ディルムッド・オディナが携える双つ槍が一つ『
通常の槍が命を削り取るのならば、この槍は命の総量そのものを削ぎ落とす。よって如何な不死性を持つ者だろうと、この槍に傷つけられれば最期、それが癒える事は永久にない。
同じケルト神話を由来とするクー・フーリンの
個人差はあれど平均して高い回復力を備えるサーヴァント戦において『
そして必滅の呪詛は、英雄の
無理難題に等しい入団試験を潜り抜けた者だけが入ることを許されるフィオナ騎士団。その中にあって一番槍を務めた程の男がディルムッド。彼の一槍は宋江の心臓を完全に滅ぼしていた。
「がっ――――あっ――――」
心臓はサーヴァントの霊核であり、頭部と並ぶ最大の急所である。しかも〝必滅の黄薔薇〟によって破壊された心臓は再生することもなく、宋江の総身を巡っていた魔力の循環は停止した。
体は仰け反り、充血した眼は一面の青を焼き付ける。
――――だが例外がある。
ここに成立するのは最悪のジョーク。
現実は虚構へ堕ち、虚構こそが現実へ成り替わる。即ち、
「
マシュと戦う李逵から黒旋風が消え、入れ替わるように発動するのは宋江含めた百八星のみに作用する冗談のような
必滅の呪詛を受けた筈の心臓が復元する。みるみるうちに宋江の血色は巻戻り、ふてぶてしい余裕顔が戻ってくる。
再生ではない、回復ではない。これは事実を夢にすることで実際に起きた出来事を『なかった』ことにする歴史の改変だ。
決して癒せぬ傷を与えるという呪詛も『傷を与えた』という結果が消えてしまえば、呪いも自然と消える。何故なら最初から傷など与えてなどいないのだから。そういう風に歴史は変わったのだ。
「ヒャーハハハハハハハハハハハハハハハ! 残念だったな騎士様ぁ~! 生憎と生き汚さには定評のある宋江様なんでなァ! そう簡単には死なねぇンだよ!!」
「――――了解している」
「へ?」
狂笑する宋江の眼前には、既にディルムッドが迫っていた。
慌てて宋江も剣を抜き放つが、それよりも一歩早く裂帛の気迫で放たれた〝
疑いようなき致命を負った宋江は、もう一度渾身の力を込めて宝具を発動し、自分の死の運命を夢と変える。だが、
「逃がしはしない!」
どれだけ死から逃げようと、ディルムッドはどこまでも追いすがってくる。
「死にたくなければ何度でも蘇るがいい。その代わり蘇る度に俺が貴様を殺す」
「このっ、糞騎士がぁぁああああああああッ!」
宋江の『驚悪夢』はその性質上、どんなダメージや呪いを受けようと瞬時に全快復できるという極めて厄介な宝具だ。ただし過去改変という『魔法』の域にある神秘を行使するため、単純な超再生能力よりも消費する魔力は多くなる。
ただでさえ李逵を呼び出していて常時魔力が使用されている中で過去改変を連続して使用していれば、直ぐに魔力が尽きる。
その事を察した宋江は形振り構わず逃げ出そうとするが、ディルムッドの俊足がそれを許してくれない。
進退窮まった宋江は自分への不可も構わずに、更なる百八星の宝具を使用する決断をする。
「金不可辱、亦忌在穢、盍鑄長殳、羽林是衛」
星主によって呼び起こす魔星の名は天佑星。金槍手の渾名をもつ宋国において林冲に次ぐ槍の担い手。
彼が象徴する宝具こそ、この場を潜り抜ける活路と信じて。
「
宋江の体を薄羽で編まれた鎧が覆う。眩い金色の輝きを放つそれは、剣も矢もまるで通さぬ無敵の鎧だ。獅子より強いと謳われた甲冑は、例え英霊の宝具であろうと弾いてのけるだろう。
そして賽唐猊は見事に役割を果たす。ディルムッドの放った
「……ほう。大した鎧だ」
閃光の軌跡を描く一槍は鋼だろうと容易く貫こう。それ程の威力を受けて尚も賽唐猊の輝きに陰りが差す事はない。
英霊と武装たる宝具は基本的に一心同体だが、中には両者の天秤が釣り合わぬ場合もある。賽唐猊もその類だ。呪いの黄槍すら通じぬそれは、担い手たる魔星をも凌駕する格を備えている。
偽りの星主として知識としてはあっても性能を間近で見るのは初めてだった宋江は、この実績を持って真に賽唐猊の性能を知った。
これ程の代物であれば突破するにはランクA以上の宝具による破壊力が必須だろう。そしてランサーたるディルムッド・オディナにAランク宝具はない。
「くくくくっ、ヒヒヒヒヒヒ、ヒャーハハハハハハハハハハハハハッッ!! ようやっと運が向いてきやがったなぁ~! この鎧さえありゃテメエのチンケな槍は通じねえ!」
自分の有利を確信した宋江はこれまでの受け身から一転して攻勢に転ずる。
鎧の防御力を盲信した自分の身を顧みない捨て身の乱撃はしかし、誉れ高き双槍の騎士を相手取るには余りにも無謀であった。
必滅の呪詛を宿した魔槍はなるほど通じない。それはその通りだ。まったく否はないとも。
だが、しかし――――双槍の騎士が頼りとするもう一振りはその限りではない。
「払え、
静かに騎士は己が槍の真名を告げる。宋江が自らの突撃の愚かさを悟るのと、彼の槍に魔槍が突き刺さるのは同時だった。
刃に触れる一切の魔力効果を打ち消す呪槍は、賽唐猊の無敵の神秘すらも消し去り、それに守られた宋江の命を貫いたのである。
「お、おお……ッ」
死にゆく我が身。だがそんな終わりなど認めてなるものかという狂信が、宋江の目に光を灯す。
「
ここに発動する三度目の悪魔的悪戯。宋江が致命傷を負ったという事実は『なかった』ことになり、五体満足の宋江が現実に取って代わる。
だがもう宋江には最初の時のような嘲笑を浮かべる余裕などありはしなかった。
「うごっ…げほっ! げほっ……うぇあああああ、うっあああああぁうぉえあぉあえ!!」
下呂を吐き散らし、嗚咽を漏らしながら宋江は地面に蹲る。
総身は末期の薬物中毒者の禁断症状のように震え、目は白濁し、青くなった血管が顔面から浮き出ていた。
「始まったか」
「ぅおあぎぃぁ……ディルムッドォォ! まさか、テメ、エの目的はッオレを殺すことじゃ……なくっ」
「その様子だとカルデアの
賊徒に過ぎぬ宋江が身に余る『星主』たる権利を行使した代価は、偽りから本物へ成るという
自らの醜悪な欲望のためだけに自らの生存を祈り続けた当然の報い。正史に刻まれし偽りは消え、伝承に記されし本物の英霊が宋江の内より浮上する。
完全なる英雄・宋江という魂を容れてしまえば一つだけの
「ふざ、けるなァ……こんな糞みてえな、終わり……認め……」
「ならばお得意の反則で自分が宝具を発動したという事実を『なかった』ことにでもするがいい。出来るものならな」
「!」
あの
夢は重複しない。宋江の反則は現実を夢にすることは出来ても、夢である驚悪夢を夢にすることは出来ないのだ。
夢を積み重ねた現実は不変である。謂わばこれは夢の行き止まり。逃れられない十三階段に宋江は自ら足を踏み入れてしまったのだ。
「名を残して消えろ、賊徒」