鉄棒が劉邦の頭蓋を粉々にする寸前、樊噲の剣とディルムッドの双つ槍が割って入る。
迷宮に響き渡るの雷鳴のような金属音。迷宮の外壁が人間の極限の武の衝突に慄いた。果たして烈風を纏って振り下ろされた鉄棒は――――劉邦の頭より10㎝ほどの距離で停止していた。
(停止……だって? そんな馬鹿な!)
樊噲の剛力は戦場で何度も目の当たりにしてきた。劉邦軍随一の豪傑という伝承は嘘偽りはなく、樊噲が全力で拳を振り上げれば巨岩すら砕いてしまうだろう。そしてディルムッドの腕力もまた三騎士クラスの一角を預かるだけあって中々のものである。
その二人が割って入って鉄棒を〝停止〟させることしか出来ていないのだ。相手は一人。並みの豪傑であれば押し返せて然るべきというのに。あの大男テセウスは樊噲とディルムッドの筋力にたった一人で拮抗してみせているのだ。
「こっ……のっ! 舐めるな!!」
樊噲は力自慢の自分がよりにもよって力比べで劣っていることに歯噛みし、鬼の形相を浮かべながら剣を押し込んでいく。樊噲の念は鬼神に通じたか、徐々にだがテセウスの鉄棒が返され始めていった。
拮抗が崩れる。その事を誰よりも素早く認識したのは当のテセウス自身。無益な力比べをあっさり止め、テセウスはとんと軽く地を蹴って後ろへ跳んだ。
「やるなぁ。打ち合いで手が痺れたのは生前以来だ。さっきの暗殺を防いだ事といい大した腕力だよ。そっちの色男の素早さも凄いもんだし。これだから聖杯戦争ってやつは楽をさせてくれないぜ」
迷宮の閉塞感とは正反対の朗らかさでテセウスは樊噲とディルムッドを称える。同時にテセウスは気配を断つことを止めたせいで蒸せるほどの威圧感が発せられ始めた。
英霊テセウス。そのプレッシャーは彼のヘラクレスを比べても劣るものではない。迷宮に潜む暗殺者の面は掻き消え、堂々たる武人がそこに立っていた。
「この気魄、やはり御身は
「んー。当りをつけてるみたいだな。こりゃ〝ミノタウロス〟って嘘吐いても信じられんかねえ。おうとも、察しの通りのテセウスだよ」
「……ミノタウロスじゃない。アステリオスだ」
気付けばそんな言葉が自然と口から出ていた。
いきなり怒気を発した事に驚いたのかテセウスが目を丸くする。
「アステリ、オス? どこかで聞いたような……あ! そういえばミノタウロスの真名がそんな名前だったな! というとお前達が一緒に特異点を攻略したサーヴァントの中にアレがいたのか?」
「そうだ」
首を縦に振って肯定する。
生前のテセウスがアステリオスを『討伐』したことにとやかく言うつもりはない。事情があったとはいえ生前のアステリオスは紛れもなく人を殺す怪物だったのだから。
だが自分達が出会ったアステリオスは決して怪物などではなく、絆を紡いだ仲間だった。そのアステリオスを
「そいつは悪いことをしたかねえ。だが『怪物』として殺される罪業を背負ったミノス王の倅が、よもや世界を救う英雄の一人になるなんて奇妙なこともあるものだ」
くつくつとテセウスは笑う。
「これだから世の中は面白い。死んでからもこんな愉快な思いを出来るなんて『英霊』なんてものになった甲斐があったもんだねぇ。そうは思わないか、ご同類」
テセウスが目を向けたのは、この中では唯一純粋な『英霊』であるディルムッド。ディルムッドはやや渋い顔で、
「さて、それは時と場合によるだろう。サーヴァントという二度目の生で良き出会いがあればそうだが、中には巡り合わせが悪い者もいる。
此度の俺は良きマスターとの出会いに恵まれたが、貴殿はどうだ? 誇り高き勇者を暗殺者に身を窶させた主君は、貴殿にとって良きマスターと言えるのか?」
「敵である俺を心配してくれるのかい?」
「違う。ただ俺は貴殿の勇名を惜しむだけだ」
「はは。称賛は嬉しいが、勇者なんて実際には貧乏くじを引くのが役目みたいなもんだ。やりたくない事や危ない事でも一人率先してやらにゃならん。
だから俺に面白い話を聞かせてくれたカルデアのマスターと、そこで一人で逃げ出そうとしている狡い男を殺さねば」
「ぎくっ!」
テセウスの鋭い殺意を浴びて、ディルムッドが話している間に一人で逃げ出そうとしていた劉邦が冷や汗をかく。
ディルムッドは嘆息し、マシュも呆れた目を劉邦へ向ける。一方で慣れている樊噲は平常運転だ。
『……沛公。忠告しておきますけど、迷宮内にはキメラのようなモンスターも徘徊しているので一人で逃げるのは逆に危険ですよ』
「ま、マジで?」
『はい』
「よーし! 樊噲、そしてカルデアの諸君! あのデカいのをさくっとやっちまえ!」
「……………あれが未来の東洋の帝王とはねぇ。本当に世界はユニークだ」
「こればかりは同意しよう」
「お蔭で場が白けた。ここは出直して再戦の機を、と言いたいが俺も与えられた仕事は果たさにゃならん。本当は迷宮に誘い込んで放置していても良かったんだが、そいつの出鱈目な幸運だと放っておくと脱出されそうだし。悪いが死んでもらうぞ」
テセウスが自身の身長をも超える巨大な鉄棒を抱え直した。口元が弧を描いて笑うテセウス。だがその笑みは先の朗らかな笑みとは対極の、獲物を狩る猛禽類のそれである。
ディルムッド、マシュ、樊噲の三人は其々の得物を構えて待ちの姿勢をとった。
「こちらはディルムッド殿とマシュ殿を加えて三人。どれほど名高き武人かは知らんが、勝てると思うのか?」
樊噲が言う。それは三人の力量を踏まえれば極普通の問いかけであったが、テセウスには通じぬ言葉でもあった。
「正直厳しいねえ。だがここにいるのが俺ではなくヘラクレスなら相手が千人だろうと軽く捻っただろうさ。だったら『双璧』なんて分不相応な評価を受けている俺が退くわけにいかねえだろう」
テセウスの背に命令達成の義務の他に友の誇りが背負われる。
古今無双の英雄の中で大英雄とまで謳われるのは極僅か。そして大英雄たりうる条件とは単騎にて万軍と英霊達を相手取れるということ。その力がここに披露される。
「どらぁぁああああッ!」
最初に仕掛けてきたのはテセウス。テセウスは強烈な踏み込みで砲弾のようにディルムッド達に突貫してきた。
常人には捉えられぬ速度ではあるが、この場にいる三人はしっかりとテセウスの動きを補足している。真正面から全速力で突っ込んでくる敵などサーヴァントからすれば良い的に過ぎない。三人は即席の連携でカウンターを仕掛けた。
「おっと!」
だがカウンターを読み切ったテセウスは三人の間合いにはいる直前、思いっきり上へ跳ぶことで難を逃れた。
アステリオスから奪い取ったものとはいえ、この大迷宮はテセウスにとってホームグラウンドに等しい。テセウスは勝手知ったる迷宮の壁や天井を踏み場に連続跳躍しながら、トリッキーな動きで三人を攻め立ててきた。
「巨体なのになんて速さ!」
マシュが戦慄する。これまでの特異点でも素早くトリッキーな動きをするサーヴァントはそれなりにいたが、そこにヘラクレスに匹敵する怪力の持ち主という条件を加えれば該当するのはテセウスだけだ。
残像が残るような速度で嵐のように繰り出される鉄棒。この猛攻に三人は上手く連携をとることができず押されていった。
しかし三人とてただやられている訳ではない。防御に徹しながらも目を凝らし、テセウスのトリッキーな動きに体を慣らせていった。
そもトリッキーな戦法など所詮は小手先。慣れぬが故に初見では戸惑うが、慣れさえすれば対処は出来る。
最初に〝心眼〟スキルを保有するディルムッドが、次に猛将たる樊噲が、一番遅れてデミ・サーヴァントであるマシュが。其々テセウスの動きの流れを把握する。
流れさえ把握してしまえば、その流れを呑み込んでしまえばいい。
連携を取り戻した三人は三次元的な動きをするテセウスを、三方向から獲物に喰らいつく鮫のように同時に掛かる。
ただしテセウスは鮫に食われるほど弱くはない。
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
気焔を吐きながら豪快に鉄棒を薙ぐテセウス。
ランクにしてA+。純粋たる筋力ではアステリオスに一歩譲るも、際立った技量がその差を追い抜く。テセウスの鉄棒の一閃はそれ自体が凡百のサーヴァントを殺しうる必殺だった。
「……っ!」
テセウスの鉄棒は竜に踏み潰されようと砕かれない凄まじい強度を誇るが、宝具のように特別な魔術的付与効果は皆無だ。よってディルムッドの魔力殺しの槍は役に立たず、英霊ではない樊噲は宝具を保有してはいない。
だからこそこの場で活きるのは〝守り〟を真骨頂とするマシュ・キリエライト。
マシュはシールダーとしてのスキルにより自身の防御能力を強化。そしてテセウスの鉄棒を見事に弾き返した。
「今が――――っ」
「好機――――!」
ディルムッドと樊噲が同時に得物による攻撃を繰り出す。狙いは急所たる心臓と頭。
テセウスにはヘラクレスの『
この場にいる誰もが勝利の女神の微笑みを垣間見た――――その瞬間だった。
テセウスの口元が、不気味に弧を描く。
「やべぇぞ! 樊噲、俺が危ねえ!」
「なっ!?」
皮肉な事に誰よりも早くテセウスの狙いに気付いたのは、三人の戦いを逃げ腰で見ていた劉邦だった。だが彼の忠実な義弟が反応するよりも早く、テセウスは弾かれた鉄棒を自らの『足』にして壁を蹴って跳躍していた。
テセウスが跳んでいく先は劉邦のいる場所。遅れて樊噲が兄の窮地に気付くが時既に遅し。テセウスは劉邦を間合いに捉えていた。
「最初から俺の狙いはお前を殺すことなんでねえ。初志貫徹だっ!」
「う、畜生ぉぉぉぉぉおおお!」
意外なことに迫りくるテセウスに対して劉邦は背を向けて逃げ出すような真似はしなかった。恐らくそんな行動をとってもテセウスから逃げられないと瞬間的に理解したのだろう。故に劉邦は剣を抜き放ち迎撃しようとした。
けれどそれもまた無謀だ。劉邦個人の武勇は樊噲とは比べるまでもなく脆弱。例え劉邦が完全装備でテセウスが徒手空拳だったとしても秒殺されるだろう。
だから誰もが――――樊噲すらもが絶望と共に劉邦の死を確信した。
しかしながらそれは劉邦という英雄を余りにも過小評価していると言わざるを得ないだろう。
確かに劉邦には万軍を相手取る武勇などありはしない。百万の軍を指揮する統率力もないし、類稀な魔術の腕も持ってはいないだろう。
代わりに劉邦には一つ他の追随を許さぬ才能がある。〝生き延びる〟という才能が。
死を前にして極限にまで高まった生存本能は、劉邦に文字通り火をつけた。
「――――なに?」
劉邦の剣から吹き上がるのは万物を焦土と化す赤龍の赫焉。
それは劉邦が剣を投げやりに振り下ろしたことで解放され、魂すら蒸発させる業火となってテセウスに襲い掛かった。
「ぐっ、うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
劉邦が放った炎は後の世における漢王朝四百年の『信仰』が作り上げた龍の息吹き。
如何に無自覚で放った故に正規のそれより火力がかなり抑えられているとはいえ、これにはテセウスといえど参らざるを得ない。
霊核を焼かれる激痛にテセウスが苦悶の雄叫びをあげた。
「え、な、なにこれ? なんか火が出たぞ、火がァーーーーー!」
「落ち着いてください沛公。ともかくチャンスです!」
「いやいやいやいや。お前ぇおかしいべ。如何にも平凡面してんのに、なんでそんなに冷静なの? 俺、いつの間にか仙人とかになっちゃってたわけ?」
「ディルムッド! マシュ! 樊噲将軍! 今です!!」
テセウスは龍炎に焼かれていて完全に隙だらけだ。今ならば確実に倒せる。
劉邦が剣から炎を出したことなんて大したことではない。剣からビームやらなにやら出すサーヴァントなんて幾らでも見てきた。そんなことは後で考えればいい。
「我ながら情けないねぇ。漢王朝の祖、中華の赤き竜。ちっとばかし侮り過ぎてたなぁ、これは」
炎に焼かれながらテセウスは自分に止めを刺しにくる三人を眺める。傍目にはそれは生存を諦めたように見えたが、数々の冒険を乗り越えた勇者は龍に焼き尽くされるほど軟な精神はしていなかった。
テセウスが懐から取り出したのは短剣だった。短剣には赤い糸がついており、糸は亜空間へと伸びている。
伝承に曰く、勇者テセウスは入口の扉に結び付けた赤い糸を導にして、攻略不可能なラビリンスから見事脱出を果たしたという。
この迷宮がアステリオスを殺すことで略奪したものだとすれば、さしずめそれは英霊テセウスが持つ本来の象徴。迷宮を攻略するための脱出宝具。
「
真名解放がなされた瞬間、テセウスの姿は迷宮から忽然と消えていた。
【元ネタ】ギリシャ神話
【CLASS】アサシン
【マスター】???
【真名】テセウス
【性別】男
【身長・体重】230cm・147kg
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力A+ 耐久B 敏捷A 魔力B 幸運C 宝具B
【クラス別スキル】
気配遮断:A
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を絶てば発見することは極めて困難である。
ただし自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。
【固有スキル】
神性:B
神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。
伝承において海神ポセイドンの息子とされる。
隠遁術:A++
罠を掻い潜り、目的地に到達する才覚。同ランク以下の障害物を無力化する。
迷宮攻略、敵拠点への潜入の際に大きな補正を得る。
心眼(偽):B
直感・第六感による危険回避。
勇猛:B
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
【宝具】
『
ランク:EX
種別:迷宮宝具
レンジ:???
最大捕捉:???
ミノタウロスが封じ込められていた迷宮の具現化。
一旦具現化してからは、「迷宮」という概念への知名度によって道筋が形成される。
この迷宮から脱出する方法は三つ。
一つ目は正規の手段で迷宮の出口を探し出すこと。ただしこの方法には同ランク以上の幸運、または迷宮攻略のためのスキルが不可欠である。
二つ目は特別な対迷宮宝具を用いること。
三つ目は発動者を迷宮内から排除、つまりは討ち滅ぼす事である。
うち一つ目と二つ目の方法がとれるサーヴァントは極めて少ないため、事実上脱出するには発動者を倒す他ない。
『
ランク:D
種別:対迷宮宝具
レンジ:1~10
最大捕捉:7人
アリアドネがテセウスを助けるため渡した赤い麻糸。
予め赤糸を結びつけておくことで、如何なる障害も無視してその座標軸に空間跳躍し離脱する。