ボナパルトの大立ち回りのせいで荒れに荒れた玉座だったが、僅か一日で戦いの傷痕は綺麗さっぱりと消えていた。大砲で破壊された壁や床も完全に修復されており、事情を知らぬ人間が『昨日ここで激しい戦いがあった』なんて言われても到底信じることはできまい。
こんなにも恐るべき速度で宮殿が修繕されたのには、言うまでもなく種も仕掛けもある。
ルイ16世の『
よって部屋一つが滅茶苦茶にされようとも、魔力さえあれば直ぐに修復することができる。ましてや今のルイ16世には『聖杯』という無尽蔵の魔力供給源があるのだ。例えヴェルサイユ宮殿がぺんぺん草も残らないほどに消し飛ぼうと、一日で完全に元通りにすることが可能だろう。
「まんまとやられましたねぇ国王陛下。カルデアのマスターとデミ・サーヴァントにナポレオン・ボナパルト、更には記憶喪失の王太子まで。逸したのは大魚じゃ済みませんよ。あそこで彼等を討ち果たしていれば、今頃は枕を高くして安眠できたというのに」
「燕青。無礼な言い方をよせ。そもそもボナパルト達を逃したのはお前と私が不甲斐なかったからだ。陛下に責を求めるなど筋違いもいいところだよ」
皮肉な口調で燕青が口火をきると、デオンがそれを窘める。
二人だけではない。修復された玉座には王党派に属するサーヴァントが集まっていた。
いないのは会話のできないオルランドと、相変わらず客将として門番に徹している黒衣のサーヴァントだけである。
「よしてくれ、デオン。燕青が怒るのは当然のことだ。彼がそうしたように、余が迷いなく彼等を処断しようとしていればこうはならなかった。責任は一重に余の無能にある」
「陛下……」
「ルイにデオンも責任の押し付け合いなんて嫌なことはよしましょう。時計の針を戻してもしようのないことだもの。それでいいかしら燕青?」
「はは。王妃殿下に置かれましては中々に聡明でいらっしゃる。なるほど時計の針を戻しても、現実の時が戻るわけでもなし。現世を夢幻とするなど、生前の我が主人の
俺の口調についてはご容赦を。なにせ前々世は魔星、前世は山賊の頭領が一人の筋金入りの賊故に。辛口なのは俺なりの忠節の現れと理解して頂きたいものだねぇ」
「ええ、まったく構いません。むしろ嬉しいわ! こんな風に私達に話しかけてくれる人なんて生前は家族以外にはいなかったもの。デオンはちょっと硬すぎるわ。折角なのだからもっと気軽にお友達みたいに接して欲しいのだけど」
「お、お戯れを王妃様。私はあくまで白百合に仕える騎士……お友達など、恐れ多い……」
顔を真っ赤にしながらもごもごとデオンが言う。
自分の知る宮廷とはまったく違う主従のやり取りを、燕青は興味深そうに眺めていたが、次にマリーが口を開くと綽綽とした表情は一瞬に凍て付くことになる。
「それに貴方が一番責めているのは、貴方自身なのでしょう?」
「――――――――」
「前に嘗て酷い裏切りにあったと聞いたけれど、本当に裏切ったと思っているのは、」
「やめましょうや」
自分の心の触れられたくない部分に爛漫に近付くマリーを、燕青は言葉で拒絶する。
男すら見惚れる美貌の持ち主である燕青だが、その精神まで女々しいものではない。サーヴァントとしての仮初の生とはいえ、仕えている相手に弱味を晒すなどもっての外だ。
「俺の身の上話なんざしたところで一文の得にもならない。それよりカルデアやらボナパルトのせいで出来ていなかった〝調査報告〟をさせて頂こう」
デオンがルイ・シャルル捜索のために部隊を率いていたように、燕青もまた部隊を率いて捜索に赴いていた。
といってもその捜索対象はルイ・シャルルではなくテロリスト。ボナパルトがロベスピエールを連れ去ったという『古き王の眠る城』を見つけ出すことだ。
「そうだったね。革命義勇軍……もといテロリストは見つかったかい?」
「残念ながらさっぱり。目ぼしい場所は大体見て回ったが、テロリストの痕跡すら見つけられなかった。まったくパラケルススの奴が暗殺されたのが悔やまれる。奴の魔術があればフランス中を駆けずり回って拠点探しする手間が省けたろうに」
「古き王の眠る城というのも気になるが、私が個人的に引っかかるのはボナパルトがどうやってヴェルサイユ市内を出入りしているかだ。結界を張ったパラケルススは死んだが彼の作り上げた結界そのものは健在。なのにボナパルトはこちらを引っ掻き回すように、頻繁にヴェルサイユ市内に現れている。
この分だとカルデアやルイ・シャルル殿下は今頃テロリストの本拠地だろう。燕青、君の仲間には東洋の仙人がいたんだろう。なにか分からないかい?」
正確には仙人ではなく道士なのだが、西洋人で魔術師ではないデオンに細かい区別を求めるのは酷というものだろう。燕青もそう思ったので敢えて間違いを糾そうとはしなかった。
「残念ながら俺は
王党派の宮廷魔術師にして参謀役でもあったパラケルススは純然たる戦闘力でオルランドや黒衣のサーヴァントに劣っていたが、戦略的貢献度では両者に勝るものがあった。
ボナパルト率いる
「ったく軍師と術師が一気にいなくなるってのはやっぱりきついねぇ。俺以外の
なぁ陛下。物は相談なんだが、いっそ『聖杯』を使って追加でサーヴァント呼ぶっていうのはどうだい? ランダム召喚が恐いっていうなら、この俺を聖遺物代わりの触媒にすればいい。そうすれば確実に他の百八星が呼べる。
魔星の生まれ変わりだけあって粒揃い。運良く公孫勝、林冲あたりを呼べれば百人力だ。……ご主人もまぁ、一応腕っ節に関しちゃ俺以上なのは保証できる」
はぐれサーヴァントを勧誘するしか戦力補充の充てのないテロリストに対して、聖杯をもつルイ16世は能動的にサーヴァントを補充することができる。この優位を最大限に活かすべきだと燕青は進言した。
ルイ16世は後世で言われるほど愚かな男ではない。単に人が良いだけではなく、現状を把握するための明晰な頭脳をもっている。だから燕青の意見に理があることも理解できていた。
だがルイ16世は渋い顔で首を横に振る。
「……君の意見の正しさは分かる……とても分かる……だが、聖杯は『生産』のために稼働させているんだ。サーヴァントを召喚するほどの余剰は、まだ溜まっていない。せめて後二週間あれば、一人くらいはどうにか……」
「それでは遅すぎる! 二週間? ナポレオン・ボナパルトに二週間の猶予を与えることがどれほど危険かは、俺ではなく貴方のほうが理解できるはずだ。
陛下、これは大事の前の小事。つまらぬことに囚われて大局を見失えば、命をもって授業料を支払うことになる」
「君の言う通りだ……王として、テロリストを倒すことに徹するなら君の進言を容れるべきなんだろう。だがね、燕青。『生産』を一時的に止めることで、国民の誰かが知らずのうちに命を落としてしまうかもしれない。そう考えてしまうと、生産を止めることはできないんだ。
私はつまらない男だよ。君が主人として仕えるに値しない無能な王だ。小を切り捨て大を救うのが正しい判断と分かっていても、そういう選択をとることがどうしてもできない」
ルイ16世が断頭台に送られることになった理由の一つに、彼自身の甘さがある。つまりは一度自分の命で授業料を払った後ということだ。
馬鹿は死んでも治らないというが、さしずめルイ16世は死んでも治らぬ筋金入りの大甘というべきだろう。
そしてこんな甘い男だからこそマリーは夫として愛しているし、デオンは主君として敬愛しているのだ。外様の燕青もこういう甘い人間は嫌いではなかった。
「自分の死をも覚悟しての甘さであれば、俺もこれ以上は言わないでおこう。それじゃ今後はテロリストの尻尾を掴むこと優先でいいので?」
「カルデアと行ってしまわれたルイ・シャルル殿下も、恐らくテロリストの本拠にいるだろうしね」
一度方針が決まると、とんとん拍子で細かい役割分担も決まっていく。
だがこの時の彼等は知る由もなかった。ボナパルトもカルデアもルイ・シャルルも、全員まだこのヴェルサイユ市内に隠れていることを。
「結界に……神出鬼没のボナパルト、逆に例の救出劇から姿をみせないロベスピエール…………どうにも引っかかる」
この中で最もこの手のことに精通している燕青は、それに気付きかけていたが。
ロベスピエールとの会話から一日が経ったが、藤丸立夏はまだ答えを出せずにいた。
ルイ16世やマリーと対面した時は、迷う余裕すらなかったから、すんなりと戦うという決断をとることができた。しかしこうして安全な場所でじっくり考えていると、やはり迷いが顔を覗かせてしまう。
革命義勇軍が目的のためなら子供のルイを利用しようとするダーディーな面があるところが迷いを加速させる。ルイを人質にするのはボナパルトやロベスピエールではなく、革命義勇軍に参加しているアサシンのサーヴァントの発案らしいが、あの二人だって他に手段がなければ迷いなく非情な決断をする節があった。
特にナポレオン・ボナパルト。空気の読めない言動ばかりでタマモキャットのようなコメディリリーフを装っているが、きっと彼は黒髭と同タイプの人間。おちゃらけて馬鹿のふりをした冷酷な天才だ。
「はぁ」
心労から自然と溜息が出た。
「アーハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! この華麗なるプリンスと一つ屋根の下にいるのに溜息なんて辛気臭いね!!」
悩んでいるところに一番会いたくない人間が、しんみりとした雰囲気を台無しにするハイテンションな笑い声をあげながら入室してくる。
もうこのテンションについてはどれだけ言っても無駄と諦めているが、部屋に入る前にノックをするというマナーは守って欲しいものだった。
「なんなら僕がギターの演奏でもしようかい? 音楽にはリラックス効果があるとアマデウスも言っていたしね!! もちろんお金なんてとったりしないよ! なんたって君は仲間(候補)だからね!!」
「お願いだから勘弁して下さい」
誰が好き好んでネロやエリザベート並みの音痴の演奏を聞きたいと思うものか。ボナパルトのギターなんて聞いたらリラックスではなく人生リセットしてしまう。
「というか……隣にいるのって誰?」
部屋にやってきたボナパルトは一人の女性を伴っていた。
腰まで届くアッシュブロンドに鳶色の目をしたとんでもない美少女である。年齢は自分より少し下くらいだろうか。
「おやおや、気付かないかい? これは上手くいったようだね」
「え? もしかして俺の知ってる人なの? うーん、でもやっぱり会った覚えが…………あれ?」
改めて顔をまじまじと観察して気付く。髪色や長さに瞳の色などが変わっているが、顔の輪郭は自分が誰よりも見慣れた少女のものだった。
それに首の下にある胸部装甲の大きさは、自分の記憶と寸分違わない。
「もしかしてマシュ!?」
「……はい。正解です、先輩」
「いつもと印象は全然違うけど、金髪も似合ってるね」
「あ、ありがとうございますっ」
「でもいきなりどうしたの? まさかイメチェンとか?」
「いえ。実はボナパルトさんが急に『家でじっとしてるのに飽きたから外へ買い物へ行こう』と仰られまして。それで何故だか私達も一緒に行くことに」
「旅の醍醐味、それはなんといってもショッピングさ! 買い物しない旅行なんて、京都への修学旅行で清水寺に行かないレベルの暴挙だからね!!
けどこの国じゃお尋ね者の僕達が堂々街中をうろつく訳にいかないから、こうしてマドモアゼルには変装を施したのさ。お忍びで旅行にきたアイドルがサングラスかけるようなものだよ!」
「なんでそんなローカルなネタ知ってるんだ? というかロベスピエールさんは止めなかったのこの暴走」
「ムッシュ・ロベスピエールなら『もう買い物でもなんでも好きにしてくれ』と快く頷いてくれたよ!」
それは了承したのではなく諦められているだけだ。
カルデアから物資が届いたら胃薬をロベスピエールに差し入れしようと決める。
「―――――――それに、聞かされるより生で見ておいたほうがいいだろう。この国の現実をさ」
「……!」
一転して真面目な顔での一言は心臓に突き刺さるように飛んできた。
聖杯の持ち主であるルイ16世は、分かりやすい悪をなしていない。人理焼却の原因になってしまっていることに目を瞑るならば、このフランスは不幸や理不尽を探すほうが難しいほど平和そのものだ。
だがそれはデオンに連れられてヴェルサイユ宮殿へ行くまでに眺めた程度の印象である。実際に民衆に紛れてみれば、なにか違ったものが見えてくるのかもしれない。
「分かった、行くよ。俺もこの国を、一人の人間としての視点で見てみたい」
的確な進言はすれど受け入れられないのが燕青クオリティー。
個人的に燕青はDV夫に甲斐甲斐しく尽くして尽くして尽くし切り、余りの馬鹿さ加減に流石に愛想つきて別れたけど、やっぱり未練がある良妻みたいなイメージですね。
一応ご主人こと盧俊義の名誉のために弁護すると、頭と人格はともかく武勇だけは本当に水滸伝作中でも随一の豪傑です。