始皇帝を頂点とする秦軍と、劉邦を頂点とする漢軍による正面対決。歴史家であれば涎を垂らしかねない好カードであったが、戦いの流れは完全に秦側にあった。
劉邦が喉を枯れるほど自軍を鼓舞し、指示を出そうとも、六虎将最優の王翦の采配はそれを嘲笑うかのように上回っていく。
傀儡将はサーヴァントではないので、英霊としての宝具は持たない。しかし英雄としての
王翦の有するスキルはBランクの〝戦略〟とCランクの〝軍略〟。清々しいまでの指揮官型のスキル構成は、そのまま彼の将としての力量を露わしていた。
劉邦は王翦にはないカリスマ性でどうにか差分を埋めようとはしていたが、始皇帝が繰り出してくる援護射撃がそれを無為とする。
マシュやディルムッドといったサーヴァントの奮戦は一騎当千の英雄に相応しい見事なものだったが、それも趨勢を左右するには至らない。
アーラシュが欠けてしまった重みが改めて圧し掛かってくる。
劉邦と外に残った公孫勝を除外すれば、彼だけが対軍戦能力を持っていた。
カルナという壁を超えるにアーラシュの死は不可避なものであったが、それでも思わずにはいられない。もしもアーラシュがここにいれば、弓矢生成による矢の雨で傀儡兵を一掃できたものをと。
「畜生! おいマシュの嬢ちゃんでもディルムッドでも誰でもいい!、敵軍纏めて吹き飛ばすEX宝具とか持ってねえのか!? このままじゃジリ貧だべ!」
「そんなものがあれば、とっくに使っている!」
「同じくです!」
劉邦の無茶ぶりに最前線で戦う二人は至極もっともな反論をしてきた。
これには劉邦もぐうの音が出ずに口を噤む。
「陛下。無駄口を戦いている暇があるなら指揮に集中を。負けますよ?」
「陳平! お前も呑気にくつろいでんじゃねえべ! なんか策出せ策! 王翦と始皇帝をいい具合に疑心暗鬼に陥らせた挙句に憤死させるようなエグいのはねえのか!?」
「ははははははははは、可笑しなことを言いますね。謀略っていうのは人を欺くものなんですよ。
完全なる無機物の傀儡兵と異なり、傀儡将は人間の心を有してはいるといっても、やはり本質的には始皇帝の人形に過ぎない。
蒙武のように強烈過ぎる闘争本能があるなら話は別なのかもしれないが、傀儡に徹している王翦相手には効果はないだろう。
「笑いながら役立たず宣言してんじゃねえべ! 陳平だけじゃねえ……お前等仮にも建国の功臣だろうが! 王翦一人に負けてんじゃねえべ!」
「手厳しいですね。でも陛下、人間には向き不向きや才能の有無がありますから。曹参殿や樊噲殿がどれだけ奮起しようと、王翦の将才には及びませんよ。あ、もちろん陛下自身も含めて」
「……事実だが、一言余計だべ。生前なら
冗談まじりに物騒な事を口走る劉邦だが、実際には冗談でもなんでもなかった。天下統一をなした覇者が後に疑心暗鬼の皇帝病にかかって功臣を粛清した例は数多く、劉邦もその例には漏れない。
劉邦は受けた恨みは忘れない男なので、陳平が生前も今のように皮肉をぶちまけていたならば、確実に寿命は縮まったことだろう。
「怒らないで下さいよ陛下。だって時間的にもう直ぐのはずですから」
「もう直ぐ? …………っていうと」
「しょうか殿が兵站、張良殿が戦略ならば――――〝戦術〟は適任者に任せましょうよ。ねえ、韓信殿」
劉邦の求めに対する合意が成立し、固有結界内に新たに一人の人間が召喚された。
負の意味で大衆に埋没できない冴えない風貌と、最上位の将帥しか纏う事を許されぬ煌びやかな甲冑。一見するとアンバランスな組み合わせが、実に噛み合っているのは、男が自分の才能に圧倒的な自信を滲ませているからだろう。
百万の軍勢が連続召喚された迫力と比べれば、その男が現れた事に対する反応は静かなものだった。だがその男の能力を知る劉邦にとっては、百万の軍勢に数倍する援軍が駆けつけたも同じである。
「遅かったじゃねえか韓信。遅刻は軍規違反で斬首だべ?」
「――――やれるものならどうぞ。王翦を凌駕する唯一の人材を殺せるものならばね。それと生憎だけど僕はもう貴方の配下であるという認識は持ってないよ。
結果的には僕がなれなかった皇帝になった英雄として尊重はするけど、尊敬はしない。ここへだってれきいきへの罪滅ぼしがなければ来るつもりはなかったよ」
「別にそれでいいべ。今俺が欲しいのは無能な聖人君子じゃねえ。性格が悪くても有能な奴だ」
「采配の巧みさは変わらないようで憎らしいよ。それじゃあ指揮権を貰うよ」
劉邦から軍の指揮権をもぎ取るように奪った韓信は、聞き取りが困難なほどの速度で兵を率いる将達に指示を飛ばしていく。
軍団を一つの生き物に例えるなら、総司令官とは頭脳に当たる。頭が入れ替わった劉邦軍は別人のように機敏に動き始めた。
「これが国士無双、噂に違わぬといったところか」
動きの変化は最前線にて槍を振るうディルムッドにも分かった。
劉邦の指揮が特別悪かったわけではない。それどころか十分に良い采配だったが、韓信という男は常人が想像する『最良』を軽々と越えていく戦術の怪物だ。良将止まりの劉邦の軍略など、韓信からすれば並みと変わらない。
「…………………っ」
これに焦りを覚えたのは敵将である王翦。
名将は名将を知る。主君の手前、表情には欠片も出さなかったが、王翦はこと戦術において韓信が自分を凌駕する化物であることを早々に理解してしまっていた。
これで蒙武や李信など他の六虎将であれば、名を汚すまいと奮起しただろう。だがそういったプライドと遠いというのが王翦の短所であり長所だった。
「陛下、状況が変わりました。韓信の軍略は私の上にあります。このまま戦えば負けるでしょう」
「下らんぞ。貴様は六虎将筆頭たる秦帝国最優の将だろうが。貴様の敗北が朕の威光を汚すことになるのは理解していような。不利な状況でも覆してみせるのが六虎将の務めだろうが」
「それは他の者にお求めを。蒙武、李信と違って私は勝てる戦にしか勝てません」
蒙武や李信は自分の武勇を活かした破壊力で、不利な条件でも勝てる爆発力を発揮する猛将だ。一方で敵の策略にまんまと嵌まってしまい、格下の将に負けることもある。要するにムラがあるのだ。
対して王翦は負け戦を勝ち戦にする力も、ただの勝利を大勝利にする爆発力はない。条件が不利な中で戦えば敵が失策でもしない限り負けるだろう。しかし条件が有利ならば確実に勝利を引き寄せることができる。蒙武達とは反対に安定しているのだ。
分かりやすくトランプゲームの大貧民に例えれば『8』に相当する将といえる。自分より上の数字には手も足もでないが、自分未満の相手なら絶対に勝てる。
配下の兵士には蒙武のような猛将の方が人気があるし、後世の人々が熱狂するのも彼等のような派手な人間だ。しかし始皇帝や劉邦のような主君側からすれば、王翦のように安定して勝ってくれる将の方が有り難いのである。劉邦が周没を重宝したのもそれが理由だ。
「ふん。貴様以外であれば下らんと斬って捨てたところだが」
王翦の自己評価は極めて公平だ。王翦が自分より上ということは、間違いなく韓信は王翦――――いや、六虎将全てを上回る化物なのだろう。
「勝てない戦を勝てないと言うだけなら稚児にも出来よう。態々このまま戦えば、と前置いたということは勝てる方策はあるのだろうな」
「はい、単純なことです。陛下、御起立をお願い致します」
「……〝私〟に鎧を着込めと?」
「はっ!」
官を兼ねないという原則を自分にも適用させている始皇帝は、他のサーヴァントのように自ら戦うことは『基本的』にない。
だが皇帝は法の上にある存在という思想から、場合によっては自らの法を無視することもある。
チンギス・ハンとの戦いが正にそれだ。
東の征服王、蒼き狼の異名をとるチンギス・ハンは始皇帝に匹敵する力をもつ規格外のサーヴァントである。そのため始皇帝は直ぐに法を投げ捨て、自ら鎧を装備し戦ったのだ。
始皇帝は戦場を睥睨する。そこでは韓信の国士無双の軍略によって統率された雑兵が、始皇帝の
宝石魔術による援護射撃は続いているが、王翦の言う通りこのままでは押し切られるだろう。
「劉邦の如き匹夫風情に私自ら弓引くことになるとはな」
溜息を噛み殺して立ち上がり、鎧を装備する――――――刹那の空隙だった。
舞ったのは白く儚い花弁。鼻孔をくすぐる香りに、始皇帝は目を見開く。そこに一人の刺客が、長年待った愛しい人を出迎えるように立っていた。
史記が刺客列伝にて語られし天下の義侠。荊軻だった。
――――残り十歩、必ず殺す。
荊軻はこの時だけを待っていた。
元より己は刺客。それも暗殺することに失敗した役立たずに過ぎない。ディルムッドのように最前線で戦ったとして万夫不当の活躍など出来ぬし、将として兵を率いることも無理だ。
自分にできることは殺すだけ。だから殺す、生前果たせなかった役目をここに果たす。
しかし始皇帝には高ランクの気配感知スキルがある。不意をつくのは容易なことではない。
だから待ったのだ。始皇帝が別のことに意識を集中して、気配感知を鈍らせる瞬間を。
宝石魔術を行使する際も、始皇帝は一切気配感知を緩めることはなかった。けれど始皇帝が立ち上がり鎧を着こもうとした時、漸く荊軻を縛っていた重圧は消えてなくなった。
それはきっと『皇帝』から『将帥』へ頭を切り替えるため、無意識に生まれた空白だったのだろう。
僅かという表現ですら過大な極小の隙は、例え山の翁であろうと見切れまい。
だが荊軻には見切れる。
あの日、燕国の太子の依頼を受けてから、ずっと
「――貴様っ! 下郎が!!」
鎧を着込む時間すら惜しいと始皇帝は腰の剣を抜き放つ。
この戦ではずっと玉座に座りっぱなしだったが、始皇帝は剣術の腕前も相当のものだ。皇帝特権を使えばセイバーのクラスにも納まってみせるだろう。
だから抜かせない。その前に命運を奪い去る。
恋人の胸に飛び込むように荊軻は後一歩のところまで迫ると、
「
毒塗りの匕首を始皇帝の胸に突き刺した。
「……ぐぉお……き、さま――――っ!」
「ああ、腕からお前の命の灯が消える感覚が伝わってくる。漸く……後一歩を、超えられた」
致死性の毒が始皇帝の全身へと回り、その細胞という細胞を殺し尽くしていく。生前の未練を今生にて成就させた荊軻は、感極まって一筋の涙すら流した。
傀儡兵はまだ戦っているが、頭である始皇帝が死んでしまえば、手足が残っていようと意味はない。誰もが始皇帝の死を確信した。
「下らん」
鬼の形相で始皇帝が睨みつけるまでは。
「……………なに?」
消えて行ったはずの命の灯が凄まじい勢いで再燃していく。
そして世界の流れを押し戻すほど強烈な自我が、死の摂理を追い越した。
「がはっ!」
始皇帝の手が荊軻の首元を掴み、ぎちぎちと締め上げた。
苦悶に歪みながらも荊軻は匕首を腕に斬りつけて抵抗するが、いつの間にか着込まれていた鎧に弾かれてしまう。
「何故、だ……何故生きている……どうして死なない……?」
「始皇帝だからだ」
荊軻を握る握力はどんどん強まっていき、もはや荊軻は呼吸することすら儘ならなくなっていた。
意識が真っ白になり、視界はみるみる薄まっていく。
『――――くっ、そういうことか! ここは始皇帝の夢が具現化した絶対皇帝圏。ここでは始皇帝の夢は全て実現する。始皇帝が夜を望めば夜になるし、昼を望めば昼になる。そして始皇帝にとって最大の夢は』
「不老不死、か」
ロマンの推察を劉邦が補足する。
不老不死の探索というのは全世界に共通する逸話だが、中でも始皇帝が不老不死を求めた伝承は特に有名だ。その知名度たるや人類最古の叙事詩たるギルガメッシュ王の冒険をも凌駕するだろう。
ここが始皇帝にとっての夢が実現する空間ならば、最も強く反映されるのは『不老不死』なのは間違いない。
つまるところ始皇帝はこの世界が続く限り不死身なのだ。彼を殺すには不死身を無効化する概念をぶつけるか、一撃をもって全身を跡形もなく粉砕するしかない。
「そんなことより荊軻を助けないと! マシュ!」
「了解です、マスター!」
ディルムッドのように荊軻と正式な契約を結んでいなかったことが悔やまれる。仮契約の荊軻では令呪を適用させて、緊急避難させることも出来ない。
群がる傀儡兵を薙ぎ倒しながら荊軻の下へ急ぐマシュ。しかしそれよりも始皇帝が手に力を込めるほうが絶望的に早かった。
――――ぐしゃ。
生々しい音は、戦場にも関わらず厭なほどによく聞こえた。
自分が見たのは首があらぬ方向に折れ曲がった荊軻の姿。始皇帝はゴミでも投げ捨てるように荊軻の亡骸を無慈悲に放った。
粒子となって消えて行く荊軻の体。それを見て心が咆哮した。
「始皇帝ぇぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
「下らん。喧しい、五月蠅いぞ貴様。女一人死んだ程度で大袈裟に騒ぐな愚民め」
「っ!」
これは互いの命を賭けた闘争だ。だから例え味方が殺されたとしても、実際にできるかどうかは別として憎むべきではないと理解している。
けれど始皇帝の荊軻の命を侮辱する言動は許せなかった。
「訂正して下さい、女一人なんかじゃありません! 私達の……大切な仲間を、貴方は奪ったんです!」
「……理解できん。意味が分からんぞ。仲間? たかがサーヴァント一体消えただけだろう。通常の聖杯戦争と違って一騎のサーヴァントが唯一の戦力というわけでもあるまいに、なにをそう惜しむ必要がある?」
「――――!」
始皇帝の言動に怒りは覚えなかった。これは荊軻を侮辱しているのではなく、始皇帝は本当に死を悼む感情を理解できていないのだ。
もしも子供の頃にそれを教えてくれる人が一人でも始皇帝の傍にいれば、もしかしたら歴史は大きく違っていたかもしれない。ふとそんなことを考えた。
「ええぃ、気色が悪い。私の理解に及ばぬものなど必要ない。消え失せろ!」
陵墓より無数の宝貝を取り出した始皇帝が、波状爆撃を仕掛けてくる。
国士無双の韓信といえど卓越しているのは軍略であって、宝貝を防ぐような概念防御はもっていない。宝貝の攻撃は劉邦軍の兵士たちを削ぐように吹っ飛ばしていった。
「平伏せ愚民共! 下らぬ貴様等には下らぬ死が似合いの末路よ!」
苛烈かつ激烈に始皇帝は自らの敵対者を弾圧する。
通常のサーヴァントであれば直ぐに魔力を枯渇させるほどの大盤振る舞いも、聖杯を所有する始皇帝には問題にならない。無尽蔵の魔力供給を使い果たす勢いで始皇帝は宝貝を連射していった。
「やりたい放題やりやがって! おい韓信、国士無双でなんとかしろぉぉおお!」
「出来るんならなんとかしているよ。生憎だけど固有結界の効果で呼ばれてる僕は、僕自身の宝具を所有していない。そもそも
生前の自らの軍勢を召喚する『
相手がAランク程度のサーヴァントなら百万の軍勢と韓信の軍略があれば十分殲滅できるが、EX級で尚且つ聖杯を所有する始皇帝が相手ではこれでもまだ足りないのだ。
「俺だってやれんならとっくにやってるっての。カルデア、お前等なんか一発逆転の案出せ。さもないと俺達、死ぬべ」
「…………案」
始皇帝の魔力切れを待つというのは論外だ。聖杯の魔力は無尽蔵。あれが始皇帝の手にある限り、魔力切れということは起こりえない。仮に聖杯の魔力に底があったとしても、こちらが殲滅される方が早いだろう。
だとすれば残された選択肢は一つしかない。
「始皇帝を倒す」
「はぁ!? んなもんさっきからやって…………あ、そういうこと」
「軍団同士の戦いで傀儡兵をちまちま削っていてもこっちが負ける。だったら宝具の解放で親玉の始皇帝を一気に倒すしかない」
将棋にしろチェスにしろ配下をどれだけ削ったところで、
始皇帝さえ倒してしまえば、この戦いに勝利できる。
「勝算は?」
劉邦が聞いてくる。
始皇帝が陵墓に貯蔵した数々の宝貝。それに夢幻世界が始皇帝に与える不死身化や仙人化などといった様々な特性の数々。それに始皇帝のことだからきっとまだ切り札を残しているだろう。
劉邦の『
もう一度だけこちらの戦力とあちらの戦力をよく吟味する。その上で敢えて強い口調で断言した。
「ある!」
「ならいいべ。どっちにしろこのままだと死ぬんだ。お前の勝算に命を賭けよう。韓信、ちっとの間だけ兵士を肉壁にしてろ」
徳のある(と後世に宣伝された)皇帝らしからぬ酷い命令を下した劉邦は、己の全魔力を剣へと注ぎ込んでいく。
固有結界維持に必要な魔力すら注いだ剣は、伝承を反映するように赤い龍炎を纏い始めた。
乾坤一擲。劉邦が宝具を解放した瞬間、固有結界は維持することができなくなり解除されるだろう。そうなればこちらの負けは決まったも同然だ。
「マシュ、ディルムッド! 勝負に出るぞ!」
「了解です、先輩!」
「承知した、マスター!」
『無茶だ! 始皇帝はきっとまだ対軍宝具なり対城宝具なりを隠し持ってるはずだ! マシュの盾は〝焚書坑儒〟で封じられているし、実質こちらで対軍級の火力を放てるのは劉陛下だけなんだよ!?』
『落ち着きなよロマン。ここは我等が誇る最後のマスターを信じようじゃないか。これまでだってマシュと二人三脚どうにかやってきたじゃないか。だったら今回もやってくれるさ』
『けど』
『それに沛公の言う通りこのまま削り合いを続けても勝ち目はないことくらい、例え天才じゃなくてもナビゲートしてるロマンには分かってるだろう?』
『……………策は、あるんだね?』
「はい。始皇帝が通信を傍受してる可能性もあるので説明はできないけど」
『ならいい。よし、カルデアの電源を君のバックアップに集中させるよ! どうせやるんなら思いっきりぶちかましてやろう!』
「了解、ドクター」
切り札はある。聖杯探索を行うマスターに与えられた三画の令呪。
前に一度使ったがカルデアのバックアップにより既に補填され、自分の手甲には三画全ての刻印が揃っていた。
策はある。それを実行してくれる味方もいる。成否は――――マシュとディルムッドの二人に信頼して任せる。
戦う力をもたない自分の役目は皆に指示を出して、作戦を考えること。それが終わったのならば後は仲間を信じるのみだ。
「陛下。彼等は賭けに出るようです。どうなさいますか?」
どれだけ戦況が変わろうと黙々と指揮を執り続けていた王翦が、始皇帝に伺いを立てる。
「このまま消耗戦をしても負けるならば、将たる私を討つことでの逆転を狙う。実に下らんな、低俗な愚昧が考えそうな手だ。だが少しばかり――――気になるな」
自分以外の全てを下と見る始皇帝ではあるが、決して他者の能力に対して無知なわけではない。徹底して感情論を廃除して合理を追及する始皇帝だからこそ、人格はさておき能力面に関する評価の信頼性は高いといえる。
そして始皇帝はカルデア以上にカルデアとそのマスターの能力を評価していた。
集めた情報によれば元々は数合わせの一般人に過ぎないそうだが、彼が極めて高いマスター適正を持っていることは、これまで四度の特異点の修復に成功したことが実証している。その彼等がまったく勝算なく賭けに出てくると思うほど、始皇帝は楽観的ではなかった。
この鎧を装備した時点で始皇帝はカルデアと劉邦のことを、チンギス・ハンと同じ『自分を滅ぼしうる敵』として認識している。
その合理的思考回路が始皇帝に自らの最終兵器の使用を決断させた。
始皇帝の手に弓矢が出現する。それは陵墓に貯蔵された宝具神宝と比べれば貧相にすら映る、現実世界では魚一匹殺すのがやっとの雑多品だ。
されどこの夢幻世界において貧相な弓は、神殺しを成す天弓と化す。
「――――
先に解放されたのは劉邦の宝具。
剣より放たれた龍炎は息吹となって傀儡兵を焼き払いながら始皇帝へ迫る。
ランクA+という魔法一歩手前の『火力』に対抗できる宝具をもつサーヴァントは一握りだ。ましてや上回る宝具などそれこそカルナのような超級サーヴァントしか持ちえぬだろう。
だが逆を言えばカルナと並ぶ超級サーヴァントであれば、誰しもそれを凌駕する宝具を持つということでもある。
「三皇五帝も我が威光に及ばず、我が光輝に届かず。山は削られ、海は割れ、日輪は喰われ、天は降る。衆愚共よ、唯一絶対なる力を知るがいい! 勅を下す――――
放たれた神殺の天弓が龍炎を圧倒していった。
チンギス・ハンに放ったものとは違い全ての『夢』を注ぎ込んでいない不完全な真名解放ではあったが、龍炎程度を祓うにはこれで十分。
そも然り。五行説において赤龍の性質は〝火〟である。対して始皇帝が尊ぶは〝水〟だ。
水は火に相克する。例え同ランクの神秘だったとしても火属性の劉邦の龍炎では、水属性の始皇帝の天弓には通じない。相克を凌駕するにはそれを押し潰すほどの神秘の差が必要となる。
そして劉邦に差を埋めるものはなにもない。だが、
「――――カルデアの四十七番目のマスターが、我がサーヴァントたるマシュ・キリエライトに令呪をもって命ず」
使用する令呪は二画。
カルデアのバックアップと自分の魔力を全て令呪へ注ぎ込んでいく。
実戦で試すのは初めて……いや、それどころか訓練でもやったことのないことだが、成功させてみせる。
「〝宝具を開帳せよ〟」
マシュは自分と融合したサーヴァントの真名を知らないため、当然ながらそのサーヴァントの宝具の真名も知らない。それ故にマシュができるのは真名偽装登録による仮の真名解放であって、真の真名解放は行うことは不可能だ。
もっと言うなら始皇帝の『焚書坑儒』によってランクDの『仮想宝具 疑似展開/
「真名、開帳――私は災厄の席に立つ……」
けれど二画分の令呪を用いたブーストは『真名を知らない』という前提を無視して強引に真名解放を実行させた。
失敗するかは五分五分。仮に失敗したとしても真の真名解放された盾のランクがA+以下であれば『焚書坑儒』の呪縛により失敗する。
「其は全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷――顕現せよ、
果たして勝利の女神はカルデアに微笑んだ。盾を中心として顕現とした白亜の城壁は、神をも殺す天弓すら弾く。
敵を倒すためのサーヴァントの中にあって、味方を守ることこそが本領のシールダー。マシュの心が折れぬ限りにおいて、この城壁は無敵だ。
城壁によって天弓の威力が削ぎ落とされ、白亜の城の加護を受けた龍炎が勢いを増して始皇帝へ迫っていく。
「な、にぃぃぃいいいいいい! おのれ……このような下らぬ城壁風情で、私の……俺の覇道が遮れるものかッァ!!」
絶叫しながら始皇帝は天弓へ自らの夢を注ぎ込んでいく。
始皇帝は出し惜しみをなくした。チンギス・ハンに放ったものと同じ、全ての夢を結集しての殲滅を実行する。
これで――――勝利の方程式は完成した。
「……最後の令呪をもって我が騎士、ディルムッド・オディナへ命ず。跳べ!!」
「はっ!」
令呪によって強化された脚力がディルムッドを光すら追い抜く速度で飛翔させる。
白亜の城を飛び越え、龍炎を抜き去り、天弓をも通り抜け。その鷹のように鋭い眼光は始皇帝の姿を捕捉した。
「スキル〝皇帝権限〟発動。対象ディルムッド・オディナ、付与スキル:竜殺し」
劉邦のアシストによってディルムッドは、ジークフリートやゲオルギウスと同じ竜殺しの特性を得た。
始皇帝の白銀の鎧は竜鱗によって作り上げられたもの。よって竜殺しの特性をもつ者に対しては弱い。
「英姿颯爽、我が主に捧ぐ」
体を大きく仰け反らせ、ディルムッドは自らの肉体を槍を投擲するための一つの兵装へ変える。
装填するは必滅の黄薔薇、狙うは心臓。
「貫け、
フィオナ騎士団が一番槍、ディルムッド・オディナ。その投擲に外れなし。
必滅の槍は一切の矛盾なく始皇帝の心臓を貫いた。