キャメロットでの戦いで、円卓の騎士たちの強さは嫌になるほど思い知らされている。
円卓の騎士に名を連ねるのは、普通の叙事詩であれば主人公格を務めるほどの英雄ばかりで、その実力は一人一人が大英雄に伍するほどだ。円卓では弱い部類に入るべディヴィエールですら、平均的なサーヴァントを軽く上回る実力をもっている。
その中にあってサー・トリスタンはランスロットやガウェインと共に上位に名を連ねる騎士だ。
「一人の騎士として認めた以上は、例え淑女であろうと手は抜きません。全力で抵抗を、さもなくば躯を晒すことになる」
弦を引いて優雅な音色を奏でるトリスタン。戦場で楽器を奏でるという理解不能の行動も、相手がサー・トリスタンであれば剣などより余程恐ろしい凶器へ変わる。
伝承において"無駄なしの弓〟と称されたものの正体とは音だ。トリスタンは弦を引くことで、音の刃を放つ妖弦使いなのである。
それ故にトリスタンは弓兵が本来必要とする矢を必要としない。弓を構えることすらなく、ただ指一本で弦を弾くことで人を殺すことができるのだ。
四方八方よりマシュの逃げ場を塞ぐように、音刃が襲いかかってくる。
一方向からだけなら盾で防げても、全方向はシールダーのマシュでも防ぎきるのは厳しい。
流石はトリスタン。マシュに力を託したギャラハッドのことをよく知っている。
マシュは音刃から逃れるように後ろへ下がろうとしたが、離れた場所で戦いを見守っていた自分には分かった。それは悪手である。
「後ろじゃない! マシュ、前だ!」
「っ! 分かりました、先輩!」
こちらからの指示にマシュは疑いすらもたずに頷いた。盾を前に突き出すと正面の音刃を強行に突破する。
一方向の音刃を防ぎながら移動することで、音刃の結界の脱出と同時に血路を開く――――いや、それだけではない。
「だぁぁぁああああ!」
「我が音色の牢獄より逃れながら、私への距離を詰めるとは。良い指示です。ギャラハッド、いいえ彼女のことを知り尽くしているからこその名采配といえますね。ですが」
侮るなかれ。距離を詰められただけで敗れるようであれば、トリスタンは円卓に名を連ねてなどいない。
目にも止まらぬ速度で弦を引くと、無数の音刃がマシュの体を絡め取るように奔った。
この音刃の鋭さは、強行突破できるほど易くはない。肉を断たせる覚悟で突っ込もうものなら、肉どころか首を断たれてしまうだろう。
「くっ……!」
これまでの戦闘経験からそれが痛いほど分かってしまったマシュは、足を止め迎撃に力を割かざるを得なかった。
「足は止めました。では次は意識を止めさせて頂きましょう」
トリスタンは攻撃の手を一切緩めない。一秒の間隔すらなく殺到する音刃に、マシュはその場から一歩たりとも動けなくなってしまった。
しかしそれはマシュが一方的に追い詰められていることを意味しない。
トリスタンの音刃がマシュを釘付けにすることにこそ成功しているが、その刃は盾に弾かれるばかりで、肝心のマシュには届いていなかった。
既にマシュに宿ったギャラハッドは消滅しているが、第六特異点でランスロットに対して親愛の情を抱いたように、その残滓というべき記憶と経験は残っている。その経験がトリスタンの技の筋をマシュに教え、それによってマシュは音刃を完全に捌き切る鉄壁の防御性を発揮していた。
戦いは膠着状態に入った。こうなると先に集中力が切れて、一撃貰った方が押し負けるだろう。
「…………」
自分はマシュを信じている。マシュであればトリスタンと集中力勝負をしても決して負けはしないだろう。
ただ敵はトリスタンだけではない。不気味なほどになんのアクションも起こしていないが、トリスタンの後ろにはアマデウスが控えているのだ。
アマデウスはお世辞にも強力なサーヴァントではないが、この拮抗状態であれば彼の存在はこの上ないジョーカーとして機能する。マシュもそのことは分かっているのか、涼しい顔のトリスタンとは対極的に厳しい表情だった。
(早く……アマデウスが出てくるより前に、トリスタンを倒さないと。よし)
自分が装備しているカルデアの制服は、これで一級品の魔術礼装だ。
装備していれば魔術師としては二流以下の自分だって、サーヴァントに作用するほどの魔術行使ができる。
そしてこの制服に装填されているマスタースキルは三つ。
サーヴァントの火力を一時的に底上げする瞬間強化。
サーヴァントの回避率を一時的に底上げする緊急回避。
サーヴァントのダメージを回復する応急手当。
ここで自分が行使すべきスキルは、
「マシュ、回避を付与するぞ! 臆さず攻めるんだ!」
「了解です、マスター!」
「!」
回避を付与されたマシュが防御をかなぐり捨てて、トリスタン目がけて突進する。
普通では避けられぬほどの音刃も『回避』を付与されたマシュは、全速力で走りながら掻い潜っていく。
「……私としたことが、見誤りましたか。マスターをもつサーヴァントの爆発力というものを。ああ、悲しいですね」
トリスタンは薄く眼を開きながら囁くように言った。
「これだけの美しい戦いをみせられて、敗れることのできない自分が……とても悲しい。頼みましたよ、アマデウス」
「はいはい。任せておいておくれよ」
「え?」
間抜けな呟きが、自分の喉から吐き出される。
回避効果はまだ持続しているはずだった。だというのにトリスタンが繰り出す音刃が、マシュの全身を無情に切り裂いたのである。
「か、は……っ!」
「マシュ!!」
シールダーとしての強い防御力があったため致命傷ではないが、無視できないダメージを負ったマシュが地面へ倒れ込んだ。
緑色の草がマシュの流した血を浴びて朱に染まる。反射的に自分は応急手当でマシュを回復させた。
「大丈夫か、マシュ!?」
「ありがとうございます……これで、戦闘続行可能です。問題ありません、先輩」
「悲しい悲しい言ってるわりには、結構君って無慈悲だよね。その無慈悲なやつを受けて立ち上がれるなんて、オルレアンの頃と比べると凄いパワーアップしてるな。戦いを職業としていない僕にも一目で成長ぶりが分かるよ」
「アマデウス、さん。今……なにをしたのですか?」
「ん? おかしなことを聞くね。僕は音楽家だぜ? だったらやれることなんて決まり切ったことじゃないか」
「……そういう、ことか」
アマデウスは音楽神ミューズによる最高ランクの加護に、己の才能のみで張り合うほどの音楽家である。もしかしたら音楽というジャンルにおいては、神霊すら凌駕してみせるかもしれない。
そしてサー・トリスタンの戦闘法は妖弦による音の刃を飛ばすことである。つまりは"音楽〟だ。
アマデウスはトリスタンの演奏を『指揮』し、自らの『演奏』をも加えることで、音刃の威力と命中精度を何倍にまで引き上げているのだ。
「どうやら察したようですね、カルデアのマスターよ。貴方の推察は正しい。アマデウスの援護を受けた私は、日輪の加護を受けたガウェインに遅れをとらぬものと自負しています」
これまで多くのサーヴァントと出会い、戦ってきた。メアリーとアンが代表的だが、中にはタッグを組んでいるものだっていた。
だが敢えて断言しよう。このタッグは最悪だと。
「分かりましたか? 貴方達だけでは私達には絶対に勝てはしない。故に改めて勧告します。ルイ・シャルル殿下を引き渡して頂きたい」
「そんな、ことが」
「――――出来るわけありません!」
口を揃えて言いきった自分達に、トリスタンは悲観的に顔をしかめる。
「貴方達であればそう答えると思っていました。嗚呼、どうして予感というものは悲しいものばかりが当たってしまうのか。やはり私は貴方達を傷つけねばならぬ運命にあるようです」
トリスタンが弦に指をかけた。
アマデウスによるサポートを受けたトリスタンの音刃は、一撃一撃が対軍宝具級の威力を誇る。あれを防ぎきるには、宝具を開帳する他ないだろう。
「おや。トリスタン、どうやら時間切れのようだよ」
不測の事態に気付いたのは、誰よりも優れた耳をもつアマデウスだった。
相棒であるトリスタンが「何が?」と聞き返す間もなく、二人の頭上へ無数の剣群が降り注ぐ。
なにが起きているのかさっぱり分からない自分とマシュとは反対に、トリスタンは一瞬で全てを察すると、動きの鈍いアマデウスを抱えて剣群から逃れた。
一本につき2mはある規格外の大剣が着弾する。驚くべきはその全てが意匠を同じくした、ランクBの神秘量を内包した聖剣だったことだろう。
「■■■■■■■ーーーーーーッ!!」
そして草原に反響するのは、理性を喪失した狂戦士の咆哮だった。
「退却します。無事な者は気絶した兵を運びなさい」
別れの挨拶も惜しいとばかりに、トリスタンは即座に兵を纏め引き上げて行く。敵ながら鮮やかな引き際だった。
『関心している場合じゃないぞ藤丸くん! そっちにサーヴァントが物凄いスピードで接近している! クラスはバーサーカーだ!』
言われなくてもあの咆哮でバーサーカーだと分かる。
それもトリスタンほどの騎士がああもあっさり退却を決断するあたり、かなり不味いサーヴァントらしい。
自分達もここから逃げた方がいい……そう決断した時には、既に遅かった。
「■■■■■■■■!」
自分達の行く手を塞ぐように、2m近い大男が着地してきたからだ。全身を染め上げる黒銀の肌は金剛石のようで、凶悪な眼光からは理性の光がまるで感じられない。両手には着弾したものと同じ聖剣が握られている。
なによりも全身から迸る暴力的殺意は、ヘラクレスにも引けをとらぬものがあった。
狂戦士が聖剣を振り上げようとした、その時。
「止めるんだ、剣を引け
麗しい風貌の騎士が、狂戦士を一喝した。
「あ、貴方は……?」
それはトリスタンとアマデウスに続いて見覚えのある顔だった。
オルレアンでバーサーク状態にされたことで、高潔な騎士でありながら白百合への反逆を余儀なくされた悲劇の英霊。
「シュヴァリエ……デオン!?」
「それにオルランドとは、もしかしなくてもあの高名な……!?」
「久しぶりだね。以前は余り話せなかったから改めて名乗らせて欲しい。シュヴァリエ・デオン、白百合の王家に仕える騎士だ。オルレアンでは無様を晒したけれど、慈悲深い陛下の采配で今は竜騎兵団を預かっているよ」