項羽将軍が直接会って話したいとのことで、自分達カルデアのメンバーは函谷関の一室で集合していた。
本当はマシュだけで他のサーヴァントの皆は出陣の準備を手伝って貰いたかったのだが、全員が口を揃えて『万が一のために』と護衛として残る事を譲らなかったのである。助け舟を求めたマシュまで無言で頷く始末で、史実の項羽より先に四面楚歌を体験してしまった。
結局カルデア側でも劉邦側でもない公孫勝だけが出陣の手伝いで、他のサーヴァント全員は自分の護衛ということで残った。これだけサーヴァント達に警戒感を持たせてしまうなんて、自分は不甲斐ないマスターだ……とは思うものの、先日の項羽の暴れぶりを思い出せばなるほど皆の気持ちも理解できる。
項羽の要件は会って話すことだけだそうだが、もし罷り間違って項羽と敵対するような羽目になれば、きっとマシュ一人だけでは倒すどころか逃げることすら叶わないだろう。それほど項羽の武勇は常軌を逸しているのだ。
「――――俺じゃ。入って良いかのう」
待っていること暫し。入り口の前で項羽の声がした。
てっきり霊体化した状態で壁を擦り抜けて現れると思っていたので少し驚く。項羽という男は結構礼儀正しい人物らしい。
唾を呑み込みどもらないよう「どうぞ」と言うと、項羽が堂々と部屋に足を踏み入れてきた。
「ほほう。洋の東西の英霊がこうも一か所に集まっておると壮観じゃのう」
項羽の重瞳子が最初にディルムッドを捉え、アーラシュ、荊軻、マシュと順々に見ていき最後に自分で止まった。
「そこの小――――いやあれだけの肝っ玉を見せた男を小僧扱いは出きんのう。カルデアのマスターよ、先ずは以前の非礼を詫びようぞ」
「マスター。項羽と前に何かあったのか?」
差し支えなければ教えて欲しい、と荊軻が言った。
項羽が自分達と戦ったのはこの特異点にレイシフトして直後である。後から仲間になったアーラシュと荊軻の二人は当然その事を知らない。
二人にも事情を説明しておいた方がいいだろう。
「俺達がこの特異点に来て直ぐ山賊に襲われたんだ。山賊そのものはマシュが簡単に気絶させてくれたんだけど、その山賊が楚の出身だったらしくて――――」
「楚人を襲う始皇帝の走狗と誤解した俺が誤って襲ってしもうたのよ。その節はすまんかったのう」
「いいよ、終わった事じゃないか」
あの時はこちらも項羽の事を端から敵と認識していた節もあるし、そういう意味では御相子だろう。
それに項羽はなんだかんだで先の戦闘で自分達を助けてくれた。今更怨みになんて思ってはいない。
「カルデアの事は公孫勝に聞いた。各時代の特異点を巡り、人理を修復しておるとか。立派なもんじゃ。俺がお前の年頃の時は、未だ反乱の狼煙もあげられておらんかったというのにのう」
「そんな俺なんてマスター候補の中で偶々一人生き残っただけで。これまでの特異点だって俺じゃなくてマシュや他の皆が頑張ってくれたからどうにかなったんですよ。俺自身はそう大したものじゃありません」
「謙遜は要らん。俺相手にああも堂々と物を言う男が凡夫なら、人類の九割が凡夫未満の匹夫じゃて」
「項羽将軍の言う通りです。フランスでも、ローマでも、オケアノスでも、ロンドンでも。先輩の的確な指揮と指示がなければ到底人理修復は叶いませんでした。英霊の座に登録待ったなしの大活躍です!」
「そ、それは止めて欲しいかな」
苦笑いしながら遠慮の意を伝える。
マスターとして戦うだけでも大変なのに、今度は英霊となりサーヴァント化するなんて冗談ではない。自分は極普通に死んで極普通に輪廻転生するなり審判を迎えるなりするのがお似合いだ。
「けど本当に年齢が若いから偉いってものでもないですよ。そりゃアレクサンドロス大王みたいに若い頃からバリバリ活躍する英雄もいるけど、ユリウス・カエサルみたいに遅咲きの英雄もいるじゃないですか」
「アレクサンドロス大王にユリウス・カエサルとな? その顔付きは直接会ったことがあると見たがのう?」
項羽が我が意を得たりとばかりに笑う。
「……ご、御明察通りです。まぁアレクサンドロス大王の方は全盛期じゃなくて子供の姿でしたけど」
アレクサンドロス大王とユリウス・カエサル。両雄とも人類史において稀代の名将であり〝
「子供の頃? そういう召喚もあるのか?」
『普通の聖杯戦争なら基本的に全盛期の姿で召喚されるから有り得ないんですけどね。今回の聖杯戦争は事情が特殊ですから』
「なんじゃこの節々に怯儒が染みた声は?」
『……どうして僕は毎度こんな扱いなんだ。一応最高責任者なのに』
姿は見えないがロマンがガクッと膝をついて落ち込んでいるのが気配で分かった。
これまでも地味にロマンには助けられてきているし、カルデアの人間は自分含めて能力の高さは認めているのだが、それでもこんな感じなのはキャラが原因だろう。
だがロマンもこれまでの扱いで耐性が出来たのが直ぐに立ち直ると、
『改めまして大王。ボクはロマニ・アーキマン、カルデアのオペレート担当で一応は彼等の上官ということになります。ロマンとお呼びください』
「そうか。…………では一つ、ちと聞きたいことがある」
『なんでしょう? ボクに答えられる事であれば』
「公孫勝に聞いた。カルデアには召喚されたサーヴァントが多く滞在しておるそうじゃのう」
『ええ』
「その中に虞はおるか?」
『――――――!』
覇王と天地に畏怖された項羽が、虞と慈しみすら持って呼ぶ人物は人類史に一人しかいない。
虞美人草としてヒナゲシの別名にもなった、中国四大美人にも数えられる絶世の美姫である。そして覇王・項羽が愛した唯一の女性だ。
戦場で活躍した逸話は無論皆無だが、マタ・ハリやアンデルセンなどを始め十分な知名度と信仰があれば武勇がなくとも英霊足り得る。その点でいえば虞姫は十分条件を満たしているだろう。しかし、
『――――――覇王。貴方の妻である虞姫は……』
「臆病ではあるが思いやりのある男だのう。嘘を吐くか迷わんでいい。本当の事を言ってくれ」
『……はい。貴方の妻の虞姫は、カルデアにはいません』
「―――――――――――――…………………………………………………………そうか」
深い、深い溜息だった。
寂しげに微笑む顔には、隠しようのない無念が滲み出ている。
そこに秦軍を一人で震撼させた覇王の姿はない。ここにいるのは妻を愛する一人の男だった。
「あ、あの!」
溜まらずマシュが項羽に声をかけた。
「この特異点の何処かにはきっと虞姫さんもいるはずです。今は無理でも、始皇帝を倒してからでも探しに行けば」
「無駄じゃ。始皇帝の奴めは余程俺の事が邪魔なようでのう。大陸が二つの聖杯で生まれた力で混沌隔離する際、俺と俺が率いた軍を全て切り離した。
俺の傍には片時も離れず虞がおったからのう。この時代の俺や楚将と共に虞も特異点の外じゃろう」
特異点の外へ行くには、特異点を修復し混沌隔離大陸を元通りにするしかない。
だがそれをすれば聖杯により召喚されたはぐれサーヴァントである項羽は、この時代に留まる事は出来ないのだ。
「それでも諦めきれず役目を終えてから騅と共に大陸中を駆けずり回ったんじゃがな。やはり無為だったよ」
そう言って項羽は天を仰ぐ。
「一目だけでも会いたかったんじゃがのう」
清姫、ジル・ド・レェ、アルテミスと歪んだり過剰だったりしても純粋な愛をもつサーヴァントと出会った影響だろうか。
孤独に笑う項羽を見たら自然と口が動いていた。
「まだ可能性はある」
「……なに?」
項羽どころか他のサーヴァント達まで驚きの視線を自分に向ける。
けれど口に出してしまった以上はもう止められない。どんな低い確率だろうと堂々と言ってやろう。
「この特異点の修復が終わってからでもいい。カルデアで項羽と虞姫の二人を召喚すれば再会できる」
それは低すぎる確率だった。一口に英霊といってもその総数は軽く億を超える程いるのだ。
誰が召喚されるか未知数のシステムを用いて、その中から狙い通り二人の英霊を引き当てるなんて、宝くじで一等を引くよりも難しいことだろう。
それでも可能性がゼロではないのなら、きっとその未来はあるのだ。
「くっ、かっかっかっかっかっ! なるほどのう! これは一本とられたわ! 始皇帝を討つ理由が一つ増えてしまったわい!」
さっきの寂しげな表情が嘘のように項羽が快活に笑う。
元気が出てくれたようでなによりだ。この特異点が終わった後に大きな宿題をこなす必要が出来たが、そこはマスターとして頑張るしかないだろう。
「喜びに水を差すようですまないが忘れてはいないか、西楚の覇王よ。敵は始皇帝だけではない。チンギス・ハンもまた始皇帝に劣らぬ難敵。これを倒さずして人類史の未来はない」
「あ」
ディルムッドの言うことは尤もだった。
そもそもこの大陸がオケアノスのように地理が滅茶苦茶になったのは、二つの異なる聖杯が同時に存在した事が原因である。
というより魔術王から聖杯を与えられたのはチンギス・ハンの方なので、そちらを倒さずには人理修復も糞もない。だが、
「ん? チンギス・ハンの持っておった〝聖杯〟なら公孫勝と二人でとっくに奪い取ってきたぞ。ほれ」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
まさかの展開に項羽以外の全員が絶叫した。ディルムッドなんで目から血涙でも流す勢いで絶叫した。
けれど現実は小説より奇なりというやつで、項羽がおもむろに取り出したそれは見間違え用もなく正真正銘の聖杯だった。
「な、ななななななななななな」
「どうした? 要らんのか?」
「いりますいります! すまない、
「センパイ、口調がおかしなことになってます。色々混ざってます」
マシュのツッコミでごほんと咳払いして我に戻る。そういえば公孫勝は劉邦と一緒に勧誘しに行った際、もう役目は果たした云々と言っていたが、きっとこのことを指していたのだろう。
「けどどうして公孫勝さんはこの事を教えてくれなかったのでしょう?」
「聞かれなかったから、とでも宣うじゃろうな。あいつはそういう男じゃ」
「……すまないマスター。私が同じ侠者として一発殴っておく……本当にすまない……」
「うん、お願い」
同士討ちは軍隊が一番やってはいけないことの一つだが、今回ばかりは止めはしない。
何故ならばこれは同士討ちではなく修正だ。殴り合い
ともあれ項羽から聖杯を受け取り、残すは始皇帝の持つ聖杯だけである。
「そうだ、項羽将軍。これからの戦いの事で一つ頼みたいことがあるんだけど」
「なんじゃ?」
「襲ってきた兵士を返り討ちにすることは、止めはしない。でも過度な虐殺はやめてくれ」
「…………いいじゃろう」
「っ! ほ、本当に?」
意外にあっさりOKを貰えて拍子抜けする。もしかしてその場しのぎの口から出任せなのでは、と下種の勘繰りが浮かんだが直ぐに否定する。
項羽はこういう卑怯な嘘を吐く人間ではないし、嘘をついているようにも見えない。
「どうせこの特異点で秦人共を殺しても意味もないしのう。なにより俺は一度お前等を誤って殺そうとした負い目もある。従うのも仕方なしじゃろう」
「じゃ、じゃあもう一つ……沛公のことだけど」
生前の項羽は劉邦に敗れ、自害に追い込まれた。つまり項羽にとって劉邦は、自分を殺した怨敵そのものである。
軍議の場で剣を抜かなかったが、もし項羽が劉邦に対して牙を剥けば劉邦軍はおしまいだ。
「安心せい。劉邦に対して怨みは無論ある。じゃが戦後に伯父上を始めとした一族を保護してもろうたしのう。秦ほど怨み骨髄というわけではない。なにより俺を滅ぼしたのは劉邦ではない。天が俺を滅ぼしたのだ。ならば劉邦を恨んでも是非もない」
普通の聖杯戦争で出逢えば無論殺すが、俺も状況が特殊ということくらいは理解しておる。奴への殺意は抑えようとも。尤も奴の面見ていると殺気が漏れるがそれは許せよ」
「ありがとう」
「礼は不要よ。それに奴の宝具は始皇を討つに有用じゃしな」
『え? 沛公はサーヴァントではなく人間ですよ。宝具なんて持ってませんよ』
「なんじゃ気付いておらんかったのか。奴はサーヴァントぞ。といってもそのものではなく公孫勝曰く擬似サーヴァントのようなものらしいがのう」
『なっ――――!?』
項羽から告げられた衝撃の新事実に硬直する。
だがよくよく考えれば思い当たる節があった。迷宮でテセウスに殺されそうになった時、劉邦は剣から龍炎を出してこれを退けたではないか。
あれから色々あってその事を話題にしている暇がなかったため忘れていたが、あれは絶対にただの人間の出来る事ではない。明らかな神秘の行使である。
『生身の〝劉邦〟を英霊としての〝劉邦〟が依代にしているのか。確かに生前の本人自身なら依代としては完璧だけど』
『おやおやロマニ。ちょっと目を離している隙に面白いことになっているようだね。死後のサーヴァントが生前の自身を依代に現界する。確かに妙なことだが似たような例が他にないわけじゃない。
恐らく今回の事は聖杯が二つある事で歪みが多くなったことと、死後と生前の二人の同一存在が同時存在することによる反動みたいなものだろうね。経緯が無茶なせいで未覚醒のようだし。
項王が同じ目にあってないのは、単純に生前の自分が特異点の外に弾かれているせいだろう』
ダ・ヴィンチが私見を述べる。
「じゃあ沛公にこの事を伝えて、英霊としての力を引き出して貰わないと」
「やめておけ。言われた程度で力を出せるならとっくに出せておるじゃろう。奴が力を引き出せるのは、恐らく奴自身の命が危機に晒された時だけじゃ。奴はそういう男よ」
「はは……」
「あと俺が生身ではなくサーヴァントというのは漢王には内密にな。余計な事を言って変に気を緩められても面倒じゃ」
さっきから嫌な意味での信用を伺わせる発言ばかりだが、どれも否定できないのが辛い。
項羽との約束と劉邦の秘密、そしてチンギス・ハンの死。多くの情報が流れるように出てきた、最後の平和な一時はこうして過ぎていった。