―――――深海。
光の当たる水面から、深く深く沈んだ先。支配するのは闇と静寂そして、深海棲艦だ。
かつて、ある深海棲艦が人類と戦う為に巨大な戦艦を作った。全長は五百メートルを超え、並ぶ砲門は八十にも及ぶ。地上に出れば、最強の戦艦と謳われる事は間違いなかっただろう。
しかし、その戦艦が日の光に当たる事は無かった。
戦艦という以前に船として失敗していたそれは、浮かぶ事もできずに、作られた当初の姿のまま海底に鎮座している。
建造から数十年経ち、その戦艦は、今は深海棲艦達の拠点となっている。
「ヘェ~、コレガレ級ノ言ッテタ『喫茶店』ッテイウ所カ~」
その居住区の一角、通路に取り付けられた長椅子に座る三つの影があった。
一人はヲ級。正規空母の名を持つ深海棲艦である。
「見タ事ナイ物ガタクサン載ッテルワネ。コレ全部食ベ物ナノカシラ」
ヲ級の隣で興味深そうな顔をしているのは戦艦ル級。普段はヲ級と同じ機動艦隊に所属している。
「ソウミタイダケド…デモコレ、本当ニ食ベラレルノ?」
子首を傾げてそう言ったのは重巡リ級だ。
彼女達が見ているのは、北方棲姫が持ち帰ったグルメに関する情報誌、それも黒島の店が載っている物だ。水深6000メートルの地点にあるこの場所まで持ち帰るのは、それなりに苦労したとかしなかったとか。
「何言ッテルノリ級、食ベラレルニ決マッテンジャン!見テヨコノ『ミートスパゲッティ』トカ『オムライス』トカ。見テルダケデ涎ガ出テキソウ…!」
「確カニ、コウヤッテ広報サレテルッテ事ハ、ソレナリニ人気ヤ知名度モ高イッテ事デショ。ソンナニ心配シナクテモイインジャナイ?」
「イヤゴメン。私ガ言イタカッタノハソウイウ事ジャナクテ……。何ダカ、ドレモキラキラシテルカラ、本当ニ食ベテイイノカドウカ…」
「アラ、カワイイ反応スルワネ」
「カワイイッテ…!カラカワナイデヨル級!私ハソンナツモリジャ…!」
「ソンナツモリジャナクテモ顔ニ出テルヨ~。乙女ナリ・級・チャン♡」
「ヲ級マデ…!ヤメテヨモ~」
この三人は暇さえあれば集まり、こうした談笑を楽しんでいる。ちなみにリ級がいじられる役、他の二人は悪乗りを始めたりそれに乗っかったりする役だ。
「デモホント、一回行ッテミタイヨネ~。クロサンノヲ店」
「時間ガアレバ行キタイケド、中々…ネェ…」
ヲ級とル級はそろってため息を吐く。というのも、彼女達はここ最近任務に追われてろくに休みも取れていない状況だったからだ。任務の内容は主に艦娘の動向の偵察、そして資源の調達なのだが、実際は資源――もとい食料の調達が全体の任務の八割を占めている。
フラグシップ級の三人が毎日魚や貝を取って帰投、その繰り返しだ。ため息の一つもつきたくなるだろう。
「今度港湾棲姫様ニ頼ンデ連レテッテモラヲッカナ…」
「妙案ネ、ソレガイイワ。デ、イツニスル?」
「話ガ早イヨ二人共。確カニ、港湾棲姫様ハ優シイカラ連レテ行ッテクレルカモシレナイケド、デモアノ人カラ許可ガ出ルカドウカ…」
リ級が恐る恐る口にした『アノ人』。その言葉を聞いた途端、三人の体がブルッと震えた。
「アノ人ハ…多分許シテクレナイデショウネ」
「多分、テイウカ絶対無理ダヨ」
「ダロウネェ…」
この時、まだ彼女達は気付いていなかった。今し方、自分達が言っていたその存在が、
すぐ後ろにいた事に――――――
「誰ガ、何ヲ許サナイノカシラ」
不意にかかった冷水のような声。それを聞いた三人は反射的に振り向き、声の主の姿を目に入れる。
乱れる長い黒髪、額から伸びた二本の黒い角、白い肌とは対照的な深紅の瞳。三人は彼女が何者か認識すると同時に体を飛び起こした。
「戦艦棲姫――様‼」
戦艦棲姫。沈めた軍艦二百隻、撃ち落とした艦載機およそ八百機。初めはサーモン海域最深部、次は北太平洋海域、その次は日本本土近海でと、その圧倒的な火力で暴虐の限りを尽くした深海棲艦だ。
そして、現在深海艦隊の指揮を執っている人物でもある。
「ヲ、ヲ疲レサマデス!」
三人は姿勢を正して戦艦棲姫に敬礼をする。
「ヲ級、今日ノ戦果ハドウダッタノカシラ」
「ハッ!バシー島周辺ニ滞在シテイル艦娘ノ偵察ヲ行イマシタガ、今日ノ所ハ目立ッタ動キハ見ラレマセンデシタ!」
「資源ノ調達ハ?」
戦艦棲姫の問いに、今度はル級が姿勢を正したまま答える。
「上々デアリマス。物資ヲ輸送中ノ船団ヲ襲撃シ、大量ノ資材ヲ得ル事ガデキマシタ」
「ソウ、ナライイワ。トコロデ、アナタ達ノ足下ニ落チテル『ソレ』ハ何カシラ」
戦艦棲姫が視線で三人の足下にある『ソレ』――雑誌を指した。三人の背筋に、嫌な汗が流れる。
「コレハ……北方棲姫様カラ拝借シテイル物デアリマス。以前レ級ガ行ッタトイウ、『喫茶店』ニツイテ書カレタ書物デス」
僅かな沈黙の後、少し上擦った声でリ級が答えた。
「アア、最近噂ニナッテルアレネ。フゥン、コレガ…」
戦艦棲姫は雑誌を拾い上げると、何枚かページをめくって中に書かれている物を見る。
そして次の瞬間、
「クダラナイワネ」
グシャリ、と両手で雑誌を握り潰した。
「コンナ物見テイル暇ガアルノナラ、少シデモ鍛錬ニ励ミナサイ」
三人の足下に潰された雑誌が放り捨てられる。
恐怖で体を凍らせた三人を冷ややかな目で一瞥すると、戦艦棲姫は廊下の奥の闇へと去って行った。
戦艦棲姫の姿が見えなくなったのを確認すると、ヲ級達は糸の切れた人形のようにその場にへたり込んだ。
「………………………コ、怖カッタ~」
「殺サレルカト思ッタワ…」
「サスガ戦艦。威圧感ノ方モ半端ジャナイッスワ~」
「ソレダト、ル級モソウッテ事ニナルヨネ…」
リ級の丁寧なツッコミに答える気力も、今のヲ級とル級には残っていない。
「……デモサ、ヨカッタノ?ル級」
ヲ級を挟んで座っているル級に、リ級が声をかける。
「何ガヨ」
「報告ダヨ。商船ヲ襲撃シタナンテ嘘ツイチャッテサ。本当ハ遭難シテタ船ヲ助ケテ、ソノオ礼デ資材ヲ貰ッタンジャナイカ」
「ソウダケド…アアデモ言ワナイト、アノ人納得シナイデショ」
……ソレモソウダネ、とリ級は納得した様子で呟く。
「アーア、セッカクノ資料ガグシャグシャダヨ~。コレジャホッポチャンニ怒ラレチャウナ…」
「今ナラモレナク港湾棲姫様モツイテクルワヨ。『喫茶店』ハ、シバラクオ預ケネ」
「ナンカ、トコトンツイテナイヨネ。私達ッテ…」
大きな三つのため息は、暗い廊下の中に溶けていった。
*
一週間に渡る業務を終え、彼女はこの場所に戻ってきた。
まず一番に、業務内容を報告書にまとめ、併せて自分がいなかった間に溜まった仕事を片付ける。それが終わると、彼女は体の疲れを癒す為に入渠場へと向かった。ゆっくり湯船につかる事三十分。風呂から上がると、髪を乾かし、身嗜みを整えて、自室へと向かう。
途中に出会った部下に軽く挨拶を交わし、しばらくした後彼女は自室の前に到着した。
部屋に入り、音が出ないようにゆっくりと扉を閉める。
呆れかえる程静かな空間だ。たまに聞こえてくる物と言えば、遠くの工廠で作業をする音くらいである。
「……………………………ハァ」
小さく溜息を漏らすと、彼女は傍にあったベッドへ倒れ込んだ。
これが、この数時間で見られた彼女の行動の全てだ。ごく普通の社会人と、何ら変わりない行動。唯一違う所があるとすれば、彼女が深海棲艦だという事だ。
「…………タイ」
深海棲艦と人は何が違うか。そんな議題を挙げればキリがないだろう。だがそれと同時に、二つに共通する事があるのも確かである。
「……………キタイ」
例えば、彼女がここにくるまでにとった行動。そして、
「……………………行キタイ!」
彼女――戦艦棲姫もまた、一途な憧れを持つ乙女であるという事。
「行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ行キタイ!行キタイヨォォォォォォ‼」
ベッドの上でゴロゴロ転がりながら悶える戦艦棲姫。その姿は、まさに駄々をこねる子供そのもの。数分前、ヲ級達を一喝した者と同一人物とはとても思えない醜態である。だがこれこそが、他の者には見せない戦艦棲姫の真の姿なのだ。
「何イキナリ発情シテンノヨ淫乱棲姫」
そんな彼女に、ゴシックドレスに身を包んだ少女が毒を入れた。
その少女の名は離島棲姫。戦艦棲姫の裏の顔を知るただ一人の人物だ。普段は戦艦棲姫の補佐を行っているのだが、今の戦艦棲姫にかける言葉は辛辣な物であった。
「誰ガ、イ、淫乱ヨ!ソ、ソレニ発情ダナンテ、ソンナ事…!」
「ハイハイ、分カッタカラ黙ッテクレル?今集中シテルトコロナノヨ」
「クゥ~!人ノ気モ知ラナイデ…!離島ノ鬼!」
「鬼ジャナクテ姫デスヨ~」
ソファーに座った離島棲姫は、手に持った書物を見ながら適当に戦艦棲姫をあしらう。口喧嘩で勝つのはいつも離島棲姫の方だ。
「ドウセ…誰ニモ分カラナイ。私ノ気持チナンテ……暗イ海ノ中デ…一人………ソレデモ…私ハ…」
口喧嘩に負けた戦艦棲姫は、枕を抱きかかえて一人いじけ始める。その様子に離島棲姫も痺れを切らし、不機嫌気味に戦艦棲姫に声をかける。
「鬱陶シイワネサッキカラ。デ、一体ドコニ行キタイッテイウノ」
「喫茶店‼‼‼‼」
瞬間、生気を取り戻した戦艦棲姫が飛び起きた。
「今日ネ、ヲ級達ガ持ッテタ資料ヲチョコットダケ見タノヨ。モウトニカクスゴクッテネ!食ベ物モオイシソウダケドオ店ノ内装モスゴクオシャレデネ!思ワズ力入ッチャッテ資料潰シチャッタケド……」
「アンタソレ、後デチャント謝リナサイヨ」
力加減が下手なのは戦艦棲姫の悪い癖である。それが原因で問題が起きる事もしばしば…。
「イイワヨネ~。アアイウ所デ、ユックリト時間モ気ニセズ優雅ナ一時ヲ過ゴシテミタイモノダワ~」
「マア、気持チハ分カラナクモナイワネ」
「デショデショ!分カルワヨネ⁉コノ気持チ!」
「ウワウザイ…」
戦艦棲姫の熱烈な攻めに顔をしかめる離島棲姫。
「ア~、一度デイイカラ行ッテミタイワ~『喫茶店』。店主ノ『クロサン』ダッケ?人間ダケド優シイッテ聞クシ。ソウイエバ姫級ノ中デ行ッタ事ナイノ私ト離島ダケッテ話ジャナイ。ミンナイツノ間ニ行ッテタッテイウノヨ、羨マシイワ~」
「アラ、私ハ行ッタ事アルワヨ」
………………………………………………………………………………エ?
「何ヨ、豆鉄砲喰ラッタヨウナ顔シテ。私変ナ事言ッタカシラ」
「」一体…………イツ………?
「昨日ヨ。ホッポニ誘ワレテネ、一緒ニ行コウッテ」
「」………ソンナノ……聞イテナイ…
「聞イテナイモ何モ、アンタ遠征中デイナカッタジャナイ。ソレニ一々報告スルヨウナ事デモナイデショ」
「」ソンナ……………アンマリダヨォ……
「テイウカセメテカッコノ中デ喋リナサイヨ。一々心読ムノッテ面倒ナノヨ?」
素の自分を見せられる唯一の友人の裏切り(?)に衝撃を隠せない戦艦棲姫。口から白い息を出しながら項垂れている。
「…………デ、ドウダッタ?」
「噂通リ、イイ所ダッタワ」
「………ソレダケ?」
「? ソウダケド…」
「ソンナワケナイデショ‼」
突然戦艦棲姫が声を上げ、離島棲姫に詰め寄った。理由としては、離島棲姫の適当な返事が気に食わなかっというのもある。だがそれ以上に、
「『喫茶店』ノ魅力ハソンナ言葉デ表セレルヨウナモノジャナイデショ‼モット真剣ニ!チャント伝エテ‼」
「悲シンダリ怒ッタリセワシナイワネサッキカラ!」
戦艦棲姫の瞳から流れる雫、その色はなんと赤である。さすがの離島棲姫も彼女の気迫に押され、渋々口を開く。
「エーット、ソウネ…。建物自体ノ雰囲気モヨカッタケド、ヤッパリ食ベ物ガオイシカッタノガ印象ダッタワネ」
「何⁉何食ベタノ⁉」
「『ショートケーキ』トイウ物ヲ食ベタワ」
「ショート…ケーキ……⁉」
「言ッテオクケド、ショートランドトハ何モ関係ナイカラネ」
ワ、分カッテルワヨ!と、どもりながら言う戦艦棲姫。どうやら図星だったようだ。
「三角形デ、上ニイチゴトイウ果実ガ乗ッタ食ベ物ナンダケド、一口食ベタ瞬間後悔シタ。ドウシテモット早クココニコナカッタノカッテ。妙ナ噂ト鼻デ笑ッテタ自分ヲ殴リ飛バシタイ気分ダッタワ」
「ソンナニ…!ソンナニダッタノ…⁉」
「エエ、ソウネ。絶品、ダッタワヨ。アソコノ店主ノクロサンッテ人間、料理ノ腕前ハ相当ナモノネ」
「ア~羨マシイ羨マシイ羨マシイ羨マシイ羨マシイ‼」
「ウルサイワネ、ソンナニ行キタイノナラ行ケバイイジャナイ。アンタ明後日マデ非番デショウガ」
「ソウダケド……ホラ、私ッテ一応ココノ指揮官ジャナイ?ソレナノニワザワザ敵対シテル人間ノ所デ休日ヲ過ゴスノッテ、深海棲艦トシテドウナノカト…」
「変ナトコロデプライド高イワネ。マ、イインジャナイ。アンタガソウスルベキダト思ウナラソウスレバ。代ワリニ、『喫茶店』トハ一生縁ガナクナルケドネ」
「ウゥ~…!ソレハイヤダァ!オ願イ離島、今度行ッタ時ニオ土産持ッテ帰ッテキテ~」
「無茶言ワナイデヨ、ココ水深何メートルダト思ッテンノ?テカ離シナサイ!イイ大人ガ泣キツイチャッテンジャナイワヨ、見ットモナイ!」
抱き着いた戦艦棲姫を必死に振りほどこうとするが、そこはさすがに戦艦に軍配が上がる。がっちりホールドした腕はビクともしない。
「離シナサイッテ言ッテルデショ!イイ加減ニシナイト怒ルワヨ!」
「ソンナ事言ワナイデヨォ~。私ノ一生ノオ願イヨォ~」
その光景は、何のとりえもない少年が未来からきたネコ型ロボットに泣きすがる様子によく似ている。戦艦としても指揮官としての威厳などどこにもない。
万が一、こんな姿を誰かに見られでもしたら――――
「失礼シマース、戦艦棲姫サマイマスカー?」
バクン、と戦艦棲姫の心臓が飛び上がる。
突然部屋に入ってきたのは、黒いレインコートと長い尻尾が特徴の少女――レ級であった。
「レ級…上官ノ部屋ニノックモナシデ入ッテクルナンテ、イイ度胸シテルワネェ…!」
すぐさま戦艦棲姫は離島棲姫から離れ、つい数秒前とは一転した凄まじい剣幕でレ級を睨み付ける。
「ア、スミマセン。忘レテマシタ」
が、それに全く畏縮する事無くレ級は言葉を返した。
「見テノ通リ、私ハ今休憩中ナノヨ。クダラナイ用ナラ後ニシナサイ」
「クダラナイ、ッテワケジャナインダケドナ~」
言い淀むレ級を見て戦艦棲姫怒り(※正確には焦り)のボルテージはどんどん上がっていく。
「迷ウクライナラ一々報告シナクテイイ!サッサト自分ノ部屋ニ―――――」
「今カラクロサンノ所ニ行クカラ、戦艦棲姫サマモ一緒ニドウカナーッテ思ッタンダケド…」
その言葉は――――――
かの大戦艦の一撃よりも強く、大きな衝撃を、戦艦棲姫に与えた。
「ア、離島サンモ一緒ニクル?」
「私ハイイワ、昨日行ッタバッカリダシ。ソレニ、コレカラ港湾ト約束ガアルカラ」
「ソッカァー、ソレジャア仕方ナイナー」
戦艦棲姫は固まってしまっていた。かつての大戦でも、こんな経験はなかった。ただ静かに、レ級の言葉が、頭の中で反響していく。
「ウーン、戦艦棲姫サマハオ疲レミタイダシ……ショウガナイ、今日ハ一人デ行ッテクルカ」
そう言ってレ級がこの部屋から去ろうとした時だった。
「待チナサイ」
迷いのない透き通った声が、彼女を呼び止めた。
*
初めて姿を現したサーモン海域での海戦では、その火力を持って六十二隻の軍艦、十五隻の艦娘を沈め、帝国海軍に甚大な被害をもたらした。
トラック泊地での迎撃戦では、不沈艦武蔵と丸三日に及ぶ死闘を繰り広げる。その末に撃破寸前にまで追いやるが、天候の悪化により撤退を余儀なくされ、戦いは痛み分けに終わった。
大規模作戦の度に大軍を連れて現れる事から、彼奴が深海棲艦の司令にあたる艦である事が想定される。故に、彼奴を沈める事ができれば、我々が平和な海を取り戻す大きな足掛かりになる事であろう。
これは、帝国海軍が所有する書物から抜粋した物である。勝利を手に掴む為、海軍は今も尚、この深海棲艦の行方を探し続けている。
だが、一体誰が予想できただろう。そんな存在が、街中の喫茶店に、それも非武装で訪れている事など。
(………………キチャッタワ)
午後二十時三十分。カウンター席に座った戦艦棲姫は、誰にも悟られぬように心の中で小さく呟いた。
(キチャッタキチャッタキチャッタ!憧レノ『喫茶店』!アア、ホンノリ漂ウビターナ香リ、清掃ト整理ノ行キ届イタ装飾品、ソシテ気品ノアル穏ヤカナBGM、堪ラナイワァ!コレヨコウイウノヲ待ッテタノヨ‼アア、生キテテヨカッタァ!アリガトウ神様、ソシテ…大天使レ級‼)
表情にこそ出していないが、彼女の精神はかなりの興奮状態にあった。少しでも気を緩めれば口角が上がってだらしない顔を晒してしまいそうなところを、口を一文字に結んで必死に堪えている。
「ここにくるのは初めてですよね。えーと、お名前は……」
「戦艦棲姫ヨ。覚エテオキナサイ」
「よろしくお願いします、戦艦棲姫さん。俺は―――」
「アナタノ事ハ聞イテイルワ、クロサン。敵ト慣レ合ウ変ワリ者、トイウトコロモ含メテネ。言ッテオクケド、私ガココニキタ目的ハ偵察ヨ。人間ノ生活ヲ知レバ、私達ガ本土ヘ進出スル為ノイイ情報ガ手ニ入ルカト思ッテネ」
「そ、そうですか…」
黒島の言葉に戦艦棲姫は悠然とした態度で答える。しかし内心ではやはり―――
『初メマシテ!私戦艦棲姫ト申シマス!アナタノヨウナ素敵ナ人ニ会エテ感激デス!今後トモドウゾヨロシクオ願イシマス!』
こんな感じだ。もちろん、偵察や本土進出をするつもりなど毛頭ない。深海棲艦としてのプライドを保つ為のただの言い訳である。と、ここで、
「戦艦棲姫サマー。ソウイウノハイイカラサ、マズハ何カ注文シヨウヨー」
戦艦棲姫の右隣に座るレ級が、暇そうに足をぶらつかせながらそう言った。
「レ級はもう決まってるのか?」
「ウン!今日ハ『パフェ』ヲオ願イ!」
「了解。戦艦棲姫さんはどうします?いつもは、初めてきた方にはその日のオススメをお出ししてるんですけど…」
フム…と戦艦棲姫は一呼吸おいて考える。
正直に言えば、離島棲姫の言っていた『ショートケーキ』を食べたいのが本心である。しかし、今レ級が注文した『パフェ』という物もかなり気になる。
さて、どちらを選んだものか…。戦艦棲姫が悩んだ末に選んだのは、
「ソウネ……取リ敢エズ、私モレ級ト同ジ物ヲオ願イスルワ」
「分かりました。では、できあがるまで少々お待ち下さい」
離島棲姫に自慢話をしたいという気持ちが決め手となり、後者を選んだ。
「時間ハドノクライカカルノカシラ」
「できるだけ早く用意するようにはしますが、それでも大体十分ぐらいはかかりますね」
「ソウ……。チナミニ、ソノ『パフェ』トイウノハドウイッタ物ナノカシラ」
戦艦棲姫の問いに、黒島は「そうですね…」と一呼吸おいて答える。
「パフェグラスという専用に器に、アイスクリームを中心に生クリームやフルーツ等をトッピングしたデザートなんです。トッピングの種類は色々とあるんですが、今日お出しするのは色とりどりにフルーツを使った『フルーツパフェ』という物になります」
アイスクリーム?トッピング?知らない単語が次々と出てきた事で、戦艦棲姫の頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
「マア食ベテ見タラ分カルッテ。安心シナヨ、スッゲェウマイカラ」
「悪食ノアナタニ言ワレテモネ…マア、ソレナリニ期待シテオイテアゲルワ。」
そうして期待に胸を膨らませながら、戦艦棲姫は『パフェ』ができあがるのをじっと待つ。
そして丁度十分後。
「お待たせしました。こちらがパフェになります」
差し出されたそれに、戦艦棲姫の目は釘付けになった。
(ナンテ煌ビヤカナノ⁉マルデ宝石ノヨウ!飾リ付ケラレタ一ツ一ツノ素材ガ輝イテ見エルワ!)
朝日を浴びたアサガオの花のように咲き誇る、イチゴやメロン等のフルーツ達。透明なグラスの中には様々な色の層が段々に積み重ねられている。そうしてできあがったのはまさに一個の芸術品である。
「こちらのスプーンを使ってお召し上がりください。時間が経つとアイスが溶けてしまうので、できるだけ早めに食べてくださいね」
先が三つ又に分かれた柄の長いスプーンを受け取り、戦艦棲姫は心の準備を整える。
(戦艦棲姫…イザ、抜錨ス!)
フルーツ達の中心に置かれたバニラアイスを掬って口に入れる。その瞬間、戦艦棲姫に衝撃が走った。
「ナンダ…コレハ……」
体を震わせながら、続けざまにアイスを口に運ぶ。
(………甘イ)
一口、
(……甘イ)
一口、
(甘イ!)
もう一口と。
(甘ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァイ♡♡♡)
それは、離島棲姫以外誰も破る事の出来なかった戦艦棲姫の鉄面を、いとも簡単に崩壊させた。
(何コノ甘サ!口ニ入レタ瞬間フワット溶ケテ、口イッパイニ広ガッテクル!イヤ、口ノ中ダケジャナイワ。喉ヲ通ッテカラモ、波紋ノヨウニジンワリト全身ニ浸透シテイク!ソシテコノ冷タサ、暑クナッテキタコノ季節ニハ丁度イイ!冷タイ…氷…アイス!ソウカ、コレガ『アイスクリーム』ネ!)
戦艦棲姫の手は止まらない。次は真っ赤に熟したイチゴを、スプーンの先で刺して口に入れる。
(甘イ!デモ『アイスクリーム』トハ違ウ、瑞々シイサッパリトシタ甘サ!少シ酸味ガアルケド、ムシロソレガコノ果実ノ甘ミヲヨリ一層際立タセテル!)
と、ここで戦艦棲姫は思う。
もしこの二つが一つになったら、一体どうなるのか、と。
行動は、すぐさま実行した。
(~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ‼‼‼)
流れ込んでくる幸せの奔流。最早言葉で表す事すら敵わなかった。
戦艦棲姫がその感覚を堪能していると、新たにテーブルの上に何かが置かれる。
「…コレハ?」
カップに入った琥珀色の液体を見て、戦艦棲姫は黒島に尋ねる。
「紅色のお茶、略して紅茶です。コーヒーもいいですけど、パフェにはこっちの方が合うと思いまして」
「フゥン…」
黒島のオススメとあって、戦艦棲姫は迷う事無く紅茶を口へ運ぶ。
(合ウゥ!フンワリシタ優シイ甘サガ、『パフェ』ノ美味シサヲサラニ引キ立テテイル!例エルナラ、作曲泊地水鬼ニ対スル軽巡棲姫ノボーカル!川内ニ対スル夜戦、16inch砲ニ対スル一式徹甲弾ッテ感ジダワ!アァ、最ッ高!)
「ナ、戦艦棲姫サマ。ウマイダロ?クロサンノ作ル料理ハドレモ最高ナンダゼ」
「食ベ物グライデ大ゲサネ。マァ、腕ガイイノハ認メテアゲルワ」
それから少しして、戦艦棲姫の前に空になったグラスが並べられる。心地よい満足感が心の中を満たす。が、その一方でどこか寂しい感情も芽生えていた。
「エー、モット居タイノニー。クロサントオ話シタイノニー」
「気持ちは嬉しいけど、赤城さんから釘を刺されてるんだよ。悪いけど今日のところは、な?」
そう、戻る時間がきてしまったのだ。自分達の住処、深海に。
「セメテモウ後十分、コーヒー一杯分ダケ!オ願イ!」
「うーん、困ったな。…仕方ない、それじゃあ――――」
「イイ加減ニシナサイレ級。深海棲艦トアロウ者ガ、ミットモナ姿ヲ晒サナイデチョウダイ」
戦艦棲姫の一喝によって、レ級はその口を閉じる。戦艦棲姫自身も覚悟は決めていた。
幸せな時間はいつまでも続く物ではない。いくら抗ったとしても、終わりの時間は訪れてしまうのだ。
「ジャアコレデ失礼スルワ。ウチノレ級ガ迷惑カケタワネ」
それだけ言って、戦艦棲姫は店の出口へと赴く。もちろん、口では無愛想に言っているが、内心は未練たらたらである。
名残惜しい気持ちを抑えて戦艦棲姫はドアノブに手を掛ける。その時だった。
「ちょっと待って下さい」
黒島が、慌てた様子で声をかけた。
「何カシラ。用ガアルナラ早ク言ッテクレル?私モ暇ジャナイノヨ」
「す、すみません。でも少しだけ、すぐ用意しますので」
用意?一体ナニカシラ?戦艦棲姫が頭に疑問符を浮かべていると、程なくして四角い小箱を持って黒島がやってきた。
戦艦棲姫は、受け取った箱を開けて中身を覗く。そこにあったのは、先程食べた『パフェ』を小さく縮めたようなものだった。丸い物や四角い物など、いろいろな形をした物が箱の中に綺麗に並べられている。その中に一つ、見覚え、いや聞き覚えのある物が。
(三角形デ、赤イ果実ノ乗ッタ…コレッテ……)
「ケーキって言うんです。余り物ばかりで悪いんですけど、よかったらどうぞ」
「………ドウシテココマデヨクシテクレルノカシラ。私達ハ深海棲艦、アナタ達人類ノ敵ヨ?」
「ウチの店にきてくれる人に、人間も深海棲艦も関係ありませんよ。それに、パフェを食べてる時の戦艦棲姫さん、すごく嬉しそうだったから。…今日は俺の勝手な都合でこんな風になっちゃいましたけど、よかったらまたきて下さい。今度はゆっくりと、他の皆も連れて。俺はいつでも待ってますから」
その時、一瞬だが心臓が高鳴った気がした。
今ノ感覚ハ一体…?それが何か理解できないまま、戦艦棲姫は喫茶店を後にした。
*
パタン、と乾いた音を立ててドアが閉じる。
場所は再び深海。戦艦棲姫の自室である。
「アラ、帰ッテキタノ。オカエリナサイ」
ベッドの上でくつろいでいた離島棲姫が声をかけるが、それに何の反応もしないまま、戦艦棲姫は自分のデスクに腰を掛けた。
「ソノ様子ダト余程ヨカッタンデショ。喫茶店ハ」
「…ウン、ソウネ」
てっきり小一時間は喫茶店の感想を聞かされると思っていた離島棲姫は、戦艦棲姫のあまりにそっけない返事に驚きを隠せないでいた。
「ドウシタノ、喫茶店デ何カアッタノ?ソレトモ道中デ艦娘ニ見ツカッタトカ」
「…エ?イヤイヤ、大丈夫。ソンナ事ハナカッタワ。ア、ソウダコレ。離島ガ言ッテタケーキッテイウノ貰ッテキタ。ヨカッタラ皆デ食ベテ」
そう言って半ば強引に離島棲姫にケーキの入った箱を押し付ける。
「…一体ドウシタッテイウノヨ。顔モ赤イシ、ヤッパリ調子悪インジャナイ?」
「大丈夫。ホント、大丈夫ダカラ…」
心配そうにする離島棲姫に重ねてそう言い聞かせる。だが、それは自分への暗示でもあった。
戦艦棲姫自身も分かっていないのだ。今自分に起きている変化に。
(何カシラ、コノ感情ハ…)
火照った頬を両手で覆って、戦艦棲姫は考える。
(コンナ気持チ、今マデナカッタ…)
なぜかある人間の事を考えるだけで、不思議に胸が高鳴るのだ。しかもその感覚は、どこか心地よい。
(私、一体ドウシチャッタノカシラ…)
冒頭でも言ったが、もう一度言おう。戦艦棲姫もまた、一途な憧れを持つ乙女なのである。
閲覧ありがとうございます!
速報。深海の長、落つ。
どうしてこうなった…話の流れと思いつきでこうなってしまいました。しかし、後悔はしていない。
今回の話は今作で最も多い文字数となってしまいましたが、読んで下さった方ありがとうございます。そして、評価に色が付きました!これに関しては正直飛び上がるくらい嬉しかったです!
さて、次話ですがまたしても更新が遅くなりそうです。続きは必ず書きますので、どうかそれまでお待ちください。ではまた次回!