「気持ち悪い……」
時間を遡るという非常に貴重な体験を経てリィンが最初に漏らした言葉がそれだった。
惑星ナベリウス・凍土エリア。
白銀の世界の上に立って、今にも吐きそうな構えでリィンは雪に埋もれていた。
「え? 私全然平気だけど……」
「私、テレパイプを通るのもわりと苦手なんですけど関係ありますかね……?」
「あー、まあ感覚は近いかも……帰るときも同じ感じになるけど大丈夫?」
「ひぇぇ……」
っと、そんなことを喋っている場合ではない。
『リン』は辺りを見渡し、ライトフロウ・アークライトを探し始めた。
しかし周囲には見当たらない。
雪の状況を見るに雪崩は起きた後だろうし、場所だってちゃんと調べてから狙って跳んだわけだが……。
「二人で時間遡行した所為で、ちょっと軸がずれたか? 時間がずれてなかっただけ行幸かな……」
「うぅ……というか私着いてきた意味あるんですか? お姉ちゃんを助けるだけなら『リン』さんだけでも充分なんじゃ……」
「あるさ。助けるっていうのはピンチの時に颯爽登場して敵を倒すことだけを指すんじゃないんだよ」
シャオの言葉を若干アレンジして、『リン』は言う。
「お前のお姉ちゃんとは何度か話したことがあるけどさ。何と言うか、どうやら私のこと敵視しているみたいなんだよね」
「えっ」
「いや、敵視っていうのは言い方が悪いか……どちらかというと、ライバル視だね」
ああ成る程、とリィンは頷く。
姉は『リン』がアークスになるまではゼノやゲッテムハルト等と並んで六芒均衡に次ぐ実力を持っていると評されていて、次期六芒均衡として抜擢されるのは当然とされてきたアークスのエースとでも呼ぶべき存在だったのだ。
だが『リン』が現れて、状況は変わってしまった。
エースの座は、瞬く間にライトフロウ・アークライトから『リン』へと明け渡されたのだ。
そのことから姉が『リン』をライバル視しているのは仕方の無いことといえるだろう。
「何か『キャラが被ってる』とか言われてな、言うほど被ってないと思うんだけど……」
「そこなんですか!?」
「あと『最初リンって聞いたときリィンと空耳してぬか喜びしちゃったじゃない! よく考えたらリィンの卒業は来期だったわ!』とも言われたな、当時妹の存在を知らなかった私の混乱具合といったら……」
「なんかもうホント……すいませんうちの姉が……」
「……っと、シャオから連絡が来た。姉の場所が分かったぞ、こっちだ」
「あ、……はい!」
走り出す『リン』を追って、リィンも走り出す。
雪崩が起きた直後の雪上というのは相応に走りづらいものだが、流石と言うべきか二人とも特に苦も無く雪原を走っていく。
「ま、だからさ」
「?」
「知ってるんだよ、私も。あの姉が、どれだけ妹のことを想っていたのか。……変態性癖的な好きが混ざっていたことは私もつい最近知ったんだけども」
「…………だから、私が姉を助けるべきだと?」
「んーん」
行く手を阻むように、キングイエーデが雪中から飛び出してきた。
『リン』はそれを炎纏った杖の一薙ぎで蹴散らしながら、首を横に振る。
「助けるのは私がやってやる」
「……!」
「リィンが何をするかは、リィン自身が決めろ」
何をするか。
何をしたいか。
(そんなことを言われたって、こちとらまだ時間遡行ってマジなの? と疑っているような段階なんだけど……)
「――居た」
しかしどうやら、その疑念は不要だったようである。
白い雪世界に青色の髪を持った存在が二人。
ライトフロウ・アークライトがクローン・リィンの首元にカタナを突きつけている姿が見えた。
「斬れるわけが、無いじゃない――!」
「ずっと! ずっとずっとずっと妹のために生きてきた! 妹だけを愛して生きてきた!」
「そんな私が――私がアナタを! アナタの姿をしたものを! 斬れるわけないじゃない!」
「っ――」
姉の叫びを。
涙の叫びを聞いて、リィンは足を止めた。
姉が、泣いている。
父も、泣いていた。
その
「……何なのよ、何なのよ、一体」
「……リィン?」
色々な感情が、ぐるぐる回る。
泣きたいし、嬉しいし、悲しいし、辛いし、喜ばしいし、ほっとしたし、怒りが沸いてくる。
この感情は、一体何だ。
この感情の名前は、一体全体何なんだ!
分からない。
分からないけど、これだけは言える――っ。
「『リン』さん」
「……?」
「姉を、助けないでください。此処に立って、余計なことはせずに見ててください」
「…………」
「姉は私が助けます」
駆ける。
雪原を全速力で駆け、今まさに大剣を姉の腹に突き刺そうとしている自分のクローンを――思いっきり蹴り飛ばした!
不意を打たれたクローンの身体は、吹き飛んで雪積もる岩盤に衝突。
その衝撃で雪は崩れ岩は砕け、彼女の身体は埋もれてしまった。
「はぁあああああああ! フォイエェ!」
「――え?」
さらに、クローン目掛けて、雄叫びと共に火炎テクニックを放つ。
フォトンは感情に呼応し、その姿を変える。
自分でもわけ分かんないくらい感情が昂ぶっている今のリィンが放ったフォイエは、普段の数倍の威力を生み出し大きな爆発が起きた。
「はぁー……はぁーっ!」
着弾を確認した瞬間、リィンはもうそちらに興味は無いとばかりに視線を姉へと移す。
きょとんとしている姉を鋭い目つきで睨み、叫んだ。
「お姉ちゃん!」
「り、リィン……? 本物……なの?」
「本当、マジでこの……ふざけんな!」
「あいたっ!」
ぺしりと姉の頭をチョップ。
怒りの形相を崩さないリィンとは対照的に、ライトフロウは涙目でも少し笑っていた。
嬉しそうに、笑っていた。
「何笑ってるの! 私は怒ってるんだよ!」
「な、何でリィンが怒ってるのよ……ていうか何でリィンがこんなところに……」
「私は……私は誰よりもライトフロウ・アークライトという姉を尊敬してるのに! 生まれたときからずっとずっと尊敬してた姉を、越えることが目標だったのに!」
姉の胸倉を掴む。
尊敬していて、大嫌いで、大好きで、憧れているけど嫌悪する姉を。
泣きそうになりながら――それでも、泣かずに。
ずっと抱えていた本音を吐露する。
「目標、だったのに……
ああそうだ。
きっとリィンは姉が例えばダークファルスに殺されたとしてもここまで取り乱さないだろう。
心が乱れたりしないだろう。
仇討ちくらい考えるかもしれないが、葬式の場で何も喋れなくなるような無様を晒すことも無かった。
だってリィンのコミュ障は、シズクによって大分改善されてきているのだから。
ネガティブすぎる発言も、思考も、多分これが原因。
雲の上の存在だった、姉を。
シズクと二人、連携特化で越えようとしていた姉を。
自分のクローンがあっさりと倒してしまったことに、リィンは憤っていたのだ。
それこそ、心が壊れかけるほどに。
「あ――ああ、えっと」
「お姉ちゃんは……本当は『リン』さんより弱いかもしれないし、六芒均衡の方がもっと強いかもしれない……けど、小さい頃から私の中で『最強』はお姉ちゃんなんだから」
だから簡単に負けないでよ、と。
リィンは俯きながら小さく呟いた。
……幼い頃に抱いたイメージは、そう簡単に消えるものではない。
リィンが姉のことをどれだけ嫌いになろうとも、広い世界を知ったとしても、
――『最強』のイメージは、姉だったのだ。
「…………うん」
ライトフロウ・アークライトは頷く。
しっかりと確かに、妹の言葉を真正面から受け止めて。
「分かった。ごめんね、そしてありがとう……」
「…………」
「約束する。私はリィンに負けるまで、誰にだって負けてやんない」
「だからいつか私を倒せるように強くなりなさい、愛すべき妹よ」
姉のその言葉に、リィンは満足げに笑った。
笑顔を浮かべながら、その場から消え去る。
まるで最初からそこに居なかったかのように、瞬きの間に居なくなった。
歴史改変、完了。
リィンと『リン』は、
「……白昼夢、だったのかしら。……いえ」
現実だ。
岩盤に埋もれているクローンも、雪原に残った足跡も、ライトフロウの胸倉が乱れているのも。
全部、リィンが確かにここに居た証だ。
「久々に、妹と話してみたわけだけど」
落としたカタナを拾って、それを鞘に仕舞いつつ歩き出す。
それと同時に岩盤の中からリィンのクローンが這い出してきた。
流石にリィンを基盤にしているだけあって頑丈だ。
でも……。
「比べてみると、一目瞭然ね」
「……お、ねぇ、ちゃ」
「アナタ、酷く出来が悪いわ」
私の妹はもっと可愛い。
そう言って、ライトフロウ・アークライトは妹のクローンを一刃の下に斬り伏せた。
*****
「やあリィン、お目覚めか?」
自室のベッドで、リィンは目を覚ました。
一瞬、全部夢だったのかと錯覚したがリビングのソファでルインが淹れたであろう紅茶を嗜んでいる『リン』の姿を見て、思い出す。
現在に帰ってくるときの時間遡行の感覚があまりにも気持ち悪くて、リィンは気絶してしまったのだ。
そして『リン』は親切なことにマイルームまで運んでくれたのだろう。
いやはやなんとも、姉の事も含めていくらお礼を言っても言い足りないくらいだ。
というか姉のことだけでもそうなんだけど。
「お姉ちゃんは……どうなりました?」
「生きてるよ。無事あの後任務を遂行して帰還したようだ」
「ほっ……」
安堵するように一息吐いて、リィンは『リン』の対面に座るようにソファへ腰掛けた。
「……会いに行かないのか?」
「言いたいことは全部言いましたし……それに私、お姉ちゃん嫌いなんですよ」
「嫌いとな」
「ええ――死ぬほど嫌いで、殺したいほど尊敬してます」
お姉ちゃんを倒すのは私の役目です、と。
リィンは誇らしげに言った。
「……そっか。そりゃ自分のクローンなんかに取られてたまるかって感じだよな」
「……はいっ」
納得したように頷いて、『リン』は紅茶を一口啜る。
それを見てリィンはルインに「私にも紅茶一杯頂戴」と言ったら厨房から「葉が無いのでお湯でいいですか?」と返ってきた。
いや、まあ別にいいけれど。
相変わらず主の扱いが雑なやつだ。
「はいマスター、水道水を温めたやつです」
「……せめて天然水を使わない?」
「心配しないでください。『リン』様に淹れた紅茶は葉から水まで拘りに拘った一流の品です」
「それはほっとしたけどマスターにもそれの五分の一でいいから気遣いが欲しいわ……」
文句を言いながらも、温かい水道水を飲む。
別に美味しくは無いがとりあえずは喉が潤えばそれでいい。
「……随分変わったサポパだな」
「ええ本当に……まあ、もう慣れました」
「『リン』様、紅茶のおかわりは如何ですか?」
「紅茶の葉あるじゃない!」
「これは来客用です」
「はは……じゃあ二杯頂こうかな」
「承知いたしました」
『リン』の指示通り二杯紅茶を注いできたルインからそれを受け取り、『リン』は片方を自分の元へ、片方をリィンに渡した。
何故だ。何故私のマイルームなのに来客者気分になってしまうんだ、的なことを考えながらもリィンは紅茶を口に含む。
美味しい。
流石は一流の葉、勿論ルインの腕も関係あるのだろうが。
「それで、本題なんだけど」
「はい?」
てっきりもう話は終わり、あとは優雅なティータイムと洒落込むのかと思っていたが違うようだった。
『リン』は紅茶のカップを一旦テーブルに置くと、真剣な目つきで語り始める。
「歴史改変に成功したことによって未来は変わったわけだけど……、例えばそう、ライトフロウ・アークライトが死ななかったことによって昨日行った葬式はどうなったと思う?」
「あ……! えっと……無くなった?」
「そう、生きているのに葬式なんてする筈無いからね。だから歴史が改変されたこの世界では、誰もがライトフロウ・アークライトの葬式なんて歴史改変を行った当事者か特別な存在でもなければ憶えていないんだ」
「特別な、存在……まさか」
「そう、シズクはしっかりと憶えている。そしてそれをどうにかするのが今回の歴史改変における最大の難所といえるだろう」
シズク。
シオンの娘にして、シャオの姪。
「どうにかするって……頭をぶん殴って記憶を飛ばすとかですか?」
「発想が物騒だな」
「というかそもそも、シオンってヒト、あれは何なんですか? どうにも人間では無さそうでしたが……」
「さあ……私もよく分かってないけど凄いヒトだよ」
「よく分かってないんですか!?」
「ま、悪いヒトではないかな。信頼には値すると思うよ」
「『リン』さんがそういうなら……」
信頼に値する人物なのだろう。
人物なのかは――分からないが。
「私としては……あのヒトがシズクの母親だというのなら、シズクを会わせてあげたいです」
「それは駄目だ。少なくとも今はね」
「じゃあ
「ルーサーを倒したら」
ルーサー。
流石にその名前は聞いたことがある。
サラやマリア、ゼノたちの敵で、最後に残ったフォトナーで、アークスの元締め。
そいつさえ打倒すれば、シズクとシオンを遠ざける必要も無くなる、のか。
「私も手伝います」
「力不足で邪魔だから駄目」
「ぐっ……」
はっきりと言われた。
取り付く島も無いとはこのことか。
しかしこればかりは仕方が無い。
シズクが参戦できないということは、リィンの戦闘力は半減以下だ。
二人で一つの連携特化の弱点ともいえよう。
「私に任せておけ――私が、ルーサーを倒しシオンを助け出してハッピーエンドだ。……だから、それまで待ってろ」
「…………はい」
「ああ言っておくが、シズクにシオンの存在を匂わすのも駄目だぞ? あいつは察しが良いからな、何がどうなって気付いてしまうか見当もつかない」
「それはまあ……そうですね。……あ、それで最初の話に戻るわけですか」
「うん、今回の時間遡行の件を、どうにかシズクから誤魔化し通す方法を考えよう」
あいつはライトフロウ・アークライトを助けるために私がリィンを連れて時間遡行をしたという情報からシャオとかシオンの存在を察してしまう可能性があるからな、と『リン』は言いながら端末を開きウィンドウを表示していく。
流石にそれは過大評価なんじゃないかと思いつつも、シズクの察しの良さに関してはリィンですら未知数のところがあるので口出しせずに、リィンは紅茶を一口啜りいずまいを正した。
「一応、シャオから幾つかアイデアを貰ってるんだ」
「ふむ、期待できそうね」
「第一の案。『頭を殴って記憶を飛ばそう』」
「私と発想が同じじゃない」
「注釈として『ただし成功率は低いし失敗したときのリスクが高いのでオススメしない』と書いてある」
そりゃそうだ。
大体シズクを殴るという行為にかなりの抵抗があるのだ、却下却下。
「じゃあ第二の案。『葬式? え? 何それ夢でも見てたのかい?』と誤魔化す」
「…………」
それで誤魔化せたら苦労は無いと思うのだけど。
しかもシズクはアホっぽい外面こそしているが内面は『全知』なんてものが無くてもかなり頭の良い分類に入ってくるやつなのだが。
「まともな案は無いんですか?」
「待て待て案はあと一個ある。ええっと……」
「うばー! リィンー! 大変だーっ!」
と、その瞬間だった。
よりによってこんな時、こんなタイミングで――奴は現れた。
赤い髪、まだ幼さを感じさせる顔、そして海色の瞳。
シズクが、血相を変えてリィンのマイルームに飛び込んできたのであった。
「リィンのお姉さんの葬式が無かったことになってるっていうか死んでないみたいー!」
「…………」
「…………」
「あれ? なんで『リン』さんがいるの?」
「あ、ああ、えっと……ほら、その色々あってな?」
「ふぅん?」
冷や汗をだらだら掻く『リン』とリィンを見て、シズクはそんな風に不思議そうに首を傾げる。
(どの程度だ)
(どの程度、今この状況を把握している――?)
シズクの表情はきょとんととぼけているような顔だったが、そんなの参考になりはしない。
今まさにこの瞬間にも、あの小さな脳髄に比例しない莫大な演算能力で解を導き出し、「ああ成る程」と口元を歪めてもおかしくない。
それが『全知』ということだ。
それがシオンの娘であるということだ。
「ねえリィン、リィンのお姉さんって死んだんじゃなかったっけ?」
「え、えっと……な、何言ってるのおほほ……」
いけない。動揺して変なキャラが出てしまっている。
しかしどうすればいいのか見当もつかない――何か無いか、何か、何か、何か……。
そうだ。
「……『葬式? え? 何それ夢でも見てたのかい?』」
「…………」
あろうことか。
第二の案を採用したリィンであった。
「うばー、そっか夢かー……」
ところが、案外シズクの反応は薄い。
それどころかそれで納得したかのような振る舞いだ。
おお、シャオ凄いじゃん、と。
リィンと『リン』が心の中であの生意気な少年を絶賛した瞬間。
「そっかぁ……」
シズクは、ほんの一瞬だけにやりと笑みを浮かべた。
しかし一瞬の油断というやつだろう。
成功してしまったと一瞬勘違いした二人は、あろうことかその笑みを見逃した。
見逃してしまった。
その、『何か』に気付いたかのような笑みを。
リィン「ちなみに第三の案って何だったんですか?」
『リン』「……『勢いでごり押す』、だって」
リィン&『リン』(碌な案が無い……!)