メディカルセンターの一室。
メイ・コートが入院している病室に、シズクは来ていた。
リィンを連れずに一人で、である。
正確には、安静のため今日は二度寝するよとリィンに嘘を吐いて、こっそりと訪問した。
先輩たちに相談があるのだ。
何の相談か? 決まっている。
恋愛相談。
「いや今更過ぎないか、我が後輩よ」
メイは、話を聞き終わるなりそう言った。
メイ・コート。
忘れているヒトは居ないと信じたいが、元【コートハイム】のチームリーダーであり、オレンジ色の超長髪をポニーテールに纏めているのが特徴的な女性だ。
「ていうか随分前だけど、デパートでそういう話題が出てシズクはリィンが好きって言ってたじゃない」
いつも通りお見舞いに来ていたアヤも、メイに同意するように頷いた。
アヤ・サイジョウ。
元【コートハイム】の副リーダーであり、艶のある黒髪と大和撫子のような振る舞いが特徴的な女性だ。
「あ、あれはですね……なんというか、ほら、恋ってやつをしてみたかったんですよ」
「恋に恋する少女って感じ?」
「うばば、そんな少女漫画みたいな綺麗な理由じゃないですよ」
恋に恋すらしていなかった。
ただ単に、恋愛というのはある意味『感情』の最たるものだと考えたからだ。
恋というのは理屈じゃない。
愛というのは論理的じゃない。
そんな謳い文句を、テレビや雑誌で幾度と無く見てきただけ。
……ちなみに、メイとアヤにはダーカーの巣窟であったことを、全て伝えた。
シズクが人間じゃなくて、感情のないヒトデナシだったことも、全部。
まあ、それに対する先輩らの反応は……詳細は省くけど思春期を迎えた娘が「ほら、私って感情無いからサ……」とか言い始めたときの親の反応だった――とだけ言っておこう。
いや、確かにシズクは十四歳。丁度そういう年齢だけど。
わりと屈辱的だった。
……閑話休題。
「ふぅん……まあそういうことにしとくとして、要はリィンへの好感度が振り切れた所為で近づいただけでドキドキするから戦闘に支障が出そうで怖いってのが問題なんでしょ?」
「うば! そうです、問題はそこなんですよ! 先輩たちはお互いに好感度なんてMAXだと思うんですけど、どういう対策を施しているのか知りたくて!」
「いや、対策も何も『慣れ』としか……」
マジかよ、とシズクの顔が驚愕に染まった。
半ば予想していた答えではあったが……それでも、それでも何かしら対策となり得る何かがあるのではないかと期待したのだけど……。
え?
アカシックレコード?
あれは『知恵』こそ全知だが、『ヒトの感情』なんていう非論理的なモノについては全然載ってないのです。
ホント、使えない。
「うばー……」
「そんな落ち込まなくても……片思いのドキマギなんて今しか味わえないんだから、楽しみなさいよ」
「楽しむ……」
『楽しむ』というのは、立派な感情だ。
もう自分に感情が無いと言う気はないけれど、ちゃんとそれが出来るかと問われると、自信が無い。
「シズクはさぁ……」
「……うば?」
不安そうな表情を浮かべるシズクに、アヤはそっと語りかける。
投げかけるのは、確認というより、純粋な疑問。
「本当に自分には感情が無いって思ってるの?」
「え、そりゃあまあ……」
「それは何で?」
何で、と問われても……。
喜びも怒りも哀しみも楽しさも、まず最初に『人間ならどの感情を発露するのか』と考えてしまうのだ。
十歳を越える頃には慣れてきて、考えずとも感情がある真似事ができるようになった。
笑うべきところで笑い、泣くべきところで泣き、怒るべきところで怒ることが自然にできるようになって、ようやく感情というものを理解できた気になったけれど……。
そうやって人間に近づくたびに、『誰か』はシズクに語りかけてきた。
お前は人間じゃないんだと、念を押すように……。
「ふぅん、じゃあシズクはウチらと一緒に遊んだりしてるときも、全然楽しくなかったんだ」
「う……いえ、それは……」
ジト目で睨むように、メイは言う。
それを言われると、弱い。
正直なところ、良く分からないのだ。
【コートハイム】で過ごした日々は楽しかったと感じる自分と、
楽しいなんて感情を感じていたわけないじゃないかと無表情で言い放つ自分が居る。
感情。
楽しさ。
「ファルス・アームとの戦いでさ、初めてレアドロが落ちた時……シズク喜んでたじゃん」
「…………はい」
喜び。
「ウチがビッグヴァーダーの爆発に巻き込んで空飛ばせた時、怒ってたじゃん」
「…………はい」
怒り。
「【コートハイム】が解散するってなったとき、凄く哀しんでたじゃん」
「……はいっ」
哀しみ。
喜怒哀楽。
その全てを、肯定したい。
だけど同時に、否定される。
『誰か』の声が、感情も心も否定してくる。
きっと今も、こんなことを考えていたらすぐに……。
(……あれ?)
(何も、聞こえない?)
ああ、そうか。
もう、『誰か』の声は聞こえない――。
「ならさ、きっと感情は最初からあったんじゃない?」
「っ――」
もし、それが本当なら。
シズクは相当滑稽なやつになってしまう。
それこそ「ほら、あたしって感情とか無いからサ……」とか言っちゃう痛い思春期の子供だ。
それだけは否定したい。
……否定したいのに、否定してくれる『誰か』はもう居ない。
「メイ先輩……アヤ先輩……あたしは……」
「まあそれは兎も角」
「あたしは…………うば?」
今、何て言った?
『まあそれは兎も角』?
「リィンにいつ告白するの?」
にやにやと下卑た笑みを浮かべながら、メイは言い放った。
シリアスタイム終了のお知らせである。
いつの間にか逃げられないようにアヤがシズクの背後に回っており、肩をがっつり掴まれた。
「え? え?」
「片思いのドキドキもいいけど、両想いのイチャイチャもいいもんだぜシズク。で、いつ告白するの?」
「ま、まさか今までのシリアスっぽい問答はアヤ先輩を背後に回らすための時間稼ぎ!? だ、台無しだー! こっちは真剣に相談してんのに!」
「え? 真剣だったの? てっきり思春特有の『ほら、あたしって感情とか無いからサ……』的なあれかと思ってたよ」
「うばー! 結果的にその通りかもしれなくて何も言えねー!」
そうだよ、そうだったよ。
【コートハイム】解散の時のシリアスが頭から離れなかったから忘れてたけど、メイ・コートという人物はこういうやつなのだ。
「まあまあ、そんなに荒ぶるなって。もし本気でそんなことに悩んでいるなら、ウチらが保障してやるよ」
「……保障?」
「シズクに感情が無いなんてこと、絶対に無い。お前の笑顔は本物だったよ」
誰が否定しても、全力で肯定してやる、と。
言い放つメイの姿に、シズクは――。
「……いやそれシリアスが崩れる前に言って欲しかったですね」
「キリッ」
「今更キメ顔されましても……まあでも、ありがとうございます」
ちょっとだけ気持ちが楽になった。
今日、相談しに来てよかったと思えるくらいには。
……笑顔は本物だった、か。
「で、いつリィンに告白するの? 今から?」
「今からって……いや、でもそうですね」
好きという気持ちを伝えるなら、早い方がいいだろう。
ダラダラと引き伸ばしている間に、リィンに恋人ができたとかなったら目も当てられないというか最悪ショック死してしまいそうだ。
「告白、してきます。もう、今から」
「おおー」
「中々度胸があるわね」
「うっばっば、論理的に考えればそっちの方が正しいですからね。友好は充分に深まっているだろうし、早めに勝負を決めてしまおうかなと思います」
さあそうなってくると問題は告白時の台詞だ。
シンプルに「好きです!」と伝えるだけじゃあ芸が無い。
しかしあまりに遠まわしだと、あの鈍感は気付かない可能性がある。
「ちなみに先輩方はどっちから告白したんです?」
「私からよ」
アヤがシズクの疑問に答えた。
まあ、そうだろう。この夫婦はどちらかというとアヤがメイにベタ惚れしている節がある。
いや勿論メイがアヤのことを好きじゃないとか言うわけではないけれど。
「ほほう、参考までにどういう風に告白したか教えてもらえます?」
「結構普通よ? まず精神的に追い詰めて……」
「あ、ごめんなさい参考にならなそうなのでやっぱいいです」
ふつう の ていぎ が くずれる!
まあ流石に冗談なのだろうけど……冗談だよね?
「奇を
「あら、もしかしてそういう告白の方がよかった?」
「当たり前だろ……あんな告白の仕方ウチじゃなかったら振ってるぞ……」
先輩二人の会話を後半部分だけ聞こえないフリして、シズクは「じゃあいってきます!」とアヤの腕を振りはらって病室のドアを開けた。
「頑張ってなー」
「結果は報告に来なさいよー」
後ろから聞こえてくる声に手を振って返しつつ、気持ち早足でメディカルセンターの廊下を歩く。
病室が並ぶエリアを抜け、受付がある出入り口付近へ辿りついた。
その時だった。
「……ん?」
「急患! 急患です! 通してくださーい!」
担架に乗って血塗れの少年が、シズクのすぐ横を通った。
アークスが担架に運ばれるなんて、よっぽどのことだ。
何せ大抵の傷はトリメイトなりムーンアトマイザーなりで治るわけで、つまり担架で運ばれているということはムーンでも傷が治らなかった、もしくは治っても出血多量や四肢欠損等で動けないというわけなのだから。
大変そうだなぁ、と他人事のように思いながら(実際他人事だし)シズクは担架を避けるように端へ寄った。
そしてチラリと担架に運ばれる少年の顔を見て、絶句する。
その少年に、見覚えがあったのだ。
金色の髪を持った、ニューマン。
全身血塗れのアフィンの姿が、そこにあった。
「…………」
あっという間に治療室へと連れて行かれて見えなくなったアフィンの姿を、それ以上追うことはせずにシズクは歩みを再開する。
いや勿論、心配ではあるのだけどそんなに交流があったわけでもないし、今シズクが何か出来るわけでもないし……。
ていうかぶっちゃけ、今告白以外の余計なことは考えたくなかった。
*****
好きです。
付き合ってください。
おそらく世界で一番シンプルでど直球な、告白の台詞だろう。
そしてリィンに通じる唯一の告白であると、シズクは確信していた。
兎に角彼女は鈍感なのだ。
下手したら上記の台詞だろうと「いいよ、何処に?」とか言いかねないやつなのだ。
いや、流石にそれはリィンを馬鹿にしすぎか。
あの子だって漫画知識ではあるがそういう知識だって身につけて着ているはずだし。
「……ふーっ」
リィンの部屋の前で、一つ深呼吸。
手順を確認しよう。
告白するからには、それ相応の雰囲気とかを求めてしまうのが乙女心というものだ。
(まずは食事に誘って……)
(それから景色の良い……チームルームの森林拠点とかがいいかな、そこで愛の告白……とか?)
『全知』には、告白を確実に成功させる方法なんていう人間の心理に大きく影響する事柄は大した情報も載っていない。
パターンを分析し、成功率を演算して、最も確率が高い告白方法を算出するのが関の山だ。
でもその確率の高い方法というのがリィンに合っているかどうかは分からないわけで……なんというか本当全知と言うくらいならもうちょっと役に立って欲しいものである。
「さて……」
時刻はお昼前。お昼ご飯に誘うには丁度いい時間だ。
意を決して、マイルームのチャイムを鳴らした。
「リィン、入るよー」
「あら? シズク?」
部屋に入ると、椅子に腰掛け武器の手入れをしているリィンの姿が目に入る。
瞬間、心臓の鼓動が早くなった。
羞恥とも風邪とも全く違う感覚で、顔が赤くなる。
恋。
目が合っただけでこれってやばくないだろうか。
「どうしたの? もう身体は大丈夫?」
「う、うん」
頷きつつ、リィンへ近づいていく。
心臓の高鳴りを押さえつつ、最初の一言を頭の中で何度も繰り返す。
そして……。
「……り、リィン」
「? 何よ改まって」
さて。
ここで諸君らに思い出して頂きたいことがある。
リィンよりも、先輩たちよりもシズクに詳しい人物がいることを。
十年以上親としてシズクを育て続けて見守ってきた、赤い髪の父親が。
シズクをかつて、
『あの子は――シズクは、へたれで、臆病で、寂しがり屋な子だったから』。
へたれで、臆病。
「あの、その、えーっと……」
目の前がぐるぐると回る。
喉がカラカラに渇いていく。
待った。待った待った。
今からしようとしているのは食事に誘おうとしているだけで、別に告白しようとしているわけじゃないのだ。
なのに何でこんな――こんな、胸がドキドキするのだろう。
(あれ? ていうか……)
(一緒にご飯ってそれデートじゃ……)
それに気付いた瞬間、もう駄目だった。
頭が茹で上がったかのように真っ赤に染まって、口が硬直する。
言葉が、紡げない。
「……やっぱりまだ調子悪いの? シズク。何か変よアナタ」
「うばっ。だ、大丈夫だよ……うん……」
「ふぅん? ならいいけど……あ、そうだ」
そうだ、と言ってリィンは端末を弄りウィンドウを表示させた。
そこに映ったのは、特に変哲もない広告チラシ。
「SGNMデパートのフードコーナーに新しくドーナツ屋さんが出来たらしいのよ。ちょっと行ってみない?」
「ふぇ!?」
完全に予想外のお誘いに、思わず出したこともないような声を出してしまうシズクであった。
いや、嬉しい。
滅茶苦茶嬉しい、けど……。
こういうとき、どんな顔をしたらいいか分からない――。
「イ、イキマス……」
「そ、じゃあ……」
ま、まあ目的は達成だ。
こんな調子で告白なんか出来るのかどうかと言われるとかなり自信が無くなってきたのだが……。
い、いやここからが勇気を振り絞るとき……!
「イズミとハルも呼びましょうか」
「…………え?」
「ドーナツ楽しみねぇ。何かウォパルで取れたフルーツを使ったやつとかあるらしいわよ」
そう言いながら、リィンは後輩二人へと連絡を取り始めた。
……今此処で、二人きりがいいですなんて言えるのなら苦労はしてないわけでして……。
「ね、シズク。美味しいもの皆で食べれば元気も出るわよ」
「……うんっ、そうだね!」
さてこの恋は、一体どれだけグダグダと引き伸ばされ続けるのか……。
それは、『全知』にさえ分からないことだった。
生まれながらに全知を持っているが、ヒトに成るには寧ろ邪魔なそれを『使えない』と言い切るシズクと、
ヒトであることを捨て、全てを犠牲にしてでも全知を求めるルーサー。
決して相容れることの無い二人の邂逅まで、あと少し。