黒衣のランサーによってボナパルトの喧しい声が強制的に停止されて数瞬。
この時代の要でありレジスタンス最大の戦力を失ったにも拘わらず藤丸立香には焦りはなかった。
黒衣のランサーのことを恐れていない訳ではない。あの男は化物だ。正真正銘の豪傑だ。およそ白兵戦であれと互角に戦えるサーヴァントは稀だろう。
ただ多くのサーヴァントと契約したマスターとしての直感が教えていた。
ナポレオン・ボナパルト。あの一人お祭り騒ぎな男がこのくらいで死ぬ訳がないと。
「こいつは……」
黒衣のランサーが鉄鞭を持ち上げてみれば、抉れた地面に横たわっているのは粉々になった藁人形だった。
ご丁寧に『ハズレ』という紙まで張り付けてある。
「アーハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! 主役の名乗りの最中に攻撃するとはマナー違反だよ、黒衣のランサーくん!」
馬鹿高い笑い声の発生源は屋根の上から。
こんな状況下でこんな風に笑える人間は、このフランスに一人しかいない。見上げればナポレオン・ボナパルトが薔薇吹雪の中心でギターを弾いていた。無論ギターが奏でるのは不協和音である。この場にアマデウスがいれば助走をつけて殴りつけただろう。
「面白いな。どんな大道芸を使った?」
「簡単さ。僕の皇帝特権でジャポンのニンポウのスキルを取得してね! これがカワリミ・ジツさ! じゃあ早速死にたまえ」
おどけた表情で笑いながらあっさりとボナパルトは殺意を宣言する。
ボナパルトの背後に展開された二十もの砲門が同時に火を噴いた。刃、槍、盾と一切の武器をいなす武芸も相手が大砲だと効果を発揮しにくい。次々と放たれる砲撃に黒衣のランサーの足が止まった。
その隙に砲門の一つが空に向けて放たれる。どうやら大砲が放ったのはペイント弾だったらしく、赤い尾が空まで伸びる。またボナパルトのおふざけか、という思いは数秒の後に裏切られた。
これまでヴェルサイユの軍事施設などを破壊していた音刃が、黒衣のランサーを狙い始めたのだ。あのペイント弾は合図の一つだったのだろう。
「今だよムッシュ達! ここは三十六計逃げるに如かず、さ! 逃げよう!」
冷徹に『死にたまえ』などと言った舌の根も乾かぬうちにボナパルトが言う。
しかしこちらは多勢。遠距離からの狙撃という文字通りの援護射撃もあることだし、ここで倒しきってしまったほうが今後のためなのではないか。
『彼の言う通りだ、藤丸くん! あの黒衣のランサーは攻略法を知らないで勝てる相手じゃない! なにせ……あの音刃の狙撃を掠り傷一つ負わずに凌いでいる!』
「――――っ! ほ、本当だ……信じられない……」
サー・トリスタンの指が織りなす音刃は目視不能の矢である。ましてや今は音楽家であるアマデウスが〝指揮〟をとることで、命中や破壊力を上昇させている。その連射を傷一つ受けずに捌き切るなど尋常なことではない。
自分の考えの甘さを思い知る。確かにこれは駄目だ。倒すにはこちらも全滅する覚悟がいる。自分たちだけならまだしも、守る対象であるルイもいるのに無茶はできない。
「先輩。ここはボナパルトさんやドクターの言う通り」
「ああ。逃げたほうが良さそうだ」
「決断はできたか? なら急ぐぞ。トリスタンがあのランサーに掛かり切りになったことで、他の抑えがなくなった。もたもたしていると新手のサーヴァントが援軍にくる」
アサシンの誘導で全速力でその場を離脱する。
音刃が地面を抉る音と黒衣のランサーの怒号。それらに背を向けてひたすら走る。
予感した。もしもう一度この都市に戻ることがあるのならば、それはきっとルイ十六世と決着をつける時だろうと。
ヴェルサイユを脱出した藤丸立香達はどうにか外のサー・トリスタンとアマデウスと合流することができた。
思えば最初に二人と遭遇した際に合流できていれば話がややこしくならずに済んだのだが、後の祭りというやつだろう。
「申し訳ありません、マスター。貴方が勘違いした一因はきっとエルサレムでの私の振る舞いでしょう」
「そんなこと……」
トリスタンの謝罪にはっきりと〝ない〟とは言えなかった。
まだ第六特異点を修復してから数か月くらいしか経っていない。トリスタンが難民を無慈悲に虐殺する光景を、自分の脳は鮮明に覚えていた。あのショックはきっと一生消えないだろう。
それはマシュも同じようで何も言えずに押し黙っていた。
「まあトリスタンのこと抜きにしても、僕ら明らかに悪者面だったからね。マリアが隣にいない僕なんて魔神の人型みたいに見えるだろうし」
冷えた雰囲気をほぐすようにアマデウスが冗談っぽく言った。
「それに子供を追い掛け回す軍団なんて、いつの時代のどの物語でも悪者って相場が決まっているものさ。あのことについては僕達のほうに非があった。素直に謝らせてくれ。だから……うん、だからさ。お願いだからそんな目で僕を見ないで欲しいんだけど」
縋るようなアマデウスの視線の先にはマシュの背中に隠れるルイがいた。
トリスタンとアマデウス軍団に追い掛け回されたルイは完全に二人を警戒していて、決して彼等の半径3mに近づくことがない。
「マリアに似た顔で睨まれると本気で参っちゃうんだよ。いやマリアの養豚場の豚を見るような視線を送られるのも需要あるし僕も供給しちゃうけど、さすがに彼女の息子にそういう風にそういう目で見られるのは、心の片隅にある一片の良心が疼くんだよ。子供に不倫現場を目撃された心境というかさ」
「知っていますよ、アマデウス。ガラハッドがランスロットを見る視線ですね。キャメロットでも私とランスロットが婦人との禁断の恋について語り合っているとガラハッドの目から光が消えたものです。ほら、今しがたサー・キリエライトが私を見る目と瓜二つですよ」
「いいえ、サー・トリスタン。これでもまだ半分です。ルイくんもああなってはいけませんよ」
「うん。俺はパパみたいな大人になりたいからね」
どうしたものか。ルイとアマデウスの仲を改善させたいと思っていたら余計に溝が深まってしまった。前回の件と違って完全に自業自得なので仕方ないが。けど男としては少しトリスタンに共感しないでもなかったり。成熟した女性には同年代や年下とはまた違う魅力がある。
「先輩。なにか良からぬことを考えていませんか?」
「な、なんのことかなー?」
「アーハハハハハハハハハハハハッ! マドモアゼル、そうムッシュを困らせないであげなよ。薔薇は多くの貴婦人に愛を囁く運命なのさ」
「…………無駄な会話をしないで黙って歩けないのかい?」
「おやおやアサシン。僕の睨むところ君もなんだかんだで〝こっち側〟なんだけどね」
「そ、そうなんですかっ?」
「………………さてね。生憎と『守護者』の僕には生前の記憶は摩耗していて分からないな」
((((あ、逃げたな))))
人は見掛けによらないということか。無骨な拳銃にも似たこの暗殺者にも人並みの性欲はあるらしい。
英雄、色を好むというのはよく聞くが、やはりサーヴァントというのは好色家が多いのだろうか。
「あ、マスター。私には浮いた話はないですよ」
悪魔であるメフィストフェレスが一番清らかな体というのは、どうなのだろうか。
フランスの青空を見上げながらそんなことを思った。
カルデアの新所長の癒しによって回復したので(秦末な予感がプンプンする人智統合真国から目を逸らしつつ)再開しました。