Fate/Another Order   作:出張L

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第49節  統一

 中華の政治機構の中心だけあって宮中は迷路のように入り組んでいたが、荊軻という案内人とロマンのナビゲートのお蔭で迷う事はなかった。

 この特異点にレイシフトしてから漸く――――自分達は、始まりの男の待つ場所へ足を踏み入れた。

 

「辿り着いたか。インドとギリシャの大英雄とやらも他愛ない」

 

 咄嗟に歯を食いしばって耐えた。部屋に踏み入れた途端に降りかかってきたのは重力に百倍する程の重圧を伴った声。

 一切の情を排除した無機質さと、世界を焼くほどの憤怒。矛盾した二つを宿したそれに絶望したくなる。これが……こんなものが人間の発した音とでもいうのか。

 覚悟して顔を上げた。果たしてそこにその男はいた。

 包む皇帝服は水徳たる秦帝国象徴する黒。この世全てを憎悪する黒瞳は、底が見えないほど深く暗い。

 厳格という言葉すら足りない程の冷貌には、人間が人間であれば持ち合わせる喜びも、哀しみも、楽しみの感情もない。ただひたすらの〝怒り〟が男の感情を満たしていた。

 これが中国史の始まりたる男。皇帝という概念を始めて地上へ齎した星の開拓者。法家の権化、合理主義の究極。

 

「お前が――――始皇帝か?」

 

 中華だけではなく〝この世全て〟におけるファースト・エンペラー。

 独力で特異点修復という偉業を成し遂げ、この時代に乗り込んできたカルデアの敵。

 

「朕を知るのであれば貴様は何故そこに立っている。誰が朕の前で起立を許可した。平伏しろ。頭が高いぞ、頭を垂れ許しを請え」

 

「っ!」

 

 傲慢そのものの命令口調だったが、始皇帝の言葉には問答無用で人を従順させてしまう〝威〟がある。

 自分はこれまで多くの特異点で様々な皇帝や王と出会い、時に戦ってきた。その中には名君と呼べる者もいたし、後の世に暴君と畏怖された者もいた。しかしこの男ほど説明不能の〝絶対感〟を放つ皇帝は誰一人としていなかった。

 気を抜くと体が勝手に跪きそうになる。生物であれば誰もが持つ危機意識が最大限の警鐘を鳴らしていた。この男に従わねば死ぬ、と。

 だが、

 

「断る!」

 

「………………」

 

「俺はお前の家臣じゃない。お前に頭を下げる覚えは、ないぞ!」

 

 人類最後のマスターだなんだのと言っても、結局のところマスターである自分はマシュのように自分で戦う事は出来ない。

 だからこそ絶対に心で屈することだけは出来なかった。例え相手が項羽だろうと、始皇帝だろうと。

 

「理解が及んでいるのか? 今の啖呵だけで貴様は秦の法律を十以上は踏み躙ったぞ」

 

「聞こえなかったのか、始皇帝。我が主は貴様の臣ではないと言ったのだ。お前がどのような法を敷こうとそれは構うまいさ。だが我が主にまで貴様の法を強いる事は俺が許さん」

 

「そうだな。我等が今生にて従うべき法があるとすれば、それはマスターの命のみだ。お前ではないぞ始皇帝……いいや敢えて秦王政と呼ばせてもらおうか? 嘗て果たせなかった太子の頼み、ここで果たさせてもらうぞ」

 

 ディルムッドの挑発に荊軻も続く。

 殆どのサーヴァントは生前に何かしらの未練を残している。荊軻は自分の生き方を悔いてはいないが、その最期に一つの未練を残した。

 それこそが秦王暗殺。何億分の一かの運命の巡りあわせにより、彼女は未練を雪ぐ機会を得たのだ。

 

「貴様、あの時の刺客か」

 

「私の顔を覚えていたとは予想外に嬉しいな。無粋な横槍……いや薬箱を投げつける者はいない。存分に逢瀬を愉しもうじゃないか。こちらにはあの時の連れの兆倍頼もしい味方もいるが許せ」

 

「ふん。貴様風情にもはや用などないわ。朕の関心は――――」

 

 始皇帝の視線が一瞬だけ劉邦に止まると、憎悪が黒い瘴気となって溢れだした。

 

「お、俺ぇ!?」

 

 始皇帝に睨まれた劉邦が素っ頓狂な叫びをあげる。

 

「黙っていろ匹夫、口を閉ざせ下郎が」

 

「うわー。やべえ、めっちゃ恨まれてるべ俺。項羽ほど目茶苦茶やってはいねえんだが、やっぱ史書で好き勝手に悪口書かせたのが原因か?」

 

 今も昔も歴史書を記すのは往々にして勝者であり、勝者によって都合良く書かれる傾向が強い。それは劉邦と彼の開いた漢王朝にも当てはまるのだ。

 漢王朝の史書は基本的に劉邦と漢を正当にして贔屓気味に書いており、逆に項羽や始皇帝などは意図的に悪く描写されている。漢書などその最たるものであるし、有名な史記においてもその傾向は伺える。

 結果的に始皇帝は始まりの皇帝でありながら皇帝の悪例とされ、逆に劉邦は皇帝の好例としてしばしば対比されることとなったのだ。始皇帝が劉邦へ怒りを向けるのは当然といえば当然である。

 

「品のない男よ。良い、貴様は後で車裂きにする故、震えながら沙汰を待て。朕にはお前などよりも気になる者がいる。言うまでもなく貴様等のことだ、カルデア」

 

「!」

 

「回収した五つの聖杯、人理修復を成し遂げてきた実力、英霊召喚システム――――その全てに価値がある。認めよう、お前達には使い道があると」

 

「何が言いたい?」

 

「故に死以外の道を与える。聖杯を献上し、朕に降伏せよ。さすれば功をもって罪を相殺し、相応の待遇をもって迎え入れよう」

 

「なっ!?」

 

 まさか倒すべき相手から勧誘を受けるとは思わなかった。

 マシュだけではなくモニタリングしているロマンまで絶句しているのが伝わってくる。

 

「……どういう、つもりだ?」

 

「魔術王を確実に殺す為には戦力は幾らあっても足らん。貴様等の思想は理解できんが、貴様等の実績と能力は評価できる。この特異点で喪った駒も、貴様等と聖杯を得れば十二分に補填できよう」

 

 宋江が言っていた。始皇帝は独力で人理を修復し、魔術王と敵対していると。この分だと宋江の言っていた事は事実なのだろう。始皇帝の冷貌には、魔術王への確かな怒りが垣間見えた。

 自分達の目的は今更確認するまでもなく人類史救済と魔術王の打倒である。始皇帝が同じように魔術王打倒を目的とするのならば、共闘するというのは悪い選択ではない。

 

『甘い誘惑に乗っちゃ駄目だ!』

 

 ロマンが焦った口調で割って入る。

 

『相手は冷酷非情で有名な始皇帝だ! 使い道がなくなったら殺されるに決まってるし、もしかしたら降伏して油断したところを殺そうという魂胆かもしれない』

 

「その声はカルデアの宮廷魔術師だな。朕は貴様にも言っているのだぞ。その慎重さと組織を回す実務力もまた得難い。大臣の席が幾つか空いているぞ?」

 

『…………みんな。もしかしたら始皇帝はすっごい良い人かもしれない』

 

「ドクター! なにを真っ先に甘い誘いに乗っているんですか!?」

 

 あっさり陥落しかけた風雲ロマン城に、マシュが本気で怒った。

 

『ご、ごめん! でも第一印象で僕をこんな褒めてくれたサーヴァントは初めてだし』

 

 中国史上でも屈指の偉人に手放しで称賛された事がよっぽど嬉しかったらしく、ロマンは喜色を滲ませながら弁解する。

 もしかしたら散々サーヴァントに低評価を喰らっていたのを気にしていたのかもしれない。

 

「朕の前で密談に耽るとは呆れた傲慢さだ。して答えはどうだ? もっとも答えなど聞くまでもない。なにせ否と言えば貴様等の命はここで尽きるのだからな」

 

 始皇帝の背後の空間が蠢き、そこから無数の人ならざる者の気配が放たれた。

 項羽によれば始皇帝の宝具は十中八九が、大陸中の財宝秘宝をかき集めた陵墓を展開することだという。きっと空間の揺らぎの先にその陵墓があり、そこには数万を超す傀儡兵が犇めいているのだろう。

 

「…………」

 

 隣にいるマシュ、そしてサーヴァント達に視線を向ける。皆の表情が全幅の信頼とともに判断は委ねると言っていた。

 最後に劉邦。カルデアのサーヴァントではなく、かといって人類史よりも自分の命が大切という――――この英雄らしからぬ大英雄は、始皇帝の甘言を前に堂々としていた。

 

「俺はいいべ。きっと史書で散々あいつと秦のネガキャンしたのを恨まれてるんだろうな。降伏しても許されねえなら、俺にゃ戦うしか道はねえべ。

 まあお前がどうするかはお前に任せる。俺が説得したところで意味なんざねえだろうしな」

 

〝ただしお前がそちらを選んだ瞬間、俺はお前達の敵だ〟

 

 言葉にはされなかったが、劉邦の視線はそう言っていた。

 始皇帝に降伏して劉邦を倒すか、降伏をはねのけ劉邦と一緒に始皇帝と戦うか。道は二つに一つ。

 

「……答える前に、一つ教えてくれ」

 

「必要か?」

 

「必須だ」

 

 これまでの敵ならば、自分はきっと迷いなく始皇帝の誘いを拒絶して戦う事を選んでいただろう。実際今も降伏しようなんてまったく考えていない。

 だが相手の話や考えもまったく聞かずに、感情のままに拒絶するのはきっと間違っている。

 カルナは言っていた。始皇帝は絶対悪ではなく自分達とは対極の正義であると。ならば自分は正面からその正義を問い質さねばならない。

 倒すのも、降伏するのも。全てはその後だ。

 

「お前の目的は、魔術王を倒して人類史を取り戻すことなのか?」

 

 もしも頷いてくれるのであれば、臣下にはなれないが共に戦う事は出来る。握手を求める心の準備はできていた。だが、

 

「否定はせん。狭義における目的ではある。しかし魔術王の打倒など朕にとっては通過点に過ぎぬ」

 

「通過点……? じゃあ魔術王を倒して、その後にどうするつもりなんだ!?」

 

「吠えるな喧しい。むしろ問い質したいのはこちらだ現代人。。朕が死してより2000年以上。お前達は一体なにをやっていた?

 紀元前を超え21世紀になっても異なる国が存在し、異なる政治体制を敷き、異なる法をもって治め、異なる元首を仰ぎ、異なる神を信じ、異なる言葉を喋り、異なる通貨を使う。なんだというのだこの有り様は。不合理だ、不利益だ、無駄が過ぎるぞ。

 英霊として未来を知った朕の失望は貴様等には決して分かるまい。朕が永劫不滅にして不老不死たる身であれば、世界にかような無様な歴史を歩ませることはなかっただろう。やはり信じられるは我のみ。我が血を継いだだけの出来損ないと貴様等人類は、自らの愚行をもってその事を証明したのだ」

 

「じゃあ貴方の目的というのは!?」

 

「統一だ。異なる国は要らん。異なる政治思想も要らん。異なる法も要らん。異なる元首も要らん。異なる神も要らん。異なる言葉も要らん。異なる通貨も要らん。全てが無駄だ。

 世界には一つの国があれば良く、一つの政治思想があれば良く、一つの法があれば良く、一人の皇帝があれば良く、一つの信仰があれば良く、一つの言葉があれば良く、一つの通貨があれば良い。

 統一国家、統一思想、統一神、統一言語、統一通貨―――――そしてそれらに君臨する唯一皇帝こそが朕であり、それらを統べるものこそが我が法だ」

 

 春秋戦国時代。異なる国々が存在する事が当たり前だった時代で、不断の意思のもとで統一こそを目指した男。それは死して英霊となっても変わることはなかったのだろう。

 むしろ生前では知りえなかった『地球』という巨大なものを認識したことで、統一思想は究極的なまでの広がりをみせていた。

 

「夢物語と笑うか? 道理である。朕が生前と同じ定命の身であれば確かにその通りよ。だが今の朕はサーヴァント。煩わしい老いや寿命とも無縁よ。不老不死を得た朕であれば不可能などない。世界統一と恒久平和。蒙昧共では届かぬ理想も、朕にとっては現実的目標だ。

 しかし統べるべき世界が、魔術王によって人類史ごと焼却されていてはどうしようもない。故、先ずは魔術王を殺す。それが終われば聖杯をもって現代に甦り、我が帝業を成すのみだ」

 

 人類史の未来を揺るがす発言をしているというのに、始皇帝には一切の迷いもなければ躊躇もない。彼は自らの正義を寸分も疑っていなかった。

 漸く悟る。聖者でも偽善者(エゴイスト)でもなく、ただひたすらに己の正義こそを絶対とする究極の独善家、それが始皇帝という男の真実だった。

 

「馬鹿げたことを。始皇帝よ、如何に自我があろうと我等は所詮サーヴァント。過去の亡霊に過ぎん。今の世界を変える資格を持つ者は、今を生きる人間だけ。そんな当たり前すらお前は分からないのか?」

 

 この場で最も正純な英霊であろうディルムッドが、英霊を代表して始皇帝の野心に否を叫ぶ。

 ディルムッドの言葉は正しい英霊であれば誰もが頷く正論ではあったが、残念ながら始皇帝はまるで揺らがない。

 

「――――下らん」

 

「なに?」

 

「今を変える権利を持つ者は、今を生きる人間だけだと? 下らんわ。義理人情の話なんぞ理解できんし吐き気を催す。

 朕に進言するのであれば、ただ合と理をもって語るがよい! なぜ! 今を生きる人間だけが! 権利を持つのか! さぁ、理屈をもって証明してみせよ! さぁ!!」

 

 こちらを馬鹿にしているのでも、ディルムッドを挑発しているのでもない。始皇帝は本気で理解できぬものを目の当たりにした不快感から激怒していた。

 どうやら自分はまた一つ思い違いをしたらしい。始皇帝は合理主義の究極なのではない。この男は合理的なもの以外を理解出来ないのだ。きっと親子の情や、男女の恋や、他者への思いやりや、理屈のない感情全てがこの男には理解不能で不快なものとしか認識できていないのだろう。きっと彼自身がただの一度も他の誰かに愛されたことがなかったから。

 

――――始皇帝は人の心が、分からないのだ。

 

 一度は始皇帝の野心に義憤したディルムッドだったが、そこにはもう怒りではなく憐れみだけがあった。

 もはや問答に意味はない。始皇帝の心はどうしようもないほどに手遅れだ。

 始皇帝の正義は不変だし、自分の意思もまた始皇帝の正義に屈さないと吠えている。であれば負ける訳にもいかない。

 

「返答は決まった。俺は……俺達は、お前に従わない。お前を倒して、未来を取り戻す」

 

「最も愚かな道を選んだな。良いだろう、ならばそのような愚昧は我が臣には不要。貴様等を殺し、聖杯を回収するのみだ」

 

 始皇帝の語る統一思想を全面否定するつもりはなかった。自分は本能的に凍えるような寒さを感じたが、人によっては楽園と思うのかもしれない。

 けれど世に絶対的な真理などありはしないから、自分は自分の信じる選択をする。例え相手の正義を踏み躙ることになろうとも、こちらの我を通す。

 カルナの言葉が染みる。きっと戦国の世を生きた英雄達は、自分と同じような事を悩み、そして決断してきたのだろう。

 玉座に腰掛けたまま始皇帝は魔力を胎動させ、始まりにして終の夢をもって現実世界を歪め始める。

 

「顕現せよ我が帝業、永遠至高なる夢幻城――――――秦始皇帝陵」

 

 世界の理を歪ませるほどの圧倒的な自我に現実は歪み、ここに始皇帝を永遠に祀る陵墓が出現した。

 心象風景をもって現実を上書きする固有結界とは似て非なる、現実に自らの夢を付け足す大禁呪。待ち構えるは無数の傀儡兵達。

 改めて理解した。この特異点で散々苦しめられた傀儡兵も、始皇帝にとってはこの『宝具』の一分に過ぎないのだと。

 疑う余地なく嘗てない強敵ではあるが、負けるつもりはない。だってこれは――――未来を奪い合う戦いなのだから。

 


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