狙撃だった。常に私が観測手として側にいたからかもしれない。

 彼女は孤独を嫌い、いつも私の後ろについていた。兄の後を置いていかれないように必死になってついてくる妹のように。

 私はそんな彼女を妹のように扱い、彼女から送られる愛情には気づかない振りをしていた。

 それが私のためであり、ひいてはナタリア自身のためになるのだと努めて事務的に、担当官として彼女に接するよう自分に言い聞かせながら。しかし、私には無理だった。

 他の担当官のように、彼女を道具として扱うことに…常に良心の呵責に苛まれていたのだ。

 義体としての教育が進んでいく中で、私はきっかけを欲していた。私と彼女の関係を変えられるような、劇的な何かを。

 

 変化はあっけないものだった。私が喉から手が出るほどに欲していたきっかけが目の前に転がってきたのだ。義体としての彼女の初仕事という形で。

 SISDE、情報・民主主義保安庁の身内による五共和国派への情報漏えい、内容は、ナポリ・カポディキーノ国際空港の警備体制について。その漏えいの中心人物とされる目標の殺害。

 

 アメデオ=セグレ。それが彼女が初めて撃った人間の名前だ。

 目標であるアメデオは大胆にもナポリ王宮の西ファサード、プレビシート広場で五共和国派の人間との取引に応じようと計画していた。人通りの多い場所のため、かえって怪しまれずにすむという考えがあったのかもしれない。だが、取引の場所、日時、目標の格好、すべてが出来すぎているほどに情報が集まっていたため私たちは作戦決行前日までに十分すぎるほどのリハーサルを行うことが出来た。

 決行前日の夜、私たちはプレビシート広場を見通すことができるビルの屋上に潜伏していた。

 今でもあの時の光景を鮮明に思い出せる。

 かれこれ数時間はM110の光学スコープを覗いていた彼女がふいに顔を上げて私を見つめてきた。私ははっと息を呑むことしか出来なかった。それほどに彼女は美しかったのだ。夕焼けに映える漆黒の髪、深い群青の瞳、洗練された白磁のような柔肌。全てが造られた、紛い物の容姿であるにも関わらず、私は見惚れてしまっていた。

 しかし、彼女の瞳は憂いを帯び、その目には涙が浮かんでいた。

 彼女が口を開く。

 

「ディーノさん、私、明日の狙撃を成功させることができるのでしょうか…。撃たなくちゃ、それが私の仕事なのだと、自分に言い聞かせてるんです。でも…引き金を引く勇気が、自信が持てないんです。こうしてスコープ越しの世界を見ていると、映る人たちはみんな楽しそうに笑っていて…。ああ、この人たちみんなに人生があるんだなって…。明日私が撃とうとしている人にも、共に泣いたり笑ったりすることのできる大事な人がいるんだろうなって。そう思うと、手が震えちゃって…怖くて仕方がないんです…」

 

 彼女の声は今にも消えてしまいそうで、その叫びは確かに私を貫いた。私は自分がどうしようもなく卑小な存在であるように思うと同時に、愛おしいと思う気持ちと共に彼女への愛着が生まれた瞬間。決して玩具を愛でるような感情ではなかった。

 彼女は人形ではない。人間だった。私はもう自分に嘘をつくことが出来なかった。

 気がつくと私は自身の肩を抱き、小さく震えている少女を抱きしめていた。

 元々教養のない私には、彼女を慰める気の利いた言葉は言えなかった。だから抱きしめることしか出来なかった。長い時間、只々抱きしめていた。

 震えはいつのまにか治まっていた。

 

 翌日…彼女は7.62mmの牙を目標に躊躇なく突き立てた…。

 これが、彼女と私が地獄へと踏み出した記念すべき第一歩だったのだ。

 

 彼女は周囲からは冷酷な自動人形であるように思われていたが、実際は違う。

 彼女は仕事が終わるたびに泣いていた。義体となった少女は夢の中で、義体となる前のことを思い出し、泣くといわれている。だが、彼女は違う。彼女は確かに殺した人間に対して涙を流していた。私のために死体を数えるのと同時に…。

 

 人形が涙を流すはずないだろう?

 彼女達は…確かに人間だった。

 どれだけ周りから蔑まされ、忌避されようと、人間であろうとしたのだ…。

 

 義体の研究が進み、ある程度人員が確保されるようになるにつれ公社の仕事は多忙を極めるようになっていった。

 私とナタリアの関係も、表面上は担当官とその道具であったが、あくまでそれは表向きの関係だった。

 実際は彼女との逢瀬を重ね、担当官と義体としてのラインを既に超えてしまっていた。

 時には歳の離れた妹のように、娘のように、あるいは妻のように一人の女として。

 

 それほどまでに私は彼女に入れ込んでいた。

 

 それからある事件が起きた。五共和国派の構成員によるエルザ・デ・ラウーロ担当官とその義体であるエルザ・デ・シーカ両名の殺害。その日から私はナタリアとともに休暇を申請していたにも関わらず、朝から一課の刑事の事情聴取を受けていた。

 私自身、ラウーロとエルザの関係は希薄であると思っていたが、そのような関係を望むフラテッロもいることは知っているから別段気にも留めていなかった。

 それだけならば…。私は見てしまったのだ。彼女の瞳に宿る動揺を。

 

 …夜になった今、私は彼女の部屋へと向かって歩みを進めている。恐らく彼女は事件の真相を知っているのだろう。知った上で心の奥底に隠し、忘却を図るのだろうか。

 私は彼女の心を救いたかった。同じ秘密を共有することで少しでも彼女の負担を軽くしてあげたかった。

 彼女の支えになりたい。彼女の罪を供に背負い、寄り添って生きたいのだ。彼女と共に、その身を煉獄にやつしたとしても。

 我ながら傲慢であり身勝手な主張ではあるが、その時はその思いで胸がいっぱいだった。

 

 彼女の部屋の前に立ち、ドアノブに手をかける。

 あとは扉を開いて、優しい笑みを浮かべた彼女が私を出迎えるために駆け寄ってくれるのを待つだけ。

 

 ただそれだけのことなのに…私の心はいいようのない喜びで満たされていた。

 




続けられることを祈って。

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