Fate/Another Order   作:出張L

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第35節  二帝血戦

 開幕を告げる鐘はなく、玉座から立ち上がった皇帝の無言の命令で〝戦争〟は始まった。

 そう、これは戦争であって戦闘ではない。サーヴァントが万軍に匹敵する単騎であるが故にではなく、始皇帝とチンギス・ハンの戦いは正しく戦争なのだ。

 まるで見えないゲートを通ってきたように無数の傀儡兵が出現。数はざっと五百。槍や弓で完全武装した傀儡兵は、全てを見下すように立つチンギス・ハンに襲い掛かる。

 それは先程の焼き直しだったが、一つ異なるのは傀儡兵の中に少なくない数の傀儡将が混ざっていたことだろう。完全なる無機物である傀儡兵と違い、擬似生命を与えられた傀儡将は我先にとチンギス・ハンへと迫り――――、

 

「触れるな、むさ苦しいぞ貴様等」

 

 腕の一薙ぎによって、悉くが砕き散らかされた。

 

「どうした贏政。大陸中から財宝を掻き集めた『陵墓』の底が、まさかこの程度じゃないだろう? さっさと本丸を晒せ。さもないと……都の人間老若男女全て食い散らかすぞ」

 

 中性的な色香を漂わせながら、チンギス・ハンは猛禽類めいた殺意を覗かせる。

 チンギス・ハンは本気だった。もしも始皇帝がこのまま『本気』を出し渋るようならば、その代償にこの咸陽はそこに住まう民草ごと地図から消失する事になるだろう。

 いや下手すればこの特異点に住まう全ての命だって喰らい尽くす。如何な反英雄だろうとやらぬ暴挙もチンギス・ハンならばやりかねない。なにせ彼の胃袋は底なしだ。

 

「……陛下。恐れながら申し上げます」

 

 静かに王翦が口を開く。

 互いに総大将だったため実際に剣を交えることこそなかったが、軍団同士で鎬を削った王翦は誰よりもチンギス・ハンの危険性を認識していた。

 如何に始皇帝とはいえ本気を出さずに倒せるような相手ではない。それ故に王翦は主君の不興を買う事を覚悟して、宝具の開帳を求めた。

 

「良い。あれは時間稼ぎの捨て石だ」

 

 徹底した合理主義者である始皇帝にとって、本来油断や慢心は程遠いものだ。

 チンギス・ハンとの戦争や劉邦の討滅戦において自ら親征しなかったのは、官を兼ねないという原則を守るためであって、別に敵を舐めていたからではない。

 しかしその枷は鎧を纏った瞬間に消えている。であればもはや始皇帝に力を出し惜しむ理由などありはしなかった。

 

「奪い犯すだけの獣、蒙昧なる蛮人。喰らえど喰らえど満足せぬ――――無限の欲望。貴様の在り方は我が帝国において最も罪深い。

 故に死ね。我が法において判決した。貴様は死罪、骨すら我が世には残しはせん」

 

 世界の理を歪ませるほどの圧倒的な自我。それが現実世界を呑み込み、始皇帝はチンギス・ハンを自らの〝夢〟へ引きずり込む。

 チンギス・ハンが次に目を開けると、景色は一変していた。

 紫炎の天下に聳えるのは巨万の富と人民の血によって築き上げられた巨大な陵墓。陵墓の頂点にある玉座の前には始皇帝が君臨し、隣には秦最高の名将・王翦が控える。そして陵墓を守護するのは漆黒の鎧を装備した百万の軍勢だ。

 

「これが秦始皇帝陵。噂に違わぬ絢爛ぶりだが無為の極みだ。人ば死ねば骨、骨壺としてコレは無駄が過ぎる。合理主義者であれば分からぬ筈のない答えだが……。フフフ、どうやら見た目通りじゃないらしい」

 

 ねっとりと挑発するように言うチンギス・ハンだが、一方で展開された陵墓の途轍もなさは認識していた。

 これは自身の心象で現実を塗り替える固有結界とは似て非なる、自身の心象を世界に付け足す大魔術。

 この世界は正しく始皇帝にとって『夢の世界』であり、全てが始皇帝を中心に廻る。もしもチンギス・ハンの宝具が固有結界の類であれば、夢に夢をぶつけて拮抗できたのだが、無い物ねだりは出来ない。

 

「黙れ。貴様に発言の権利はない。貴様に行動の権利はない。貴様に生きる権利はない。大人しく頭を垂れ、裁きを待て」

 

「断る、と言ったらどうする?」

 

「死ね」

 

 始皇帝が隣にいる王翦に視線を向ける。傀儡将の頂点であり六虎将筆頭たる王翦は始皇帝の無言の命令を察すると、腕をあげ全軍に号令した。

 途端に石造のように固まっていた傀儡兵達が一斉に動き出す。百万の軍勢が一糸乱れぬ行軍する様は芸術的ですらあり、用兵を僅かでも知る者であれば王翦の将器に戦慄することだろう。

 チンギス・ハンは前にも王翦の指揮ぶりを目の当たりにしたことがあるが、改めてその凄まじさを認識せざるを得なかった。

 万軍に匹敵するサーヴァントにとって雑兵百万など厄介であれ致命的脅威という訳ではない。しかし指揮をとるのが王翦ほどの名将となると話は変わってくる。王翦が自らの軍略を総動員して百万の軍勢を動かせば、大英雄すら殺す脅威と化けるだろう。

 

「誘いを断られたのは残念だ。そしてそれ以上に――――〝危険〟だな」

 

 己が生前戦った誰よりも強大な『皇帝』を前に、チンギス・ハンは笑みを消す。

 この百万の軍勢すら始皇帝にとっては己の力の一欠片に過ぎない。恐らくあの陵墓には大陸中から集めた神代の宝貝やら秘宝が腐るほど眠っているのだろう。噂に名高い英雄王の蔵と比べれば劣るだろうが、それでも十分に驚異的だ。

 念入りに殺すべき相手だ。遊んでいる余裕などありはしない。油断なく速やかに如何なる方法を用いても排除するべきだ。

 だが頭ではそう分かっているのに〝本能〟が疼くのだ。

 喰らえ、

 喰らえ、

 喰らえ、

 喰らえ、

 喰らい尽くせ。

 極上の獲物を骨すら残さず喰らい尽くせ。

 

〝喰らう〟

 

 チンギス・ハンの心臓より深い所に刻み込まれた魂の起源。暗黒の王道が鎌首をもたげた。

 そも然り。勝利の美酒も、女も、財宝も、国も、誇りも、魂すらも。より強大な相手から奪ったほうが快楽は深くなるのが道理というものだろう。

 故に――――、

 

「眠りから覚めろ、私の可愛い戦奴達。〝略奪(食事)〟の時間だ」

 

 チンギス・ハンという巨大な魂に溶けあっていた幾千もの魂。それが蒼き狼の呼びかけにより蠢き、溢れだした。

 発動された〝四頭の駿馬、四匹の狗(ドルベン・クルウド・ドルベン・ノガス)は始皇帝の兵馬俑と同じく己の軍勢を呼び出し戦わせる宝具だ。単騎にて天地と渡り合った神代の英雄と違い、一軍の将として戦場を馳せた英霊にとっては必須ともいえる能力といえよう。

 チンギス・ハンの号令により大陵墓へと流れだした軍勢は約数千。彼等は名前こそないものの、チンギス・ハン麾下にあって征服戦争を戦い抜いた歴戦の勇者たちである。

 

「さぁ、喰らえ」

 

『オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーッッ!!』

 

 そして一方で彼等は飢えた獣である。生粋の遊牧の民である彼等にとって〝略奪〟とは生きる糧であり娯楽であり……日常だ。

 チンギス・ハンと同じく彼等は始皇帝という極上の獲物を前に、嘗てないほど奮起して猛然と突撃する。当然の如く傀儡兵がそれを許すはずもなく、騎兵達の行く手を遮った。

 傀儡兵総兵力百万に対して、チンギス・ハンから溢れ出た騎兵の総数は二千未満。本来いるべき四駿四狗も戦列には存在しない。チンギス・ハンを除いたモンゴルの一騎当千の英傑達は、既に覇王と入雲竜によって失われてしまった。

 純然な兵力では比べるまでもなく始皇帝優位である。そして将の力量でも始皇帝が優位だ。

 西の征服王が人類史上随一の戦術家ということで勘違いされやすいが、チンギス・ハンが秀でているのは『戦略』であり『戦術』は然程飛びぬけている訳ではない。戦略では王翦は愚か始皇帝すら凌駕するだろうが、こと戦術指揮官としての能力は王翦に及ばないだろう。

 しかしモンゴル騎兵軍が始皇帝の傀儡兵に勝る点が一つだけあった。

 

「むぅ……いつみても見事な」

 

 感嘆の吐息を漏らしたのは王翦。

 王翦の視線の先でモンゴル騎兵達は揺れる馬上を物ともせず平然と強弓を引くと、次々に傀儡兵達を射貫いていった。恐怖知らずの傀儡兵は射貫かれながらも致命傷でさえなければ突撃を続けるが、そういう連中は荒れ狂う馬蹄によって容赦なく踏み砕かれた。

 馬上で弓を引くというのは想像を遥かに超えて難しい。馬を乗りこなす事さえ訓練が要るのだ。そこから更に弓を射て敵兵に命中させるなど、もはや一つの絶技と言い換えてもいいだろう。秦人でこれが出来るのは極一部の将だけだ。

 しかしモンゴル騎兵達遊牧民族にとって、乗馬というのは生活の一部であり、馬を手足のように操るなど訳のないことである。

 秦軍の兵士は本当にただの『兵隊』でしかないが、モンゴル軍の兵は一人一人が人馬一体の馬術をこなす勇者なのだ。

 一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた羊の群れに敗れるとはナポレオン・ボナパルトの言葉であるが、モンゴル軍は謂わば一頭の蒼い大狼(ヴェアヴォルフ)に率いられた狼の軍勢だ。その破壊力は他の追随を許さない。

 もしあの騎兵軍団と互角の戦術で張り合える者がいるとすれば、恐らくはアレキサンダー大王かボナパルトくらいだろう。

 

「敵を褒めている暇があるのか」

 

「陛下?」

 

「あれを見よ」

 

 始皇帝の指さした方向へ王翦が視線を向ければ、丁度傀儡将の一体がモンゴル騎兵に討ち取られているところだった。

 そこまでなら別におかしな光景ではない。だが異常は次の瞬間に現れた。

 

「……ゥェア………オオ……」

 

 核を破壊され倒れた傀儡将が一向に土塊へ戻らない。それどころか屍人(グール)めいた低い唸り声をあげながら立ち上がる。

 秦国の将たる黒い鎧が剥がれ落ちて、代わりにモンゴル騎兵が纏う軽装となり、顔や体格もモンゴル騎兵のそれへ塗り替わってしまっていた。

 そして傀儡将だったモンゴル騎兵は雄叫びをあげながら戦列に加わっていく。チンギス・ハン麾下の勇者の一人として。

 

「これは、まさかチンギス・ハンの宝具は殺した相手を己の部下として取り込むというのですか……」

 

「違う。取り込んでいるのではない。奪い喰らった〝命〟を餌にして、己の魂にへばり付いている雑魂を上書きしているのだ。

 大方チンギス・ハンが独力で呼び出せる騎兵の総数はそう多くはないのだろう。項羽との戦いで消耗している事を加味したとしても、万全だったところで一万も呼び出せまい」

 

 だがそんなことはチンギス・ハンにとって問題にならないのだ。一万という元手さえあれば、そこから周りの命や死体を喰らうことで幾らでも数を増やす事が出来るのだから。

 王翦は始皇帝の横顔を見ると、傀儡将ではなく一人の人間の魂として心中で感謝する。もしも始皇帝がこの特異点に現れる事がなければ、カルデアがレイシフトする頃にはこの大陸はチンギス・ハンの戦奴で埋め尽くされ、もはや手遅れになっていたことだろう。

 

「凄まじい宝具です。彼の大王と並ぶ征服王は伊達ではないということですな。が、そういうことなら対処は容易」

 

 王翦は傀儡将を後方での指揮に徹しさせ、最前線中の最前線を傀儡兵だけで固める。

 チンギス・ハンの『四頭の駿馬、四匹の狗(ドルベン・クルウド・ドルベン・ノガス)』は命や死体を喰らうことで数をネズミ算式に増やしていく。しかし擬似生命を与えられている傀儡将とは異なり、傀儡兵はただの無機物だ。幾ら連中が傀儡兵を倒そうと、戦奴に上書きすることは出来ない。

 こうして傀儡兵でひたすら消耗戦を強いていけば、やがて圧倒的物量差でチンギス・ハンの手駒を削り取ることができるだろう。だが、

 

「フフフフフフ」

 

「――――っ!」

 

 自軍が不利なことくらい気付かぬ筈がないというのに、チンギス・ハンは依然として余裕のまま。蠱惑的な笑みさえ浮かべながら、こちらを手招きさえしていた。

 安い挑発には違いない。しかし唯一絶対たる〝皇帝〟を挑発するなど、安かろうと高かろうと三賊皆殺しにしても飽き足らぬ大罪である。

 チンギス・ハンの誘いは、始皇帝の激情家としての本質を刺激するに十分すぎた。

 

「王翦」

 

「はっ!」

 

「そのままモンゴルの狗コロ共を閉じ込めておけ」

 

「……――御意」

 

 始皇帝の怒りに反応して、陵墓に眠る〝モノ〟が稼働を始める。

 余りにも巨大過ぎる体積が内部で蠢いたことで、陵墓のみならずこの世界全体に地響きが発生した。

 

「王翦、知っているか? 我が死後、無知蒙昧共は水害は皇帝の不徳によって起きると信じたそうだ」

 

「然様ですか」

 

「だが私は違う。始まりにして唯一皇帝たる〝朕〟にとって森羅万象は我が意のままに動けば良い。起こすも鎮めるも我が心次第よ」

 

 瞬間、陵墓より黄河を思わせる濁流が吐き出された。

 始皇帝が眠る地下宮殿には人口の星々が天蓋を照らし、不死の妙薬たる水銀が溶け込んだ海が広がるという。

 この世界は隅々に至るまでが始皇帝の夢だ。故に星々や大会すらが始皇帝の思うが儘に動き、操ることが可能だ。そういう法則がまかり通ってしまう。

 

「王翦、狗コロ共を逃すなよ」

 

「御意。……捨て駒にしても心を痛めずに済むのが、傀儡兵の利点ですな」

 

「下らん。どちらでも同じことだ」

 

 地面を割りながら濁流はチンギス・ハンとその軍勢に向かって押し寄せていく。その過程で何千何万もの傀儡兵が巻き添えになったが始皇帝は気にも留めない。

 人間同士の戦争においては無類の強さを発揮するモンゴル騎兵も、相手が天災そのものではどうしようもなかった。チンギス・ハン含めて悉くが激流に呑み込まれていく。

 両腕を動かし濁流を操る姿は、まるでオーケストラの指揮者のようであった。

 

「――――潰れろ」

 

 始皇帝が右腕を握りしめる。

 それを合図にモンゴル騎兵を呑み込んだ濁流が内側に猛烈な勢いで閉じた。どんな鋼鉄すらジャンクに変える圧倒的水圧に、濁流に呑まれた騎兵は成す術なく全滅する。

 唯一人を除けば、だが。

 

「――――っ!」

 

 握りしめた手が小刻みに震える。世界そのものの圧力に、たった一人で抗う強靭な魂があった。

 瞬間。濁流が割れ、中より蒼影が飛び出してくる。

 

「今の愛し子等ではここまでが限界か。だが十分よ、ここまで引き出せば底にも予測がつく」

 

「おのれが! 耐えろと命じた覚えはないぞ、狼が!」

 

 宙に浮かぶ巨大な水球が形を変え、無数の蛇となって腹より逃れたチンギス・ハンへ殺到する。

 水蛇による全方向からの同時攻撃。それをチンギス・ハンは曲芸めいた動きで軽々と回避していった。傀儡兵も包囲しながら迫るが、チンギス・ハンが爪を振り下ろすと、まるで竜巻に巻き込まれたように消し飛ぶ。

 

「さて、政。私は勧誘も勧告も一度きりなんだが、君の想像を絶する財宝を惜しむ故に例外的だが二度言おう。私の物となり、その力を私に捧げろ。

 統一も法家も法治主義も総じて下らん。人類社会とは時に自らの愚かさから目をそむけるため、そういった思想を考えては悦に浸るが、私からすれば全てが茶番に等しい。

 社会とはもっと単純で下らないものだ。奪い、喰らうことこそ人の性、人の快楽、人の喜び。俗なる物こそが真理よ。我が手をとれ、政」

 

「黙れ」

 

「つれない男だ。だが――――」

 

 瞬間。チンギス・ハンの総身を覆うオーラが変わる。始皇帝という男の力量を確かめるための虚仮脅しの殺意から、その命を根こそぎ奪い殺さんとする鬼気へと。

 

「まずは勘違いを正せ。私がお前に挑むのではない。お前がこの私に挑むのだ。たかが中華一つを支配したに過ぎぬ小さき王よ」

 

 チンギス・ハンが征服した国土は彼のイスカンダルの倍近く。支配領域においてチンギス・ハンに並び立つ英雄は人類史に一人たりとも存在しない。そんな偉大なる帝王は腕を広げ、地獄に君臨する魔王のように始皇帝を挑発した。

 

「戯言を」

 

 支配面積の大きさは英雄の格を測る指標の一つではあるが、何もそれが全てではない。確かにチンギス・ハンは征服領域において随一だが、全ての英霊達の頂点に君臨するのは彼ではなく別の英霊である。

 そもそも中華の長い歴史において始皇帝を超える国土を支配した皇帝など、彼の死後には数多く存在するのだ。だが彼等全員が始皇帝を超える英霊かと言えばNOである。

 チンギス・ハンと始皇帝がどちらが上か下かなどは見方によって幾らでも変わるし、チンギス・ハンも本心から始皇帝を中華一つを支配したに過ぎない帝王と侮っている訳ではないだろう。これは単なる挑発だ。

 そう、挑発。

 始皇帝もそんなことは重々承知している。しかし始皇帝の強烈な自尊心と自我は、そういった挑発すら徹底して潰さないと気が済まない。

 六国を滅ぼし、中華の財の悉くを収集した始皇(至高)の陵墓。

 人類の叡智全てを貯蔵する英雄王の蔵という特級の例外さえ除けば、財の総量は人類史随一。その中には仙界の秘蔵秘匿の宝貝すら眠っている。

 始皇帝が己の陵墓より取り出したるは、仙界の鉄によって鍛えられた巨大な手裏剣。

 本来宝貝とは仙人が作り出した仙人のための武具であり、例え英霊であろうと仙人以外には決して扱えない代物だ。それは生前仙人になろうとして失敗した始皇帝も同様である。

 だがこの宝具〝秦始皇陵墓〟においては例外が適用される。

 ここは始皇帝の願望を実現する、始皇帝の夢の世界。故にこの世界においては始皇帝の夢が、全て現実として実現してしまう。当然ながら『仙人になりたい』という強固な渇欲もまた、この夢幻世界においては現実として具象するのだ。

 

「集え灼雷、万象焼き払う焔となって。征け、火竜鏢(かりゅうひょう)――――ッ!」

 

 真名解放。始皇帝の投げた手裏剣は、火竜の息吹を撒き散らかしながら目標へかっ飛んでいった。

 空間を巻き込んで猛る業炎の大車輪――――質量と規模こそ水銀の海の方が上だったが、貫通力と一点の破壊力において火竜鏢はそれを遥かに上回る。直撃すれば並みのサーヴァントなら、否、上級サーヴァントでも即死は免れないだろう。戦略眼に優れるチンギス・ハンは即座に火竜鏢の危険性を理解すると、水銀の海のように受けるのを待たず、早々に回避を選択した。

 蒼き狼の血を宿すチンギス・ハンの跳躍は雷光とも見間違わんばかりのもの。マッハ10で飛来してきた火竜鏢を紙一重で躱すが、

 

「なに!?」

 

 ここにきて初めてチンギス・ハンの面貌に驚愕が浮かび上がった。

 マッハ10、時速にして12240㎞/hで飛来した火竜鏢が、まったく減速せず直角に曲がり躱したチンギス・ハンを追尾してきたのである。

 

「火竜鏢、狙った獲物は決して逃がさぬ百発百中の宝貝。回避の術はない」

 

「――――っ!」

 

 死刑宣告のように始皇帝が言ったのと、火竜鏢がチンギス・ハンに命中したのはまったくの同時だった。

 マッハ10の物理破壊力と鋼すら溶かす炎熱による同時滅殺。人間を殺すには過剰過ぎる火力には、如何な大英雄といえど耐え切るなど不可能である。

 

『―――――――恐れ入ったよ、これが仙界の宝貝というものか』

 

「なに!?」

 

 だからこそ爆煙の中よりチンギス・ハンの声が響いてきた時、始皇帝は先程の彼とまったく同じ反応をすることになった。

 

『私の生まれた時代は、宝貝だの仙術だのの類は悉くが地下に潜るか天に追放されるかしていて碌に残っていなかった。こうして直に受けて確信したよ。なるほど馬鹿げている。こんなものが飛び交う戦場では、馬や弓なんぞ耄碌しきった婆並みに役に立つまい』

 

「……なにをした? 何故生きている」

 

 これが不死の逸話をもつサーヴァントであれば、火竜鏢の直撃に耐えた事も分かる。座に登録された数多の英霊の中には、宝貝による一撃すらビクともしない怪物だっているのかもしれないのだから。

 しかしチンギス・ハンは神話伝説由来の英霊ではなく、史実に刻まれた〝人〟の英霊。宝貝の直撃を喰らって生き延びれる道理がないのだ。

 

『フフフ。〝底〟を晒したな、政。もう分かった、そろそろこの戦争というお遊戯も終わりにするとしよう』

 

「お遊戯、だと?」

 

 チンギス・ハンの嘲りに反応したのは始皇帝ではなく、隣に控えた王翦だった。

 

『その通り、お遊戯――――遊戯(ゲーム)だよ。神からすれば、我々の軍略も兵法も気紛れ一つで叩き潰せる盤上の遊戯(チェスゲーム)に過ぎん』

 

「貴様がそれを言うのか、チンギス・ハン」

 

『私だから言えるのさ』

 

 地獄の底から響いてきたような冷めた声に王翦は戦慄する。

 爆煙の中で僅かに輝いた赤い光。アレは人間のものではなくなっていた。

 

『数千数万に張り巡らせた戦術戦略なんぞ〝一つの天災〟によって万象崩れ去る運命。泣け、震え、喚け、慄け――――――そして知れ』

 

 

――――――〝蒼き狼(イェケ・モンゴル・ウルス)

 

 

 最初に夢幻世界に轟いたのは、黄昏を震わす狼の咆哮だった。

 世界が軋む。途轍もない規模の現象が〝誕生〟したことで、この空間そのものが悲鳴をあげていた。

 

「ヌゥ、ゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ! この……っ! なにを……ッ!」

 

 この夢幻(せかい)が終わって、もし生まれたモノが解き放たれれば現実(せかい)が終わる。そう人間としての本能が直感した始皇帝は、皇帝らしい威厳などかなぐり捨てて必死に自らの夢を維持した。

 元朝秘史に曰く、上天より命ありて生まれたる蒼き狼ありき。

 其れはモンゴル人全ての祖。

 其れは誇り高きトーテム。

 其れはチンギス・ハン。

 其れは蒼き狼。

 人類史を犯せしは、勇壮なりしモンゴル帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)

 

「――――っ」

 

 爆煙が晴れ先ず目についたのは、蒼い体毛に覆われた巨大な前足。そして視線は胴体から頭部へ、更にはその全貌へ。

 其れは狼だった。空のように美しい蒼い体毛をもつ蒼き狼。血のように赤い双眸は、それが神の血を宿した神獣(トーテム)である証だった。

 

「これが貴様か」

 

『そうだとも、これが私だ』

 

 身に宿る神霊の血を媒介にした神代回帰。人間から神獣へと神化。蒼き狼と同一視され、また自ら神として崇められているが故に登録された規格外宝具だ。

 宝貝が通用しなかったのも当たり前というものだ。

 ここにいるのは蒼き狼。存在そのものが権能に等しい神霊である。人狼(ルー・ガルー)は愚か神狼(ヴァナルガンド)をも上回りかねない神威に、一介の宝貝が通じる筈がない。

 神を傷つける事が出来るのは、それを殺すためのモノか、または同じ神か、或は星だけだろう。

 

『さあ、お前の血肉を貪らせろ――――政ッ!!』

 

 蒼き狼(チンギス・ハン)の疾走はもはや完全に音を、人智を置き去りにしていた。ただ走る、それだけで周囲の空間と環境を蹂躙し吹き飛ばしていく。

 傀儡兵が大量の鎖を投げつけて蒼き狼を拘束しようとするが、人造による人を捕えるための鎖で神狼を捕えられる筈がない。蒼き狼が疾走の際に出す風圧によって、鎖はその肌に触れることも出来ずに吹き飛んでいった。

 攻撃力と防御力もそうだが、蒼き狼はスピードが凄まじい。まずあの速度を潰さない限り、攻撃を当てることすら至難だ。

 始皇帝は陵墓に納められた捕縛用宝具と宝貝を全て投入して蒼き狼を捕えようとする。

 

『言っただろう? お遊戯は御終いだ』

 

 時に躱し、時に弾き、時に破壊する。

 自分に迫る百以上もの宝具宝貝の雨を、蒼き狼はこともなげに対処していった。

 始皇帝は歯噛みする。もしも蒼き狼が考えなしの狂戦士(バーサーカー)や猛獣の類ならば対処法はまだ幾らでもあっただろう。だが蒼き狼は天災そのものの力を振るいながら、チンギス・ハンという世界史有数の天才の頭脳を持っているのだ。

 天才と天災の融合。例えるならば人間の知能をもったハリケーンだ。

 なるほど戦術戦略がお遊戯と豪語するのも頷ける話である。これほど出鱈目な力の前では、軍隊という1の積み重ねを効率よく動かす軍略なんぞ何の意味も持たないだろう。

 

「王翦、下がっていろ」

 

「陛下! 危険です、どうか御下がりを。ここは――――」

 

「私に任せろ、などと言うまいな。ここではお前は役に立たん。お前こそ下がっていろ」

 

 始皇帝は『使えない』と判断した者に対しては、極端なほどに冷酷だった。それは建国の大功臣である王翦とて例外ではない。

 

「…………仰せのままに」

 

 そんな始皇帝の性根を知り尽くしている王翦は、文句一つ零さず引き下がる。もしもここで王翦が文句を言っていたら、始皇帝は傀儡将の身だろうと構わず死の制裁を下していただろう。

 王翦を下がらせた始皇帝は、縦横無尽に夢幻世界を駆け回る狡猾なる悪狼を真っ直ぐ睥睨する。

 

「〝底〟を晒しただと? 私の宝具がこの陵墓(世界)だけだと都合の良い夢想を信じたのだとすれば貴様の底が浅いわ」

 

 始まりの皇帝であるが故に始皇帝。そして始まりを行うが故の始皇帝だ。

 秦始皇帝陵は始皇帝を象徴する宝具(史実)ではあるが、高位の英霊が複数の宝具を持つように、始皇帝もまた複数の宝具(業績)を持つ。

 其れは偉大なる帝国を、野蛮なる異民族から守るための防壁。七雄が建造し、始皇帝によって繋がれ――――そして現代にまで残った普遍的遺産。

 

「遥か彼方まで聳えよ、万里の長城(ディー・ヒネーズィッシェ・マオアー)」」

 

 真名解放。始皇帝にとって陵墓に匹敵するほど有名な逸話がここに顕現する。

 宝具〝万里の長城〟はその名が示す通り攻撃のためのものではなく防御のための結界宝具。異民族(特に騎馬民族)に対して防御力が激増するという特性をもつ始皇帝が誇る楯である。

 だが人智の及ばぬ蒼き狼を相手にした、始皇帝の長城の使い方も人智の及ばぬものだった。

 出現した長城が蛇のように伸びて、蒼き狼の巨大な胴体に巻き付いていく。

 

『――――――ッ!?』

 

 蒼き狼が苦悶の呻きを漏らす。正真正銘の〝神〟である蒼き狼にや如何な長城の圧倒的質量といえど、一切ダメージは届くことはない。だというのに苦悶したのだ。

 そのトリックは始皇帝のスキルにある。

 

〝皇帝特権〟

 

 皇帝またはそれに類する地位に至ったものだけが保有できるこのスキルは、どんなスキルであろうと本人が望めば一時的に獲得できるという極めて強力なものだ。

 始まりの皇帝である始皇帝は当然の如くこのスキルを保持し、しかもそのランクは規格外のEX。これによって一時的に〝神殺し〟のスキルを獲得し、蒼き狼を傷つける権利を得ているのだ。

 

『―――――――ウゥ、ガァ』

 

 チンギス・ハンもまた皇帝特権によって、始皇帝の〝神殺し〟を相殺させようとする。

 だが届かない。神秘はより強い神秘によって破られるが運命(さだめ)。始まりの皇帝である始皇帝は、いうなれば〝皇帝〟という概念の原典(オリジナル)である。

 派生品が原典を凌駕することはない。チンギス・ハンの皇帝特権も評価規格外のEXだが、皇帝のオリジナルである始皇帝には届かないのだ。

 

「狼の棺桶にするには国費が惜しいな。が、貴様には特例を認めてやる」

 

 長城という縄で動きを拘束されていた蒼き狼へ追い打ちをかけるように、水銀の海が長城ごと蒼き狼を覆い尽くした。

 それでも足りぬとばかりに百万の傀儡兵を元の土塊へ戻すと、土塊が水銀の海を更に覆うように固まっていった。

 万里の長城、水銀の海、土塊。三重の大圧力による圧殺。世界そのものが蒼き狼という一つの生命を完膚なきに殺そうと全霊を尽くしていた。

 しかし――――――

 

『――――――――――――ォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!』

 

「まだ動く、だと……?」

 

 太陽すら怯ませる遠吠えが響き渡る。ブラックホールの中心のような超重力に圧し潰されながら、蒼き狼は死んではいなかった。

 三重の圧力を自らの力だけで押し返し、這い出てこようとしている。

 追い詰めた者と、追い詰められた者。その立場が逆転した。

 この超圧力は比喩ぬきでこの世界の全霊を注いだものである。土塊を傀儡兵に再構築するのにも時間がかかるし、蒼き狼を捕えられたのは『万里の長城』という奥の手を知らなかったが故に不意を付けたからで二度目はない。万全の状態ならいざ知れず、この戦いでかなり消耗した始皇帝では、圧力から逃れた蒼き狼をもう一度捕まえるのは限りなく不可能に近いのだ。

 つまり蒼き狼が三重の圧力を喰い破った時、始皇帝の敗北は揺るがぬ運命として確定する。

 土塊に罅が入り、水銀の海より赤い眼光が輝いた。

 限界が近い。このまま踏ん張ったところで敗北の運命を長引かせるだけにしかならないだろう。

 この窮地を脱する方法はただ一つ。神霊をも殺す究極至高の一矢をもって、蒼き狼を一撃のもとに滅ぼし尽くすことのみ。

 生憎と始皇帝はそんな宝具は現実に保有していない。現実的にそんな策は実行不可能だ。――――そう、現実世界においては。

 

「…………止むを得ん。魔術王との決戦まで晒すまいと決めてはいたが」

 

 ここに始皇帝は正真正銘最後の鬼札(ジョーカー)を切る覚悟を決めた。

 魔術王ソロモンの『千里眼』は過去・現在・未来まで見通す。果たしてこの夢幻世界まで視ているかは分からないが、細心の注意を払って出来れば温存しておきたかったとっておき。しかしここで鬼札を切らなければ、敗北は必至。そうなっては元も子もない。

 始皇帝の手に弓矢が出現する。それは陵墓に貯蔵された宝具神宝と比べれば貧相にすら映る、現実世界では魚一匹殺すのがやっとの雑多品でしかない。だが、

 

「■■■■■、■■■■■」

 

 解放された宝具は、一矢にて神霊の命を終わらせた。

 




【元ネタ】元朝秘史
【CLASS】ライダー
【マスター】???
【真名】チンギス・ハン
【性別】男性
【身長・体重】184cm・70kg
【属性】混沌・悪
【ステータス】筋力A(C) 耐久B(D) 敏捷A+(C) 魔力A 幸運B 宝具A++
【クラス別スキル】

対魔力:B
 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

騎乗:A+
 騎乗の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。ただし、竜種は該当しない。

【固有スキル】

戦略:B
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦略的直感力。
 自らの対軍宝具や対国宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具、対国宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

カリスマ:A-
 軍団を指揮する天性の才能。
 団体戦闘において、自軍の能力を向上させるが、自身の敵と属性が〝善〟の者からは激しい嫌悪感を持たれ易い。
 反面属性が〝悪〟の者に対しては効果が増加する。

皇帝特権:EX
 本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。
 該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。
 ランクA以上ならば、肉体面での負荷(神性など)すら獲得できる。

神性:A(C)
 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
 太祖として狼神と鹿神をもち、故国では自身も神として信仰を集めている。
 チンギス・ハンのランクは本来Cであるが、宝具を限定解放しているためランクが上昇している。

【宝具】

四頭の駿馬、四匹の狗(ドルベン・クルウド・ドルベン・ノガス)
ランク:A+
種別:対軍宝具
レンジ:1~60
最大捕捉:300人
 ライダーの〝心象〟によって構築された生前の配下の生霊を、生命もしくは屍体に憑依させることで〝屍人兵〟として使役する。
 人狼の王による殺戮の輪廻転生。屍人兵によって殺された者も輪廻に取り込まれ、屍人兵と化す。
 ただしチンギス・ハンに匹敵、或は凌駕する魂を持つ存在を屍人とすることは出来ない。
 チンギス・ハンに流れる〝神霊の血〟を餌にして屍人兵を呼び出すことも出来るが、その際は宝具〝蒼き狼〟を完全解放出来なくなる。

蒼き狼(イェケ・モンゴル・ウルス)
ランク:EX
種別:対国宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
 〝四頭の駿馬、四匹の狗〟を封じることで発動できるライダーの切り札。
 ライダーの肉体に流れる神霊の血を、彼自身が獲得した神性と信仰により増幅。
 モンゴル人の祖とされる神獣〝蒼き狼〟の姿へと変成する。
 人智の及ばぬ暴威は天災にも等しい。
 現界している場所が神代の息吹きが残る紀元前のため、現代では不可能の〝権能〟を発揮することができる。
 またライダーはこの宝具を常に限定解放しており、そのため一分パラメーターと神性スキルが跳ねあがっている。

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