書きたいこと書いたら長くなっちゃったけどEP1最後の回ということで許してください。
「はっはっは、死ぬかと思った」
「本当だよもう……心配したんだからね」
アークス戦技大会の、翌日。
メディカルセンターの一室で、『リン』は身体中に包帯やらギブスやらを付けてベッドで上半身だけ起こして横になっていた。
全治半月。
それが『リン』に言い渡された診断結果だ。
ガチのダークファルスと、六芒均衡と共にとはいえ二人で挑んでその程度の怪我で済んだのは流石と言えよう。
「あんまり無理しちゃ駄目だからね」
「ごめんごめん」
病室にある見舞い客用の椅子に座って、心配そうに『リン』の顔を覗き込む少女――マトイの言葉に、『リン』は欠片も反省していないような態度で頭を下げた。
この女傑に、無理をするなとは無理な話だ。
「もう……!」
「はっはっは」
笑いながら、『リン』は見舞い品(起きた時にはもうあった、眠ってる間に誰かが来て置いていったのだろう)のフルーツバスケットからリンゴを取り出した。
「うぐっ……!」
が、痛みでそれを取りこぼす。
リンゴは点々と床を転がり、マトイの足に当たって止まった。
「大丈夫? リンゴ、剥こうか?」
「いでで……ああ、ありがとう。……剥けるの?」
「剥いたこと無いけど多分大丈夫だよ。えーっと、果物ナイフは……」
「…………」
それは果たして本当に大丈夫なのだろうか。
失敗フラグが目に見えているのだが。
(……まあ、失敗しても精々指切るくらいだろうし任せるか……腕痛いし)
「あ。あったあった」
フォトン刃の包丁を見つけたようで、それを使ってマトイはリンゴを剥きだした。
たどたどしい手際だったが、包丁の切れ味のおかげか中々スムーズに皮が剥けていく……。
「んしょ、んしょ……」
「…………」
意外にマトモで驚いたが、まだ時間はかかりそうである。
病室の窓から何か見えないかなと、マトイから視線を外して反対方向の窓を見る。
「あっ」
『リン』が声をあげた理由は、窓の外ではなく窓に映った自分。
いつもツインテールに括っている髪が、解けていた。
「マトイ、何か髪括るものない?」
「……んしょ、……え? 髪? 何で?」
「いやちょっと……いつもの髪型に戻したい」
ヘアゴムか何か無いか、辺りを見渡すも何も無い。
自分が普段つけているやつは……ああ、そうだ。
ヒューナルとの戦闘中に千切れて何処か行ったのだった。
「んんっと、……ごめん、何も持ってないや」
「そうか……困ったな、アフィン辺りに持ってこさせるか」
「そんなにいつもの髪型いいの? 今の縛ってない『リン』も大人っぽくて素敵だと思うけど……」
「うぐっ」
真っ直ぐな瞳で褒められたというのに、『リン』は素直に喜ばずに微妙な表情をした。
痛む腕を我慢して、髪を両手で束ねて擬似的にツインテールを作る。
「いでで……」
「? そんなに髪下ろすのやだの?」
「……えーっと、その、何ていうか……」
煮え切らない返事をする『リン』に、マトイは純粋な瞳で疑問符を浮かべる。
彼女らしくない反応だ。
心なしか、照れているようにも見える。
「……笑わない?」
「う、うん」
「……えっとね、そのね、……私こういう子供っぽい髪型してないと……よく人妻に間違われるんだ」
と。
布団に顔を埋めながら『リン』はボソリと呟いた。
ちなみに彼女、十六歳である。
実はリィンと同い年なのである。
「…………」
「…………ああ」
マトイは、笑わなかった。
決して笑いはしなかった。
ただ、「ああ、確かに」といった感じに頷いた。
勿論、その行動が『リン』にとって効果は抜群だ! なことは明白である。
「……やっぱり私は老け顔なんだ……ぅう」
「あ! い、いや違うよ『リン』! 今の『ああ』はえっと、その、そういう意味じゃなくて……!」
布団に潜りこんでしまった『リン』に、マトイは焦って弁明を始める。
考えろ、記憶喪失の所為で数少ない知識でも精一杯考えろ。
自分をそうやって鼓舞して、必死に脳内の辞書を引いて、マトイは言葉を紡ぎだす……!
「えっと……そう! そう……うん、と。えーっと」
「やっぱ違わないじゃん!」
無理だった。
マトイの乏しい語彙力ではこの場を乗り切ることは出来なかった。
「いーのいーの。どうせ私は年相応に見えないおばさんアークスよ……」
「うわーん!? 何だか今日の『リン』凄く面倒臭い!」
誰にでも触れちゃいけない部分はあるのだ。
それが『リン』にとって、実年齢と見た目の乖離ということなのだろう。
勿論、『リン』は見た目おばさんなどではない。
ただ、十六歳には見えない色気と艶やかさ、そしてボンキュッボンのダイナマイトボディに身長も成人男性並みという三拍子の所為で人妻っぽく見えるというだけである。
普段ツインテールという比較的子供っぽい髪型をしているのは、それを抑えるためなのだ。
(まさかこんなコンプレックスが『リン』にあったなんて……)
衝撃の新事実である。
ちなみに普段黒いコートを着用してるのは体型を隠すためだ。
「り、『リン』……もう少しでリンゴ剥き終わるからちょっと待っててね」
「うん……」
話題を変えて、リンゴを剥く作業に集中しようと包丁を持つ手に力を入れた瞬間……。
「あー! やっぱりここに居た!」
がらりと、勢い良く病室の扉が開いた。
部屋に入ってきたのは、怒りの形相をした看護婦――フィリアだ。
「わ、ふぃ、フィリアさん……」
「今日は検査があるって言ったでしょ! さ、行きますよ!」
「うー……はーい……また後で来るからね、『リン』」
うん、いってらー
そんな、毎度のやり取りをしつつ。
マトイはリンゴを剥きかけのままフィリアに連行されていった。
「……平和だなー」
いつも通りの光景を見て、『リン』は安心するように息を吐く。
昨日の激戦が嘘のようだ。
包帯だらけの両手を眺めて、呟く。
「……もっと強くなんなきゃな」
「そうですね、貴方にはもっと強くなって頂かないと困ります」
病室の隅。
丁度『リン』の居る位置から死角の場所から、聞き覚えのある声がした。
空間が揺らぎ、何もなかった筈のそこから女の子が一人現れる。
始末屋モードのクーナだ。
相変わらずの仏頂面で、彼女は言葉を紡ぐ。
「まさか【巨躯】がヒューイと貴方のペアですら、ギリギリ撃退できる程のレベルだったというのは、計算外でした」
「…………クーナ」
「先日の緊急クエストではアークス全体の力を合わせて撃退することが出来ましたが、今回のように人型形態でゲリラ的にアークスが襲われることになったら非常に厄介です。それも、貴方ですら単独では撃退が難しいレベルの「おい」」
『リン』が、クーナの言葉を遮った。
そして頬を赤くしながら、今訊きたいことはこれだけだと言わんばかりに彼女を睨み付けて言う。
「いつから、ここに居た?」
「…………」
クーナは、目を逸らした。
そして、沈黙。
この沈黙は、最早答えのようなものだろう。
「えーと……その、髪、括りましょうか?」
数秒の沈黙の後、クーナはヘアゴムを取り出してそう言った。
「…………お願いします」
顔を真っ赤にして、布団に顔を埋めながら『リン』はそう答えるしか無かった。
「…………」
「…………」
(き、気まずい……!)
無言で『リン』の髪を括りながら、クーナは心の中でそう叫んだ。
叫ばざるを得なかった。
(何か話題を……でも真面目な話をする雰囲気ではないし……)
「そ、そういえば、さっき連れていかれた白髪の子って誰ですか? アークス……では無いように見えましたが」
「ん? ああ……ナベリウスで倒れていたところを助けてあげた子だよ。何だか懐かれちゃってね、以来仲良くさせてもらってる」
「ふぅん……?」
ぴくりと、クーナの眉が動いた。
「? どうした?」
「いえ……ああ、そうだ、その剥き掛けのリンゴ、わたしが続きやりましょうか?」
『リン』の髪型をいつも通りのものに戻した後、そう言いながらクーナは来客者用の椅子に腰掛ける。
マトイが途中まで剥いたものだ。
この身体では(というか実は全快時でも剥けるか怪しい)剥けないから、その申し出はありがたい。
「ああ、それは有難い」
「では……っと、あれ? この包丁壊れてますね」
折角新しいの買ってきたのに、とクーナは不思議そうに取っ手だけとなったフォトン刃式の包丁を見つめる。
「? ……ああ、もしかしてこのフルーツとか包丁とかって、クーナのお見舞い品?」
「はい、そうですよ……何ですかこれ、フォトンの注入口が焼け焦げてる……不良品を掴まされましたかね、これは」
仕方ない、と呟いて。
クーナはマイを構えた。
「えっ」
「なぁに、心配要りません……マイの扱いなら手慣れたものですから」
「いやいやいや、ダーカーやら原生生物やらを切りまくった刃でリンゴ切って欲しくねえよ。例え清潔だとしても精神的にやだよ」
「む。そうですか……」
クーナは大人しく、刃を引っ込めた。
ちょっと表情が不満げでは、あったが。
「意外と神経質なんですね……でもどうします? 刃物が無ければ皮も剥けないし切り分けることもできませんが……」
「あー、もういいよ、そのままかじるから」
言って、『リン』は口を開けて目を閉じた。
所謂、『あーん』の態勢である。
「あー」
「……何の真似ですか?」
「え? ああ、今動くと全身が地味に痛いから食べさせてくれないかなって……嫌だった?」
「い、いえ……」
恥ずかしそうに頬を染めながら、クーナはリンゴを『リン』の開けた口に押し付ける。
しゃくり、とリンゴを噛みきる音が病室に響いた。
「んぐ、んぐ……あ、そういえばさ」
「…………」
「? どうしたのさクーナ、顔が赤いよ?」
「え!? い、いや、その、何でもないですよ大丈夫です!」
「そう? まあいいや。それでさ、『あっち』はどうなった?」
『あっち』、とは言わずもがな。
【コートハイム】のことだろう。
「……全員、一命は取り止めたみたいですよ。シズクとリィンの二人は既に完治。アヤ・サイジョウはそもそも軽傷のみだったのでメイ・コートに付き添ってます」
「メイの両腕は?」
「くっつきはしたようです。ただ……」
ただ、腕がくっついたからといって。
彼女がアークス活動を続けるかどうかは、別問題だ。
*****
「お見舞いってフルーツバスケットでよかったのかな。花とかのほうが……」
「メイ先輩は花より団子でしょう」
「……それもそうね」
メディカルセンターの廊下を歩く、少女が二人。
リィンとシズクだ。
先輩の病室目指して、並んで歩いている。
「しかし、ホントなんでシズクまでメディカルセンターのお世話になってるのよ」
「うばば……えーっと、知恵熱? かな。あたし自身も良く分かってないんだけど……」
「ふぅん? ……あ、ここじゃない? メイさんの病室」
話しながら進んでいると、メイの病室前にたどり着いた。
802号室。
受付で聞いた通りの部屋番号だ。
「んじゃま、早速お邪魔しまー――」
『だ、駄目だよアーヤ、こんなところで……』
『うふふ、いいじゃない、こんなところだから、でしょ?』
「ん?」
部屋の中から、艶やかな声がした。
メイと、アヤのものだ。
思わずシズクは扉の取っ手を掴んだまま固まった。
『ほら、こんなに硬くなってる……』
『や、やめてよアーヤ……』
「な、な、な……びょ」
病院で、何やっとんじゃー!
と、いう心の叫びを我慢する。
ここは病院なのだ、騒がしくしてはいけない。
「どうしたの? シズク、入らないの?」
「う、うば……い、いや、その……」
前門の色欲、後門の無垢。
虎や狼よりも厄介なものに板ばさみにされて、流石のシズクも言葉が接げないようだ。
(ん? い、いや待てよ……!?)
刹那。
シズクに閃きが舞い降りた。
(本当に、この扉の向こうで先輩たちが如何わしいことをしているのだろうか?)
(誤解しているのは、あたしの方じゃないのか……?)
漫画やアニメでよくある手法だ。
いやらしいことをしていると見せかけて、実は耳かきしてただけでした的な
(つまり、先輩たちはいかがわしいことをしていない。ただ誤解されるような『何か』をしているだけの可能性が高い……!)
そもそも、ここは病院である。
公共施設である。
先輩たちは、そんなところでR-18行為をするような常識はずれでは無い筈だ……!
「……よし」
完璧な理論だ。
一部の隙も無い。
シズクは「失礼します」と一言言ってから。
扉を開けた。
そして閉めた。
「? シズク、何で今一瞬開けて閉めたの?」
「…………リィン、ちょっと喉が渇いたからあそこの自販機でジュース買ってからにしない?」
「え? え? ちょっと、シズク?」
死んだ魚のような目でリィンを廊下の端にある自販機へと追いやりながら、シズクは心の中で呟く。
何だ、全然元気じゃないか、と。
「良く来てくれたね、ありがとう」
数分後。
自販機で適当なジュースを買って時間を潰した後、無事病室に入室した二人を澄ました顔で歓迎するメイであった。
「いえいえ、先輩のお見舞いなんですから、当然ですよ」
先輩らの服が微妙に乱れていることには触れず、シズクは笑顔でフルーツバスケットを差し出す。
常識は知っているが守らないのスタンスが基本であるシズクだが、今回ばかりは常識に則るしかなかった。
親の性事情に踏み込みたい子供なんて、いるわけないのだ。
「貴方たちの怪我は大丈夫なの? シズクは倒れたって聞いてるけど……」
「大丈夫ですよアヤ先輩! この通りピンピンしてます!」
「同じくです。元々ムーンアトマイザーがあれば治る程度のものでしたからね……それより」
リィンが、ベッドに上半身だけ起こして横たわるメイを見る。
正確には、メイの包帯に巻かれた両腕を、見る。
「くっついてよかったですね。メイさん」
「本当にな。とはいっても、今は全く動かせないんだけどね」
自嘲気味に笑いながら、メイは両腕を動かそうと身体を捻る。
しかし、両腕はぴくりとも動かなかった。
「麻酔でも効いてるんですか?」
「いや、切断面が
「うばー……まあ治るだけでも御の字ですね……」
フルーツバスケットからリンゴ一つと包丁を手に取り、シズクはリンゴを剥きだした。
職人芸とも呼べるような速度で剥かれたリンゴは、あっという間に食べ頃サイズに切り分けられ、皿に盛られていく。
「はい、どうぞ」
「ありがと。はいメーコあーん」
「あーん。んぐ、んぐ……それよりもさ、戦技大会だよ戦技大会。二位って凄いじゃん二人とも」
両手が使えないので当然のように『あーん』をされながら、メイは二人を褒めるようにそう言った。
「流石に実力や運でどうにかなる問題じゃ無さそうだから……シズクがまた何かやったのかしら?」
「うばばー、アヤ先輩鋭い。ですが半分正解ですね」
「半分?」
アヤが首を傾げた。
シズクの直感が異常なレベルの冴えを見せることがあるということを知っているが故の予想だったが、間違っているなら兎も角半分とはどういうことか、と。
「もう半分は、リィンが予想以上に成長していたことですね」
「!」
「ほお」
「正直リィンはもうベリーハードでも通用すると思います。コフィーさんに申請しても通るんじゃないかと」
勿論シズクのこの意見は、身内びいきなどではない。
事実、リィンの実力は【コートハイム】内でも既にトップだ。
ファルス・ヒューナルによる全力の一撃を、致命傷を受けたとはいえ耐え切ったのがその証拠といえよう。
「ちょ、シズク……そんなに急に褒められると照れるんだけど……」
「うばば、いいじゃん事実なんだしー」
「もぐもぐ……成る程ねぇ、確かにシズクの直感とベリーハード級の実力者が組んでハード難易度に挑めば、そりゃ二位でもおかしくないな……ごくん」
リンゴを咀嚼しながら、メイは納得するように頷いた。
とても嬉しそうで、少し寂しそうな顔をして。
(……?)
「初めて会ったときはプレディカーダに苦戦してたのにねぇ、成長したわねリィン、シズク」
「ま、まあ成長してるって言われること自体は嬉しいですけどね」
「メイ先輩の腕が治るのは一年後でしたっけ。それまでにはスーパーハードも行けるようになっちゃうかもねー」
メイ先輩が不在の間、【コートハイム】はお任せください、と。
シズクは無い胸を張る。
……が、【コートハイム】の主たるメイは、ゆっくりと首を横に振った。
「……いや、その必要はないよ」
「うば?」
「……?」
シズクとリィンが、首を傾げる。
メイが何故首を横に振ったのかが、理解できないかのように。
「……その、だな」
「メーコ、辛いなら私が……」
「いや、ウチが言うよ……うん、言うさ」
すぅっと、一つ深呼吸をして。
メイは貼り付けたような薄い笑顔で、言葉を紡ぐ。
「――【コートハイム】は解散する」
「………………へ?」
「…………うば?」
シズクとリィンは、目を見開いた。
「なん、何、で……」
「色々理由はあるけれど、一番の理由は貴方たちの『一年間』を奪いたくないから」
『一年間』。
シズクとリィンを、【コートハイム】という主不在の弱小チームに縛り付けることになることは。
メイにとって、アークスにとって、看過できることじゃない。
「それに一年でリハビリを終えたとして、ただでさえ才能の無いウチが復帰したところで大した戦力にはならない」
「そんな……ことは……」
「お世辞はいいよ。ウチの才能の無さはウチが一番知っている」
自嘲気味に、メイは笑う。
いつだったか、メイだけが戦闘中意識的に雑談をするようにしているという話をしたことがあると思う。
その理由は、唯一つ。
メイが、【コートハイム】にて一番――才能が無いからだ。
「こんなウチのために、才能溢れる貴方たちの一年を棒に振るわけにはいかない」
「そん、な……自虐はやめてくださいよ。何キャラですか、メイ先輩……あたしたち、家族じゃないですか……そんなの気にしないでくださいよ……!」
「シズク。家族ごっこは――もうお仕舞いだ」
シズクが、来客用の椅子から立ち上がった。
目を見開いて、泣きそうな顔で、メイを睨む。
「家族……ごっこ……!?」
「…………」
「そん、な……心にも無いこと言わないでくださいよ!」
ぼろぼろと、シズクの目尻から。
涙が溢れてきた。
「貴方が一番【コートハイム】が好きで! 貴方が一番家族を欲しがっていたじゃないですか!」
「…………」
「一年くらい大したことないですよ! あたしたちはそれくらい待ちますよ!」
「…………」
「それに、もしかしたら腕が使えなくても……そう、
「シズク」
涙を流し、必死にメイを引き止めるシズクを止めたのは、リィンだった。
彼女の裾を引っ張って、彼女の名前を呼ぶ。
「リィ、ン……リィンも言ってやってよ! この馬鹿先輩に……!」
「シズク、察してあげなさいよ、得意技でしょう」
「…………!」
リィンに言われて、シズクは口を閉じてメイを見つめる。
でも、それでも。
シズクには、何も分からなかった。
「……っ。察するって……何を?」
「分からないの? 珍しいこともあるものね」
シズクには、分からない。
リィンの言っている意味が、分からない。
「……今この場で、一番辛いのは誰かってことよ」
「今、この場で……」
溢れる涙で掠れる視界を、袖で拭ってシズクは再びメイを見る。
よく見れば。
メイは震えていた。
気丈に微笑みながら、震えていた。
今一番、辛いのは誰か。
そんなの、見るまでも無く明らかだった。
「…………っ。ぅ……ぅううううううう」
シズクの目から、滝のように涙があふれ出る。
何か話そうにも、声が詰まって音にすらならない。
「……メイさん、アヤさん」
「……ん?」
「……何?」
リィンは、泣かない。
一滴の涙すら流さずに、言葉を紡ぐ。
「私たちは、本当の本当に、貴方たちを家族のように思えていました。【コートハイム】は、間違いなく、私たちの『帰る場所』でした」
「…………」
「今まで、ありがとうございました。このご恩は、一生忘れません」
リィンは、深々と、頭を下げた。
その身体もまた、少し、震えている。
「ぅぁ……! ふー、はー……あ、あたしも! あたしも、同じです……! おんなじ、気持ちです……ぐすっ……今まで、ありがとうございましたっ!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、シズクもまた頭を下げた。
そんな、二人の姿に、メイは微笑んだ。
精一杯、頑張って、笑った。
「ありがとう、本当にありがとう……そう言ってくれて、ウチの夢は叶ったよ」
だから、笑顔で。
彼女は笑顔で、感謝を示す。
「嗚呼――ウチは本当に、幸せ者だ」
*****
「それじゃあ、失礼します」
「またお見舞いに来ますからねー」
ばたん、と病室の扉が閉まった。
後輩二人は、今日のところはお帰りだ。
病室には、メイとアヤの二人だけ。
「はー……何というか本当に、良い子たちだったなぁ」
「本当。私たちには勿体無いくらいだったわね」
「実際、勿体無かったでしょ。あの子たちは、もっと強くなる。こんなところで燻ってていい才能じゃあなかったさ」
だからいずれ、こうなってただろうよ、とメイはベッドに倒れこみながら呟いた。
「あー……最後に、あんなことも言ってくれちゃってさ。本当に家族だと思ってくれていたとか、嬉しいこと言ってくれて……」
「……メーコ」
「やめてほしいよね、ホント。だって、ウチはさぁ、今さぁ……」
ぽろり、と一粒。
メイの瞳から、涙が零れた。
「涙だって、自分で拭けないんだから……!」
ぼろぼろと、零れていく。
大粒の涙が、際限無く零れていく。
「…………」
「楽し、かったな。……本当に、あの子たちと一緒に居るのは楽しかった。でも、でもさぁ……!」
せき止めていたダムが決壊したように、メイの涙は止まらない。
でも、止める必要だって、無い。
「『わたし』は、もっと遊びたかった! もっと冒険したかった! まだ、全然足りない! もっともっともっと、色んなところにあの子達と一緒に行きたかった!」
「……じゃあ、そう言えばよかったじゃない。あの子達なら、きっと一年くらい待っててくれたわよ」
「駄目だよ! それは駄目……! あの子たちは、本当に凄い子たちだから……いつかきっと、絶対凄いアークスになるから……!」
鼻水を垂らして、涙で枕を濡らして、見ていられないくらい顔をぐしゃぐしゃにしても。
メイは、そこだけは譲らなかった。
彼女らの成長を妨げることだけは、絶対に許さない。
例えそれが自分の手から離れることになろうとも――だって、それが。
父親という、ものだろう。
「だけどごめん……今は、泣かせて……本当は、笑っていたいのに……涙が、止まらなくて……!」
「うん、うん……好きなだけ、泣きなさい。またあの子達と会う時、笑顔でいればそれでいいわ」
今は、私しか見てないから。と。
アヤもまた、涙で頬を濡らしながら、動かないメイの手をそっと握った。
「……う、ぅぅううううううううう、あぁああああああああああああ!」
「…………」
「…………」
その、慟哭を。
その、嗚咽を。
扉一枚隔てた向こう側で静かに聴いていた後輩二人は、やがてどちらとも無く歩き出した。
「…………」
「……ぐすっ……すん……」
メディカルセンターの廊下を、リィンは泣かずに、シズクは泣きながら、二人は歩く。
無言のまま、歩く。
「……っ……ぅぅ……」
「……ねえ」
メディカルセンターを出て、まだ人が少ない時間帯のゲートエリアを、歩く。
そこで、ようやく無言を破るように、リィンが声を出した。
「……格好いい、先輩だったね」
「……うんっ」
「私たちも、あんな風になれるかなぁ……」
「…………わかんない」
それだけ話して、二人はまた無言に戻った。
何も話さないまま、ゲートエリアを抜け、ショップエリアへ。
そしてショップエリアにある、ベンチに来たところで、リィンが足を止めた。
一歩後ろを歩いていたシズクの方に、振り返る。
「……ほら、シズク、いつまで泣いてるの?」
「ぐずっ……だってさ……」
「だってじゃないでしょ、ほら、涙を拭いて……」
「逆にさ……」
服の袖で涙を拭って、シズクはリィンと目を合わせる。
海色の瞳で、彼女を見つめる。
「何で、リィンは泣いてないの?」
「……っ」
「悲しくないの? 寂しくないの? 辛く、ないの? リィンにとってチームの解散は、涙を流すほどの価値すらないの?」
責めるような、シズクの口調。
だがリィンは、誤魔化すように口元を歪めた。
「そんなわけ、ないじゃない。私だって悲しいし、寂しいし、辛いわよ」
「じゃあ何で泣かないのよ! 辛いなら、泣きたいなら泣けばいいじゃない!」
「…………貴方が泣いているからよ、シズク」
まだ、溢れて止まらない。
シズクの涙を指で拭いながら、リィンは答える。
「メイさんは、私たちに歩みを止めて欲しくないから【コートハイム】を解散した……だったら、貴方が泣いて、そして私も泣いていたら、前に進めないじゃない」
「…………」
「だから、貴方が泣いてくれればそれでいいの。私は、泣かない」
「嘘吐き」
リィンの言葉を、シズクは全て否定した。
嘘吐き、と一言で切り捨てた。
「嘘吐き! そんなんじゃないくせに! そんな理由じゃないくせに! 何で!? 何でなんだよ! メイ先輩も、アヤ先輩も! リィンも! 訳分かんない! 何でそんなに泣きたくないの!? 泣くところを見せたくないの!?」
「…………」
「泣きたいなら泣けばいいのに! 我慢してんじゃねーよ! アークスだから? 兵士だから? 戦争中だから? それ以前に、あたしたちは女の子なんだよ!」
「……シズク」
シズクの叫びは、正しい。
リィンだって、泣きたければ泣けばいいと思う。
女の子なんだから、泣いたっていいと思う。
それでも。
それでも、リィンは、泣かない。
涙を、流さない。
「…………」
「リィンは……出会った日から、『そう』だった」
「……そう、ね」
「ずっとずっと、泣きそうなくせに、全然泣こうとしない」
「……ええ、だって」
リィンは、泣きそうな、辛そうな、嬉しそうな、苦しそうな。
そんな、複雑な表情で、口を開く。
「私は、『アークライト』だもの」
その表情から、シズクはリィンの胸中を察せ無い。
決して、察することはできない。
シズクの能力の制限――その2。
シズクは、『複雑な感情』を察することはできない。
尤も、この制限はシズク自身も知らないものだが。
「…………っ」
「ねえシズク。この場所、憶えてる?」
言って、リィンはベンチを指差す。
憶えている、だって、ここは……。
「そう、私たちが、パートナーカードを交換したところ」
「…………うん、忘れるわけ、ないじゃない」
「だから、言うならここでと思ったの。ナベリウスで助けてもらった場所は、行ってもいいけどちょっと時間かかるし」
リィンは、変わらず泣きそうで、辛そうで、嬉しそうで、苦しそうな表情で。
シズクに手を差し出した。
「シズク」
「……なあに、リィン」
「私と貴方で、新しいチームを作りましょう?」
はい。ということでEP1完結。
次回からはEP2に入ります。
ヒューナルさんはVHADで責任を持って私がフルボッコにしてきます。
次回、EP2第0章『エンド・クラスター』。
乞うご期待。