断末魔の絶叫をあげながら地面をのたうち回る始皇帝。
黄色い呪槍は独りでに抜けてディルムッドの手へ戻ったというのに、一向に心臓に合いた風穴が塞がる気配はなかった。
「何故だ……何故だァッ! このッような……どうして傷が塞がらんッ! この世界で、俺は不老不死を……得ているというにィ……」
「無駄だ。我が魔槍、
「不治の呪いだとォ!? そんな屑のような能力でこの俺が……朕が……私が……負ける? 認めん、認めんぞぉォ! 王翦、なんとかせぬかァ!」
「…………陛下。申し訳――――」
「ッ!?」
傍らにいた王翦が機能を停止させる。
本来傀儡兵は内部に備えた魔力炉によって自律稼働できるが、始皇帝によって短期間で強引に復活させられた王翦は、始皇帝本人から常時供給される魔力によって存在を保っていた。
それがなくなってしまえば王翦は機能停止するのは自然なことである。
「役立たずがァ! 謝罪など一文にもならん、死ぬのであれば……せめて敵兵の首の一つでも獲らぬかァ……ッ! ぐおおおおおっ!!」
不老不死の護りにとって天敵たる不治必滅の呪い。
世にその呪いを宿した宝具は数あれど、その多くはそれを凌駕する加護というある種の力技で無効化してしまえるが、こと『
不老不死だろうと超回復能力だろうと、この『
「おぉぉぉぉお、グォォオおおおおおおおおおおおお――――!」
心臓が破壊されても始皇帝は桁外れの気力と無尽蔵の魔力によって現界を保とうとするが、そもそもの霊核が潰されていてはそれも長くは続くまい。
存在維持に全集中したことで世界維持に回す力がなくなったのか、始皇帝の願望を具現化させた夢幻世界は霞のように消え去っていく。
――――血も涙もない数字のみが始皇帝を倒す。
宋江が最期に残した言葉が甦る。
振り返ってみれば、この戦いには奇跡などというものは起こらなかった。
令呪によるマシュの宝具解放など綱渡りのギャンブルはあったが、絆や友情の勝利というよりは、こちらの作戦と相性が上手く効いた故に勝つべくして勝ったといえるだろう。
夢幻世界が完全に消滅する。
戻ってきたのは元いた宮殿――――というには少々見晴らしが良くなっていた。天井など完全に穴が空いていているし、柱や玉座も粉々になっていて、それはまるで秦王朝が辿る未来を象徴するかのようだった。きっと項羽とテセウスによる戦いの余波だろう。
「おのれェ……そうだ……呪いの発生源が槍ならば、槍さえ壊せば……この忌々しい呪いも消えよう! 誰ぞ、あの槍を叩き壊せ! 壊したものは奴隷であろうと貴族に取り立てるぞ!」
「見苦しいぞ始皇帝。そなたは負けたのだ、これ以上の足掻きは貴様の名を汚すことになるぞ」
「黙れ! 下賤なる槍兵風情が俺を語るな……なんなら貴様でもいいぞ、
「フッ。世界征服を目指す王に勧誘されるのは二度目だな。いやお前の場合は征服ではなく〝統一〟か。どちらにせよ俺の返答は変わらん。我が槍は今生における我がマスターへ捧げしもの。その提案には承服しかねる」
「き、さまァ……ッ!」
ごふっ、と強く咳き込むと始皇帝は血の塊を吐きだした。
始皇帝は死んでいる。この世の摂理が始皇帝を死んだものと看做しているからだ。数理的に考えて死ぬのが自然である。
それでも始皇帝は未だ消えはしない。体を薄れさせることすらなかった。到底信じられることではないが、始皇帝は自分の意思の力だけで自然の摂理を捻じ曲げているのだ。
あれだけ人間の意思や心の力を信じず、合理と数理のみを信じた始皇帝が、最後に自分の意思の力で数理を否定している。
〝矛盾だ〟
今の始皇帝は矛盾している。
もしもこの矛盾を始皇帝が生前に味わっていたら、なにかが変わったのだろうか。
「ふざける、な……ァ。俺は……まだ、こんなところで死ねんのだ……死にたくなどない……俺以外に、誰がこの世の絶対者として君臨できよう……。
こんな場所で……一人……死ぬなど………絶対に、認めるものかぁぁああああああああああああああ!!」
自分の吐きだした血反吐で白銀の鎧を汚しながら、始皇帝は血走った眼光で立ち上がる。
始皇帝を中心として発生する黒い瘴気。渦巻くそれによって始皇帝の姿が視認できなくなる――――寸前に見た。始皇帝の心臓があった場所に、黒い泥の塊のようなものが埋まっているのを。
測定不能な魔力の暴走がこの世界そのものを震わせる。
「おいなにが起きてるんだべ! 心臓ねえのに動いてんぞあいつ!? まさか始皇は本当に神仙にでもなりやがったのか!? いやどちらかっつーと神仙というより邪仙っぴけど」
「いや我が槍は心臓を穿てば神仙の類であろうと殺す呪槍。それはない。これは――――」
「まさか始皇帝の持つ聖杯が暴走して!?」
マシュの言葉を裏付けるように、黒い瘴気から出てくるのは人間の邪念を物質化したような黒い触手。ただの触手と侮るなかれ。その触手一本一本にサーヴァントが内包するものと同レベルの魔力が宿っていた。
無数の触手には目が見えていないのか、手当たり次第に周囲のものを破壊し出す。
「このまま放置することはできんな。聖杯を暴走させているのは人の意思。つまるところ始皇帝だ。元凶を断てばこの邪悪なものも消えるだろう」
『待ってくれディルムッド! その触手に近づいたら駄目だ!』
始皇帝を仕留める前へ出たディルムッドを、ロマンが慌てて制止する。
『あの触手は霊体であるサーヴァントに対しては天敵だ! 触れたらその瞬間に魔力へ還元吸収されてしまうぞ!』
「なんと?」
『……きっとマシュの言う通り始皇帝の強過ぎる死の恐怖と生への執着が、聖杯を暴走させているんだ。自分の命を補う為に周囲の命を奪おうとしてるんだろうね』
「馬鹿な。我が槍によって穿たれたことで、始皇帝の命は死んだものとして『固定』されている。どれだけの命を吸収したところで命が戻ることなどないというのに」
『君のような潔い英雄ならばおかしいと思うかもしれないね。でも人間として言わせてもらうと、僕にはちょっとだけ始皇帝にも共感できるよ。……自分の死に直面してしまえば、死を拒絶するのに精一杯で死を受け入れる余裕なんてないものさ。はは……君達からすれば一人安全な管制室に引き籠っていてなにを言うんだって恥ずかしい話かもしれないけどね』
「いえ。死ぬことに恐怖するのは当然のことです。だってそれは生きていたいと思う裏返しなんですから」
「うん、俺も分かるべ。俺も楚の兵隊共に追いかけられて死にかけた時は、息子と娘を放り捨てても生き延びようとしたもんだ。やっぱ自分の命大事だよな」
「貴方はちょっと恥を覚えて下さい」
ロマンに珍しく優しげな視線を向けたマシュは、劉邦には一転して鳩の糞でも見るような目を向けた。
今までの特異点で出会ったサーヴァントは一緒に戦えば戦うほどに好意を持つ人ばかりだったのに、どうして劉邦は一緒にいればいるほど好感度が下がるのだろうか。
「それよりドクター。あの触手に触れられないならどうすれば?」
『……ベストなのは、強力な対軍宝具で遠くから吹っ飛ばすことなんだけどね。えーと沛公……じゃなくて陛下は』
「無理だべ。あのカルナとの戦いから魔力消費しっぱなしで遂に底をついた。もう小火だって出せねえよ」
この中で唯一の対軍宝具持ちの劉邦が白旗をあげる。
「対軍規模でなければ駄目なのだ。先程のようになんなら俺が槍を投擲するが」
『アレを止めるには、始皇帝の心臓を埋めた〝泥〟を正確に貫かないと無理だ』
「……目に捉えさえできれば、百里の彼方であろうと命中させる自信はあるが。生憎と千里眼の類は持っていない」
『千里眼でもあの黒い瘴気を透視するのは厳しいよ。あれを見透かせる眼なんてそれこそ魔術王の〝眼〟くらいさ』
「じゃあどうすんだべ? いっそ引き上げてから俺が魔力回復すんのを待つか? それとも項羽将軍か外の公孫勝でも連れてくるか?」
『残念だけどそんな悠長に構えてる時間はありません。暴走状態の聖杯をこのまま放置していたら、助けを呼ぶ前にこの特異点が吹き飛んでしまう! そうなったら全部おしまいです!』
「げぇ! 大ピンチじゃねえか、どうするんだべ! そうだ、こういう時こそ知恵袋の張良&陳平の出番…………って二人呼ぶ魔力もねえんだった」
『ふふ、お困りのようだね』
「ダ・ヴィンチちゃん!?」
劉邦の配下の二大軍師の知恵を借りることは出来なくても、カルデアには彼等に負けぬ大天才がいる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。おおよそあらゆる分野において才能を発揮した万能人。そんな彼/彼女は当然のように軍略にも精通している。もはや彼女の才能だけが頼りだった。
『いけないなぁ。世界を救うマスターがそんな辛気臭い顔してちゃ、救えるものだって救えないよ。安心したまえ、カルデアにはこの天才がいるんだ。大船に乗ったつもりでいなよ』
「ダ・ヴィンチちゃんにはアイディアがあるのか?」
当然だ、と自信満々に断言するダ・ヴィンチ。
『非常識な事態に陥った時こそ常識的思考を忘れちゃいけないよ。常識に囚われないのも良いが、常識を捨てるのは良くない。こういう時は初心に帰って……近づいて物理で殴ればいいのさ♪』
「…………………ホワッツ? ダ・ヴィンチちゃん、わんもあぷりーず?」
『近づいて物理で殴ればいいのさ!!』
『待った!! 待った!! その作戦、異議あり!!』
検事から理不尽過ぎる要求をされた弁護士の勢いで、ロマンが顔面を蒼白にして反対する。
『なにを言ってるんだレオナルド! あの黒い触手は霊体のサーヴァントには天敵なんだぞ! マシュのようなデミ・サーヴァントや劉陛下のような擬似サーヴァントだって同じだ! ディルムッドやマシュなら運が良ければ触手は掻い潜れるかもしれないけど、始皇帝を覆う瘴気の渦に触れればアウトだ!』
『ああそうだとも。
『――――っ! まさか、君は……!?』
どれだけ強い力をもとうともサーヴァントには、触手と瘴気の渦を超えて始皇帝の所に辿り着く事は出来ない。
だがサーヴァントではない普通の人間であれば話は別だ。ちゃんとした生身の肉体があれば、瘴気の渦に入っても即座に吸収されることはない。
そしてこの場にいる純粋な人間は一人しかいなかった。
『というわけでカルデアの誇る人類最後のマスター。待望の見せ場到来だよ』
『む、無茶だ! 幾らなんでもそれは無謀が過ぎるぞ!』
「先輩……」
『まぁね。天才の名折れだがこの作戦の成功率は良くてフィフティーフィフティー。五分五分の運否天賦さ。だから判断は当人に任せるよ』
そんなもの悩むまでもなかった。ギュっと拳を握りしめて気合を入れる。
「やるよ。俺が始皇帝を倒す」