「土方さんは大丈夫でしょうか」
沛への行軍途中、マシュが暗い顔でポツリと漏らした。土方歳三の安否。それを気にしない者など劉邦軍にはいないだろう。
だけど誰もその話をしようとしないのは、きっと考えるのが厭だからだ。
「…………」
だから自分もマシュの言葉に応える事が出来ず、無言でうつむいてしまった。そんな自分に助け舟を出したのは、或は止めを刺したのは横を進む劉邦だった。
「野暮なこと聞くなよ。相手は六虎将の李信にテセウスとかいうデカブツに宋江とかいう訳の分からん野郎までいるんだぜ。生きちゃいねえだろうよ」
誰もが簡単に辿り着く、けれど務めて辿り着こうとしない答えを劉邦は冷たく言い放つ。
自分もマシュも言い返せない中、回線を開いたロマンが口を開く。
『けれど沛公。普通ならそうでも土方さんはサーヴァントだ。宝具を上手く用いてどうにか逃げ延びている可能性も……』
「それだけじゃねえべ。俺はまるっきり逆だからなんとなく分かるんだよ」
「逆?」
「俺がこうして軍の大将やってんのは生きるためだ。けどあの野郎はなんとなく死ぬために戦ってたような気がするんだよなぁ。こういうの武人的には死に場所を探していたっていうのかい?」
「……一理ある」
「ディルムッド?」
「死にたがりと言うほど積極的ではなかったが、彼は自分の命の使い処を考えていた節がある。一度死んだサーヴァントの身でさえこれなのだから、生前はそれこそ死神に憑かれたような人生だったのだろうな。
だからマシュ殿も彼を置いて逃げたことを気に病む必要はない。俺が土方歳三なら、自分のことで貴女が苦しむことこそを嫌うだろう。」
土方歳三には「吾輩はすでに死神にとりつかれたる也」と語ったというエピソードが残っている。それに土方と新撰組は勝利して華々しく咲き誇った大輪ではなく、華々しくも時代の風に吹き散る桜。その生き様が滅びに向かうのは必定だったのかもしれない。
けれど、それでも自分は土方歳三という侍ともっと一緒に戦いたかった。この蒼天の下で語り合いたかった。こう思ってしまうのは侮辱になるだろうか。
「そう、ですね。ディルムッドさんの言う通りです。心配をおかけしました」
「――――秦を、始皇帝を倒そう。きっとそれが土方さんへの弔いになる」
息を吐き出し、自分の魂に刻み付けるように言う。
自分達が特異点の修復に失敗すれば、土方歳三は犬死になってしまう。そうとだけはしたくはない。
「ま、今は逃げるしかねえわけだが」
決心を新たにしたところで劉邦がオチをつけた。
「けれど義兄上。沛まではもう少しです。沛で軍を立て直したら秦軍相手に再び戦を挑みましょう。今度こそ遅れはとりません」
テセウス相手に力負けした樊噲は雪辱戦に燃えていた。
自他共に認める劉邦軍最強の猛将は、その看板を背負っているだけに自らの武には譲れぬものがあるのだろう。
「ああ。それと〝入雲竜〟の捜索も引き続きやんねえとな。項羽将軍の本隊と連絡がとれねえ以上、俺達だけで秦を滅ぼすなんざ夢のまた夢だべ。どうしたって切り札がいる」
『世知辛いけど沛公の仰ることは尤もだね。現状の戦力じゃ秦軍を倒すには足らなすぎる』
土方が討ち死にしてしまったと仮定して、こちら側のサーヴァントはマシュとディルムッドのたった二人だけ。逆に秦軍には最低でも始皇帝、李信、テセウス、宋江、李逵の五人。これでは分が悪いどころの話ではない。
その秦軍が何よりも優先して探し求めているのが入雲竜・公孫勝。彼を見つけ、味方に引き入れる事が状況を打開する一手になる可能性は高い。
「報告します!」
深い思考は兵士の悲鳴めいた叫び声で強制的に終わらせられた。
「秦軍が直ぐそこまで迫っています!」
「ちっ! もう追って来やがったか! 流石に土方だけじゃきつかったか……にしても妙だな。大将の李信の旗が見えねえぞ」
「――――大将首であれば、副長が獲られた」
劉邦の疑問に答えたのは、空気に溶け込むように潜んでいた侍だった。
「お前ぇは?」
「失礼。拙者、新撰組監察の山崎烝という者。副長の宝具にて呼び出された隊士が一人にござる。副長の最期の命にて沛公への伝令役を賜った次第」
土方歳三の最終宝具は『誠の旗』を核とすることで、新撰組隊士を連続召喚するというもの。
呼ばれた隊士達はEランク相当の単独行動スキルを持ったマスター不在のサーヴァントであり、数時間の戦闘行動が可能だ。ただし同時に核である旗や、召喚者である土方歳三を失えば道連れになるという欠点もはらんでいる。
だが例外なのが新撰組監察である山崎烝。監察である彼の単独行動スキルのランクは他の隊士を上回るBランク。それだけあれば例え核である旗と召喚者を失おうとも、短時間であれば生存することが可能なのだ。
土方はその特徴に目をつけ、彼を最後のメッセンジャーに選んだのだろう。
「気が利くじゃねえか。それで確認するが李信は土方が討ったんだな?」
「間違いなく。が、大将李信の正体は始皇帝が操る傀儡将に過ぎず、サーヴァントに非ず。時が経てば復活も有り得るとのことなり」
山崎烝より齎された土方の土産に、劉邦のみならずその場に居合わせた全員が固まった。
『な、なんだって!? 李信の反応はサーヴァントと比べても遜色のないものだったのに……それが宝具の一つに過ぎない……。はは、流石は始皇帝なんて……渇いた声しか出てこないよ……』
「サーヴァント級の戦力を自由に派兵して戦わせる。そんなのは、まるで――――」
マシュの言わんとしている事は分かる。宝具である将と軍のみを動かし、自らは動かないまま大事を成す。
それはまるで七十二の魔神柱を各時代に楔として撃ち込んだ魔術王ソロモンそのものだった。
「マシュ。今はそんなこと考えている場合じゃない。それより目の前の敵と戦おう」
「マスターの仰る通りだな。大将がいないのであれば軍の統率力は衰えていよう。見た限り数も随分と目減りしているようだ。テセウスと宋江の二将を狙い撃ちすれば」
「勝機がある?」
「あるっちゃあるが厳しいべ。だってこっちの軍は強行軍のせいでクタクタなのに対して、あちらさんは人形だから疲れ知れずなんだぜ。正直勝てる気がしねえよ。それでもやるっきゃねえわけだが」
ディルムッドが抱かせた希望は、劉邦によってあっさり砕かれる。いや現状を鑑みるに少しでも可能性があるだけで十分希望と呼ぶに値するのかもしれない。
この特異点にレイシフトして何度目かに分からぬ窮地。中でも今回は極め付きだ。なにせ逃げようがない。
だが自分達は忘れていた。子供でも分かる絶体絶命のピンチ。そんな時にこそ人類史にて燦然と輝く
「ほう。あちらの軍はサーヴァント以外は全員人形なのか。そいつは良い事を聞いたな。見る手間が省けた」
さも今日の天気を訪ねるような気楽さで、その男は現れた。
瞬間。雲一つない蒼天を埋め尽くす勢いで超速生成される矢の数々。矢は雲のように空の色を塗り替え、遂には日輪の陽射しすら遮ってしまった。
そして男が合図をするように腕を振り下ろすと、矢が一斉に秦軍へと殺到した。
「これは……」
「凄い。一万本……いえ、百万本もの矢が秦軍に降り注いでます」
「テーブル――――もとい大盾持ちのデミ・サーヴァントに、白い服を着た最後のマスター。聞いていた特徴通りだな。アンタ達を探していたぜ、カルデア。ようやっと仕えるべき善きマスターに巡り合えた」
「貴方は?」
「アーラシュ、御覧の通りサーヴァントだよ。早速だが勝手に助太刀させて貰ったぜ。遅れて馳せ参じた延滞料はこれで支払えたかな」
百万の矢を降らせるという途轍もないことをやってみせた規格外の
『アーラシュ・ザ・アーチャー。ペルシャにおける救世の英雄か! まさか彼ほどの英雄がこの土壇場で味方についてくれるなんて、まだ勝利の女神は僕達を見捨てた訳じゃなさそうだ』
日本生まれの自分にはペルシャの英雄なんて言われても、さっぱり思いつくものはない。だがロマンの興奮した口調からして相当の大英雄なのだろう。
一方でいきなりの奇跡の御業に目を丸くしていた劉邦だったが、そこは際立った修正力で目の前の非常識を呑み込んで、現実に復帰していた。
「良く分からねえが土方と同じサーヴァントなのか。そいじゃあの妖術紛いの矢の雨も納得だべ。面も実に立派なもんじゃねえか」
「――――漢の高祖か」
「あん? 高祖?」
英霊であるアーラシュは劉邦の事を一方的に知っているが、生身の人間である劉邦は自分の未来すら知りえない。高祖と呼ばれた劉邦は首を傾げる。
「おっと、こちらの話だ。ところで俺が馳せ参じたのは最後のマスターの下だが、どうやらマスターは今はアンタと行動を共にしているらしい。だったら俺の矢もアンタのものとして使うといい。それともアンタ自身に忠誠を誓わない男は要らねえかい?」
「冗談言うんじゃねえよ。忠誠誓ってねえ奴以外お役御免なんてやってたら俺の軍はにっちもさっちもいかねえっての。歓迎するぜ、サーヴァントさんよ」
「悠長に話をしている暇はないぞ」
助けに来てくれたのはアーラシュだけではなかった。嘗て聞いた凛とした声にマシュは顔を輝かせる。
死に装束を思わせる白い着物、頭には風流な白花が一輪、裾に潜ませしは匕首。見間違いはずもなく彼女は――――
「荊軻さん!」
「ローマ以来になるな。フフフ、男子三日会わざれば刮目して見よという言葉はあるが、正にその意味を実感するよ」
「荊軻だとぉ? 始皇帝暗殺を引き受けた義侠の士じゃねえか。風の噂で実は女人だったと聞いたことはあったが、まさか本当だったとはねぇ。とっくの昔に死んだ筈のアンタがこうして生きているってことは、アンタもサーヴァントってわけか?」
劉邦がアーラシュの時以上に驚き声をあげた。劉邦が何よりも尊敬する人物こそは天下の義侠たる信陵君であり、劉邦自身も侠者とは交流のある男である。
当然のように身命を賭して始皇帝暗殺に挑んだ侠者・荊軻の名前は知っていた。
「御明察だ。名高い〝三人目〟の主君だけあって慧眼だな。それより出会い頭に矢の雨を喰らって秦軍が撤退を始めた。今の内に沛城に逃げ込むことを勧める」
「アンタほどの侠客の助言だ。甘えさせてもらうぜ。というわけで全軍、逃げろぉぉおおおおおおおおお!!」
逃げ足にかけては劉邦は稀代の名将である。劉邦の鋭い指示の下で、劉邦軍は一糸乱れぬ動きで逃げ始めた。