境界を越えて   作:鉢巻

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赤き訪問者

 

薄暗くなった街の中を、一人の女性が走っていた。

彼女は額に汗を浮かべながらも、速度を落とす事無く駆け抜ける。

しばらくすると灯りのついた建物が目に入った。それを見て女は一層足の回転速度を上げる。

息を切らしながら建物の前で立ち止まる。その扉には『OPEN』と書かれた札がぶら下がっていた。それを見てその女は安堵のため息を漏らす。

 

「…よかった、間に合った」

 

そう呟くと、弓道着姿の女はその扉を開いた。

 

 

 

 

喫茶店『Pace』。ここには時々、人ならざる者が訪れる。

始まりはある嵐の日だった。ある深海棲艦がここの喫茶店のオーナーの青年と出会った。一刻の食事を通して打ち解けた二人の間には、人と深海棲艦の壁を越えた『平和な世界の一風景』が存在していた。

そして今日もその時が訪れる。午後七時二十五分、閉店三十五分前の出来事だ。

 

「はいよ、海の幸をふんだんに使った特製シーフードカレーだ」

 

「オオ!今日ノハマタ一段トウマソウナ…!」

 

レ級の前に特上盛りのカレーが置かれる。それを見てレ級は歓喜の声を上げた。

黒島がレ級と出会ってから一週間が経とうとしていた。結局レ級はあれからほぼ毎日この喫茶店に足を運んでいる。時には深海棲艦の仲間を引き連れて、時には大量の魚を肩に担いで。

黒島はその光景を前にして何度も驚いたり冷や汗を流したりと散々な思いをしていたが、だんだん抗体ができてきたのか、最近は少々の事では動じないようになっていた。

 

「クロサンスゲーナ、何デモ料理デキルンダナ!」

 

「これでも昔は料理人目指してたんだ。途中で諦めちまったけどな」

 

「エー勿体ナイナー、セッカクコンナニウマク作レルノニ…」

 

「まあ何つうか、向いてなかったんだよ。それよりどうだ、味の方は」

 

「ウマ―――――!アノ味気ナイ物ガコンナニウマクナルナンテ……ハッ!コレガイワユル革命ナノカ……⁉」

 

「そりゃよかった。お前がいい魚貝類獲ってきてくれたおかげだよ。でも、一応おかわりする分はあるが、ちゃんと残しといてくれよ。まだ他にも食べる奴がいるんだからな」

 

「分カッテルッテ!」

 

すでにカレーを口にかき込んでいるレ級。本当に分かってるのかよ…、と黒島はポリポリと頭を掻く。

 

「ハッ…!」

 

「どうした?」

 

幾らか食べた所で突然何かに気が付いたような仕草を見せるレ級。今度は一体どうしたというのか。

 

「チョット…オ手洗イニ……」

 

「食事前に馬鹿みたいにコーヒー飲むからだろ。早く行ってこいよ、せっかくのカレーが冷めちまうぞ」

 

「ウンワカッタ、スグ戻ル!」

 

そう言ってレ級は奥の化粧室へと駆け込んで行った。

全くせわしない奴だ、と呟いていると不意にベルの音が鳴り、入口の扉が開かれた。

 

「こんばんわー、マスター。今日はいい天気ですねー」

 

のんきな口調で現れた女性は赤い弓道着を身に着けていた。その女性は黒島がよく知る人物の一人だった。

 

「赤城さん!何でこんな時間に……⁉」

 

「いやー、丁度さっき任務が終わった所で、そしたらお腹が空いちゃいまして…」

 

正規空母赤城。この街にある海軍基地、通称横須賀鎮守府に所属する艦娘である。

彼女はこの喫茶店を開いた当初からの常連客だ。幾度なく訪れ、幾度なく食料在庫に大打撃を与えてくれた。客の一覧を作るとすれば彼女が黒の部分に乗るのは確実だろう。食べた分はしっかり代金を払っているので文句は言えないわけだが。

今日は珍しく姿を見せないと思っていたが、まさかこんな時間に、しかも最悪のタイミングでくるとは…。赤城の突然の訪問に、黒島は動揺を隠せないでいた。

 

「せっかくきてもらって悪いんですけど、今日はもう閉める所でして。また明日にして頂けませんか?」

 

深海棲艦をこんな所でもてなしている事がバレれば笑い話では済まない。レ級は当然海軍に連行、黒島自身も敵に手を貸した反逆者として連れて行かれる事になるだろう。そうなってしまえば、まさに終わりである。

何とか今日の所は帰ってもらおう、と必死に取り繕いながら黒島は赤城に促す。しかし、

 

「何言ってるんですか!ラストオーダーは七時三十分まででしょう!今は七時二十九分、まだあと一分あります!」

 

「一分って…ウチの時計はもう三十分を指してますけど……」

 

「あの時計は少し進んでるって、マスター前に言ってたじゃないですか!さあ!私の注文はカレーです。マスター!早く!伝票を‼」

 

「分かりました分かりました!だからもう落ち着いて下さい…」

 

結局、抵抗もむなしく赤城に押し切られてしまった。彼女の食い意地は黒島がこれまで出会ってきた人物の中でも群を抜いてトップに立つだろう。

 

「えっと…テイクアウト……でもいいですか?」

 

「インイートでお願いします!」

 

「たまには気分を変えて窓際とかで食べたらどうです?」

 

「いえ、いつもの席で大丈夫です!」

 

赤城の言ういつもの席とは先程までレ級がカレーを食べていた席である。

最後の悪足掻きも無駄だった。どうしたものか、と黒島の中で不安の雲が渦を巻き始める。

 

「おや?これは…」

 

あ、とここで黒島は自分が犯したミスに気付く。

 

「シーフードカレーですか、おいしそうですね。あれ、でもこれってメニューには載ってませんでしたよね?」

 

そう、レ級のカレーを出しっぱなしにしていたのだ。おかげで早速赤城が食いついてしまった。

 

「あ、ああ、それは……知り合いに漁師の子がいまして、余った物があるって言うんでそれを分けてもらったんですよ。それで、今日の晩飯にしようと作った所でして」

 

「そうなんですか。でも、こんなにたくさん食べれます?マスター以前、ご飯は一合が限界だって仰ってませんでしたっけ?これどう見ても十合分くらいはあるんですが…」

 

「いやぁ今日はかなり忙しくてですね、昼飯食う暇もなかったもんですからお腹空いちゃって」

 

「へぇー大変ですね。あ、では私もこれと同じ物をお願いします」

 

「え``。い、いや、残念ながら材料はこの分が最後でして……」

 

「私をごまかそうとしたって、そうはいきませんよ。まだ奥の方からわずかに磯の香りがします。これはホタテ…イカもありますね。うん、ばっちり材料あるじゃないですか!」

 

様々な匂いの漂う調理場からピンポイントで食材を当ててくるとは…。予想外の赤城の嗅覚に黒島は驚愕する。一体お前はどこの名犬だ。

 

「それとこれは…何でしょう、不思議な匂いがしますね。魚っぽくて…でも違う。あれ、何でしょうこれ」

 

ぎくり、と嫌な音が頭の中に響く。まさかとは思うが、深海棲艦の匂いを嗅ぎつけたとでも言うのだろうか。確かに、深海棲艦は普段は海の中で生活していると聞く。ならば海の匂いが染みついていても不思議ではない。

 

「あー、えっと多分それは…ウツボ……じゃないですかね」

 

「ウツボですか…!たたきにするとおいしいって聞きますね!」

 

嘘は言ってない。実際レ級が獲ってきたウツボを冷蔵庫の中に保存している。ちなみにこの選択肢を出したのは、レ級の尻尾が何となくウツボに似ているなと思ったからではない。決して。

 

「なるほど、これがウツボの匂いですか。…よし、記憶しました!マスター、今度でいいんで私にもご馳走して下さいね!」

 

何とかごまかすことに成功し、黒島はホッと胸を撫で下ろす。

 

「…それじゃあ、早速カレー作ってきますね。できるまで少々お待ち下さい」

 

「はーい」

 

さて、ここからが本番だ。調理場に向かうと見せかけて化粧室に直行。そこでレ級にこの事を知らせ、裏口から退却してもらう。調理場と化粧室は同一方向にあるので赤城に怪しまれる事も無いだろう。

レ級には悪いが、今回ばかりは諦めてもらうしかない。カレーは後日ふるまう事にしよう。そう思って黒島は行動に移すべく、体の向きを変える。その時だった。

 

「イヤー、スッキリシター。コーヒーハアンマリ飲ミ過ギルトオ腹ピーピーニナッチャウンダナ」

 

この時ばかりは聞きたくなかった声が店の中に響いた。

 

「サーテ、愛シノカレーチャン♪今食ベテアゲルカラネッ……………」

 

レ級と赤城、二人の視線が交じり合う。二人は魔法で石にされたかのようにピタリと固まってた。そして数秒の間を置き、

 

「「ギャアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァ‼‼‼‼」」

 

二人分の絶叫が店内に反響する。そんな中黒島は、自分の人生が終着点に向かっているのを静かに実感していた。

 

 




閲覧ありがとうございます!

もう一方の作品よりもこちらの方が手が進むという現状……まあ…いいですかね?
という訳で二話目の投稿と相成りました。こちらの話は最終回まで取り敢えず考えてます。予定としては十話以内には収まるかな?という所です。

それでは、次回も首を長くしてお待ち下さい。では!

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