Fate/Another Order   作:出張L

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第47節  崩壊

 もはや幾つ目になるか分からない壁を粉砕したところで、項羽は騅の足を止めさせ嘆息する。

 劉邦相手に散々攻城戦をさせられた経験から根競べには自信があった項羽も、テセウスの逃げ足にはうんざりだった。

 

「キリがないのう」

 

 幾ら騅の速度が埒外の域にあったとしても、壁を破壊しながらの移動では流石にスピードは落ちる。対してテセウスはこの迷宮内ならば宝具を使うことで何処へでも瞬間移動する事が可能だ。

 瞬間移動するための『導』たる糸を断ち切ろうかとも考えたが、残念ながらアリアドネの糸は発動するその瞬間まで不可視状態になっているのでそれも難しい。そもそも仮に見えていたとしても、迷宮中の糸を全て断ち切るというのは現実的ではないだろう。仮に実行したとしても、また糸を張り巡らせられればイタチゴッコになりかねない。

 

「普通の聖杯戦争ならば魔力切れを狙うところじゃが、始皇の狗であるならば彼奴も聖杯による加護があろうしな。さて、どうしたものかのう」

 

 神をも超える武を持つ項羽にとって、大抵の事は力技で解決できるし、これまでもそうしてきた。

 しかし力技でどうにかならないのならば知恵を凝らすしかない。とはいえ項羽は戦術を組み立てることは兎も角、策謀を考えるのは苦手だった。

 

「范僧がおれば良い策を思い付けたじゃろうがないもの強請りは出来んわい。ならば――――」

 

 右手に意識を集中し、全身の血をエネルギーとして燃やしながら矛を背中まで振り上げる。

 分かっていることだ。幾ら考えたところで自分は軍師ではなく、策士でもない。公孫勝であれば妙な術でこの迷宮から脱出する法術なりでも使えるのかもしれないが、生憎とそういったものも知らない。

 西楚の覇王〝項羽〟が頼りとするは智でも術でもなく〝武〟だ。武をもって天下を号するが故の覇王である。

 自分が王なんてものの器ではないことは自覚しているが、それでもこの身は配下の望みに応えて覇道を謳った。故に覇王の覇道が、このような迷宮風情に囚われるなどあってはならぬことである。

 

「雄ォォォォォオオオオオオッ!!」

 

 空気が一瞬で燃え尽きるほどの気炎を吐きだしながら、項羽が全力で矛を振り下ろした。

 落雷が落ちたような轟音が迷宮中に反響する。

 

「なっ!」

 

 いきなりの事に迷宮の反対側にいるテセウスも驚きを隠せない。

 

「血迷ったのか? 何もない場所を攻撃するなんて。それとも何か狙いが―――――おっ!?」

 

 二度目の轟音に迷宮が揺れる。だがそれでも終わらない。三度、四度、五度、六度、七度と。轟音は大きくなっているのに、その間隔は段々と短くなっている。

 

「うぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 テセウスのいる場所には轟音が鳴り響いただけだったが〝震源地〟はそういうわけにいかない。

 轟音の正体とは矛が迷宮の壁を粉砕した音であり、必然そこには破壊された壁の残骸が転がる。

 

「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 騅の馬蹄が瓦礫を踏み砕きながら迷宮中を駆け回る。そして馬上の項羽は無差別的に手あたり次第周囲を破壊していった。

 項羽の目にはもはや逃げ回るテセウスなんて映っていない。項羽の視界にある彼の敵は、この迷宮そのものと化していた。

 

「おいおい、マジかよ」

 

 ここにきて漸くテセウスにも項羽の狙いが分かった。

 項羽のやっていることは実に単純明快。この大迷宮そのものを壊そうとしているのだ。

 扉に鍵がかかってるなら、扉ごと壊せばいいという脳筋思考には、さしもの大英雄も呆れを通り越して称賛する他なかった。

 

「まったくミノタウロスを閉じ込めるほどの迷宮なんだぞ? それをぶっ壊してどうにかするだぁ? しかも宝具も使わず生身で」

 

 出鱈目にも程がある。対サーヴァント戦におけるセオリーがまるで通じない。

 

「もうやだあいつ」

 

 テセウスも武人として高名な武人との戦いは望むところだが、アレの相手をするのは金を貰ったって御免だった。

 だがテセウスもそう呑気にぼやいてはいられない。このままだと本当に項羽は迷宮そのものを破壊して脱出してしまう。

 事此処に至れば迷宮は不要。テセウスは決断した。

 

「――――――む」

 

 迷宮が消えていく。といっても項羽に破壊されたのではない。発動者自身が任意で宝具を解除したことによる消滅だ。

 無差別破壊を行っていた項羽も、自分の閉じ込められていた世界が消えていく光景に手を止める。無限の如き面積を誇った迷宮が消滅すれば、項羽とテセウスの両騎は有限の宮中の廊下へと戻ってきた。

 

「その様子じゃ観念したようじゃのう。もう逃がさん、貴様のそっ首落として(ころ)す。サーヴァントで良かったのう。一族がおらぬのならば要るのは貴様の命一つじゃ」

 

「観念? 観念だと? は、はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははーーーーっ!!」

 

 迷宮を解除せざるを得ない状況にまで追い込まれ、不利なのは誰がどう見たってテセウスだった。

 なのにテセウスは寧ろ自分が項羽を追いこんだとでもいうように、宮中どころか空にまで響くほどの声で笑った。

 

「俺は可笑しいことを言ったか?」

 

「くくくっ、ひひひひひひ。ああ可笑しいね。そっ首落とすだぁ? なんだよ。もうこの俺に勝ったつもりでいるのか?

 あんまり舐めてんじゃねえぞ、小僧。俺を誰だと思っていやがる? テセウスだぞ。あのヘラクレスと双璧となすと謳われた唯一の男だぞ。

 テメエとは英霊としての格が違ぇんだ。分かったさっさと家帰って小便でもして寝ろ小僧。そうすりゃ命だけはとらんでおいてやる」

 

「――――言いたいことはそれだけか?」

 

 もはや項羽には漲るような殺気も、破戒の笑みすらない。あるのはひたすらに目の前の生命体が存在することを許せぬという必滅の意思だけ。

 テセウスの挑発は見事なまでにプライドの高い項羽の誇りを汚していた。この項羽に睨まれた以上、もはや命はないも同じ。

 

「では死ねィ!」

 

 騅が一瞬でテセウスとの距離を詰める。テセウスは鉄棒で迎え撃つが、大英雄の技量をもってしても項羽の矛と数合交えるのが限界だった。

 鉄棒を手から弾かれると、矛は容赦なくテセウスの頭上へ落とされた。

 双璧と並び称されるヘラクレスとは違い、テセウスには神に祝福された不死性なんて便利なものはない。頭に矛が叩きつけられれば死ぬしかなかった。だからこそ、

 

「――――な、にィ!?」

 

 脳天に矛を叩きつけられながらテセウスが死ななかった事に、項羽は今日最大の衝撃を受けた。

 

「知らなかったか? 聖杯戦争ではな、宝具(きりふだ)ってやつは、いざという時のためにとっておくもんなんだよ」

 

 テセウスの手から出現してのは、黒い西洋剣。

 人ならざる者によって刀身に描かれた妖精文字。同胞を斬り殺したことで魔に染まりはしたものの、無骨なまでの機能美はまるで損なわれていない。

 東洋の英雄である項羽でも一目で分かる。これはテセウスが振るうようなものではない、それどころかギリシャのものですらありはしない。

 これは彼の騎士団において最も強いと称えられた騎士だけに許された、星の聖剣と並ぶ神造兵器。その真名は、

 

「――――無毀なる湖光(アロンダイト)!」

 

 決して折れぬ無毀の魔剣は、一斬にて最も速き者――――騅の首を落とした。

 

 

 

 戦いの終わりは、一人の英雄の死を意味していた。

 アーラシュの全身が罅割れ、粒子となり四散していく。

 これが人の身でありながら神の如き御業を披露する代償。究極の絶技の代価としてアーラシュは己の命を失う。そこに例外はない。

 

「一時はひやっとしたが、どうやら〝やった〟みたいだな」

 

 爆煙の中を見詰めながらアーラシュはほっとしたように息を吐く。

 目を逸らさない。アーラシュは自分が勝手にやった事だと言ったが、最初にその方法を思いついてしまったのは自分だし、なによりサーヴァントの責任はマスターの責任である。

 だからアーラシュが死ぬのは、誰がなんと言おうと自分の咎なのだ。

 

「アーラシュ……」

 

 謝罪を口にしようとして、止める。

 それはきっとアーラシュの覚悟に泥を塗る行為だ。もしこの場でマスターである自分が口にすべき言葉があるのだとすれば、それは謝罪などではなく。

 

「ありがとう」

 

 精一杯の感謝を、アーラシュに告げた。

 

「満足だ。その言葉だけで報酬としちゃ十分過ぎる。……もうちっと話したかったが、そろそろ限界か。俺はここまでだが、マスター。お前はちゃんと始皇帝を……いや、何も言わんでおこう」

 

「?」

 

「答えは自分で出せ、それがお前にとっての正解だ」

 

 終わりの時がくる。

 ペルシャに平和を齎した当方の大英雄は、最期まで年上の兄のような気さく表情のまま消えていった。

 一つの戦いが終わっても、この戦争は終わらない。

 

「行きましょう、先輩」

 

 マシュの言葉に頷く。アーラシュの死を無駄にしないためにも、自分達は始皇帝を倒さねばならない。死を悼む時間はないのだ。なのに、

 

「―――――先に言ったはずだ。ここは通さぬし、逃がしもしないと」

 

「嘘、だろ?」

 

「そんな……!」

 

「おいおい冗談だろ!?」

 

 爆煙が晴れ、そこに在り得ぬ者が立ち塞がる。

 不死身を誇る黄金の鎧は剥がれ落ち、流星と龍炎によって身を焼かれながら、まだ英霊カルナは死んでいなかった。

 不退転の覚悟に満ちた眼光を向けたまま、柳のように佇んでいる。

 あれだけやってまだ倒し切れなかったという事実に絶望しそうになるが、そこでディルムッドが「いや」と冷静に断ずる。

 

「東方の大英雄の言に偽りはない。英霊カルナは間違いなく死んでいる。だがとても信じられんが、彼は自身の意思の力だけで、死の運命を捻じ伏せているのだ」

 

「――!」

 

 想像を絶する精神に戦慄を隠せない。

 ディルムッドの語った言葉に嘘はなかった。冷静になってよく観察すれば、こうしている間にもカルナは全身から夥しいほどの血を流しているし、もはや実体化する事も困難なのか体が薄まっている。

 宝具だの、英霊の格だのという次元ではない。自然法則、物理法則、魔術法則の全てにカルナは自分の意思一つで抗っているのだ。

 

「分かりません……私には。英霊カルナ、どうして貴方程の人物がそこまで始皇帝に尽くすんですか? 間違っています、こんなことは」

 

 マシュの抱いた疑問は自分と同じだった。

 カルナはただの大英雄ではない。インド神話において神々の王すら驚嘆させた高潔な魂をもつ施しの英雄なのだ。なのにどうして彼は始皇帝に尽くすのか、その理由が皆目見当もつかない。

 

「愚問だな。分かり切った質問をするな、シールダー。この地に召喚したオレの槍を、誰よりも早く強く求めたのがあの男だった。サーヴァントが主人に尽くすことに何の不思議がある」

 

 だがカルナにとっては自分達の『疑問』こそが『疑問』だったらしい。心底不思議そうな顔で言った。

 

「それに間違っているのはどちらだ。人類最後のマスターとそのサーヴァント、お前達は正しいのか」

 

「なに、を……」

 

「人理修復、人類史救済。巨大すぎる大義だ。対立する者は問答の余地なく悪となる程の。故に問おう、最後のマスター。お前の正義と対極する〝正義〟が立ち塞がったのならば、どういう答えを出す?」

 

 対極の正義。

 自分達がこれまで倒してきた敵は、疑いようのなく倒すべき悪だった。

 彼等を倒さねば人類史が焼却されてしまうから、世界を救うために彼等を倒す。

 そこに疑問の余地はなく、自分の正しさについて迷うことも殆どなかった。

 

「これからお前が戦う事になる男はそういう相手だ。覚悟はしておけ」

 

「――――話は終わったか? んじゃさっさと殺すべ」

 

「!」

 

 劉邦が剣を担いだまま進み出る。

 

「幾ら凄ぇ根性があろうと首飛ばせば死ぬんだろう。あの鎧がなけりゃ俺でも叩き斬れるだろう」

 

 カルナの問いかけに〝答え〟を出せぬ自分とは違い、中華の覇者として大陸を駆けた劉邦は、そのような問題などとっくに自分なりの答えを出してしまっている。

 話し合いが終わったとみて、早々に幕を下ろしにかかった。

 冷たいが正しい判断だ。止められない。

 

「無理だな」

 

「なに?」

 

「オレの首級を持っていく相手は既に決まっている。お前にオレは殺せない」

 

「ボロボロの体で大した自信だ。じゃあ誰なら殺せるって?」

 

 その時だった。カルナの首に巻き付いた赤い糸が浮かび上がってきた。

 さながれ絞首台の縄のようにかかったそれは、ただの糸ではなくアリアドネの糸。つまり、

 

「俺だ」

 

 糸を導にしての空間転移。

 一瞬にしてカルナの背後に現れたテセウスは、漆黒の西洋剣にてカルナを背後から斬り捨てた。

 


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