その日、夢を見た。
真っ赤になったカルデアの制服に身を包んだ自分が、無抵抗のルイの首を締めあげている。床にはルイ16世とマリーの首が転がっていて、のっぺらぼうの人々が自分の行動に拍手喝采を送っていた。
これは夢である。自分達はまだこの特異点にきたばかり。当の自分はヴェルサイユ市の隠しアジトの一室で眠っているはずだ。
夢を夢と自覚することは稀であるが皆無というわけではない。所謂〝明晰夢〟というやつだろう。しかし自分がグランドオーダーを遂行すれば、確実に訪れるであろう
〝誰か、俺を起こして欲しい〟
悪い夢から覚めたいという切実な願いは、想像以上に早く叶えられた。
コンコンと部屋の扉をノックする音が耳に届いたことで、自分の意識は現実へと浮上していく。目が覚めた時、悪い夢の記憶は余韻だけを残して消えていた。
この部屋にカーテンはないが、カルデアの時計によれば特異点時間でまだ朝6時である。寝たのが確か2時なので寝ていたのは四時間。まだ眠気は残っていたが、何故か眠りたいという気は起きなかった。
ベッドから立ち上がると、早朝の来訪者を迎えるべくドアを開ける。
「おはようございます、先輩」
ほっと一息つく。扉の前にいたのはマシュだった。
もしもメフィストフェレスであったら、いきなり気分が再下降へ落ちるところだった。
「ん。おはようマシュ。随分と早いけどなにかあった?」
「はい。実はロベスピエールさんが直ぐに来て欲しいと。なんでも外部の義勇革命軍のサーヴァントの方がやってこられたようで」
「外部ってことはパラケルススの結界を通り抜けてきたってことだから……もしかしなくても例のアサシンのサーヴァントかな」
「たぶんそうだと思います。パラケルススさんの結界に感知されずに行き来できるのは、ランクA+以上の気配遮断スキルを持つ人だけ。義勇革命軍でそれが出来るのは皇帝特権もちのボナパルトさんとそのアサシンの人だけらしいですから」
シュヴァリエ・デオンやロベスピエール。奇しくも敵味方其々アサシンについては聞き及んでいる。そのどちらにも共通していたのが『目的のために手段を選ばない』という点だった。
まず間違いなく一筋縄ではいかない曲者だろう。覚悟を決めて地下のドアを開ける。
そこには椅子に腰かけたロベスピエールと、同じく足を組んでソファに座るボナパルト、そして逆立ちしながら鋏を研いでいるメフィストフェレスが待っていた。
「おはよう藤丸くん、朝早くにすまないね」
「………………」
柔和に挨拶をするロベスピエールに会釈を返しながら、自分の視線は別のところへ釘付けになっていた。
ロベスピエールともボナパルトからも一定の距離のある壁際に陣取っている男。近代軍装と中世騎士甲冑を組み合わせたような黒鎧と、腰にかけられた無数のナイフ。赤いフードで顔をすっぽり覆っているせいで表情は愚か素顔すら分からない。ただフードの奥にある瞳は自分を冷徹に観察しているようだった。
ボナパルトもロベスピエールもなんだかんだでカルデアのマスターである自分達には友好的雰囲気を覗かせていたが、この男にはそういった気配が一切ない。
「ロベスピエールさん。この方が義勇革命軍でその、大活躍したというアサシンなのでしょうか?」
具体的にどういう活躍をしたのかをぼかしたのはマシュなりの気遣いだろう。
ロベスピエールは首を縦に振った。
「ああ、その通りだ。だから二人ともそう警戒することはないよ。彼は目的のためならとことん冷酷な人間だが、真摯に人理修復を願っていることだけは間違いない。君達カルデアに牙を剥くなんてことは絶対的に有り得ない事だ。だろう、アサシン?」
「断言はできないな。この甘ちゃんが土壇場になって
「あらら、相変わらず対応が塩だね。
「…………………」
「ほら! 笑って笑って! 君のために笑顔の出る歌を歌おう。アーアアーアーアー♪」
「…………………」
無視だった。ボナパルトの鬱陶しさにロベスピエールは諦めることで対応していたが、このアサシンは徹底して無視することで対応しているらしい。
このままだとグダグダになることは火を見るより明らかだったのでロベスピエールがこほんと咳払いして話を変える。
「藤丸君達はアサシンとは初めてだろう。アサシン、彼らはこれから一緒に戦うことになるかもしれない大切な客人だ。自己紹介の一つでもしたらどうだい?」
「…………アサシンだ」
ロベスピエールに促されたアサシンはポツリと言った。
「あ、どうも。藤丸立夏です」
「マシュ・キリエライトです」
「…………………………」
「あの、それだけですか?」
「慣れ合いをするつもりはない。それとも他に言っておくべきことがあったか?」
『真名とか宝具とか、どうして革命義勇軍に入ったかについてとか色々あると思うけど』
「不要だ」
ロマンのおずおずとした指摘をアサシンはばっさりと切り捨てる。
「僕は英霊の座にも正しい人類史にも存在しない、グランドオーダー案件でしか発生しない英霊未満の守護者だ。無銘となった僕が人間だった頃の名を名乗ることに意味はない」
守護者。
英霊としての信仰の薄い英霊や、生前に世界と契約を交わした英雄の成れの果て。人類の滅びに際して召喚され、その場にいる全てを殺し尽すことで滅びを回避する、言うなれば霊長の安全装置だ。
ロマンによれば特異点Fで戦ったアーチャーがそれに該当するらしい。
「それよりさっさと本題に移ろう。僕達に残された時間はそう潤沢ではないはずだ」
「そうだったね。二人とも、私達はこれからヴェルサイユ脱出作戦を開始する」
「脱出ですか……?」
「ああ。結界があったこととヴェルサイユ市内の内偵のために潜伏を続けてきたけれどそろそろ頃合いだろう。ここを脱出し、外にいる義勇革命軍本隊と合流する」
「ヴェルサイユ市内には高ランクの結界があるんですよね。どうやって脱出するんですか?」
「方法は単純だよ。外にトリスタンとアマデウス率いる義勇革命軍本隊が近づいている。彼等が陽動としてヴェルサイユ市を攻めて、その隙に逃げ出すのさ」
本当に心配になるほど単純な方法だった。
アサシンが突然このアジトにやってきたのは、外で作戦開始の準備が整った伝令役としてだったのだろう。
「シンプルで分かりやすいですけど、それであの大魔術師パラケルススの結界を抜けられるんでしょうか?」
「ゴルディアスの結び目の逸話は知っているかい? 小難しい物はシンプルに対処するのが一番さ。パラケルススの結界に真正面から挑むなんて面倒だしね」
アレクサンドロス大王に比肩しうるボナパルトが余裕綽々なのだからここは信用しておくべきだろう。
代案もないのに反論ばかりしても仕方がない。
「藤丸くん。作戦決行は今夜寝静まった頃だ。残念ながら猶予期間はこれまで。そろそろ君の答えを聞かせて欲しい」
ボナパルトに指摘され、メフィストフェレスによって散々に暴き立てられた絶望的運命。
人類史のためにルイ・シャルルを見殺しにするか、ルイ・シャルルのために人類史を諦めるか。
二者択一。正解の分かり切った、だけど選び難い問い。
「私達と一緒に戦ってくれるかい?」
藤丸立夏の決断は、
ロベスピエールはルイ・シャルルのことを粗雑に扱うことはなかったが、かといって王太子として特別扱いすることもなかった。
だからルイが与えられたのは藤丸立香やマシュの部屋と同じで、ベッドと机があるだけの質素な部屋だった。平等主義者で清貧の士であるロベスピエールらしいといえる。少し寂し過ぎるような気がしなくもないが、魔界化しているボナパルトの部屋と比べれば色々マシだ。
しかしロベスピエールは決して全てにおいてルイ・シャルルを藤丸立香達と同じに扱ったわけではなかった。
ロベスピエールにとって藤丸立香とマシュ・キリエライトが歓迎すべき客人ならば、ルイ・シャルルは歓迎せざる客人である。だからルイ・シャルルは作戦会議のような場には決して迎えられることはなく、その間はこうして部屋に半ば閉じ込められるのが常であった。
「ルイ、いるかい?」
外側からかかっている鍵が開けて、藤丸立香がルイの部屋に入ってきたのは昼過ぎになってからだった。
藤丸立香はいつにも増して憔悴しきった顔で、よく眠れていないのか目の下には隈が出来ている。
「あはははははは! おかしなこと聞くね、立香お兄さん! 鍵がかかってるんだから俺がどっか行けるわけないじゃん!」
「……ごめん」
「謝らないでいいよ。無理してここに置いてもらっているのは俺なんだからさ。むしろ問答無用に殺されるかと思ってたから、こうして人並みの扱いをしてくれたのは意外かな」
藤丸立香がレイシフトした直後に会った時にはオドオドしてばかりだったルイも、それなりに長く一緒に行動するにあたって〝余裕〟も出てきた。
革命義勇軍のアジトという本来であれば敵陣ど真ん中にいる状況にもかかわらず元気なのがその証左である。
「暇ならまたマシュお姉さんも一緒にトランプでもしようよ! あ、ロマンおじさんが送ってくれたUNOっていうのも面白かったね」
ルイの無邪気な微笑みは、今の立香にはどんな刃物よりも鋭利な棘だった。
立香は膝をつけルイと視線を合わせると、なにかを振り払った目で告げる。
「ルイ、俺は――――決めたよ。ロベスピエールさんと一緒に戦う。この時代の歪みを元に戻す」
「え? それは最初からそのつもりだったんじゃないの?」
「驚かないで、聞いて欲しい。人理を救うっていうことは、君を殺すってことなんだ」
それから藤丸立香は懺悔する信徒のように全てを話した。
2015年に発生した人理焼却事件と、2016年をもって人理が終わるという衝撃的事実。ルイ・シャルルの死と人理修復の因果関係に至るまで全てを。
「軽蔑してくれていい。恨んでくれていい。君に酷いことをしないなんて言っておいて、俺はそんな当たり前の約束すら果たせないんだ……」
「お兄さんも馬鹿だよねぇ。そんなこと俺に説明したりしないで黙ってれば余計な面倒が起きずに済んだのに。俺はこんなんでも王子だから落ち着いてられるけどさ。普通の子供だったら絶対に一波乱あったよ」
「……憎まないのか? っ! 恐く……ないのか? 俺はルイを殺そうとしてるのに」
「恐いよ。死ぬのは恐いよ。そんなの当然じゃないか。でもさ、そんな今にも首吊りそうな顔したお兄さんは流石に憎めないよ」
「…………ごめん……ごめん……俺が、無力で……なにもできなくて」
「そんなことないよ。お兄さんは俺にとって大切な世界のために頑張ってくれてるんだ! 全然無力なんかじゃないって。これからも頑張ろう、世界のためにさ」
民のためならなんでもすると気丈に言ったマリーと同じように、ルイ・シャルルは微笑んだ。