振り下ろされた刃を、容易くリィンは受け止めた。
真剣白刃取り。
リィンの並外れた反射神経はそんな神業をも容易く実現する――と言いたい所だったが、
クローンシズクの剣撃は、お世辞にも鋭いものとはいえなかった。
まるで児戯。
子供剣道にも劣るヘロヘロとした剣閃は、例えシズクであっても白刃取りできるくらい弱いものだった。
「やっ!」
なのでそのまま剣を奪い取るように身体を捻り、リィンはクローンの腹へ蹴りを繰り出す。
彼女は、避けようともせずその直撃を食らった。
クローンシズクの手からアリスティンが離れ、吹き飛ぶ。
体重の軽いシズクの身体と同じ体躯だからか、リィン自身も驚くほどの飛距離をクローンは飛んだ。
――いや、それにしても軽すぎる。シズクを蹴ったことは無いが、シズクより確実に体重は軽いだろう。
発泡スチロールを蹴ったみたいな感覚だ。
手ごたえが無さ過ぎて、逆にびびる。
「ぐえっ」
びしゃり、と。
赤黒い
たった一撃である。
蹴られて壁にぶつかっただけなのに、身体全体が粉々になって崩れてしまった。
「…………」
「…………」
「シズクのクローン、弱っ」
「うばー! このクローンを作ったのは誰だー!?」
目の前にちゃぶ台があったら間違いなくひっくり返している勢いでシズクは叫んだ。
さっき出てきたハンターの男のクローンに比べて出来の悪すぎる自分のクローン。
蹴り一発で文字通り粉々になったそれを見たら、誰だって叫ぶだろう。文句の一つだって言いたくなるだろう。
「ま、まあ落ち着きなさいなシズク。ほら、シズクって防御力にフォトンを回してないからその辺も再現されてて脆いんじゃない?」
「それにしたって攻撃もお粗末すぎだよぅ……何あの5歳児のチャンバラみたいなやつ……いや確かにハンターじゃないからソードは使えないけどそれにしたって……ていうか……」
ぶつぶつと文句を垂れながら、シズクは自分のクローンの死体に近づいていく。
もう半分溶けかけていて、傍らにメセタ(13メセタ)がドロップアイテムとして落ちているような状態だったが、構わず近づいて彼女が撒き散らした赤黒い液体にそっと触れた。
「何この中身……血……じゃないよね。……うばー、何だコレ何だコレ、中身さっきのおっさんクローンと全然違って内臓とかも禄に構成されちゃいない――――」
そこまで呟いて、ぴたりとシズクの動きが止まった。
まるで、何かに気づいてしまったかのように。
まるで、何かを感づいてしまったかのように。
「……? シズク?」
「リィン、先を急ごう」
即、立ち上がる。
マズイマズイマズイマズイマズイ、と。
何度も呟きながら、早歩きでシズクは歩き出した。
「ちょ、シズク!?」
「ごめんリィン、詳しいことは帰ってから正直に話すから、今は兎に角急いで――」
「待ってよ」
そんな奇妙な状況に、シズクは眉間に皺を寄せて振り返る。
そこには案の定、シズクのクローンが居た。
瞳の色が黒色だということを除けば、背格好からほくろの位置まで完全に一致しているクローンの姿が。
「
銃声が一つ、鳴り響く。
それと同時に、クローンの頭が半分吹き飛んだ。
気付けば、シズクがブラオレットをクローンに向けて構えていた。
話を打ち切るように、話を遮るように。
クローンを撃ち殺したのだ。
「――――……ほらぁ」
頭が半分吹き飛んだというのに――まるで痛覚が無いように――なんら口調も変わることなくクローンのシズクは抉れた頭に手を突っ込んだ。
「アナタみたいのを無理やり
クローンの手に、赤黒い液体が付着した。
血のようで、血ではない。もっと違う、ドロドロしていて気持ち悪い液体が、抉れた箇所から滴り落ちる。
「こんなにも、ぐちゃぐちゃでドロドロ……」
気持ち悪い、とそう言って。
二体目のクローンシズクは倒れた。
ぐちゃり、と。
気持ち悪い音を立てて、溶けていく。
「……シズ」
「リィン、何も言わないで、お願い」
そして出来れば、何も訊かないで欲しい。
色々隠し事はあるけれど。
いつか話そうと思って、今はまだ話していないことはあるけれど。
こればっかりは、嫌だ。
訊かれたくないし、話したくない。
何よりも、認めたくない。
「……シズク、いつか正体も能力も私には教えてくれるって言ったわよね?」
「言うよ。でもそれは、今じゃない」
「…………」
「お願い、ホントこればっかりは今すぐには無理。せめて……せめてあたしの正体が分かってから、自分の言葉で告げたいの」
そうじゃないと、耐えられないから。
心が。
感情が。
今でさえ大分、悲鳴を挙げているというのに。
「何それ本当笑える」
「!?」
欠片も感情が籠もってなさそうな――少なくとも絶対笑っては居なさそうな声が、正面から聞こえてきた。
シズクと全く同じ声。
そう、シズクのクローンである。
三体目。
「心? 感情? そんなの持ってな――」
台詞は途中で、途切れた。
シズクの放った弾丸が、三体目の首から上を吹き飛ばしたのだ。
やはり、脆い。
一撃で黙らせることができるのは、シズクにとって朗報だった。
「急ごうリィン。『試作』が終わる前に此処から出たい」
「え、ええ……」
リィンの手を引き、シズクは早歩きで進み始める。
分かったわ、と。
リィンは何処か釈然としない表情で、シズクの後を付いて行くのであった。
*****
あれから、数時間が経過した。
休憩も挟まず、不安定な黒い大地を踏みしめて、数時間。
二人はまだ、ダーカーの巣窟から脱出できていなかった。
二人の実力と、オペレーターと全く連絡が取れないという現状を省みれば仕方が無いだろう。
これで拉致されたのが『リン』とかだったら、一時間も経たずに脱出することすら可能なのだろうが……。
「はぁ……はぁ……!」
アークスといえど、疲れないわけではない。
特にシズクは身体が小さく、体力は比較的少なめだ。
額に汗を浮かべ、肩で息をしている――というのに、シズクは休憩する気配すら見せずに行軍を続けていた。
ちなみにリィンは流石の体力オバケっぷりで、まだ平気そうだ。
やはりフォトン能力だけでなく、肉体的な面でも鍛えている人間は持久力が違う。
「シズク、ちょっと休んだ方が……」
「駄目。『試作』の完成度も本当に少しずつだけど上がってるし……急がなくちゃ……流石にそろそろ妨害の薄いところが見つかるはず……」
「…………」
歩いているだけでなく、当然何度もダーカーやクローンとの戦闘もしているのだ。
休んだ方がいいに、決まっている。
もうシズクの体力は限界に近い。
「うば」といういつもの『口癖』だって、全然出てこない。
余裕が無いのだ。
自分のキャラを、忘れている。
(シズクのクローン……)
(アークスを再現する装置が、シズクを再現しようとして失敗した)
(外殻こそ整えど、中身がぐちゃぐちゃのドロドロのまがい物でしかない『何か』しか作れていない……)
それは。
「はいどーも二百六十五体目のクローンシズクちゃんでーす」
「エイミングショット」
段々とノリの軽くなってきた(ただし無表情)シズクのクローンが、正面に突如現れた。
二百六十五回目の邂逅だけあって、対応は慣れたものである。
即座に銃口を向け、撃つ。
出来の悪いクローンは、これだけで倒せるからまだ気が楽だ。
――だが。
二百六十五体目のシズクは、銃を構えた。
シズクのブラオレットを再現した、ガンスラッシュだ。
微細な傷まで同一の、クローン品。
引き金が、引かれる。
エイミングショット、と小さく呟いて放たれた弾丸はシズクの放った弾丸と衝突を――せずに、そのすぐ傍を通り過ぎた。
弾丸はすれ違って、互いの顔目掛けて飛んでいく――!
「シズク!」
シズクの前に、リィンが庇うように前へ出た。
ジャストガード。
クローンシズクの弾丸は、シズクに届くことなく弾かれた。
「…………ああ、やっとだ」
一方、クローンシズクの顔上部は抉れていた。
まるで、B級のグロテスク映画のような有様だ。
鼻から上が吹き飛んで、赤い血のような何かが噴き出している。
でも。
そんな状態になっても、まるで変わらぬ口調でクローンシズクは言葉を紡ぐ。
「やっと、ここまで再現できた。思ったよりもずっと早かったけど、トライ&エラーの繰り返しは決して無駄じゃなかったみたいだね」
「…………っ!? まさか……」
二百六十五体目のクローンが、倒れた。
脳髄すら無い、ぐちゃぐちゃドロドロの中身を頭からぶちまけて、溶ける。
その様子を見て、シズクは顔を歪ませた。
狼狽しながら、頭を抱えて、叫ぶ。
「そんな……嘘でしょ……?
「し、シズク……?」
「リィン! 走ろう! どうにかして、
「心配しなくても、再現率で言えばまだ50%くらいだよ」
声が、した。
最早二百六十六度目になる、自分のなのに自分ではない声。
「此処までが限界だった、此処までで充分だった」
「あ……あ……」
「後は、
「赤い――瞳――」
明らかに今までのクローンとは違う雰囲気を持つその存在に、リィンは一歩前に出る。
いつでもシズクを庇えるよう、剣を前に構えて。
一方で、シズクは動けないでいた。
目を見開いたまま――海色の瞳で赤色の瞳を見つめたまま、動けなかった。
再現度50%。
その言葉が嘘では無いことは、分かる。
視れば分かる。
そして、50%で充分だった。
シズクの目が……自身に関しては何一つ察することの出来ないという制約を持った
だから、『視れば分かる』というよりも『視てしまって分かってしまった』というべきなのだろう。
分かってしまった。
どうしようもなく、理解できてしまった。
クローンは、ダーカーの要素とアークスの要素が掛け合わさったモノであるのだが。
目の前にいる自身のクローンには、アークスの要素なんてひとかけらも混ざっちゃ居ない。
ダーカー因子だけで、再現している。
ダーカー因子だけで、シズクという存在を半分再現している。
それは、つまり――シズクは、アークスよりも、ダーカーに近い――。
「何? その表情、笑えるわね」
笑えるわね、だなんて言いながら一片も表情を変えずにクローンシズクは一歩、また一歩とシズクへ近づいていく。
「十三年間。正体を誤魔化し続けて……いや、騙し続けて来たのにーって感じ? その感情、理解不能だね」
「……騙して、なんか……」
「あーいや、そうか、感情なんて持ってなかったっけ」
あたしと同じで、とクローンシズクは笑わなかった。
嘲笑の笑みすら、浮かべない。
感情なんて高尚なものは一片も持っていないと言わんばかりに。
「あるのは意味の無い『根幹』だけ……よく十三年間自殺とかしなかったね?」
「う……あ……お前に、何が分か、る……」
「分かるよ、記憶だって
クローンの言葉に、リィンは目を見開いた。
記憶を持っているクローンなんて、厄介極まりない。
知り合いを装って襲われでもしたら大変じゃないか――と思ったが、よく考えればクローンが放っている強烈なダーカー因子はリィンですら感じ取れるほどなので、その辺は問題ないだろう。
ならばむしろ問題なのは、私の姉のようなタイプか、と。
一瞬考え事に意識を持っていかれたリィンだったが、クローンシズクの歩みを進める音で我に返った。
「シズク……」
「う、うぅうううううううう」
リィンの呼びかけにも応じず、シズクは唸る。
もう、リィンすら見えていない。
目の前にいる自身の偽者から、目が離せない。
その表情はとても感情が無いものにはとてもじゃないが見えなかったが……。
眉間に皺を寄せて、目を見開いて、涙を浮かべている。
「? 何でそんな頑なに感情のあるフリをするの?」
「フリなんかじゃ……」
「何でそんなに怒っているフリをするの? 我がオリジナルのことながら面倒くさい生き方だねぇ」
「違う! 違う違う違う! 勝手なこと言わないで! あたしは本当に怒っているし、泣いてるよ! 感情は――ある!」
「無いよ、あたしたちに感情なんて」
感情だけじゃない。
心も、信念も、情も、何も無い。
あるのはただ一つ、『根幹』だけ。
「それはアナタが一番分かっているのに、目を逸らすなよオリジナル」
「ぅ、ぅうううううう!」
反論、出来なかった。
だって、それは、ずっと。
生まれたときからずっと。
思っていた、ことだから。
自分すら、誤魔化して、騙していたことだから。
「シズク、あまり敵の話に……」
「! リィン!」
見かねて口を挟んだリィンだったが、シズクはまるで今リィンの存在に気付いたかのように高速で振り返った。
そして、早歩きでリィンに近づき――耳を塞いだ。
背伸びして、両手で、必死の形相で。
「耳、耳を、塞いでて、リィン。聞かないで、あんな、あたしの負の部分を集めたような言葉なんて、聞かないで……」
「…………」
「リィン……! お願い……!」
「……………………」
リィンは、無言でそっとシズクの手を払いのけた。
優しく、暖簾でも払うかのようにゆっくりと。
だけれども、その行為は。
シズクの瞳から輝きを奪うには、充分すぎる行為だった。
「っ――」
「シズク、私は……」
「耳を……耳を塞いでって、言ってるでしょ!」
ヒステリックな叫びと共に、シズクの手が振り下ろされた。
その手には、射撃モードのブラオレット。
鈍い打撃音が、辺り一帯に鳴り響き――リィンの額から、一滴の血が垂れた。
「あ――」
一瞬、自分が何をしてしまったのか分からなかった。
感情に任せて、リィンを叩いてしまったのか。
感情に任せて?
感情なんて無いのに?
もう。
分からない。
自分が、分からない。
「……あ、ちが、ごめ、……ごめん、ごめんなさい」
「…………」
「あ、あたし、ちがくて……こんなつもりじゃ……ごめん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
シズクの手からブラオレットが零れ落ちた。
ふらふらとおぼつかない足取りで後ずさり、尻餅を付き倒れる。
目は虚ろで、眉は八の字に歪み、情けなく涙を流し謝罪を繰り返すシズクの姿は――とても痛々しくて、見ていて辛くなってくるような醜態だった。
こんなシズク、見たことがない。
こんなシズク、見たくはなかった。
「何? それ?」
クローンシズクが、シズクの背後、すぐ傍まで辿りついた。
銃剣を銃モードに切り替えて、シズクの後頭部へと突きつける。
「心も感情も無い機械みたいな存在なのに、何でそんな顔をするの?」
「…………」
「心なんて無い癖に。感情なんて無い癖に」
「……ち、が……あた、しは……」
「アークスですら、無い癖に。……いや――」
クローンシズクの指が、引き金に添えられた。
後は指を引くだけで、簡単にシズクの命は終わる。
シズクという、
そう。
「――ヒトですら、無い癖に」
それが、とどめだった。
その言葉は、シズクの『根幹』を揺らがす――否、ぶち壊すような、一言だった。
「う、あ――」
「ヒューマンでも、ニューマンでも、キャストでも、デューマンでも、無い。勿論原生種でも機甲種でも龍族でも無い……最も近い種族はダーカーだけど、それですらない。ねえ、オリジナル? 自分が何なのか分からない人生は辛かったよね?」
「…………」
「でももう心配しなくていいよ。あたしはそんなの気にしないからね。ほら、あたしはダーカーだし」
だから安心して、あたしにその中身を寄越しなさい。
そう言って、クローンシズクは笑わなかった。
感情の欠片も見せずにただただ機械的なまでに、引き金を――。
「……辛かった」
「ん?」
「辛かったよ、生まれてから、ずっと」
「……そう」
シズクは、笑わなかった。
ただ涙を流して、自虐的にそう呟いて、目を閉じる。
クローンシズクも、笑わなかった。
ただ少しだけ眉を動かして、ゆっくりと銃剣を持つ力を込めなおす。
そして。
引き金を、引いた。