Fate/Another Order   作:出張L

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第39節  桃園結義

 天を突く項羽の一括は戦場全体を震え上がらせた。

 秦帝国にとって蒙武はただの将ではない。中華統一という史上誰にも成しえなかった偉業を達成し、秦という国が最も輝いていた時代。その時代を築き上げた一人であり、六虎将においても最強と謳われた彼は、秦人の男子であれば憧れない者などいない『英雄』なのだ。

 その『英雄』が木端兵の如く一撃にて両断され、ボロ雑巾のように討ち捨てられたのである。秦人からすれば天が落ちてきたような衝撃だろう。

 さっきまで天上知らずだった士気は一瞬にして最下層へ叩き落とされ、秦軍の兵士の中には膝をつくものまで出る始末だった。

 結果論ではあるが、もし蒙武が引き連れてきたのが傀儡兵ならばこうはならなかっただろう。良くも悪くも人間の兵士の強味と弱味が如実に表れていた。

 そして対する劉邦軍はといえば。

 

「――――何を呆けてやがる!」

 

 いきなりの項羽来援に度肝を抜かれていた兵士達が、自分達の大将の怒鳴り声によって我に帰る。

 

「項羽将軍があの蒙武を討ち取ったんだぞ! 呆けてねえで突撃だッ!」

 

 後の高祖だけあって劉邦の機を計る目は確かだった。戦いの流れが完全に切り替わった事をいの一番に悟ると、肺から全ての空気を絞り出して全軍へ号令をかける。

 一度我に帰ると劉邦軍の兵士たちの士気は一気に高まった。追い詰められた側が一転して立場を逆転させると、これまでやられてきた恨みが起爆剤となって大いに盛り上がる。劉邦軍の兵士達はこれまで散々やられた復讐をせんと、燃え上がる火の勢いで秦軍を攻め立てた。

 樊噲が、曹参が、劉邦軍の将達も兵士たちの熱狂に引きずられるように戦場に切り込んでいく。

 

「きっせぇぇえええええええええええええええいッ!」

 

 だが将と兵士達の猛攻も、誰よりも前で秦軍相手に戦う項羽の獅子奮迅ぶりには劣った。

 項羽が矛を一薙ぎするだけで数十の兵士が宙を舞いながら消し飛び、騎兵は馬ごと消滅する。その光景はまるで項羽に近付いた兵士達が片っぱしから溶けているようであった。

 項羽の祖父である項燕然り、土方歳三の率いた新撰組然り、三百で二百万を堰き止めたレオダニス王然り。

 英雄と呼ばれる将の多くは、自らの存在で兵士を熱狂的に狂信させる魔力を持っている。

 狂信した兵士は強い。一人が敵兵に十倍する勇者になり、眠りすら忘れ万里を踏破する豪傑となり、命すら投げ捨てる烈士と化す。

 中でも項羽という男が戦場において発する魔力は桁外れだった。項羽の武勇に引きずられるように将軍達は潜在的能力を限界を超えるほどに引き出され、兵士達は疲れや恐怖すら忘れ敵兵を薙ぎ倒していく。

 死者であるが故に生者より客観した視線を持っているサーヴァント達は、静かに己の得物を下ろした。

 もはやサーヴァントである彼等が力を振るう必要もない。数の上ではまだ秦軍の方が優勢だが、戦いには決着がついていた。

 心を根元から折られた秦兵が、我先にと戦場から離脱していく。その殆どは城へ逃げて行ったが、中には完全に理性が吹き飛びあらぬ方向へ逃げている者までいる様だった。

 秦軍には蒙武以外にも将はいたが、彼等が幾ら呼びかけようと逃げることを留まらせる事は出来なかった。なにせ他ならぬ将ですら、兵士と一緒になって逃げ出しているのだから。

 もはや踏ん張っているのは生前から蒙武の配下だった傀儡将だけだ。後は逃げるか、逃げる前に殺されるかである。

 

「これじゃもう虐殺じゃないか」

 

「……マスター。気分が悪いのなら幕舎で休むといい」

 

 鬱血するほど手を握りしめ絞り出す自分を、刑かが心配そうに覗き込む。

 

「こんな光景。戦国の世を生きた私には見慣れたものだが、マスターにとっては違うだろう」

 

「ありがとう。でもマシュを置いてはいけないし、目を背けたくない」

 

「立派な覚悟だが、止めはしないのか?」

 

「――ああ」

 

 劉邦軍と一緒になって攻めて置いて、いざ勝ちがほぼ決まったから加減しろだなんて、まるで神様気取りなことを言いえるほど自分は厚顔にはなれない。

 ただこれも戦の常であり現実、なんていう在り来たりな理由では納得したくはなかったし、開き直る事も御免だった。

 

「そうか。敢えて何も問わないよ。すまんな……私は戦争があるのが当たり前の時代を生きた人間だ。どう声をかければ良いかわからない」

 

「いいんだ。きっと俺が甘いんだから」

 

 所長がいれば怒鳴られるだろうな、と思いながら天を仰ぐ。そして嬉々として秦兵を殺戮する項羽を見た。

 

「ごめん、前言撤回だ」

 

 もうこの頃になると戦いには完全に決着がついていた。

 劉邦軍も追撃は程々にして城以外へ逃げる者は追わず、降参する者は殺さず捕えるに留め始めていた。なのに項羽だけが一人殺戮を続けている。

 神を気取るほど厚顔ではない……ない、が。これを見て見ぬふり出来るほど人間は捨ててない。

 気付けば自分は項羽に向かって駆け出していた。

 

「無茶をするな、マスター! 流れ矢にでも当たったらどうするつもりだ、私が行こう!」

 

 けいかはあっさり走る自分を抜き去ると、鷹のような俊敏さで暴れ回る項羽へ向かっていった。

 言葉は無用。項羽の戦いを止められるのは言葉ではなく武だ。今にも秦の年若い兵士へ矛を降り下ろそうとする項羽の後頭部へ、けいかは迷わず毒塗りの短剣を投げつける。

 平凡なサーヴァント相手なら下手したら必殺になりかねない一撃だったが、項羽は振り返らずに矛を一振りしてこれを弾く。

 

「サーヴァントじゃな。始皇の手先にも見えんが」

 

「如何にも。私はカルデアに与するサーヴァントの一人だよ。端的に言えば始皇帝とは敵対する身さ」

 

「衛の訛りがあるのう。名乗れ」

 

「けいか。暗殺一つ碌にこなせん風来坊さ、西楚の覇王殿」

 

「――――納得したわ。身一つで始皇めの命を狙った烈士が秦に組するはずがないのう」

 

「訂正してくれ。図体だけが立派な付添はどうでもいいが、あの場には己の首を捧げたはんおき将軍もいた。私一人で挑んだ訳ではない」

 

 もっとも命を預かりながら役目をこなせなかったわけだが、とけいかは自嘲するように言った。

 

「噂に聞いた通り気持ちの良い士よの。女子(おなご)であったのは意外じゃが。で、改めて問おうぞ。何故俺の邪魔をした? 秦の敵というのならば何の真似じゃ?」

 

「それはこちらの台詞だ。もう戦いの決着はついたろう。無益に人は殺すものではない。手を引け」

 

「〝決着〟がついた、じゃと?」

 

 これまでけいかへ向けていた敬意が途端に殺意へ切り替わった。

 

「ついておらん、ついておらんわ! なにも決着しておらん! 秦は楚を滅ぼし、王を弄んだ下種の国よ! 墓の下より蘇った身であろうと、この恨みは忘れられんわ。

 あまつさえ甦った始皇帝のために戦うなんぞ、それだけで三賊処刑しようと許せぬ大罪よ。秦人は皆塵しじゃ、逃げようと容赦せん」

 

「……秦を恨む気持ちは分かるがな。だが私のマスターならこう言うだろう」

 

『なら俺は始皇帝の敵だけど、お前の敵だ』

 

 図らずも自分の言葉とけいかの言葉が重なる。

 けいかは得意に「な?」と項羽へ目配せしていたが、今はどうでもいいので置いておく。

 

「あの時の小僧……そうか貴様が公孫勝の言っておったカルデアだったか」

 

「……復讐の正否云々について言うつもりはない。でも無益に人を殺すなら、誰だろうと俺は敵対する。殺すのなら俺を殺してからにしろ」

 

「小僧扱いしたことは訂正しよう。中々に肝が座っておる。腕っ節は弱そうじゃが良き将となれる面構えじゃ。じゃが将にならんとするのなら自重を覚えるのも重要よ。俺が言っても欠片も説得力がないがのう」

 

 項羽という男は味方にはこの上なく優しいのとは対照的に、敵に対してはとことん苛烈だったということでも知られる。故に項羽が矛を振り上げた時には死を覚悟した。

 きーん、という剣戟音が鳴る。

 

「……?」

 

 慌てて自分の首を確認するが、ちゃんと胴体とくっついている。代わりに地面にはけいかの使うものとは異なる短剣が落ちていた。

 

「隙丸出しだったが、近くに覇王がいれば首一つ獲れんか。やれやれ、御先祖はどんな魔法でこんなのを倒したんだか」

 

 龍の意匠を施された甲冑を装備した騎兵は、やれやれと肩をすくませる。

 その顔付きにはどことなく劉邦の面影があった。

 

「貴様……劉備。王翦と一緒に逃げた貴様がなんの用じゃ?」

 

「劉備!?」

 

 ここにきて霊格云々はさておき、知名度であれば劉邦以上の大物の登場に絶句する。

 三国志演義の主人公、劉備。彼の諸葛孔明の主君であり、蜀漢を建国した大徳の皇帝だ。

 

「こっちも色々あるんだよ、複雑な事情が。まったくアンタっていう一人のせいで俺の描いた戦略台無しだよ。ま、それはいいさ。御蔭でやることがシンプルになった」

 

 微かな甘い咆哮を香わせ、桃の花が舞う。

 劉備を中心として吹き荒れる花吹雪は、項羽をも取り込んで周辺を異界化していった。

 この現象は何度かみたことがあった。魔術の奥義にして魔術師にとっての到達点の一つ、固有結界が発動する前触れである。

 

「アンタを一秒でも長く閉じ込める。それが現状俺が出来る唯一の〝仕事〟だ」

 

 劉備が天へ掲げたのは、挙兵前に鍛冶屋で誂えた雌雄一対の剣。剣に重なり合うように掲げられた青龍偃月刀と蛇矛を幻視したのは決して錯覚などではないだろう。

 漢の高祖である劉邦が俗欲で人を統べ、中興の祖である光武帝が才気によって天を統べるならば、劉備は鬼神すら引き裂けぬ義兄弟の絆をもって地平を統べた。

 

「我等三人。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん。皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし」

 

 〝桃園結義(とうえんのちかい)

 

 ここに覇業の始まりを告げた誓いは具現した。

 何の宝具を持たぬ項羽に結界より逃れる神通力などありはしない。桃園に呑み込まれ、劉備と項羽の姿は世界から消え去った。

 


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