数々の『星の開拓者』の発明によって人工の明かりを手に入れた現代社会とは異なり、古代においては夜というのは完全な暗闇を差す。
ここは劉邦軍の拠点なので篝火などの明かりはあるにはあるが、それだって現代と比べれば蛍のように小さなものだ。
しかしそこは腐っても未来の皇帝が率いる軍。まだまだ未完成で未熟な所はあれど優秀な将に従う兵士達である。夜間といえど警備が疎かになるようなことはなく、いつ夜襲があっても対応できるような防備が固められていた。
そんな城塞を見下ろしながら、男は口元にゆっくりと孤を描く。
2mを軽く超える巨体と、それに見合った隆々とした肉体は、どれほど風雨に晒されてもビクともしない巨岩のようだった。
「良い夜だ。忍び込むには良い塩梅……暗殺にはうってつけだ」
明らかに人間を超越した風格を持つ男は、始皇帝の『聖杯』により呼び出されたサーヴァントが一騎。クラスはアサシン。即ち、暗殺者である。
暗殺者である彼が敵陣を見下ろしているということは、これから彼がやることは明白というものだろう。
男と共に幾多の困難を潜りぬけてきた白い外套が、男に合図するように風になびく。そして男は自分の身長を凌駕する鉄棒を軽々背負うと、敵拠点に向かって思いっきり跳躍した。
埒外の脚力を受けた大地に罅が入り、その勢いのままに飛んだ男は空を飛ぶ勢いで城内へと突入する。跳躍時は地面を砕いた両足はしかし、着地する時は一切の音をたてることはなかった。
そのまま男は厳重な警備をすり抜ける様に掻い潜りながら敵の本丸に侵入を果たす。アサシンのクラス別技能、気配遮断は伊達ではない。人間レベルでは厳重な警備も、アサシンにとっては何の意味もなしはしない。男の気配遮断スキルは本職である『山の翁』には劣るAランクだが、それでも十分すぎた。
(さぁてと。劉邦の寝所は……こっちだな)
初めて来る城だというのに、男はすいすいと迷いなく進んでいく。
生前数々の偉業を成し遂げた彼は、初めての場所だろうとある程度は勘で目的地に辿り着くことができるのだ。本職の暗殺者ではないが、暗殺者としては実に優秀な技能だろう。
『劉邦軍とカルデアは両方とも面倒な敵だ。だが強い敵と強いまま戦うことはない――――と、王翦将軍なら仰るだろう。いつかの轍を踏むのは嫌だし、ここは生前の王翦将軍の説教を活かさせて貰おう。というわけで命令だ。劉邦を暗殺してきてくれ』
マシュ・キリエライトというデミ・サーヴァントが四六時中べったりくっついているカルデアのマスターは、暗殺するには厳しい相手だ。だからこその劉邦狙い。
劉邦軍は良くも悪くも劉邦の軍隊だ。一部の例外はあるものの幹部といえる者は大体が劉邦の顔馴染みや、妻の一族である呂一族である。しかも劉邦には自分以外に高い実力をもつ親族が誰一人としていない。劉邦さえ死んでしまえば、劉邦軍団は瓦解するのは明白であった。そして英雄であって英霊ではなくサーヴァントではない劉邦は、殺すのも比較的容易い。
だからこそ李信は劉邦暗殺を命じたのだ。尤もそこに自分の仕えた王朝を潰した男への復讐心がないかといわれれば難しいところであるが。
(ここだな)
劉邦の寝所に着くと男は素早く内部に忍び込む。
日々の疲れのせいか劉邦は完全に熟睡しており、カバのようなイビキをかきながら熟睡していた。
李信と違い彼には劉邦に対して特別な因縁などありはしない。東洋史における最重要人物の一人であることは知識として知っているし一定の敬意も払うが、西洋出身の彼にはそこまで深い思い入れなどはなかった。
だから振り上げられた鉄棒はなんの躊躇もなく振り下ろされ、
「させるかっ!」
雷光のように割って入った豪傑によって打ち払われた。
「ほう」
深夜。一人で主君を警護していたのは劉邦軍一の猛将・樊噲。
自分の腕を痺れさせるほどの剣撃を放った樊噲に、男は目をほんの僅かに輝かせる。
「義兄上! 起きて下さい! 刺客です!」
樊噲が怒鳴り声一歩手前の大声で叫ぶと、眠りこけていた劉邦は飛び跳ねるように覚醒した。
「な、なんだとぅ! 裏切りか? 裏切りなのかコンチクショウ!」
「落ち着いて下さい義兄上。この男、中華では見ない顔立ち……ディルムッドと同じ、明らかな異人です」
「……成程。おいそこのデカいの。テメエは
「ほぉ。うちの大将が始皇帝殿だってことは伝わってるのか」
「――――!」
劉邦と樊噲の目つきが変わる。
「それとも鎌掛けのつもりだったか? どっちにせよ隠すことでもないしどうでもいいがなぁ。けれど驚いた。大した力は込めてなかったとはいえ、俺の鉄棒を弾くような豪の者を寝所に控えさせておくとはな」
「へっ。俺ぁ用心深ぇんだよ」
樊噲の叫びが届いたからか外がにわかに騒がしくなる。生疑心の強い劉邦のことだ。樊噲が叫ぶと兵士達を突入するよう手配でもしていたのだろう。
男は軽く嘆息する。情けないがここまでの不手際を晒した以上、暗殺は失敗という他ない。
「さて、刺客よ。義兄上に手を出して生きて帰れると思うな。はぁぁあああっ!」
熊を一撃で縊り殺す剛腕で樊噲は剣を振り下ろした。
まだ英霊ではない人間でありながら、その剛力は並みのサーヴァントを置き去りにするものがあった。宋江あたりならば耐えきれず吹っ飛んでいた事だろう。
だが侮るな、東洋の豪傑。東に豪傑あれば、西には英傑がいると知るがいい。
樊噲の剣撃を鉄棒で真っ向から受け止めると、
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
あろうことか逆に押し返した。
「なっ!」
まさか最も自身のある純粋な『腕力』で負けるとは露ほども思っていなかった樊噲は、予想外の事態に驚愕を露わにする。
アサシンはマスター殺しに特化していて正面からの戦闘では最弱。そのセオリーは彼には通用しない。
今でこそアサシンのクラスとして現界しているが、彼は本来ランサーやバーサーカーのクラスで召喚されてもなんらおかしくない大英雄。真っ向勝負でも彼はAランクを軽く超えるサーヴァントなのだ。
「暴露すればヘラクレスを倒したカルデアと戦いたかったが、お前のような豪の者とやり合えるのは嬉しい誤算だよ。さぁ! 存分に殺し合おうじゃないかッ!」
暗殺者とは思えぬ清々しいほど直球の殺意。もしこれがただの戦場であれば樊噲も進んで応じたのだが、相手と状況が悪すぎた。
樊噲は冷や汗を流しながら主君に進言する。
「義兄上! 早くお逃げを! 私一人では抑えきれぬかもしれませぬ!」
「おう! 言われずとも任せた!」
部下を見捨てず一緒に戦う――――なんていう気は劉邦には一切ありはしない。
樊噲よりも早く暗殺者の実力を見抜いた劉邦は、樊噲が進言した時には既に逃げ出そうとしていた。しかし、
「逃しはしないぞ。暗殺は失敗したが、ちゃんと最低限の役目は果たさせて貰う」
そう言って男は鉄棒を杖のように立てると、
「
瞬間。雷光の真名もつ
書いた話を保存せず消してしまうという痛恨の「うっかり」をやらかしてしまい、更新が遅れてすみません。
ディルムッドを除いて東洋鯖(主に中華)ラッシュが続いてましたので、秦側に西洋英霊を出しました。作中にヒントはかなり出ているので真名はもうバレバレだと思いますが。