度重なる投薬の影響か、日に日に物忘れがひどくなっている気がします。この気持ちを忘れないように、遅くなったけど…日記をつけようと思います。まだ、間に合うといいのですが…。
○月×日 晴れ
今回のお仕事はマスカールという政治家の暗殺。その方はコンラート法とかいう法律を改正するかしないかという議論の中心人物であるらしいのです。
そんな彼と対立している議員が今回の依頼人だそうで。
しかもその犯行はテロリストの仕業に仕立てるなんて話をしていますが、私にはあまり関係のない話。
正直な話、どうでもいいのです。仕事さえ与えてもらえれば。
作戦の実行役はリコさんでした。ブラウンのショートカット、ボーイッシュな格好をしている純粋で無邪気な少女。普段は感情豊かなのですが、こと戦闘においては冷静沈着、担当官であるジャンさんの命令を遵守するお人形。ディーノさんは"条件付け"を強化しているからな、って言っていましたっけ。
条件付けとは簡単に言うと薬漬けによる洗脳です。
大体の義体はその条件付けの過程で担当官への絶対的な忠心とともに、愛情が芽生えるといいます。私も多分にもれず条件付けを施されています。ですが、私のディーノさんへの愛は…造り上げられたものではないはず、嘘偽りのない愛情…そう信じたい。信じさせてください…。
話がそれました。バックアップはヘンリエッタさんとトリエラさん、そして私。2人については次の機会にでも。
今日はターゲットの宿泊するホテルを下見に来ているというわけなのですが、私はディーノさんと下見という名の休憩をカフェでとっていました。
あそこのブラウニーは絶品でしたね。具体的に言うと、顎が疲れました。
リコさんがヘンリエッタさんに楽器の練習方法を聞いていたけど、何かあったのでしょうか?
×月○日 晴れ
作戦決行当日。結果だけを言いますと、作戦は成功しました。約1名、ターゲット以外の一般市民を巻き込んでの成功なのですが。
リコさんは速やかに対象を排除し、ホテルの一室から撤収しようとしたのですが、部屋の前で従業員と鉢合ってしまい、口封じのために殺害したとのことです。
この件に対し、ディーノさんは憤りを感じていたようですが、私はそれよりもリコさんの悲しそうな笑顔が印象的でした。何かを感じ取った私は無意識のうちに彼女を抱きしめながらただただ、運が悪かっただけ。そんなもの、そんなものなんだよと途切れ途切れに言うことしかできませんでした。その何かが何なのかは今でも答えが出ていません。
…いつか、私にも死が"そんなもの"である日がくるのでしょうか?
ディーノさんに尋ねてみると、ディーノさんは無言で私を抱きしめてくれました。
抱きしめる力が強かったので、少し痛かったのですが。
○月○日 雨
今日は雨のため訓練は中止。ですので、少し自分自身のことを記そうと思います。
名前はナタリア、ナタリア=ギンズブルグ 名前は担当官であるディーノさんがつけてくれました。何でも有名な作家から拝借しているらしいのですが、私自身その方の作品を読んだことがありません。最近は物忘れがひどくなっているから読書なんてなおさらですね。正直に言うと、読む必要を感じません。銃の撃ち方、人の殺し方、それさえ覚えていれば私は私足りうると思うのです。だから、元の自分の名前がなんだったかであるかなどさしたる問題ではないはずなのです。問題は、今の自分を構成しているものは何か?そこに集約されるのだと思います。
人を構成するものは有機物の酸素、水素、窒素、炭素、無機物ではカルシウム、リン、硫黄などの各種微量元素であるといわれています。では今の私を構成しているものは?人並み外れた怪力をもたらす人工筋肉、銃弾の衝撃を吸収・軽減する炭素繊維の骨格、あらゆる外敵から愛する人を、自身を守るために薬により限界まで強化された知覚etc…。
それが今の私を形づくっているもの。大体は人間と同じです。決して化け物ではありません。人形ではありません。怖がらないでください。逃げないでください。私はただ、みんなと同じように何かを愛してみたいのです。神様…。あなたはそんなささやかな祈りも踏みにじろうというのですか?
少し筆が滑ってしまいました。この義体(カラダ)になってから、話すこと、考えることがどんどん苦手になってきています。
続きは次回にでも…書けるといいのですが…。
×月×日 雨のち晴れ
よかった…。まだ日記をつけられることに安堵を覚えます。
今日は、私の容姿について書こうと思います。
顔についてなのですが、これは義体化の際にいじられたものだそうで、平均的な顔つきになっています。唯一の特徴は…垂れ目であることでしょうか。ニハッドさんからはクラスで5~6番目の美少女だ、と評されました。今思えば馬鹿にされたのでしょうか?
目の色は深い青。さして表現するものではありませんね。フェッロさんの評は「ロシアンブルーみたいね」馬鹿にされて…ないですよね…?
次に髪について。髪形はボブカットですね。ボブカット、つまりはおかっぱ。長さは肩まで。艶がありサラサラの髪質はクラエスのものに引けはとらない、そう自負しています。アルフォンソさんは「日本の市松人形みたいだな」と、これはかわいいといってくれているのでしょうか…。
色は…黒。これは私の誇りでもあります。なぜなら、ディーノさんが日本の言葉に例えて美しい「緑の黒髪」と褒めてくれたのですから。絶対に変えることはありません。私の宝物です。
身長は174cm、身長に関しては特記することはありませんね。ディーノさんは私より少し大きいため並んだときのバランスは問題ないと思います。
年齢は…よくわかりません。ただ、皆さんからは大人びているとだけ言われます。そのおかげで作戦ではよくディーノさんと恋人役を演じています。
はい、分かっています。演じているだけです。あの人は私のことを恋人とは思っていないのでしょう。せいぜい出来の悪い妹くらい…。それでも私は、あの人を愛しています。あの人のためならこの身体が傷つき朽ちてもかまわない。あの人の剣となり、盾となることが出来れば…。私は何よりもあの人の幸せを願っています。
それが…私の幸せでもあるからなのです…。たとえ、この感情が強要されたものであろうと。
…この愛が一方通行でもかまいません。
大丈夫。大丈夫。そんなものなのです。
スタイルに関しては…記載することもないですね。
では、今日はこの辺にしておきましょう。次のページをめくれることを祈って。
○月△日 曇り
今日は趣味について書こうと思います。趣味はディーノさんとのサボ…ではなく警邏。常に街を巡回して五共和国派の活動にいつでも対応できるようにしています。
ディーノさんは馴染みのエディコラで新聞と珈琲を2つずつ買います。1つは自分ので、もう1つは私の分。私自身、新聞を読むのはあまり得意ではなく、読むのは風刺漫画位なのですが。
そのあとは決まった道を歩き、暖かい日ならバールでジェラートを買ってベンチで休憩をとります。ディーノさんと一緒にいられる。このひと時が、私にとって何よりの幸せな時間なのです。訓練や任務を終えた後に褒められる…あの鎮痛剤を使用したときに得られるような陶酔感が私にとってのすべてではないのです。私は人形です。人形でありますが、同時に人間でもあるのです。決して忘れないでください。みなさんと同じ、血の通った、熱をもった人間なのです。小さなことで喜び、踏みにじられることに怒りを覚える。何かを奪い、奪われることに哀しみを感じるのです。楽しいことがあれば笑うのです。
決して忘れないでください。
いつかすべてを忘れて物言わぬホンモノの人形となる日が来るのでしょうが、悲しまないでください。私は限られた時間の中で人間として生き続けることを誓います。
それでは、今日はこの辺で。
△月○日 晴れ
今日は担当官であるディーノさんのことについて書こうと思います。大事な人なのになんで書こうと思わなかったのか…、不思議で仕方ありません。
ディーノさんは私の担当官です。名前はディーノ=ブッツァーティ。歳は今年で30歳、男性。きっちり撫で付けられた髪、年齢の割にはしみひとつない肌、ふちなしの眼鏡に濃紺のスーツ。私の瞳と同じ色。とても清潔感のある格好をしています。
仕事ぶりは、格好のわりに真面目とはいえませんね…。この前もカモッラの構成員を捜索している時にバールでカフェをとっていましたから。ディーノさんは「これは聞き込みのためであって決してサボろうなどとは思っていない。ほら、私のことはいいからナタリア、君も何か頼みなさい」なんていうくらいですからね。
ディーノさんは私のことをよくかわいがってくれます。訓練の成績がいいときはナポリのピッツァをご馳走してくれます。非番の日には映画館や図書館、ウィンドウショッピングに連れ出してくれます。これは内緒なのですが、ディーノさんは自宅で料理の練習を私にさせてくれます。初めはよく失敗していたのですが、今ではパスタ、ピザ、米料理なら大体作れるほどには進歩しています。でも、私の得意なものはドルチェのモンテビアンコ、つまりモンブランですね。私のつくるものは栗を全体に使うとディーノさんのお財布を圧迫してしまうため、クリームにサツマイモなどを代用しているのですが、トリエラさんやクラエスさんのお茶会に出せるほどには評判です。そうそう、トリエラさんといえば、先の仕事でカモッラの元幹部、マリオ=ボッシからナターレのプレゼントにと、可愛らしいくまのぬいぐるみをもらっていましたね。ヒルシャー担当官のものと合わせて8匹になってしまったそうで、62匹を目指してやると息巻いていました。
私はといえば、ディーノさんからは濃紺のトレンチコートをいただきました。ディーノさんの普段着ているスーツとおそろいの色。宝物が1つ増えました。
……周囲からは私とディーノさんは…恋人のように見えているのでしょうか。
もしそうだとしたら、嬉しい。でも。この嬉しいと思う気持ちも……いつか…忘れてしまうのでしょうか。ですが、ですが…切ないと思う気持ちは忘れないのでしょう。
人生は残酷です…。なぜ神様は私たちのような存在を創ったのでしょうか?
△月×日 曇りのち晴れ
今日は事件が起きました。単刀直入に書きますと、エルザさんとラウーロ担当官さんが五共和国派のテロリストに殺害されました。至近距離から弾丸を撃ちこまれ、脳髄を破壊、どちらも即死だったと聞いています。おかげで今はクリスマス休暇だというのに朝からディーノさんと、一課の方の聞き込みに協力をしていました。一課の捜査員はピエトロ=フェルミさんとエレノラ=ガブリエリさんという方達でした。ピエトロさんは口周りの髭が特徴的で、フランクな感じの人でしたね。エレノラさんは常に手帳を開きながら逐一メモを取っている姿が印象的でした。聞き取りの内容は、義体の戦闘パフォーマンスや条件付けによる感情の機微、あとはエルザや他の子たちとの関係性などなど。ピエトロさんの質問は棘のあるものが多かったのですが、一課の方たちが二課に対して良い印象を持っていないため仕方ありませんね。私はエルザとはほとんど会話をしたことがなく、彼女のことはよく分かりませんと答えてしまいましたが、嘘をつきました。
私は事件の真相を知っています。
これから記すことは私の懺悔なのです。
どうか、これを読んだ方は何も言わずにこの日記を燃やすなりしてください。
私には…出来そうにありません。これはディーノさんにいただいた大切な日記なのだから…。
エルザ・デ・シーカ。担当官であるエルザ・デ・ラウーロを愛しながら、報われることなく愛に堕ちた少女。私が初めて彼女と会話をしたのは義体棟の屋上でした。
一人静かに洗濯物を干している彼女を見て-普段、どれだけラウーロ担当官さんのことを想っても蔑ろにされる彼女-いたからなのでしょうか。
あれは…今思えば同情だったのかもしれません。気がつけば彼女に声をかけていました。最初は彼女自身警戒していましたが、トリエラさん達を虜にする紅茶とケーキの魔法を用いたおかげですぐに打ち解けることが出来ました。
彼女の独白は悲壮な魂の叫びでした。曰く、自身はラウーロ担当官さんを愛しているが、彼の関心は自身に向いていないこと、むしろ仕事以外では避けられていると。
そのことがとてもとても哀しい、辛い、苦しい。条件付けで芽生えた愛情であっても、自身の感情が嘘であると想いたくない、嘘をつきたくないと。その顔は悲しみに歪み、涙をたたえていました。普段の希薄な彼女しか見ていなかった私は、ああ、彼女も私たちと同じ人間…普通の女の子なのだなと。そんなことにすら優越感を覚える私は浅ましい存在なのかもしれません。別れるとき私は彼女に、いつでも相談に乗るから、一人で抱え込まないでと。そう話して新しい日記帳を彼女にプレゼントしました。それでも足りないのなら、ここへ自分の想いを綴ればいいと。いつか、今まで書いた悩み事を笑い飛ばせる日が来ることを祈って。
それから私たちは密かに交流をもちました。ラウーロ担当官は自分の義体が他の義体と交流をもつのを快く思っていなかったためです。時には野外射撃場の外れでピクニックをしたり、深夜、みなさんが寝静まったのを見計らって彼女と落ち合い朝までお互いの担当官のことで語り明かしたり。
ぎこちないながらも、彼女の笑顔を見られるまでになりました。
ナターレの次の日のこと。珍しいことに彼女のほうから私を訪ねてきました。
彼女の口から出たのは、今までありがとう。ナタリアのおかげで自分の気持ちに決心がついた。明日、どんな結末を迎えようと決着をつけると。
彼女の瞳に宿るは決意の黒き焔。思えばあの時に止めるべきだったのかも知れませんが、私には出来ませんでした。それどころか、私は-行ってらっしゃい…-の言葉を彼女に…。
「もし私が帰ってこなかったら、部屋の日記の処分を…よろしくお願いします。」
その日から彼女はラウーロ担当官との休暇に入り、それが…私が聞いた彼女の最後の言葉でした。
その日の私は眠ることが出来ませんでした。もしかしたら彼女が帰ってくるのではないかなんて、淡い期待を胸に抱きながら。
結局エルザさんは帰ってくることはなく、代わりに来たのが一課の刑事さんだったのですが。
彼らからの話を聞いても大きな衝撃は受けませんでした。いえ、事前に日記を回収し読んでおかなければその場で涙を流し、取り乱していたかもしれません。ですが、あの場では感情を出すことなく、彼らとディーノさんと自分自身の感情を騙し通すことが出来ました。彼らが帰った後、私は隠してあったエルザさんの日記を開きました。
そこにはラウーロ担当官への愛、恨み辛みが想いのままに書かれていました。日記の最後には…永遠に満たされない想いがこんなに辛いのなら…。苦しいのなら…。もうなにも欲しくない…。もう耐えられない。この気持ちと共に、私はあの人と地獄に堕ちます…と。ナタリア、後始末をさせてしまってごめんなさい…と。
そう書かれていました。
エルザの死の真相は二課の方たちが調べればすぐに突き止められてしまうでしょう。何も知らなくても、勘のいい、もしくはこの感情に思い当たる子なら気づくはずでしょう。
二課の人たちにとっては都合の悪いことですので、恐らくは真相は闇の中へ葬り去られ、埋められてしまうのでしょう。
ですから、私がエルザさんの日記を処分しなくても問題はないと思います。むしろ、いつか忘れるそのときまで、私だけは憶えていなくてはならないはずです。
これがこの世にエルザという少女がいた…、エルザの生きた唯一の証なのですから…。
一度ペンを置き、私はロッキンチェアーに深くその身をあずけながら思考をめぐらす。
エルザの死の真相を知っている私の記憶も消され、書き換えられてしまうのでしょうか。そうした場合の抵抗は…無意味ですね。そもそも条件付けによりそういった行動は制限・無力化されていますから。
足音が近づいてきます。この音、歩調のリズムは…ディーノさんですね。
心臓の鼓動が早くなる。狙撃の際に服用する安定剤でもぬぐいきれないこの焦燥感。
暴いて欲しい…けど暴かれて欲しくない。この二律背反した感情の捌け口はどこに向かえばいいのでしょうか。手にはいつの間にか愛用のLARグリズリーが握られていました。大口径弾45ACPによる驚異的なストッピングパワーを擁するだけでなく、各種マグナム弾の使用にも耐えうるこの無骨な拳銃が、私に与えられた最初のプレゼントであり、世界に抗うための牙でした。グリズリーの照準を扉に合わせ、息を殺す。
「ナタリア、落ち着いて話を聞いてくれ」
ただそう言ってもらえるだけで、私は射撃姿勢を解除したことでしょう。そう言われることをどれだけ望んでいたか。
無言のままドアノブが回る音。もし扉が開かれたのなら、私は躊躇なく引き金を引くでしょう。引いた場合、後に残るは無惨に弾けた真っ赤な柘榴が2つ。
ただ、それだけのことなのに…拳銃を構えている間、私はがたがたと震えていました。
“あの人の幸せ”は”私の幸せ”でもある…。
裏を返せば、”私の死合わせ”が”あの人の死合わせ”でもあるのだと自分に必死に言い聞かせながら。
期待とともにたまらなく怖かったのです。
…扉が開かれた瞬間にすべてを喪うことが。
続くのかなぁ。