ボナパルトの言葉に嘘はなく、部屋の外は室内での激戦が嘘のように静かなものだった。
だがボナパルトの一斉砲火を完全に防ぎきるのは難しいらしく、僅かだが宮殿全体が地震のように震えている。
『急ぐんだ藤丸くん! いくらボナパルトが強力なサーヴァントだろうと、相手のホームで四対一だ! たぶんそう長くは保たない!』
「分かってます! でも何処から逃げれば」
「来た道を戻る……いえ、それだとあの黒衣のサーヴァントと鉢合わせしてしまいます」
並々ならぬ圧を全身から滲みだしていた黒衣のサーヴァント。あんなのと呑気に戦っていたら、ボナパルトの足止めが無意味になってしまう。
いずれは倒さねばならない相手だが、今は交戦を避けるべきだろう。
「ドクター。この宮殿のナビゲートは出来ないんですか? カルデアの情報量ならヴェルサイユ宮殿内の地図くらいあるでしょう!」
『ごめん。どうもこの宮殿そのものがルイ16世の宝具と同化しているみたいで、内部構造も現代にまで残るそれとは大きく変化しているみたいなんだ。アステリオスの
こんな時にドレイクがいれば持ち前の幸運で、運任せに脱出ができたのだだろう。もしくはテセウスの
だがいないサーヴァントを頼っても仕方ない。こうなれば直感で行くしかない。
「お兄さん! お姉さん!」
そんな自分たちの背に、このフランスで出会った少年の声がかかる。
「る、ルイ!? どうしてここに?」
「道なら俺が案内するよ! まだ記憶は戻ってないけど、なんとなく体がここを覚えてるんだ! あの黒いおじさんと会わずに、外へ出ればいいんだよね?」
このヴェルサイユ宮殿ですごしてきたルイならば道案内としてはこれ以上ない適任といえる。地獄に仏とはこのことだ。
という風に喜べれば話は単純なのだが、そういうわけにはいかない。
「ま、待って下さいルイくん。その好意を受け取るわけにはいきません」
「え? ごめんね。そうだよね……やっぱり俺みたいな自分で自分のことも分からない奴なんて信用できないよね」
「それは違います! いいですか、ルイくん。私達は、貴方の両親の敵です。つまり私達を助けるということは、貴方のお父さんとお母さんを裏切ることになってしまうんですよ」
「マシュの言う通りだ。ルイは記憶が戻ってないからあの二人が自分の親って自覚できてないのかもしれないけど、もし記憶が戻れば絶対に後悔すると思う。だから、そんなことはさせられない」
自分達はルイを助けたいから助けたのだ。なにか打算があって助けたのではない。
ましてや両親の記憶を失っていることを利用して、両親を裏切らせるような真似は出来なかった。
「……違うよ、お兄さん」
ルイは絞り出すように言う。
「あの二人が両親だって自覚できない? そんな筈ないだろ。例え死んだってパパとママのことを分からなくなんてなるもんか。記憶がなかったとしても、心が覚えてるんだ!」
「だったら、どうして?」
心が覚えている両親を、ルイが愛していないはずがない。きっとルイにとって両親の存在は、この世で最も愛すべき輝きのはずだ。
「パパとママの子供だからだよ。息子の俺には分かるんだ。あの二人を止めなくちゃいけないって。きっとパパとママは間違ってると思うから。あんなやり方じゃ、幸せになんてなれない。
だから俺は例え反抗することになったってパパとママのところにはいられないんだ! お願いだよ……俺もお兄さん達と一緒に連れて行ってほしい」
真っ直ぐにこちらの目を見るルイには、子供らしからぬ覚悟の炎が宿っていた。その気魄に幼くとも体に流れているのが紛れもない王の血であると否応なく理解させられる。
懐かしい気分になった。そういえば円卓の騎士でありながら、同胞と戦う道を選んだベディヴィエールも、こんな風な目をしていたように思える。
『藤丸くん。カルデアの責任者として、ルイ・シャルル殿下の道案内は必要と判断する。だけど無関係の子供を巻き込みたくないっていう信条も理解できるつもりだ。
僕達は現場である君の判断を信じよう。君が自分で決めるんだ。藤丸くんはどうしたい?』
ロマンは自分を信用して判断を任せてくれた。だとしたら自分がルイへ返答すべきは一つだけである。
「…………ルイ」
「お兄さん?」
「案内を頼むよ」
「う、うん! ありがとうお兄さん。絶対に断られると思ってたよ」
自分がそう言うと、ルイは弾けるように笑った。
サーヴァントではないし、ましてや戦闘力などあるはずもないが、この特異点で初めて仲間が加わった瞬間だった。
「ちょっと意外でした。先輩がこういう判断をするなんて」
「フォーウ、フォウフォウ!」
マシュだけではなくフォウまでもが『どういう風の吹き回し?』みたいなニュアンスの鳴き声をあげる。
「大切な人を止めたい気持ちに、大人も子供も関係ないよ。大体そんなこと言ったら俺だってまだ未成年だしね」
「そうですね。なんとなく、分かるような気がします」
ルイの案内は的確だった。迷路化した宮殿の廊下をまったく迷うことなくぐんぐん進む。戦いの揺れが小さくなっていることが、震源地から離れていっていることを示していた。
そしてやや遠回りして最初に自分達が通った扉まで辿り着く。
「ここだよ! ここを出れば外――――」
「出られねぇよ。ここは今から不審者通行止めだからな」
無慈悲に開かれたドアから姿を現したのは、玉座の間へ続く扉を守護していたはずの黒衣のサーヴァントだった。
黒衣のサーヴァントは二振りの鉄鞭を握りしめ、仁王のように自分達の行く手に立ち塞がる。
「どうして貴方がここに!? ……まさか私達が別ルートで脱出することを読んで先回りを!」
「俺はあの召喚者のサーヴァントだからな。つまらねえ仕事でもやることはやる。
ひー、ふー、みーと。盾持ちの小娘に、平々凡々な小僧に、いっちょまえに反抗期がきた餓鬼。もう逃げられねえように取り敢えず足でも潰しとくか」
「なっ! 分かっているのか!? 俺達はともかく、ルイはお前のマスターの子供なんだぞ!」
「ふんっ! 下らねえことをぎゃーぎゃー騒ぐんじゃねえ小僧。俺の主君たりえる男は龍や鳳凰の威風をもつ真の帝王のみ。ルイ16世は落第も落第だ。
サーヴァントとして召喚者に最低の義理は果たすが、それ以上の忠誠を誓うつもりはねえな。よってその餓鬼のことも知らん」
黒衣のサーヴァントは無情に言い放つ。
最低限とはいえど召喚者であるマスターに従おうとするあたり、この男は決して外道の類ではないのだろう。生前は高潔で知られた武人なのかもしれない。
しかし高潔な武人であるからこそ、仕事に対しては無情だった。相手が女子供であろうと、この男は一切手を抜かないだろう。
「やるしか、ありません」
「マシュ。でも燕青にやられたダメージが」
「安心して下さい。これでもデミ・サーヴァントです。自己回復力のお蔭でもう戦うことに支障はありません。交戦は問題なく可能です」
負傷しているマシュに頼りたくはないが、他に戦える者はいない。
マシュに頑張って貰う他なかった。
「……分かった。俺も令呪やマスタースキルでアシストする。倒す必要はない。この男を突破してヴェルサイユを脱出するぞ!」
「はい!」
「対サーヴァント戦か。女だてらに骨があるってところを見せろよな。せめて一太刀、浴びせてみせろ!」
マシュの身長を超える巨大な鉄鞭が、雷の魔力をばちばちと放ちながら咆哮した。