Fate/Another Order   作:出張L

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第24節  二大文明

 悠久と刹那の境界、始まりの男は暗がりに沈殿する静かなまどろみの中にあった。

 物心ついた時という表現はよく使われるが、その時というのは人によってまちまちであろう。中には己が赤子であった頃の記憶など覚えてはいないだろうが、中にはうっすらとでもその当時の記憶を持ち続けている者もいる。数えきれないほど膨れ上がった人類。一人一人に聞いて回れば自分が母親の胎内から現世に生まれ落ちる瞬間を記憶しているという希少種だっているはずだ。

 尤も大多数の人間は生まれた瞬間や赤子の頃の記憶など持たず、ある日突然ふとした拍子に『自分がこの世界に生きている』ということに気付かされ、記憶するのである。そして東洋世界における始まりの巨人である男もまた、その大多数の中に含まれていた。ただ少し大多数の人間と違う所をあげるなら、男が物心ついたのが人並み以上に遅かったことだろう。

 始皇帝が皇帝となる前。男がまだ少年と呼ばれる年齢であった時代。自分が何者であるかも知らなかった原初の記憶。

 まず初めに思い出せる感情は憎悪だ。

 男や女に金持ち平民貧乏人に巨漢小躯と人間という生き物には様々な種類があったし、同じような人間でも微妙な差異があり、一人として完全に同じ人間はいなかった。だがそんな彼等にたった一つ共通することは、自分を見ると憎悪を向けるということだった。それは自分と同じように人々から憎悪を向けられていた『母親』という種類の人間も例外ではない。寧ろ母は自身より弱い唯一の存在である少年に対して、誰よりも苛烈に憎悪を注いだ。

 殴られ、蹴られなどの暴力は当たり前の日常で、罵詈雑言を聞かなかった日は一日としてない。

 親から愛情を注がれて育った子が、自然と人を愛することを覚えるのならば。

 自分以外の全てから憎悪を注がれて育った少年が、自然と人を憎むことを覚えたのはきっと自然な流れだったのだろう。

 母親からの惜しみない嫌悪と、周りの人々の熱心な憎悪。そして聞くに堪えない罵詈雑言を子守唄に育った少年は、物心ついた瞬間より当たり前のようにこの世全てを憎んでいた。

 世界が憎い、国家が憎い。この不条理で不合理な世界が憎い。この世で信じられるのは自分だけ、他は全て憎むべきものだ。

 少年がその出自と立場故に憎まれながらも殺さないように、と最低限の手心を加えられていたのは不幸中の幸いか。或いは不幸中の不幸か。

 そんな少年に初めて憎悪以外の感情が向けられたのは、有り体に言えば情勢の変化だった。少年の父が秦国の太子に使命されたのである。

 瞬間、少年にとっての世界は一変した。

 天下を伺う虎狼の国が秦ならば、少年が人質として過ごした趙は弱弱しく衰えた犬の国である。

 趙は四十万の兵士を秦によって生き埋めにされたことから秦を憎んでいたが、他への憎悪と自分の命なら後者を選ぶのが人間というもの。

 これまで憎悪を向けていた人間達は一転して少年に怯えるようになり、中には媚び諂い許しを乞う者まで現れ出した。

 自分を甚振ることに熱心だった自称義侠の士が、涙と涎で醜い顔を晒しながら跪いた記憶は忘れられない。

 口元が弧を描き、人生初めての陶酔感が胸を占める。この時、初めて少年は恐怖による支配の有効性を覚えたのだ。

 まどろみが終わる。自らの指の一本が折られた感覚が、始皇帝の意識を強制的に浮上させた。

 

「――――………………李信が、討たれたか」

 

 囁くほど小さい声。けれどその声は自然と広がった。

 居並ぶ文官達は玉座の皇帝の声を聞いた途端、ざわめきたつ。

 

「へ、陛下! 討たれたとは……李大将軍が、賊にやられたということですか!」

 

「そんなまさか! 李大将軍は秦国が誇る六虎将が御一人。こんなことは前代未聞ですぞ」

 

「喧しい」

 

『――――――っ』

 

 始皇帝が絶対零度の目を向けると、百以上の文官が一斉に口を噤む。

 この場にいる文武官の多くは傀儡兵でもサーヴァントでもなく、この時代で始皇帝が登用された者達。つまりは聖杯戦争や特異点について詳しい知識を持たぬただの人間だ。

 だがそんな彼等全員が知っている。皇帝の不興を買えば命がないということを。

 

「朕に同じ事を何遍も繰り返させるつもりか? 鬱陶しい煩わしいは阿呆共。余り巡りが遅いなら貴様等の首を挿げ替えても構わんのだぞ。

 李信は討たれた。状況から考えて劉邦軍に味方するサーヴァントの何某かだろう。或いはカルデアということもあるかもしれん。詳細は直にテセウスなり宋江なりが寄越すだろう。

 ゆえお前達が語らうべき事とは、李信を討った劉邦軍をどうするかだ。どうした、さっさと申せ。口が飾りだというのならば削り落として宦官の餌とするぞ」

 

 始皇帝は恐怖によって君臨する暴君ではあるが、二代皇帝とは異なり自分にとって都合のよい言葉しか聞かぬ暗君ではない。逆に重臣の職にありながら発言せずにいる事こそを怒る人物である。だからこそ発言を求められた家臣達は恐怖を押し殺しながらも口を開いた。

 

「……恐れながら申し上げます。考えますに劉邦やカルデアなどは、例えるなら盗人のようなもので根絶する事は難しく、かといって滅ぼしたところでさしたる益になりませぬ。

 王翦将軍が陛下の大望のため遠征している現在、本土の守りを削ってまで滅ぼす価値のある相手ではございません。であれば王翦将軍率いる本軍の帰還と李信将軍の再生産を待ち、全てを終わらせた後の仕上げとして一気呵成に滅ぼされるが宜しいかと」

 

「いやいや。小火も放置していれば山を焼く程の火種となりましょう。ここは咸陽の守りを割いてでも討伐に力を入れるべきところですぞ。

 このような事を申しては不敬となりましょうが、先の陳勝なる賊の乱とて胡亥様が素早く対策をとらなかったこそ、あそこまでの大事となったのです。同じ過ちを二度繰り返す愚を犯すことはありませぬ」

 

「いっそ劉邦なる者に降伏すれば罪を許すと恩赦などを出してみればどうだろうか。上手くいけば邪魔な敵が消えて、こちらの戦力の増強にもなるという一石二鳥だ」

 

「馬鹿な! 秦は法をもって治めることを是とする国。法を犯す賊を許すなど、この大秦帝国の基盤を揺るがしかねぬ!」

 

「やはり劉邦は一刻も早く討伐するべきだ!」

 

 文武官の議論を冷たく見下ろす始皇帝。

 その怜悧な思考回路は文武官の出す意見の吟味――――ではなく、自分に近しい意見の持ち主とそうでないもの。有用な意見を出す者とそうでないものの選別を行っていた。

 二世皇帝・胡亥は建設的遺産を何一つとして残しはしなかったが、負の遺産はたっぷりと残していた。その一つが人材である。胡亥が宦官に操られるがまま行った粛清により、李斯を筆頭とした有能な人材が悉く宮中から消えてしまった。

 特に始皇帝にとって李斯の死はショックが大きかった。始皇帝は他人を誰一人信頼することはないし、それは李斯とて例外ではないが、李斯は始皇帝が最も信用した男であった。

 もしもこの場に李斯がいれば、このような議論は一分で片付いただろう。

 だが今の始皇帝には、生前の始皇帝にはない家臣もいた。

 

「――――底意地が悪いぞ始皇帝。決まり切った答えが内にあるならば不要なことだ。このようなことで測れるものなどありはしない」

 

 黒と黄金の痩躯。瞳は邪気のない清らかなものだが、同時に刀のような鋭利さがある。

 色素のない白髪は手がまるで加えられず伸ばされるがままだが、それでも不快感がないのは、この男の魂が芯から澄み切っているからだろう。

 サーヴァントを知らぬ唯人でも有無を言わさぬ圧倒的存在密度。その霊格は始皇帝と比しても些かも劣るものではなかった。

 

「……――――カルナ」

 

 もしもこの場にカルデアの人間がいれば絶句したに違いない。

 黄金の鎧を纏い、神殺しの槍を担う最強の戦士(クシャトリア)。死の征服者。それこそが英霊カルナ。インド神話にて語られし最強の英雄である。

 正しく現在の秦における最強の戦力からの意見に対して始皇帝は、

 

「棒打ち百度の刑に処する」

 

 冷たくそう言い捨てた。

 

「口を閉ざせ下郎。お前に与えた職責は我が近衛。朕の身を守護するが役割。そしてそれ以上のものを与えた覚えはない。官を兼ねる事は許さん。不満があるならば――――」

 

「不満だと? お前の指摘は至極正しい。オレはお前のサーヴァントであり、ならばお前の国が敷く法に従うのが道理だろう。

 元より理解していた。甘んじて罰は受けよう。だが嘗ての主人に『一言少ない』という的確な忠告を受け取ったのでな。鬱陶しいだろうが口は閉ざさん。悪く思え」

 

「棒打ち百追加だ」

 

「傀儡兵を一万二万援軍に送ろうと対サーヴァント戦では効果が薄い。かといってオレ以外のサーヴァントは殆どが王翦と共に出陣して留守。であれば残っているオレが行かせる。そう考えていたのだろう。

 オレに否はない。主人であるお前が命令するのであれば従おう。しかし合理と数理こそを絶対とするお前にとってはそぐわぬ決断だ。

 今ある最大戦力を投入するならば、お前自身を数に含めるべきだろう。確率としてはそちらの方が高くなる」

 

 暗に自ら親征しろというカルナの言葉に、これまでカルナの存在感に押されていた群臣達がざわめき立つ。

 けれどカルナの指摘は中々正鵠をついていた。この秦で最も強いサーヴァントは他でもない始皇帝自身である。その始皇帝とカルナが二人揃って劉邦軍へ向かえば、ほぼ確実に殲滅することが叶うだろう。

 そのことを始皇帝が分からぬ筈がない。だが、

 

「話にならん」

 

 始皇帝はあっさりカルナの意見を却下した。

 

「天が動いて政道が務まるか。皇帝の役割とは法を整備運用することであって、兵卒が如く自ら弓を引く事ではない。自ら戦場を馳せるなど実に愚かしい馬鹿の所業よ」

 

「官を兼ねない。なるほどそれは臣下だけではなくお前自身にも適用するということか」

 

「皇帝も所詮は役職の一つに過ぎん。ただその職責に値するのが一人しかいないというだけのことだ。分かったか? 分かったのならば棒打ち千回だ。常人なら二十度は死ぬが、英雄ならば耐えろよ。

 罰が終われば将軍位をくれてやるから、さっさとテセウスと宋江と合流し劉邦とカルデアを始末してこい。一つ忠告するがもし寝返れば、死ぬ程度で許されるとは思わないことだ」

 

「無用な心配だな」

 

 棒打ちの処罰を受けるため、兵士に連れられながらもカルナの白貌には始皇帝に対しての悪感情はない。

 反抗すれば容易く始皇帝から逃れることも出来るだろうに、毅然と構えながらも決して忠節をなくさずに太陽の威風を押しとどめていた。

 

「この世全てを憎みながら、お前は人々を殺すのではなく治めることを望んだ。その矛盾を理解しているか、始まりの皇帝よ。お前がその矛盾を抱き続ける限り、我が槍はお前の敵の悉くを薙ぎ払おう」

 

 始皇帝は何も言わず宮中から出ていくカルナを見送る。

 この日、カルデアにとっては最悪の敵が咸陽を発った。

 

 




【元ネタ】中国史
【CLASS】ルーラー
【マスター】???
【真名】始皇帝(嬴政)
【性別】男
【身長・体重】179cm・50kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷C 魔力A+ 幸運A 宝具EX

【クラス別スキル】

対魔力:A
 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではルーラーに傷をつけられない。

真名看破:B
 ルーラーとして召喚されると、直接遭遇した全てのサーヴァントの真名及びステータス情報が自動的に明かされる。
 ただし、隠蔽能力を持つサーヴァントに対しては、幸運値の判定が必要になる。

神明裁決:A
 ルーラーとしての最高特権。
 此度の聖杯戦争ではルーラー自身が召喚したサーヴァントの令呪のみ保有する。

【固有スキル】

皇帝特権:EX
 本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。
 該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。
 ランクがA以上の場合、肉体面での負荷(神性など)すら獲得する。

気配感知:A+
 最高クラスの気配感知能力。
 龍脈を通じて遠距離の気配を察知する事が可能であり、
 近距離ならば同ランクまでの【気配遮断】を無効化する事ができる。

星の開拓者:EX
 人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
 あらゆる難航、難行が“不可能なまま”“実現可能な出来事”になる。

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