カルデアの感知能力は決して低くはない。近くにサーヴァントがいれば即座に反応をキャッチすることが出来る程度には。
だからこそ劉邦の寝所で『宝具』が発動したことは直ぐに管制のロマンに伝わった。
『二人とも起きてくれ! 緊急事態だっ!』
最初は素人ではあったが既に幾度となく実戦を経験した若きカルデアのマスターは、ロマンの慌てた声を聞いて反射的に飛び起きる。マスターがマスターなら相棒であるサーヴァントもサーヴァント。マシュもマスターと同じく眠りの状態から一気に脳味噌を覚醒させた。
「ドクター、何があったんですか?」
『今さっき沛公の寝所で急に宝具反応をキャッチしたんだ!』
「宝具を!」
驚天動地の事態にマシュが目を丸くし、冷たい汗を流す。
この城内にいるサーヴァントはマシュを除けば二人。ディルムッドと土方歳三だ。うちディルムッドはここにいるし、劉邦軍の将である土方が主君の寝所で宝具を発動するような真似をする筈がない。
となれば何が起きているのかは明白だった。
「沛公の下へ急ごう。敵サーヴァントの、急襲だ……クラスは、たぶんアサシンっ!」
「先輩? どうしてアサシンだと断言出来るんですか?」
「――――城の警備は厳重。その上、マスターの御仲間であるドクターは二十四時間体制で周囲を観測している。それを掻い潜って劉邦の寝所に侵入できるサーヴァントがいるとすれば、それは気配遮断スキルをもつアサシンのみ。そうですね、マスター」
「うん。そうだ」
ディルムッドの説明に首を縦に振る。
アサシンは基本七クラス中で最も直接の戦闘力は弱い傾向があるが、こと隠密行動にかけては比類ない。
「侵入してきたのがアサシンなら目的は十中八九、沛公を暗殺すること……! 先輩、行きましょう!」
「ああ!」
劉邦軍にとっての『劉邦』は要であり柱だ。ただでさえ大陸が滅茶苦茶なことになっている中、劉邦軍が一定の統率を保っているのは劉邦という優れたリーダーがいるお蔭である。
その劉邦がいなくなれば劉邦軍は四散、とてもではないが秦軍と対するなど出来なくなるだろう。それだけは避けなければならないことだ。
部屋を勢いよく飛び出すと劉邦の部屋へ走る。劉邦の部屋の場所は知らされてはいなかったが、ロマンが宝具が発動した座標をナビゲーションしてくれているので問題はない。
「失礼します! 沛公は無事で――――わっ」
「……なんだ、君達か。驚かせてくれるな。うっかり斬り捨ててしまいそうだったよ」
自分達より先に寝所に着いていたらしい土方が抜いていた刀を納める。土方と一緒にいた夏侯嬰と盧綰も警戒を解いて抜きかけていた剣から手を放した。
しかし本当に危ないところだった。もしほんの一瞬でも土方が気付くのが遅ければ、今頃自分の首は胴から離れていただろう。
「失礼した。俺もマスターも寝所に押し入る非礼は承知していたが、ここで宝具が解放されたことを察知したのでな。沛公に万が一があっては不味いと思い参上した次第」
斬り捨てられかけた衝撃で二の句が告げられなかった自分に代わり、ディルムッドがここにきた理由を説明する。
「分かってるって。俺達も似たような口だしな」
「ところでここで何が?」
「御覧の通りさ」
盧綰が指を差す。そこにあったのは明らかな激戦の後だった。床のそこかしらは踏み抜かれていて、周りの壁には皹が入っている。
脳裏に過ぎるのは劉邦の死という最悪の結果。だが幸いなことに劉邦が殺されていた場合、そこにあるべきもの。即ち劉邦の死体はなかった。
「沛公は何処へ?」
「分からない。夏侯嬰が最初に兵と入った時には既に劉邦は何処にもいなくなってたらしい。だったよな?」
「ああ、その通りだぜ。けどこの時間、劉兄貴には樊噲が警護についていた。暗殺者が項将軍のような怪物でもない限り樊噲が遅れをとるとは思えねえ。必ず生きているはずだ!」
「問題は沛公と一緒にその樊噲殿もいなくなってしまわれていることなのだがね。……なぁ、カルデアの魔術師殿。姿は見せないが聞いているのだろう?」
「ドクター。呼んでますよ?」
『うん。もちろん聞いているとも。宝具解放反応を最初にキャッチしたのも僕だからね』
「ならば尋ねたい。私はサーヴァントの身ではあるが魔術については、聖杯が与えた以上のものは何も知らない。だから私にはこの神隠しの正体に皆目見当がつかないが、魔術師である貴方ならば何か分かるのではないだろうか?」
盧綰と夏侯嬰の目に希望の光が宿る。だがそれは自分とマシュも一緒だった。
自分はマスターといっても素人。マシュも魔術の知識と実力では似たようなもの。ディルムッドは神話の出身であっても魔術については専門ではない。
つまりロマンこそが唯一の知恵ある『魔術師』であり、ロマンだけが突破口を開く知識を持っている人間なのだ。
『うぅ。ここまで期待されるなんてちょっと感動。他の特異点とかだと僕以外に優秀なサポートがいたりしてイマイチ活躍できなか……おっと、無駄話はよそう。結論から神隠しの原因は分かったよ』
「!」
『というより今解析が終わったところさ。……マシュ達二人は心して聞いて欲しい。沛公が消えたのは固有結界に類似した結界に呑まれたからだよ。神話において最大級の知名度をもつ大迷宮にね』
「ドクター、それってまさか」
『第三特異点でのデータが残っているから100%間違いないよ。沛公と樊将軍を閉じ込めているのは
雷光のようにフラッシュバックしたのはオケアノスでのアステリオスとの出会い。
そういえばこの部屋の何処からか発せられる陰鬱な気配は、オケアノスで潜った迷宮に近いものがある。
「だけどドクター! アステリオスは!」
神話では
オケアノスで迷宮を展開したのだってエウリュアレを守るためで邪悪な目的の為ではなかった。
『アステリオスの事はちゃんと覚えているよ。だけど第一特異点でバーサーク状態になったサーヴァント達を忘れたのかい? ああやって精神を弄られたら嘗ては味方だったサーヴァントが牙を剥くことだってあるよ。そこは覚悟しておいた方が良い』
「…………」
『といっても恐らくこの迷宮を展開しているのはアステリオスじゃない筈だけどね』
「え?」
『忘れたのかい? 状況から考えてここに忍び込んだのは十中八九アサシンのサーヴァントだ。バーサーカーのアステリオスが暗殺なんて出来る筈ないだろう?』
「あ」
言われてみればそうだった。
バーサーカーほどアサシンと対極のクラスはない。理性が吹っ飛び戦闘本能を剥き出しにしたバーサーカーでは、厳重な警備を敷かれている城へ侵入するなど無理だろう。サーヴァントには複数のクラス適正を持つ者もいるが、アステリオスにはアサシンの適正はない。
「けれどドクター。宝具は英霊の象徴、基本的にその英霊だけの『
『二人、いる』
「二人も!?」
『一人はギリシャ神話における名工ダイダロス。
ただしもしダイダロスがサーヴァント化するなら該当するクラスはほぼ確実にキャスター。アサシンになることはほぼ有り得ないし、なったとしても樊将軍に一撃で切り伏せられて終わりだ。迷宮を造った者、閉じ込められた者。そのどちらでもないのなら残る可能性は〝踏破した者〟』
「まさか――――」
ロマンの説明にサーヴァントである土方が眉を動かした。ディルムッドもまた恐るべき予感に目を見開いた。
『ミノタウロスの討伐を成し遂げた英霊テセウス。ギリシャ神話においてあのヘラクレスと双璧をなす大英雄だ』
ヘラクレスの出鱈目な強さを知っているせいで、それと双璧をなす英雄という事実に戦慄を禁じ得ない。
もしそんなサーヴァントが劉邦と樊噲を迷宮に閉じ込めているとすれば、
「二人が危ない! ドクター、迷宮に入ることは出来るんですか!?」
『可能だよ。そもそも迷宮とは来るもの拒まずの出ていくことを許さずが基本だからね。入ることはそう難しくはないのさ。問題は迷宮の中にいる沛公をどうやって見つけるかどうかだけど』
「じゃあ――――」
「土方! 土方はいるかっ!」
迷宮に入ろうとした時だった。顔面を蒼白にした曹参が慌てた様子で入ってくる。
「どうされましたか、将軍?」
「秦軍が一斉攻撃を仕掛けてきた。敵はいつもの傀儡兵に、あの宋江とかいう良く分からん術を使う男もいる。我等だけでは陥落は必至だ。直ぐに来てくれ……!」
サーヴァントに対抗できるのはサーヴァントだけ。これは聖杯戦争における鉄則だ。
この時代には樊噲のようにサーヴァントと真っ向勝負できる人間もいるが、英雄であって英霊でない彼等はサーヴァントのような宝具は持っていない。宋江が宝具を出してきたならば普通の将だけで相手するのは厳しいだろう。城を守るなら最低一人はサーヴァントが必要だ。かといって迷宮に閉じ込められている劉邦を助けなければ劉邦軍は瓦解。
城と劉邦。どちらを失っても終わりなら、どうするべきか。
「……仕方ないな。じゃあ俺と夏侯嬰、そして土方の三人は城の守りへ回ろう。カルデアの三人、すまないけど劉邦を任せて良いか?」
決断を下したのは劉邦の親友である盧綰。
「宜しいのですか?」
「劉邦と城。どっちを失っても終わりなら両方守るしかないだろ。そのために危ない橋渡る必要あるなら渡るさ。俺達は挙兵からずっとそうやってきたんだ。今回も賭けるよ」
実の兄弟との仲が良くない劉邦にとって、親友の盧綰は肉親以上の存在である。その盧綰の決断に誰もが頷いた。
「じゃあ劉邦を頼んだぞ」
「任せてください」
信用されたならそれに応えなければ廃るというものだ。ロマンが開いた迷宮へ続くゲートに、マシュとディルムッドの二人と一緒に飛び込む。
なんとしても劉邦を見つけ出し、助けなければならない。この特異点において劉邦こそが最大の鍵なのだから。
……泣き言を言わせて下さい。そろそろ主人公の名前を一切表記せず書くのがきつくなってきました。きのこ先生……! デフォルトネームが欲しいです……。