時間は少し巻き戻る。
アークスシップに『敵性存在』が潜入することは、非常に難易度が高い。
そもそも宇宙空間を航空しているオラクルに近づくには当然宇宙空間を自由に行き来する能力、あるいは転移する能力が必要になるし、
ダーカーやそれに類する存在なら事前に出現を察知し、迅速な対応に移ることが可能だ。
そしてもし仮にダーカーではないその他のエネミーがアークスシップに潜入しようものなら、シャオがそれを察知するので潜伏することは不可能だろう。
だから。
それは、有り得ない光景だった。
有り得てはいけない光景だった。
アークスシップ・市街地。
人通りの多い商店街区域の一角で、白い髪に白い服、赤い瞳を持つダークファルスは、
【
「うっばー、いい感じの子がいないなぁ」
完全に、溶け込んでいる。
完全に、発覚していない。
シャオも、シズクも、アークスの誰も、気付いていない。
どころか。
「ん? おお、リリィ殿久しぶりですな」
「うば? ああ、ロータちゃんじゃない、久しぶりー」
「ふふふ、丁度良かった、先ほどかなり良モノの先輩×後輩モノの百合本を手に入れてですな……布教用に二冊買ったので一冊どうぞ」
お世辞にも容姿が綺麗とはいえない女性が、知己の間柄のように気安く【百合】に話しかけた。
渡された本をぺらぺらと捲り、嬉しそうに【百合】はお礼を言う。
どうやらお気に召したらしい。
「いつも悪いねえ。でも流石、ロータちゃんの薦めてくれる本は素晴らしいものばっかだ」
「うへへ、あたしも趣味の合う友達ができて嬉しいですよ」
笑いあう。
それと同時に、うーん、と【百合】は考える。
この子ダークファルス【
(うーん、微妙)
(友達をダークファルスにするのは流石に罪悪感がなぁ)
そんなことを考えながら、【百合】は街を練り歩く。
うっかり男に触って殺してしまわないように気をつけつつ、
(うばー、当然だけど可愛い女の子がいいな)
(それも男に興味が無い系の娘がいい、……うん、この二つは絶対条件ね)
そうなると中々見つからない。
特に二番目の条件は見ただけでは分からないのだ。
「難しい……」
ショップエリアのベンチに腰掛けて、買い物に興じるアークスたちを眺めながら【百合】はため息を吐いた。
(こうなれば、いっそシズクかリィンを……いや、あの二人の仲を引き裂くなんてできない……はっ! 二人まとめてダークファルスにしてしまえばいいのでは!?)
一匹分の因子を二人で分けたら中途半端なダークファルスになってしまうけど、それはそれ。
アプちゃんだってそんな感じの存在みたいだし、半分の因子でもきっちり
(問題があるとすれば……あの二人揃うと結構強いのよねぇ)
負ける気はしないが、圧勝は難しい。
特にリィンの硬さを考えると、短時間でぱぱっとやって終わり! とはいかないだろう。
そうなれば、援軍を呼ばれるのは必至。
成る程、ということは条件にもう一つ追加だ。
ほどよく弱いこと。
ぱぱっと闇落ちさせられる相手が望ましい。
「可愛い女の子で、百合百合で、ほどよく弱い子……そんな子が都合よくいるわけ……」
「やったー! ユニットを全部+10まで強化できたぞー!」
ふと、可愛らしい女の子の叫び声が聞こえてきて、思わず【百合】はそちらを振り向く。
ショップエリア中央のオブジェの前に、二人の女の子が立っていた。
片方は、金髪のショートヘアーと女性らしい厚い唇と長い睫毛が特徴的な娘。
片方は、デューマンで、眼鏡と三つ編みがとても委員長っぽい娘。
ハルとイズミである。
「ヨカッタワネ」
「あれ? ところでイズミさんのユニットって今強化値どれくらいでしたっけ? 確かさっきボクと一緒にドゥドゥに強化してもらってたみたいだけど……あれ!? 何でリアの強化値+4しかないの!? あれー? おかしいなー? グラインダー200個集めたとかどや顔してたのになー?」
「ぶっ殺す」
「殺意に迷いが無い!?」
流暢な動作で、ハルの首を絞めにかかるイズミ。
間一髪で防いだが、防がなかったら普通にそのまま殺されてた可能性があるだろう。
「前そっちも同じように煽ってきたじゃん! やり返しただーけでーすー!」
「私が煽ったとき、貴方も私を殺しにきたでしょーが。やり返しただけよ」
「それはそれ! これはこれ!」
「自分勝手の極みか? ん?」
そんな二人のやり取りを見て、ふむ、と【百合】は考える。
確か、ハルコタンで偽【百合】と戦った、シズクたちの知り合いだ。
顔、可愛い。
ほどよく弱い。
(少なくとも【百合】の脳内では)百合カップル。
このめぐり合い、まさに運命では?
【百合】は、にやにやと笑って、二人の尾行を始めた。
そして、現在に至る――。
*****
「ダークファルス……【百合】」
困惑の表情で、イズミが呟く。
どうして、ありえない、と目の前の事実が信じられず、呆然と立ち尽くす。
一方、ハルは動揺しつつも武器を構えた。
抵抗など無意味だというのに。
「これ、何か分かる?」
【百合】は右手を掲げて、【
赤黒い球体が禍々しいオーラを放っている。
「……?」
「ダークファルスの因子よ、これを取り込めば、あなた達でもダークファルスに成れる。強大な力を手に入れられる」
どう? と新作のお菓子を進めるような気軽さで、DF因子を差し出す【百合】。
「い、いらないわよ」
「知ってんだぞ、ダークファルスに取り込まれたら精神すらダークファルスに支配されるんだろ?」
「え、そうなの?」
知らなかったわー、と唇を尖らす【百合】。
思いつきのような気軽さで、とんでもないことをしでかす女である。
「うばば。まあ、いいや」
折角の優良物件だしっと手の中で因子を『こねこね』して、二つに
二人に因子を半分ずつ。ちなみにあえて言うまでも無いことだが、DF因子を分割するなんて普通に不可能とされていたことである。
『緊急警報発令! 船内に、ダークファルスの反応を検知! アークス各員は急ぎ現場に急行してください!』
突如、艦内に警報が鳴り響いた。
いや――突如というには、あまりにも遅すぎる警報だが。
「! やっと来た!」
警報と同時に、アークスにかけられた『船内リミッター』が解除された。
アークスはシップ内で戦闘行為が出来ないように、リミッターがかけられているのだ。
リミッター解除を待っていましたといわんばかりに素早く、ハルは駆け出した。
拳、一閃。
顔面を狙った一撃はものの見事に【百合】の鼻っ面をぶち抜いた。
手ごたえ、あり。
クリティカルヒットだ。
まあ【百合】にはノーダメージなのだが。
「無駄だって、ほんとアークスって脳筋多いわよね」
「――っぅ……!」
下唇を噛んで、悔しがるハル。
渾身の一撃も会心の一撃も、このダークファルスには意味が無い。
ていうか、こんな化け物どうやって倒せっていうんだ?
弱点とか隙とか、何か無いのか?
六芒均衡で囲んでも倒しきれなかったこのダークファルスが居る限り、アークスが勝利することは不可能なんじゃないか?
そんな数瞬の思考の後、気付く。
【百合】の手が、DF因子が、眼前まで迫っていた。
当たり前だ、殴るために近づいたのだから、殴り返されるリスクは当然ある。
終わった、と眼を閉じた。
ダークファルス化から生還した例は一度も無い。
「まずは一人」
「ギ・メギド」
突如。
黒い帯状のフォトンが【百合】の右腕を切り落とした。
「は――?」
「は、あ、ぁあああああああああ!」
続いて――ぴしりと音を立てて部屋の扉が罅割れる。
隙間から紫色のフォトンが閃光のように飛び出し、闇色の球体は【百合】に向かって真っ直ぐ飛来し、爆散。
完全に油断していた【百合】を、吹き飛ばした。
「間に合った――かな?」
噴煙を上げる、壊れた扉の向こうから、どこかで聞いたことのある優しげな声が聞こえた。
白い髪に、赤い瞳。
ダークファルス【百合】によく似た、それこそ姉妹と言われたら信じてしまいそうなほど、そっくりな顔つきの女の子。
マトイが、創世器『白錫クラリッサ』を手にそこに立っていた。
「痛った~……。何々? 誰?」
「ダークファルス、【百合】……本当に、わたしそっくりなんだ……」
武器を構え、次の攻撃の準備を進めつつ、マトイは呟く。
何気に、初邂逅である。
マトイと【百合】。そっくりな顔を持つ二人。
「は?」
既に回復している右腕で埃を払いながら、【百合】は立ち上がり、マトイの顔を見るなり――目を見開いた。
自分そっくりの顔をした人が居たのだから、そりゃびっくりするだろう。
しかし、それにしたって大袈裟なくらい、【百合】は目を見開き、口を大きく開け、
「は、え、あ、ああああああああああ!?」
絶叫した。
額に脂汗を浮かべ、目尻に涙を浮かべながら、泣き叫ぶ。
「っ――? な、なに?」
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!?!? あ、あ、頭っ、頭イタイいたいイタイ痛い」
膝から崩れ落ち、頭を抱えてその場に蹲る【百合】。
突然の凶変に、攻撃のチャンスだというのにマトイは杖を下げその様子を窺ってしまった。
「だ、大丈夫? いきなり、どうしたの――」
「ひっ!」
マトイが一歩近づくと、今までの余裕っぷりは何だったのかと言いたくなるほどに怯えた様子で【百合】は後ずさった。
「こ、来ないで来ないで、ごめ、ご、ごめんなさいごめんなさい……!」
「い、一回落ち着いて、ね? そんなに怯えられるとこっちもやり辛い……」
「違うの、違うの、これは、ちが、ごめんなさい、違う、違うの……」
喪失していた記憶を、取り戻しているのだろうか。
マトイの言葉も、届いていない。
その瞳に光は無く、眉は情けなく八の字をかいていて、泣きじゃくる子供のように。
『親』に叱られている『子供』のように、【百合】は泣き叫ぶ。
「ご――ごめんなさい!
直後、【百合】は背を向けて飛び立った。
ダーカー式のワープではなく、大ジャンプで天井を突き破り、宇宙の彼方へ。
「…………」
「…………」
「…………」
一瞬、何を言われたのか理解できず、
突き破られた天井から眼を離し、マトイは眼を閉じて、開いて、言葉を消化するように額に手を当てて、イズミとハルの「お母さん?」という視線に気付いて、
顔を真っ赤にしながら、叫んだ。
「産んだ憶え無いからね!?」
一児の母にされたマトイはPSO2二次創作界初だったりしないかな。