デオンの先導でヴェルサイユの街へ入る。
すると自分達を出迎えたのはフランスの民だった。
「安いよー! これまでの不況も過去のもの! パンもワインも大幅値下げ! けど味まで下がってないから安心して買っていってくんな!」
「どうだい? そこのお兄さん。断頭台から逃げ出した元議員のロベスピエールも愛飲していたコーヒー。味わっていかないかい? コーヒーが駄目ならカフェオレもあるよ!」
「誰かと思えばデオンさんじゃないか! 東方から珍しい本を入荷したんだ! 寄っていかないかい?」
「なにが珍しい本だ。私の作品を理解できず置こうともしない五流が書店など名乗るな阿呆め! そんなことよりオリエンタルな少年よ。真の幸福を知りたければ私の本を読め」
「ヴィヴ・ラ・フランス!」
東洋人である自分や、オルランドの巨体にもフランスの民が物怖じしている様子はない。
話しかけてくる人間は老若男女様々だが、共通しているのは誰の顔にも笑顔があることだ。
「なんだか賑やかですね、先輩」
「うん。凄い活気に満ち満ちてるよ。なんか一人変な人もいたけど」
『……革命時代のフランスは、莫大な負債のせいでパンの値上がりが止まらない大不況に餓死者が出る有様だったんだけど、これは』
ロマンにはなにか思うところがあるのか、急に黙り込んでしまった。
賑やかな街並みを眺めながら、デオンが口を開く。
「それもこれも全ては陛下と王妃殿下の采配によるものだよ。今のフランスは貴族も聖職者もそれ以外の第三身分も、平等に税金を払い、平等に幸せを甘受しているんだ。こんな民達の顔を見れて、私は幸せだよ」
現代でこそ納税は当然の義務となっているが、嘗てのフランスでは貴族や聖職者は免税特権があって税金を支払っていなかったとのことだ。
現代の当たり前を当たり前にするのがどれほど難しかったかを現す話である。
「おっと、見えてきた。あれが陛下が住まわれ、この国の政治の一切を執り行うヴェルサイユ宮殿さ」
「――――――」
息を呑んだ。
あのキャメロットにすら負けぬ荘厳さと、それでありながら華美に奔り過ぎぬ壮麗さ。
ヴェルサイユ宮殿そのものはTVのドキュメンタリー番組や、写真などで何度も見たことはあったが、生の感動はそれらの比ではない。
「じゃあ行こうか」
「は、はい!」
「なんでいきなり敬語になってるんだい? 変な人だね、君は」
そう言われても仕方ないだろう。現代においても世界遺産に指定された屈指の観光名所に、こうして訪れることができたのだ。
しかも案内人はシュヴァリエ・デオンで年代はフランス革命。世のマニアであれば一億積んでも同じ経験をしたいと願うだろう。
こんな誰もが思い描くような旅ができるのは、カルデアのマスターに与えられた最大の旨味なのかもしれない。
「うわっ! 凄いです先輩、調度品や壁の一つ一つが一々芸術的で」
宮殿の中に入ったマシュが感嘆の声を漏らす。自分も同じ気分だ。
最初にレイシフトした時も思ったが、カメラを持ってこなかったことが非常に悔やまれる。無理して今からでも取りに行きたい気分だった。
そんな時である。玉座へと繋がる扉に差し掛かったところでデオンが足を止めた。
何事かと思って視線を向ければ、黒い鎧で全身を覆った武人が仁王立ちしている。
鬼すら裸足で逃げ出す兇悪な面構え。視線だけで人を殺せるほどの眼光。明らかに西洋人らしからぬ顔立ち。明らかにサーヴァントだ。
きっとこの扉――――門の守護をしているのだろう。
「デオン、誰だそいつ等は?」
「カルデアのマスターである藤丸立夏とそのサーヴァントであるマシュ・キリエライトだ。君も聞いているだろう」
「ふんッ! 六つの特異点を修復した人類最後のマスター。さぞや闘いの甲斐ある男と思ったが…………拍子抜けだ。態々矛を交えずとも見りゃ分かる。なんの才能もねえ凡庸で凡俗な凡人じゃねえか。
精神面には見所はありそうだが、俺の欲する貪欲さと渇望と才気がまったく足りていない。だからこそ我の強いサーヴァントを御するマスターとしちゃ優秀なのかもしれねえが、俺の趣味じゃねえなぁ」
じろじろとこちらを値踏みしていた黒衣の武人は、耳が痛くなる酷評を告げた。
マシュはムッとしている様子だったが、自分としては実際その通りなのでなにも言えない。
だけど少しだけサーヴァントに会う度に辛辣な評価を受けるロマンの気持ちが分かった。今度カルデアに戻ったら、ロマンに饅頭でも御裾分けしよう。
「おい。いくらお前が客将とはいえ、王太子殿下を見つけてくれた我等の恩人に対して無礼だぞ」
「我等に俺を含めるんじゃねえ。俺が従ってやってるのは、召喚者にサーヴァントとして最低限の義理立てをしてるからだ。その餓鬼のことまでは面倒見切れねえな」
どうやら黒衣の武人は、余りマスターに忠実ではないサーヴァントらしい。
しかし本当に酷いサーヴァントになると、自分の都合で平然とマスターを裏切るので、そういう意味では召喚者に義理立てしているらしい彼は、少し気難しいだけで忠実なサーヴァントと言えるのかもしれなかった。
「はぁ。もう注意するのも飽きた。どうでもいいがここを通らせてもらうぞ」
「話は聞いている。好きにしな」
OKも貰えたことで黒衣の武人の横を通り、玉座へと向かう。
途中。まるで地獄の奥底から睨みつけられたような悪寒が背筋に突き刺さった。
フランス王の玉座では二人の人間が待っていた。
一人は太っちょで気の弱そうな、けれど優しそうな顔をした男性。まず間違いなくフランス国王たるルイ16世だろう。
それを裏付けるように太っちょの男性は、人を安心させる穏やかな笑みを浮かべながら口を開く。
「やぁ。遠路遥々……で、いいのかな? 2016年の未来というのは。えーと、とにかくカルデアの皆さん。余がフランス国王ルイ16世だ。遠路遥々よくきてくれたね」
あの黒衣の武人が鬼のような外見をしていたせいで、相対的にルイ16世の優しい声が染み入る。
だが問題なのはルイ16世ではなく隣に佇むもう一人だった。
「ルイ、同じことを二度言うだなんてお茶目さんね。この姿では初めましてね、カルデアの皆様方」
「(せ、先輩……こ、これは!)」
「(あ、ああ――――まさかこんなところで、これほどの戦力に遭遇するなんて、想定外だった!)」
オルレアンでは少女時代で召喚されていたマリーだが、此度においては時代背景もあって成人の姿で召喚されていた。
それはいい。基本サーヴァントは全盛期の姿で召喚されるものだが、アレキサンダーのように若い姿で召喚されるという実例もあるのだから。
しかし流石はマリー・アントワネットというべきか。彼女の成人バージョンは規格外だった。
何が、などと実物を見た人間なら問う阿呆はおるまい。
自分とマシュの視線は、マリーの首の下で盛大に自己主張している
「(身長もウエストもオルレアンの頃と変わっていないのに、バストサイズだけがとんでもないことになっています! もしかしたらこれはランクEX級のバストかもしれません!)」
「(
女性でありそっちの気はないはずのマシュをも魅了する脅威の胸。どこかでマリーは栄養が全部胸にいく体質と聞いたことがあったが、それは嘘偽りのない事実だったらしい。
「あの~。もういいかな?」
ルイ16世の申し訳なさそうな言葉でふと我に返る。
「はっ! す、すみません! つい気の迷いというか、迷うことなく視線が集中してしまったというか!」
傍から見ると自分は旦那の前で、その妻の胸を凝視していたで畜生ある。
時の王様相手にこんな無礼を働くなど色々と洒落にならない。慌てて謝罪した。
「いやいや、いいんだよ。マリーが人の注目を浴びるなんていつものことだし、元々王族なんて民に見られることが仕事のようなものだから。そんな気にしないでね。こちらこそ急に声をかけてごめん」
「――――!」
唖然とする。酷く罵られることを覚悟していたら、まさかの凄い良い人オーラ全開で逆に謝られることになるとは思わなかった。
史実においてサンソンはルイ16世のことを思い、隠れてミサをするほど敬愛していたというが、その理由を垣間見たような気がする。
「ふふふふ。ルイの言う通り、いくらでも見て頂いて構いませんのよ。でも、ごめんなさい。私には夫がいるから、異性として貴方を愛せないの。こういうのを貴方達の時代では『お触りはNG』と言うのだったかしら」
「い、意味は間違ってませんが、その言い方だと少々問題があると思います。けれど先程から私達のことを知っているように言われるということは、もしやマリーさんにはオルレアンでの記憶があるのですか?」
「ええ。オルレアンとは
胸を強調しないで欲しい。注目してしまうから。
「うーん。私はオルレアンのことは詳しく知らないけど、マリーがお世話になったようだね。ありがとう」
「いえいえ。寧ろお世話になったのはこっちの方ですよ。マリーがいなかったら、きっと俺達の旅はあそこで終わってました」
なし崩し的に巻き込まれた特異点Fとは違い、自分が初めて自発的に挑んだグランドオーダー。それが邪竜百年戦争オルレアンだった。
あの頃はまだなにもかもが手探りで、令呪を無駄使いしてしまったり、サーヴァントへの指示を誤ったりなど、未熟な行動が多かった。そんな未熟な自分がどうにか作戦を成功させられたのは、マリーを含めた現地のサーヴァント達の助けがあったからである。
もしも彼女達の助けがなければグランドオーダーは第一歩で躓き、とても六つの特異点を修復するなんて出来なかった。
「いやそれでも時代は違えどフランスの国王として、この世界の一人の人間として言わせて欲しい。世界を守ってくれて、本当にありがとう」
そう言ってルイ16世はぎゅっと自分の手を握りしめる。うっすらとその瞳には涙が滲んでいた。
虚飾のない心からの感謝。王様がこんな風に異国人にお礼をするなんてきっと問題だらけなのに、自然体でこの人はやってしまう。
ああきっとこの人は『根っからの善人なんだ』とストンと胸に落ちてきた。
「そう言葉が聞けただけで、頑張った甲斐がありました」」
「私が想像もできないような過酷な戦いを経験してきたんだね。無能者の私には到底潜り抜けられないほどの戦いを。
それに今回は私達のところへルイを連れて来てくれたね。王ではなく親として感謝してもし足りない。本当にありがとう。なんだかさっきからお礼を言ってばっかりだね。さぁ、シャルル。こっちへおいで」
「…………………」
ルイ16世が息子に声をかけるが、ルイは自分とマシュから離れようとしなかった。
その目には初対面の自分達や、デオンへ向けられたものと同じ『警戒』の色がある。
「シャルル。どうしたの?」
「ねぇお兄さん、お姉さん。
「え?」
息子から『あの人』と他人のように呼ばれて、これまで戦場でさえ微笑みを絶やさなかったマリーの表情が凍り付いた。
「王妃殿下、陛下。実は王太子殿下は、記憶が――――」
「え? まさか私達のことも忘れてしまっているのかい!?」
「残念ながら」
主君の驚きにデオンは重々しく頷く。
ルイ16世とマリーはかなりショックを受けている様子だった。最愛の自分の息子が、自分達のことを忘れてしまう。その痛みは親ではない自分達にはまだ分からない痛みだろう。
「ルイ……どうしましょう? まさかこんなことになってしまうだなんて」
「大丈夫だよ、マリー。きっと一緒に暮らしていけばいずれ」
「そうね。だって私達の息子ですもの。きっと大丈夫」
息子の記憶喪失という悲劇にも、お互いを励まし合う二人に涙腺が緩みそうになる。
拳を握りしめた。出来ることならこのままルイを二人に預けて帰ってしまいたい。だけどカルデアのマスターとして、二人には聞かなければならないことがあった。
「ルイ16世陛下、それにマリー。一つ、質問していいですか?」
「恩人の頼みを断るほど私はケチじゃないよ。なんだい?」
すっと息を吸い込む。覚悟はできた。もう迷いはしない。
竦みそうになる心に鞭を打って、言うべきことを言う。
「なんで、貴方達が生きているんですか?」
「―――――――」
ルイ16世とマリーの目が切なげに細まる。
きっと彼等二人も自分がこの質問をしてくると予測はできていたはずだ。それでも出来ればそうならないで欲しいと願っていて、今裏切られたのである。
「……マリー・アントワネットが処刑されたのは1793年の10月、ルイ16世が処刑されたのはそれより前の1月。そして今は1793年の11月です。二人がこうして生きているわけがないんです。
ましてや王様としてこのヴェルサイユにいるなんて、正しい人類史なら絶対に有り得ない」
マシュが先を続ける。
「誤魔化すことはできなかったね」
シュヴァリエ・デオンから『王』がいるという話を聞いた時点で薄々は感付いていた。ただそれを言葉にして出したくはなかっただけで。
もう隠す必要はないと観念したのか、ルイ16世からはサーヴァントとしての気配と強力な魔力反応が。
『この反応は聖杯。やはり彼が、ルイ16世が聖杯の所有者だったか!』
「そうだよ、謎の声の主くん。私が……いいや、フランス国王ルイ16世こそがこの時代の聖杯の所有者だ。とどのつまり君達の敵ということになる」
ルイ16世は悲しげに微笑みながらそう宣言した。