英雄とは単騎でありながら、軍ないし群を凌駕する傑物の別名である。特に英雄の中でも〝大英雄〟と呼ばれる者達は、一人で世界を変えるほどの超人といえるだろう。
図抜けた功績をあげたことで人類史や神話に巨大な足跡を残した彼等は、サーヴァント化した際にも強力無比な性能を獲得する。オケアノスで暴威を振るったヘラクレスなどは、大英雄の見本ともいえるだろう。
ナポレオン・ボナパルトは間違いなく『大英雄』と謳われるに相応しい偉人だ。
この世界の誰もが彼の名前を知っている。彼の名前を知らないだけで非常識人になってしまう。そういう次元の知名度を持っていて、それに釣り合うだけの偉業も成し遂げた英雄だ。
藤丸立夏はロマンに言われた通り、歴史関連には詳しくはない。
その知識は日本の高等教育までで習う範囲。所謂一般教養レベルだ。もっと言うと学校の授業では神話や叙事詩については深く勉強することはないので、そっち関連はまるでさっぱりである。
魔術師にとって知っていて当然というべき神話や叙事詩の知識。それが完全に欠けているのは、藤丸立夏が元々数合わせで選ばれた素人であることが原因である。尤も今回のようなグランドオーダー案件では、英雄に対して無知であることが、逆に必要以上に意識して固くなることを避けられたので、そのあたりは不幸中の幸いといえた。
しかしそんな藤丸立夏もナポレオン・ボナパルトは知っているし、実際に出逢うことがあればサインの一つでもせがんだだろう。つい一分ほど前であれば。
「んんっ~? なんだか鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔しているけど……アーハハハハハハハハハハハハハハッ! どうやらこの僕の圧倒的プリンスオーラにあてられて声を失ってしまったようだね!」
前に海賊マニアのカルデアスタッフが黒髭を目の当たりにした際に『俺の中の大海賊黒髭が~~!』と悲痛な叫びをあげていたが、今ならば彼の気持ちが痛いほど理解できる。
分かるとも。通信機越しにロマン含めた全カルデア職員が、自分と同じ気持ちを共有していることが。あのダ・ヴィンチすらがコンソールを動かす余裕すらないほど唖然としていることも。
「気持ちは胸が切なくなるほど理解できるけど、萎縮畏敬の類はご無用さ! 何故ならば僕は
ハリウッドで主演男優賞二十年連続ノミネート十年連続受賞するようなオーラ全開な僕だけど、あくまでもこの歌劇の主演俳優は君という今を生きる人間であるべきだ。それくらいの分別はあるつもりだよ」
「お……」
「ホワッツ? なにか言ったかい?」
コルシカ出身のフランス人なのに英語で聞き返すというフリーダムさも含めて、全カルデア職員を代表して一言だけ言わねばなるまい。
「お……俺の中のナポレオンのイメージを返せぇええええええええええええええええええええええ!!」
魂からの雄叫びはヴェルサイユ宮殿の天井すら突き破り、空にまで轟く。
自画自賛になるか自虐になるのかは知らないが、エリザベートの例のアレの足元に及ぶレベルの大声は、ルイ16世達は仰天するほどだった。
だというのに真正面で受けたナポレオン・ボナパルトは相変わらず舞台俳優のようなスマイルを絶やさない。
「はぁはぁ……ごめんなさい。いきなり大声出して……一応、俺達を助けてくれたみたいなのに」
「いえ。先輩は悪くありません。先輩が言わなければたぶん私がツッコんでました」
『そうだとも! むしろよく僕達の心を代弁してくれた! エリザベート・バートリーと黒髭も大概だったけど、世界有数の英雄にして戦争の天才ナポレオンがこれってどういうことなんだい!? ロマンブレイクってどころの話じゃないよ!』
『あー、天才だけどこれは見抜けなかったわー。あとこれと同じ天才カテゴリーに入れて欲しくないわー。チェザーレちょっとこの馬鹿英雄なんとかしてくれ』
「おやおやイメージの相違によるパッシング、これも人気者の宿命だね。
ふむふむ。やはり世間の求めるボナパルトは野心溢れる英雄なのかな。だったら今度はもうちょっと野心を全開にして、ブロードウェイで天下をとるくらいのノリで。登場の時にBGMもヒロイックな感じにして」
「批判を前向きに受け止めるのは素晴らしいと思いますけど、努力のベクトルが間違ってます」
マシュに全面的に同意見だ。そもそも自分の登場時にセルフBGMを流すという発想が、もはやナポレオン・ボナパルトではない。
あと服装がボナパルトではない。ルックスもボナパルトではない。その他50以上の要素全てがボナパルトではない。
「コルシカの人喰い鬼……まさかこのヴェルサイユ宮殿に単身乗り込んでくるとはね。だがフランス中を駆けずり回ってお前を探す手間が省けたことは感謝するよ」
「ハハハハハハハ! ムッシュ・ロベスピエールの処刑以来だね、セニョリータ。もしや僕のファンになったのかな?」
「ふざけたことを。白百合に仕える騎士として、君の存在を許すわけにはいかない。皇帝などと称してフランスを血塗れの戦いに引きずり込んだ貴様を」
ナポレオン・ボナパルトは紛れもない人類の英雄ではあるが、同時にフランスを軍事独裁国家に変貌させた
サンソンやアマデウスはデオンにとって好悪入り混じった相手だが、ボナパルトは純粋に憎むべき相手でしかないのだ。
「デオン、お止めになって」
「しかし……」
「貴女の気持ちはとても嬉しいわ。だけど彼という英雄が生まれたのは元はといえば私達の責任。貴女が彼を恨むことは自由だけれど、私達のために人を恨まないで。そんなことしたら折角の綺麗な顔が台無しよ?」
デオンを諌めたのは、彼女よりも深くナポレオンへの怒りをもっても不思議ではないはずのマリーだった。
マリーはブルボン朝の怨敵とすらいえるボナパルト相手にも、嫋やかに微笑んでみせる。
「不思議ね。まさか貴方とこうして顔を合わせることになるなんて本当に不思議な気分。初めまして、ナポレオン・ボナパルト」
「挑戦状の
「だったら一人でのこのこ敵陣ど真ん中になにをしにきたんだ? ナポレオン・ボナパルト」
「ハーハハハハハハハハハハハハハハッ! 愚問だよ、伊達男くん!
というわけで改めて。フランスの英雄、麗しき薔薇の貴公子! ナポレオン・ボナパルトが君達を助けにきたよ! 人類最後のマスター! それにマシュ・キリエライト!!」
背景に薔薇を背負いながら、ボナパルトはノリノリで決めポーズをして宣言する。ちなみに背景の薔薇はイメージ映像ではなく、本当に大量の薔薇を背に設置しているだけである。
しかし言動を信じるなら、ボナパルトは本当に自分達を助けてくれたらしい。あのナポレオンが味方になるなんて心強いことのはずなのに、素直に喜ぶ気になれないのは何故だろうか。
「で?」
誰もがマイペース過ぎるボナパルトにげんなりしている中で、一人だけ殺意を保ち続けていたのは欧州人とは異なる独特の哲学で生きている燕青だった。
「アンタは俺含めた四人のサーヴァント相手にして、一人で見事カルデアのマスターとシールダーを連れ去ってのけると? こりゃいい痛烈愉快だ!
薔薇の貴公子、王城へ入り単騎にて若き主従を救う。新しい講談の種になりそうだな! 無論のこと成功すればの話だがねぇ」
悔しいが燕青の言うことはもっともだ。
ナポレオン・ボナパルトが如何に強力なサーヴァントだろうと所詮は一人。守りの要であるマシュが燕青の凶拳で一時的に麻痺状態になっている今、彼は完全に四面楚歌だ。
一応自分には三種類のマスタースキルが使えるが、それで出来るのはあくまでもサポート。これまでマシュがそうしてきてくれたように、前線に出て直接戦う術は、ない。
「おやおやカルデアのマスター……ムッシュ立夏。なんだかここを逃れるなんて『不可能だ』なんて考えていそうな顔だね!
アーハハハハハハハハハハハハハハッ! ノープロブレム、心配いらないさ! 我が辞書に不可能の文字はない、だよ! このボナパルトが君に着いているのだから、大船どころか宇宙船にでも乗った気分でいたまえ!!」
「……――――」
いっそぶん殴りたくなるほど自信満々で余裕綽々のボナパルトを見ていると、この人がいればなんとかなりそうと思えてくるから不思議だ。
大衆や集団を魅了する天性のカリスマ性。王の中でも一部の名君や覇者が保有するそのスキルを、彼もまた保有しているのだろう。
「あの、それでボナパルトさん。具体的にはどうやって逃げるんですか?」
「ナイスな質問だね。それは――――――こうするのさ!」
マシュの疑問に答えるように、ボナパルトの背後から出現したのは大量の大砲だった。
サーヴァント化した英霊は生前の自分の武器を自在に呼び出すことができるようになるが、だとすればこの大砲こそがナポレオン・ボナパルトの英霊としての武装なのだろう。
然り。
英霊ボナパルトのサーヴァントとしてのクラスはアーチャー。彼は万を超える大砲を従えた、魔砲の射手なのだ。
「ま、まさか宝具を解放するつもりか!? 止めてくれ! 私達を狙うだけならまだしも、その規模の宝具を使えばここで働いている普通の国民まで巻き添えにしてしまうかも――――」
これまで幾ら敵意を向けられようと決して声を荒げることのなかったルイ16世が激したのは、自分ではなく民のためだった。
もしもこの特異点と関係のない一般人がいるならボナパルトに宝具を使わせるわけにはいかない。だが止めようと口を開くよりも先に、ボナパルトが不敵に言う。
「ルイ16世、これは戦争さ。――――民を傷つけたくないなら自分で死ぬ気で守れ。“俺〟は知らん。
「
「
王と王妃の王権を象徴する宮殿が、このヴェルサイユ宮殿においては人々を守る盾として出現した。
あらゆる逆境をも逆転させうるボナパルトの必殺は、最高ランクの宝具でなければ対抗できない破壊力を誇る。一つの宮殿ではあっさりと蹂躙されたことだろう。
だが一つではなく二つの宝具の同時発動であることに加え、場所がフランスの王権を最大限に発揮できるヴェルサイユ宮殿内部であることとがルイ16世達に味方をする。
大砲はひっきりなしに轟いているが、二人の防壁は傷一つなく健在だった。
けれど大砲を防ぐことに必死で、二人はその場から動けなくなっている。燕青やデオンもまた同様だった。
「今だよ、君達。四人が釘付けになっている間に逃げるんだ」
「で、ですがこの宮殿で働く人たちが……」
「砲火ならあの二人が必死こいて守っている限りはこの室内から外へは出ないよ。安心していい。僕の知る限りルイ16世は最も甘い王だ。王としては……特に混乱期だと欠点でしかないけれど、こういう場合は信用していいんじゃないかな。それともここに無意味に留まって全滅するかい?」
ボナパルトだっていつまでも宝具を解放し続けていられる訳ではない。
魔力が切れれば大砲も打ち止めだろう。そうなれば今度こそ自分達は終わりだ。
「マシュ、行こう。マリーとルイ16世ならきっと守り通してくれるよ」
敵である二人のことを信頼するなんておかしな話だったが、それは藤丸立夏の本心だった。
「……分かりました。ご武運を」
マシュの呟きは果たしてどちらへむけられたものだったのか。
そして自分達は砲火の飛び交う玉座から、脱兎のごとく逃げて行った。