『この間の件、引き受けては頂けませんか』
今や骨董品レベルの存在である折り畳み式の携帯電話から、若い男の声が聞こえる。
仕事柄、目を保護するためにかけているゴーグルを、額に上げて返す。
「…まだ勤務中だ」
『これは失礼を。私としたことが、失念していました』
男は丁寧に謝罪を述べた。今や頂点という名を恣にしているが、その律儀な態度は昔から変わっていなかった。普段は決して見せない、グラスを片手に穏やかに笑う彼の顔が脳裏に浮かぶ。
「…まぁいい。他にはどれくらい声をかけた?」
『七名ほど。今の所芳しい返答があったのは、イブキ君とレジーナ女史だけですがね』
それはそうだろうな。そもそもの話が突拍子もない上に、規模が大きすぎるのだ。
「スペインのカリナはどうした?」
『彼女は今、臨月を迎えているそうで』
「何人目だ?ワシが末の子供に会ったのは三年前だったと記憶しているぞ」
『七人目の三女らしいです』
校門前を掃除する手を止め、竹箒を壁に立掛けた。
子供達に囲まれる女丈夫の、朗らかな笑い声が脳内で木霊する。
また出産祝いを考えねばな…。
「チャウ・フェイロンならば、いい返事が来ると思うが?」
『勿論、お誘いはしましたが…。どういう訳か、現在連絡が付かないらしく』
「大方、また山篭りでもしているのだろう。あれの考えることは理解できん」
瞑想に耽る現代のブルース・リーの、他者には推し量れない無表情を思い出す。
少し苦手な男だ。
――キーンコーンカーンコーン
四限の終業を告げるチャイムの音が聞こえた。
頭を振り、思い出に浸ろうとする自分を払い除ける。
「…それよりもだ。もう直、選手権の予選だろう。お前も忙しい時期ではないのか?」
電話の向こうの男は、コントロールスフィアを握り込んだ時のような不敵な笑みを零した。
何かのスイッチを押してしまったようだ。
『だからこそ、ですよ。ガンプラバトル20周年というこの年に、我々とヤジマ商事がただ傍観しているとでも?』
「思えんな」
『三倍早い受け答え、さすがです。還暦を迎えても衰えないその姿勢。改めて、"殲滅のアズマ"のお力添えを賜りたく』
思わず、フッと笑う。この男はいつまで経っても少年のように、燃える炎のような情熱(業界では『通常の三倍の情熱』と形容していたか)を胸に宿している。
自分も、老いた体が思わず武者震いを起こしそうなほどだ。
晴れ渡ったセルリアンブルーの空を見上げる。
「…考えておこう、三代目」
『私は確信しています。あなたの中に眠る獣が、未だバトルを欲しているのを』
「見込み違いかもしれんぞ」
『自分の目は確かだと信じていますので。ともあれ、席は空けておきますよ。またご連絡致します』
では、と言葉を置いて、通話が切れる。
三代目メイジン・カワグチ、食えない男だ。
携帯電話を畳み、くたびれたジャケットのポケットに仕舞った。壁に立掛けた竹箒を持ち、ゴミを集めてから校舎の中へと歩を進める。
ふと、このジャケットとも長い付き合いだと感じた。かれこれ十年は着古しているだろうか、あちこち修繕した痕が目立ち、妻からも買い替えなさいと言われ続けている。
だが、このジャケットには生徒と共にガンプラバトルに明け暮れた日々の思い出がどっさりと詰まっているのだ。そう簡単にゴミには出せない。
『あなたの中に眠る獣が、未だバトルを欲しているのを』
否定はできない。一昨年還暦を迎えて教師を定年退職し、後は妻や子供達と悠々自適な余生を過ごそうとも思っていたが、またも子供達に寄り添う仕事をこうして選んでいる。ジャケットを手放さないでいるのも、そうした未練があるからかもしれない。
この学園の用務員職を志望したのも、設立したばかりというあのガンプラ部の行く末に興味があったからだ。それは自覚しているし、否定するつもりもない。
三代目め、ワシの心を見透かした上で狙撃したか。相も変わらない彗星だ。
「おい聞いたか?ガンプラ部が面白いモン作ったらしいぜ」
「あのキンジョウ・ホウカの専用機ってほんとか?」
「カトー・トモヒサはどこだ!確保しろ!」
渡り廊下を数人の男子生徒が走り抜けていく。
元気なものだ、若さを持て余しているのが分かる。
だが、元教師としては捨て置けない。
「お前たち、渡り廊下だけは走っていいなんて規則はないぞ」
「げぇ!ヴェイガン絶対殺すマン!」
「高性能じいちゃんだ!プラズマダイバーミサイル撃たれる前に逃げろ!」
悪ガキどもめ。
「お前たちよりヴェイガンの方が数倍は可愛いわ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら男子生徒達が食堂へと消えていく。
不本意なことに、この英志学園のガンダム好き達から「ヴェイガン絶対殺すマン」だの「高性能じいちゃん」だの「マップ兵器」だのという渾名でよく呼ばれる。そもそも"殲滅のアズマ"という物騒な異名を貰っているのだが、こっちはいい。語感が悪くない。
とはいえ、古びたジャケットにゴーグルという出立ちは、確かにフリット・アスノを思い起こさせるというのは自分でも分かっているのだが。
そんなことより、先ほどの生徒達の会話が気になった。
「ふむ…。キンジョウ・ホウカ、か…」
新たにガンプラ部に入部したという女子生徒だ。一時期スポーツ誌を賑わせたことで知っているが、古武道部とガンプラ部を掛け持つとは何を考えているのだろうか。その上、カネダ・リクヤが選手権を辞退し、ジニア・ラインアリスという女子生徒まで入部して二人揃ってチームメンバーになったという話だ。カトー・トモヒサが、それを良しとした理由は気になる。
自分は顧問でもなく、まして今は教師でもないため校舎内への出入りは自重しているが、一度ガンプラ部へ顔を出してもいいかもしれない。
長年連れ添った愛機の重みを想像しながら、キッと視線を鋭くする。
必要とあれば、粒子の中で聞くまでだ。
・・・・・・・・・・
昼休み、生徒会室の重厚な引き戸の前に立つ。
「失礼します」
ホウカは、ごくりと生唾を飲み込みながら、それを引いた。
バトルシステムにも似た六角形の独特な形状をした机が三つ、繋がって生徒会室の中央を占拠している。円滑に情報を交換するために職員室のすぐ隣にあり、中は真新しい白に塗り潰されていた。
その窓際に、一人の男子学生が立っている。グラウンドを一望できる開放的な広い窓の向こうに、切れ長の両目から視線を投じている。
筋の通った鼻梁、肩まで伸びた癖のない銀髪。美男子、という表現がピタリと当て嵌る人物。襟の広い赤いコートと白いズボンが鮮烈であり、まるで映画の一場面を切り取ったかのような情景を映していた。
線の細すぎない力強さのある顔が、ホウカに向けられる。
「来たか。君を待っていた」
滔々と語られるかのような声で言う。
初めて対面する元生徒会長を前に、緊張して身が強張る。トモヒサから聞いた話では、そんな気構えしなくてもいい相手らしいが、一体この人の何処を見てそう思ったのだろう。とてつもないオーラが全身から溢れているのが分かる。
しかし、とりあえず用向きを訊こうと気を持ち直した。
「テライ・シンイチ先輩、ですよね?私に話があると聞いたのですが…」
「そうだ。とにかく、かけるといい」
元生徒会長―テライ・シンイチはそう言い、二つ椅子を引いて着席を促す。
ホウカは手前の椅子に腰掛け、スカートを畳んで居住まいを正した。シンイチも座り、すらりと長い足を組む。
「ホウカさん。君は、私が去年の選手権に出場していたことは知っているかな?」
「はい、トモに…カトー先輩から大体のことは」
「うん、それならば話は早い」
と言って、シンイチは小さく頷いた。
英志学園ガンプラ部は、去年の全日本ガンプラバトル選手権に初出場を果たしている。その際に選手だったのがカトー・トモヒサとカネダ・リクヤ、そして三人目のチームリーダーだったのがテライ・シンイチ、この人である。
彼は現在、英志学園大学部の一年生に進学している。昨年度の高等部生徒会長を担っていたことから、大学部では生徒自治会に加名しており、早くもその手腕が学園中で話題になっている。三年前のガンプラ部創設にも深く関わっているらしく、トモヒサとも交流が深いと言う。今もガンプラ部員ではあるが、自治会の活動が多忙を極めているらしく、部には顔を出さなくなっていた。これらの複雑な事情を、ホウカはトモヒサから聞かされていた。
先代のエースである彼が一体何の話をしようとしているのか、ホウカはそのことで緊張しているのだ。
訝っていると、シンイチが言葉を繋ぎ始めた。
「あれは、地区予選大会決勝戦のことだ」
その視線が、遠くを見るように細められる。
妙な違和感、というか、彼から醸し出される謎の雰囲気をホウカは感じた。
しかし、それはすぐに霧散する。
「君も知っての通り、英志学園チーム『スターブレイカーズ』は初出場にして地区予選の決勝まで勝ち残った。いよいよ全国への切符を掴もうという時、私たちの前に立ち塞がったのは、美しき海賊達だった。彼女達と苛烈な戦いを繰り広げ、あと一歩というところまで漕ぎ着けた。しかし――」
シンイチは一呼吸置き、目を伏せる。
「我々は、彼女達に屈してしまった。全国大会の場、ヤジマスタジアムの舞台に上がる夢は、絶たれてしまったのだ」
「…………」
知ってますけど…と、喉から出かかった言葉を押し殺すホウカ。
先日のカンザキ・ツツジとのガンプラバトル後に、去年の決勝戦で敗北を喫した相手こそ菱亜学園チーム「ハウンドクロス」だと、マリコから既に教えられている。
とはいえ、シンイチは知らないかもしれないだろうと思って自分に教えてくれているはずだ。ホウカは大人しく耳を傾けることにした。
「それ以降、チーム『ハウンドクロス』のある菱亜学園と交流を持つことになった。今も、色々と助けてもらっている」
「…そうだったんですか」
それは意外な話だった。あの人と、この英志学園の生徒自治会員が縁を持っている(どんな縁なのかは不明だが)というのは。
「そのリーダー、カンザキ・ツツジら連絡があった。そう、君のことについてだ」
「私の…?」
ようやく状況が飲み込めた。
詰まる所、カンザキ・ツツジとの関係を説明した上で、本題に入ろうとしているのだろう。非常に失礼で、そして雰囲気を壊してしまうのは重々承知しているのだが、ホウカは思ってしまう。
なんて回りくどい話し方なんだろう…。
再び、シンイチの視線がホウカを向く。小さく咳払いして、彼の言葉を待った。
「ツツジとバトルをしたそうだな」
「あ…はい。負けてしまいましたけど…」
「それは残念だ。とはいえ、全国大会を押し通る程の相手だ。気にしない方がいい」
「はい。それは、自分でもよく分かっています」
脳裏に、圧倒的なまでの強さで屹立するガンダムAGE-2バンガードと、菫色のポニーテールを揺らす美しい長身の姿が浮かぶ。
「いい心構えだ。そのツツジから言伝を預かっている」
「言伝……はい」
やたら古風な言い方である。
シンイチは目を閉じて、思い返すように一言一句をしっかりと紡ぎ出した。
「『いいバトルだった。君の腕には驚かされたが、もっと上を目指せると思う。次に相対する時には、更に腕を磨いていることを期待しているよ。私の好敵手、キンジョウ・ホウカ殿』……だそうだ」
「あの人が、そんなことを…」
自分はあの時、確かに叩きのめされた。何一つ報いることは叶わなかったが、今ではその強さに憧れすら抱いている。そんな彼女が、自分を好敵手と呼んでくれていると言うのだ。
ホウカは嬉しさに、思わず頬が緩んだ。
「嬉しいか?」
「え、あ……はい」
シンイチが優しく微笑む。変な人(認めてしまった)だが、やはり挙動の一つ一つがとても画になっていた。彼が人望を集める理由が分かる気がする。
そうしてホウカは、トモヒサの言っていたことを理解した。喋り方が妙に浮世離れしていると言うか、演技がかっているように感じるが、それが彼の自然な姿なのかもしれない。すっと耳に入ってくる声と彼の毅然とした態度は、先程まで感じていた緊張感を優しく解してくれていた(変な人だから構えなくてもいい、という意味も含まれていそうだ)。
――コンコン
と、生徒会室の引き戸がノックされる。
「いるよ。誰だ?」
「ナラサキです。テライさんですか?こちらにいらっしゃると聞きましたので」
「ああ、フウランか。私だよ、入りたまえ」
「失礼します」
入ってきたのは、黒いワンピースと白いタイツを着る、ツインテールが可愛らしい女学生だ(ややコスプレじみている気もした)。
切り揃えられた前髪の奥から、意外と眼力のある吊目がホウカ達を見る。
「その方は?高等部の生徒のようですが」
「君も知っているだろう、高等部一年生のキンジョウ・ホウカさんだ」
「あなたが…」
その両目が、さらに鋭くなった。ニュータイプの音……が聞こえた気がする。
ホウカは直感した、明らかに敵意のある眼差しだ。
立ち上がって、礼をしながら挨拶をする。
「はじめまして、キンジョウ・ホウカです」
「……ナラサキ・フウランです」
やや声音を落として礼を返した。
珍しい名前だ。漢字で書くと「楢崎風蘭」、といったところだろうか。
シンイチも立ち上がり、二人の間に立つ。
「少し話があってね、私から出向いていた」
「テライさん、どのようなご関係で?」
キッと、フウランの鋭い視線がシンイチに向く。
「そうだな、私の後を任せる次代のエース、と言っておこうか」
「……そうですか」
フウランは目を閉じて、ホッとしたように息を吐いた。
もしかして、あらぬ誤解を与えてしまっているのでは…。
「それで、何かあったのかフウラン」
「はい、学園長がお呼びとのことです」
「そうか、分かった。行こう」
シンイチはそう言って頷いた。フウランを連れ立ち、生徒会室から出ようとする。
ふと、足を止めてホウカを見た。
「ホウカさん、部活動を掛け持つのは大変だろうと察する。私も似たようなものだったからな。何か協力できることがあったら、遠慮なく言ってほしい。トモヒサ達にも、よろしく頼む」
「はい、分かりました。ありがとうございます」
「うん、では」
そう言い残して引き戸を出る。
その後ろを着いていくフウランが、ちらりとホウカを見た。
『テライさんは、渡しません』
言葉はなかったが、口がそう動いていた……気がする。
そうして、引き戸が閉まった。
何だか、最近会った人達の中でも群を抜いて印象的な二人だと、ホウカは思う。
そして、はたと気付く。一緒に生徒会室を出ればよかったのでは、と。脚本通りのような雰囲気に流されるまま二人を見送ったが、このあとも午後の授業が控えているのだ。
テライ・シンイチとナラサキ・フウラン、そしてカンザキ・ツツジの伝言を思い返す。
今後の選手権や学園生活に不安(主にフウランのこと)と期待を抱きながら、ホウカは生徒会室を出た。
・・・・・・・・・・
トモヒサは部室の机に頬を押し付け、ぐったりしていた。
週明けと共に届いたHGガンダムAGE-FXを使い、部員の力を結集させること一週間。ようやくホウカ専用のガンプラが完成した。
そして翌日、つまり今日の昼休み、心地いい疲労感に満たされていたトモヒサは、昼食後に軽く昼寝をしようと教室に戻ったところ、待ち受ける大勢の男子生徒に取り押さえられたのだ。新しいガンプラを見せろ、両手に花とは許せん、などと散々振り回された。
一体いつの間に情報が広まったのか。新聞部の敏腕、恐るべし。
ぐり…と、顔を前に向けて氷上のアザラシみたいな格好になるトモヒサ。その視線の先には、完成したばかりの真新しい白いガンプラが立っている。
型式番号「RFX-AGE03R」。
称して、「ガンダムラナンキュラス」。
一ヶ月かけてステイメンから収集したデータを元に、関節強度や動作のクセを調整し、ホウカ自身の要望などを汲み取ったガンプラ。そしてトモヒサ、リクヤ、ジニアの三人が持ち得る技術を惜しみなく投入させた。
そしてこの日、念願のロールアウトを迎えたのだ。
だがこの日は生憎と、当のホウカは古武道部の活動に専念している。ジニアも同じく演劇部だった。リクヤも用事があると言って、今日は部に顔を出していない。顧問であるマリコはと言えば、職員会議ときている。
一人ぼっちの静かな部室。遠くから運動部らの声が聞こえる。
「……静かなロールアウトだな、ラナンキュラスよ」
ポツリと、トモヒサはガンダムラナンキュラスに話しかけた。自分一人だったら、このような見目美しい機体には仕上がらなかっただろう。最後の仕上げ前に仮組みした時の、キラキラとした目で見つめるホウカの無邪気な姿が思い返された。
ベースとなったのは、言うまでもなくガンダムAGE-FXだ。しかし、各部に大幅な改造を施し、立たせた姿は別物になっている。
頭部は、フェイスのみAGE-FXのままにしたステイメンのもの。同様に両腕も肩から丸ごと交換し、同じく腰部にもテールバインダーを移植している。細かいリペイントまで準拠し、言うなれば、ガンダムAGE風に解釈したステイメンである。
しかし、最大の特徴は背面に広がる、巨大な花弁型ウイングユニットだ。コアファイター機構は撤去し、代わりにファンネルラックを兼ねた推進ユニットにアームを増築。そこに、ウイングユニットを接続している。
このユニットが持つ能力、それは――
――ガチャ
突然、部室のドアが開いた。
うっかり寝かけてしまっていたトモヒサだが、その音で船を漕ぎ出した意識を戻す。
ぐり…と首を動かし、アザラシ状態のままドアの方を見遣る。
「……む」
「……お?」
ドアを開いた格好のまま、硬直する人物と目が合った。
くたびれたジャケット、首にかけた特徴的なゴーグル。見覚えがあるが…寝惚けているのだろうか、思い出せない。
「すまん、気配を感じなかったから誰もいないと思った」
「お…おお」
「入っても構わんか」
「…構わないぜ」
ガチャリと、ドアが閉められる。その男はジャケットのポケットに右手を突っ込みながら、ゆっくりと歩を進めた。左手には独特の形状の―例えるならAGEデバイスのような―ケースを提げている。
そして、窓際に立った。
年齢を感じさせない真っ直ぐとした背筋に、フリット・アスノ老齢期によく似た面立ちと服装。そして、仕事柄の必須アイテムであるゴーグル。
思い出した、用務員のアズマだ。
「アズマさんじゃないですか」
「なんだ、今頃気付いたのか」
皺の刻まれた彫りの深い両目が向けられる。優しげな、しかし何処となく厳格さをも湛えた眼差しだ。
「ほう…それが噂に聞くガンプラか」
その眼差しが逸れ、机に置かれているガンダムラナンキュラスに注ぐ。
トモヒサは、机に張り付く体を引き剥がして上半身を起こし、アザラシからヒトの姿に回帰する。腕を上げてぐぐぐ…と伸びをした。
「アズマさんにまで情報が行ってたのか…」
「学園のガンダム界隈じゃあ、ちょっとしたお祭り騒ぎだぞ」
「そのせいでクタクタなんですよ……いい迷惑だ」
ハハハ、と老齢らしい渋味のある声で笑うアズマ。
再び視線を戻し、白いガンプラを見る。
「何という名のガンプラだ?」
「RX-AGE03-FX、ガンダムラナンキュラス」
「お前にしては、随分と華のある命名だな」
トモヒサは腕枕をしながら返す。
「名付けたのはオレじゃないですよ」
「なるほど、シマか」
「と、ジニアです」
「ほう…」
スッ…と、アズマが目線を鋭くした。その眼光に、先程までの優しげな光はない。
トモヒサは、その変化を鋭敏に察知する。
「…カトー。少しお前に訊ねておきたいことがある」
突然、アズマを取り巻く空気が変わる。それはトモヒサの記憶を呼び起こし、彼がガンプラバトルで見せるようなそれと重なった。
この底知れない覇気…あの"殲滅のアズマ"のものだ。
「新しいチームメンバーという例の女学生二人のことだ。お前の腹の底が知りたい」
…そういうことか。何故いきなり部室にやってきたのかと思ったが、彼の目的はホウカかジニア、或いはその二人のようだ。
トモヒサは飄々とした態度で答える。
「別に、腹の底なんてなんもないですよ。重力の井戸くらいまっ逆さまに落っこちるくらいだ」
「降下中に撃墜される恐れは?」
「ないです。第一、メンバー不足で俺からホウカを勧誘したんだし、ジニアの奴に関してもリクヤが頼んだくらいですよ」
「…そうか」
「まさかアズマさん、女がいきなり二人もチームメンバーになったことに文句があるって言うんですか?」
アズマはかぶりを振る。
「そんな考えの古い地球人でいたつもりはない。ワシが教えたファイター達にも勇敢な女性は大勢いる。お前も分かっているだろう?」
「冗談ですよ。でも、安心しました」
「生意気にもワシを試したとでも?」
「そんな恐れ多いこと」
暫し、沈黙。
やがて、どちらからともなく笑い出した。
部室の空気が和らぎ、アズマの雰囲気も砕けたものになる。その目も優しげな好々爺の光を取り戻した。
「よく分かった。危惧するようなことはないのだな」
「ま、あいつらの腕を見たら納得するはずですよ。この後、しばらくしたら部室に顔を出すって言ってたんで」
「わざわざこれを持ち込んだ意味はありそうだな」
ゴト、と机にケースが置かれる。
トモヒサはその中に仕舞われているガンプラを想像し、心の中で拳を鳴らした。
「久し振りに、一戦付き合いませんか?」
「ワシも言おうとした所だ。箒とちりとりばかり握っていて、腕が鈍ってしまいそうだ」
右肩を回すアズマ。その姿は、とても60過ぎとは思えない。
「"殲滅のアズマ"に箒は似合わないですねぇ。やっぱ、コントロールスフィアでないと」
「お前達くらいのものだ、ワシを変な渾名で呼ばないのはな」
「うちの学園の用務員の正体を知ったら、みんなミネバを乗せたネェル・アーガマの乗員みたいな顔して驚くでしょうね」
トモヒサはそう言いながら、ガンダムラナンキュラスを棚のガンプラ保管用ケースに収納した。出しっぱなしにしていては、後で誰かに怒られるかもしれない。
そして、年齢差およそ40歳という二人のガンプラファイターは、まるで友人のように互いに言葉を交わしながら部室の外にある小屋へ向かう。
傾いた陽が、人のいなくなった部室を柔らかく照らし出した。
・・・・・・・・・・
買い置きしておいたオレンジジュースの蓋を空けて、ぐびっと煽る。
第一部の通しリハーサルを終えたカラカラの喉に、甘みと酸っぱみの調和が取れた絶妙な味が染み入る。
「ぷっはぁ~…」
アメイジング・ジャパニーズ・ジュース。
日本に来て良かったと最初に感じたのは、このオレンジジュースとの邂逅だ。胸いっぱいに広がる爽快感をジニアは感じながら、リハーサルの終えた動きやすいシャツとジャージ姿の演劇部員達に視線を向ける。
台本のページを捲る真面目そうな男子、友人と談笑を始める数人のグループ、顧問教師に相談を持ちかける女子等、それぞれがそれぞれらしく振舞っている。総合文化祭の出演を賭けたオーディションでは他校共々競い合う関係だったが、今では共に練習を重ねる良き仲間達になっていた。
ふと、ガンプラ部のことを思い返す。カネダ・リクヤ…自分に全日本ガンプラバトル選手権の出場メンバーの席を譲り渡した先輩だ。
彼の挑戦を受けて気付いたが、ガンプラを大事にする想いとバトルの腕はかなりのものだった。勝利を得ることができたのは、寸分の差。まさに紙一重の差を乗り越えることができたから。そして彼の決意、選手権への熱意も伝わってきた。
『ファイターと見込んで頼む!ガンプラ部に入部してくれ!そして、選手権に出場してほしい!』
仮に自分が負けたとしても、彼は席を譲ろうとしただろう。
演劇の舞台で役者という夢を追う自分は、そういった強い意志を持つ多くの人たちと台詞を交わしてきた。サイコフレームではないが、色んな感情を総身に受けてきたのだ。
だからだろうか、この一週間、ガンダムラナンキュラスの制作に携わる彼の晴れ晴れとした姿を見て、幾ばくかの後悔の念を抱いた。自覚しているが、どうしても軽い性格のために受け答えも浮ついたものになってしまう。彼の懇願を受けたとき、もっとしっかりと向き合うべきだったのではないか。
ジニアは、パンパンと両頬を叩いた。
らしくもない。そんなのは、ガンプラバトルで応えればいい。
そこまで考えて、ふと時計を見る。
17時30分。
「――いっけない、そろそろ行かないと!」
トモヒサに、後で顔を出すと伝えていたことを思い出した。
傍らで台本を見ながら振りの練習をしていた女子が、話しかけてくる。
「ジニー、この場面の動作なんだけど…」
「うわわわ!ごめん、これからガンプラ部に行かないと!」
両手をパン!と、音を鳴らして合掌する。何かを錬成できそうな音だ。
「あ、そっか。そういえば言ってたよね、新しいガンプラのロールアウト日なんだって」
「後でちゃんと聞くから!」
「おっけー、行ってきなよ」
「ごめ~ん、ありがと!」
にこやかに笑う心優しい仲間に全身で感謝しながら、稽古場として使っている7号館の多目的教室を出る。そして女子更衣室に飛び込んで、Ex-SガンダムのGクルーザー変形もかくやというスピードで制服に着替えた。最後に、教室に忘れていたオレンジジュースの缶を回収して、屋外に出る。
ガンプラ部の部室がある5号館へ続くコンクリートの道、そこに出ると、見慣れた人物に鉢合わせた。
「ありゃ?ホーカ?」
「ジニー?」
キンジョウ・ホウカだ。二房に結い上げた黒髪を後頭部で留めるという特徴的な髪を揺らし、青白いボストンバッグを肩にかけている。彼女も古武道部の活動を終えてからガンプラ部に行くと言っていた。偶然にも、ほぼ同じタイミングで部活動を終えたのか。
駆け寄って、声をかける。
「オイッス!奇遇だねー」
「うん。ジニーも今終わったところ?」
「忘れるトコだったよ~」
たははと笑う。そして横に並び、一緒に5号館を目指した。
沈みかける夕陽に照らされるその横顔を、ちらりと見る。今更ながら、ホウカと一緒に行動するのが当たり前になっていることに気付いた。
実際に出会うまで、キンジョウ・ホウカがどういう人物なのか知らなかったが、自分と同じタイミングで学園新聞に取り上げられた彼女のことを、ずっと知りたいと思っていた。そんな彼女とひょんなことから知り合い、そしてガンプラ部で一緒に活動をしている。
こんなことってあるんだなぁ…と、しみじみ思う。
「そーいえば、トモヒサは一人で部室にいるのかな?」
「誰かと一緒みたいだよ。さっき連絡があって、二人で待ってるって」
「シーマ様でもリクヤセンパイでもないのぉ?」
「そうみたい」
一体誰だろう?
わざわざ言い含めるということは、それなりの考えがあるのだろうか。今日はガンダムラナンキュラスのロールアウト日だから、もしかしたら面白いサプライズを用意しているのかもしれない。トモヒサがそんなエンターテイナーだとは思えないが、案外そういう部分があったりして。
そんなことを考えていると、5号館が見えてきた。丘になっている校舎側から一段ほど下にある施設であるため、小さな階段をホウカと降りる。
「あ、小屋に灯りが点いてるね」
ホウカの言葉を聞いて、庭にある木造の小屋を見た。確かに、灯りが点っている。
ということは、もうトモヒサと誰かが待ち構えているということか。
面白いじゃないの。何をしようとしているのか分からないけど、突撃あるのみ。
「よーし、ホーカ行くよ!つっこめー!」
「ちょ、ちょっとぉ!」
ホウカの手を握って、小屋にカミカゼアタックを仕掛ける。
「花と散る」とは、よく言ったものだ。
Act.05『錦上花を添うⅡ』へ続く