教え子を持つ、というのは、思っていた以上に難題だった。
ひたすらに古武術に打ち込んできた自分にとって、誰かに教えを授けるのは未知の領域。その上、預かった二人の子は、7歳の虚弱体質の女の子と、8歳の体格のいい男の子だ。
全く性質の違う二人を監督するのは、並大抵のことではなかった。親になった友人や、二人のご両親と相談をしながら接し方を学び、子供の身の丈に合った鍛錬や体作りの方法を、手探りで組み上げた。
そうして、ようやく師としてそれなりの体裁を整えた時、もっと分かり易く、そして楽しく子供に心得を伝える方法はないかと模索した。そして、趣味の一つだったガンプラバトルを鍛錬に組み込もうと、閃いたのだった。
特に男の子の方は、元々ガンプラを作るのもバトルをするのも好きで、教えたことの全てを直ぐ様実践して吸収していった。
しかし、本当に驚いたのは、女の子の方だ。
元来が虚弱体質故に日々の鍛錬で教えられることは限られており、ご両親や専属の医師と決めた制限の中では限度があった。しかし、鍛錬の中に組み込んだガンプラバトル(彼女はHGアデルを好んで使用した)で教えたところ、目に見える形で成長していったのだ。現実ではかかっていた制限がないためか、プラフスキー粒子の中で思う存分動き回る彼女の表情は、普段は見せないような晴れやかなものだった。
やがて、二人の実力差はほとんど無くなり、ガンプラバトルでは女の子が男の子を打ち負かすことも増えていった。
そんな日々を二年間ほど過ごした時、変化が起こった。
男の子が、ある日を境にして道場に足を運ばなくなったのだ。
原因は何なのかをご両親に聞いたところ、本人はそのことを口に出したがらなかったそうだ。「師匠のせいじゃない」、それだけははっきりと言っていたらしい。
そして、女の子の方にも変化が起きていた。
それは、少しずつではあるが体が丈夫になってきたこと、性格も以前と比して見違えるように明るくなったことなどあるが、それ以上に奇妙な現象が起こっていた。
彼女の操るアデルが技を繰り出すと、稀にこちらのガンプラが何かに押されたような圧を感じたことである。
例えるならば、”風”のような。
思えば、時々山に登ってはピクニックのようなことをしている時も、彼女は風を浴びながら晴れやかな表情をする。それは、プラフスキー粒子の中で活き活きとする姿と重なって見えた。だからと言って、ガンプラバトルを関連付けるのは空想的過ぎるとは思うのだが、不思議とそう思わずにはいられなかった。
やがて日々は過ぎ、彼女が中学三年生に進級した頃。昔の
そして、それは名門校・私立英志学園が注目することとなり、彼女はそこへ進学することを決意した。
教え子が我が手を離れていくのは、幾何かの寂寥の念を感じたが、中学生になっても小さな背中を押すことで彼女――キンジョウ・ホウカの門出を祝福した。
天高く馬肥ゆる、去年の秋のことである。
・・・・・・・・・・
見慣れていたはずの、病室の真っ白な天井。
しかし、それはもう小さい頃に卒業した景色であって、8年は見ていなかっただろう。
何故、今頃になってここに寝ているのか。
…自分の体に対して、呆れる。
「目が覚めたか」
聞き慣れた声に顔を向けると、トモヒサがベッドの隣の椅子に座っていた。
「…トモにぃ」
「良かった、顔色は良さそうだな」
心から安堵したように、その顔が優し気に綻ぶ。
「何処も何ともないか?」
「うん。ちょっと怠い感じはあるけど」
腕を伸ばしてみたり、布団の中で足を動かしてみる。大きな違和感は感じないが、微妙に力が抜けているように感じた。
するとトモヒサの優しい表情に、ふと影が落ちる。
「…もう大丈夫だと楽観しすぎてた。俺がちゃんとお前を見ていれば、無理させることもなかったはずだ」
「そんな…トモにぃが悪いんじゃないよ」
「いや、チームのリーダーとして、ガンプラ部の部長として…お前の幼馴染としても情けねぇよ。責任はある」
「…でも、もう大丈夫だから」
そう言って、体を起こそうとする。
それを、トモヒサが肩を抑えてベッドへ体を沈めさせた。
「まだ寝てろって、点滴もしてんだから無理すんな。ジニアとアズマさんが、下に飲み物取りに行ってるから」
「…うん」
言われるがまま、再び真っ白な天井を見上げる。
ベッド横の机にある電子時計を見ると、水曜日の午後17時を表示していた。
(四時間くらい、寝てたのかな…)
最後の記憶は、ガンダムラナンキュラスでNPCのハイモックをPファンネルで狙っていた光景。先週の土曜日の地区予選でのPファンネルの思考制御、その実践のために行っていたテスト戦である。
あれから何度も挑戦してみたものの、Pファンネルを自由に動かすどころか、やればやるほど感覚が鈍っていく。トモヒサやジニア、カネダ・リクヤにもテストに協力してもらったのだが、結果は変わらなかった。次第に躍起になり、今日は昼食を摂らずにバトルシステムのあるログキャビンへと走ったのだ。
それがいけなかったのだろうか…。
「…トモにぃ、私どうなったの?」
「ああ、やっぱ覚えてないか。お前が昼に食堂にいなかったからもしやって思って向かったら、バトルシステムを起動させたまま倒れてたんだ。その後アズマさんを電話で呼んで、意識がないから救急車を呼ぼうってことになった」
「…やっぱり、迷惑かけちゃったんだね」
「あのな、俺達は迷惑だなんて微塵も思ってねぇ。それくらい、分かるだろ?」
「…うん。ありがと、トモにぃ」
トモヒサの目を真っ直ぐに見てそう言うと、そっぽを向かれた。
「正面切って言うなよ…恥ずかしいだろ」
「そうかな?」
「そうだ。それに、俺だけに言ってどうすんだよ。ジニアなんか血相変えて喚いて、救急車に一緒に乗り込んだんだぞ?」
想像してみると、その様子がありありと浮かぶ。
「アズマさんは流石元教師って感じで、ずっと冷静に対処してたしな」
そちらも、何となく想像に難くない。
「そうだ、ラナンキュラスは?」
「ん?大丈夫だ、ちゃんとケースに回収しておいた」
「そう…良かった」
「この状況でガンプラの心配かよ…ある意味、ガンプラバカだな」
「それ、褒めてるの?」
「ガンプラバカは褒め言葉だ」
何故か得意げな表情をするトモヒサ。
話していると、病室のドアが開かれてジニアとアズマがそれぞれに紙コップを持って入ってきた。ジニアは一瞬呆けたような顔をすると、見る見る表情が崩れていく。
「ホ~~~~~カ~~~~~~~!!」
たったったっと走ってきて(机に紙コップを置いてから)、寝ている自分に抱き着いてきた。
「もう目を覚まさないかと思ったよ~~~~~!」
「ご、ごめんねジニー。もう大丈夫だから」
抱き着いた腹部に顔を埋めながら、声にならない声を発するジニア。
その後ろからアズマが歩み寄り、ジニアを引き剝がした。
「その辺にしておけ、まだ安静にしておいた方が良い。それに、相部屋だから静かにな」
「はーい……グスッ」
鼻頭を真っ赤にして涙ぐむジニアは、大人しくアズマに従い椅子に座り込む。
アズマが、握っている紙コップを差し出してきた。
「紅茶は飲めたか?」
「はい。頂きます」
紙コップを受け取り、一口だけ啜る。
「体の調子はどうだ?頭痛がしたり、目眩や吐き気などはないか?」
「何処も、何ともありません」
「そうか、大事ないようで何よりだ。医師が言うには、ちょっとした過労だそうだ」
「そう、ですか…」
いつの間に、そこまで自分を追い詰めていたのだろう。いつも通りの日々を送っていたし、ガンプラバトルも疲労が溜まるほどではなかったはずだ。
俯いて握る紙コップの中の紅茶を眺めていると、アズマが柔和な声をかける。
「根を詰めるな。進学して寮生活になり、身の周りの環境が変わったせいもあるだろう。無理のない範囲で、できることをやればいい。今後は、しっかりと昼食を摂った上で、適度な練習を行うべきだ」
「はい…」
「…とは言え、ワシも配慮が欠けていた。コーチとしてセーブする部分を見極められず、真っ直ぐなお前の意欲に駆られ…いや、これは言い訳だ。ともかく、済まなかった」
「いえ、そんな…アズマさんが謝ることでは」
「そうはいかん。ワシにも責任がある」
「でも、アズマさんのお陰でここまで…」
「はーいストップだぜ」
突然、トモヒサが間に手刀を刺し込んでくる。
「どんだけ頑固なんですか、アズマさん。ホウカも」
「「う…」」
思わず縮こまり、アズマも珍しくトモヒサの言葉に圧されていた。
その後、医師から退院の許可が下り、アズマの車で英志学園へ帰ることになった。
学園に到着したのは、夜19時を回った頃。ジニアとトモヒサは先に寮へ戻り、アズマと一緒にシマ・マリコが待つ職員室へ向かった。
「キンジョウ、本当に大丈夫かい?」
袖を通さない赤いジャージを羽織る、社会科教師兼ガンプラ部顧問のシマ・マリコが、初めて見る表情で自分の右手を両手で包み込む。
少し面を食らうが、その優しさにやや沈んでいた心がすっと軽くなった。
「もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「いいんだよ、それは。本当に心配したんだよ?カトーはこの世の終わりみたいな顔をするし、ラインアリスはぴーぴー泣き喚くし」
「そう、だったんですか」
ジニアはともかく、トモヒサまでそんな様子だったとは、病室での態度とはまるで違うことに少し驚いた。
「先生も、冷静な対応と送迎、ありがとうございました」
「気にするな、当たり前のことだ」
アズマに対して、頭を下げるマリコ。
「さて、キンジョウ。今日は早めに休んで、また明日元気な顔を見せておくれ」
「…その、明日のことなんですけど」
こちらの返事に、きょとんとして顔を見合わせるアズマとマリコ。
決断するまでに時間を要したが、そうしなければすっきりしないと思った。今の自分に不足しているものを明確にするために、必要なことだと。
「明日、”花鳥風月”の師匠の下を訪ねさせてください」
今一度、自分を振り返るためにも。
巣立ちした、古巣へと。
・・・・・・・・・・
――同時刻、プラモデル造形店『ミヤモト工房』
「おい、ツツジ」
「……」
店内の奥、赤い暖簾で仕切られた作業スペースに、背中合わせで座っている男女二人。
店仕舞いを負え、一時間ほどヤスリやクラフトカッターなどの工具の音だけを鳴らして黙々と作業をしていたが、気付けば時計の針が19時を回っていることに気付いた。
後ろで作業しているカンザキ・ツツジに声をかけたが、応答がない。
「ツツジー?」
「……」
またも無反応。
仕方なくプラモデル用ドリルを作業台に置き、椅子だけを回して深紅の制服の上に使い古されたエプロンを重ね着している肩を突いた。
「――ああ、ミヤモトさん。何か?」
ようやく気付き、耳からイヤホンを外しながら菫色のポニーテールを揺らし、こちらに振り向くツツジ。
「道理で反応がないと思ったら、作業BGM聴いてたのか?」
「これがないと集中できなくてね」
「そういや、お前はそのタイプだったな。曲は?」
「ふふ、自作プレイリストだ」
妙に誇ったような表情をしながら、スカートのポケットから取り出したスマートフォンの画面を見せてきた。
再生中の曲は、「ガンダムAGE2~運命の先へ」。ちらりと他の曲目に視線を移すと、「モビルスーツ戦~激戦の果て」や「STRIKE出撃」と納得の名曲揃いである。
どの曲も士気が高まりそうなものばかりなのが、カンザキ・ツツジらしい。
「…って、そうじゃなくて、もう七時回ったぞ。電車に間に合わなくなる」
「む…もうそんな時間か」
スマートフォンを返すと、画面の電子時計を見た。
そうして5秒ほど沈黙すると、何かを思いついたように頷く。
「よし、なら今日は終電で帰ることにするよ」
「はぁ!?」
何を言い出すのかと思えば…。
「お前、何言ってんだ?そこの終電は23時だぞ?」
「ん?知っているさ、その時間に帰ろうと…」
「そうじゃなくってだなぁ!」
わざわざ説明しないと理解してくれそうにない。
この間も、危うく泊まり込みになりそうな時間まで作業していた。ここは専門店だが、同時に自分の自宅でもある。つまり、独身の男の家にうら若き女子高生が遅くまでいる上に、夜道を一人で歩かせことになるのだ。
無論、間違いを起こす可能性など、コーラサワーが戦死する可能性くらいない。そうではなく、その癖を付けさせるのを防ぎ、真っ当な道を年長者として示さなければならない。
しかし、それを伝えるのが気恥ずかしいのも事実だった。
「…一人で夜道を歩かせるわけにはいかない、って言ってるんだよ」
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって、俺がどれだけ――」
「心配してくれて嬉しいよ、ミヤモトさん」
視線を合わせて堂々と言ってのける。
真っ直ぐなのか、鈍感なのか、それともそのどちらもか。
彼女のファンは、本人は知らないだろうがかなり多い。去年の全国大会出場で一気に名が広まったことで、ファイターとしてもビルダーとしても、高い評価を集めているのだ。
身近で見てきた自分に言わせれば、相応の評価だと思っている。
彼女のような人間は珍しい。女性ビルドファイターというだけでなく、ひたむきに強さを追い求め、剣術の腕前も相当なものだと聞いているし(見たことはない)、他人に対しても礼節を弁えている。まさに完璧超人とでも言えそうな姿に、惚れ込む人が多いのは当然だ。
しかし、常に残身を絶やさないような姿とは裏腹に、今のようなふとした笑みは、正直かなり危ない。
(…全く、これだからついつい甘くなりそうになる)
本人は、その危ない武器には一切頓着していないようだが。
「うーん、しかし…これを仕上げて、早々に慣熟訓練したいのだが」
「ガンダムAGE-2バンガードの改修、か…」
ツツジが顎に手を添え、作業机の上に置かれた愛機へと青眼から視線を注ぐ。
先の地区予選での戦闘の際に、自ら発動した技の影響で両腕と両脚の関節、そして愛剣であるドッズソードを失ったのだった。
バンガードを鍛え直すため、Gサイフォスの手足を流用し、関節の補強やディテール追加を施してサフまで終えている。現在は、それらを一旦取り付けた姿で在る。
新たに取り掛かったのが、ドッズソードの復活と新武装の追加だ。
「三回戦目まで、今日を入れて四日しかない。だからこそ、バンガードの強化改修を完了し、一日でも長く…」
「はぁ…全く、お前って奴は本当にどうしようもないガンプラバカだな」
溜息を吐きながら、顧客であり友人でもある彼女を誇らしくも呆れる。
それに対し、やはり不敵に笑むツツジ。
「ふふ…賞賛の言葉と受け取っておくよ」
「俺の負けだよ、ツツジ。今日はキリのいいところまで付き合うぜ」
「悪いね、ミヤモトさん」
「ただしだ!遅くに外は歩かせねぇぞ。アルトに連絡して、車出してもらうようにすっから」
そう言い放って、スマートフォンで『ビッグリング』の店主フルデ・アルトに約束を取り付けた。
恥ずかしながら、車を買うほどの余裕はない。
「世話をかける。そうだな、私なりに感謝の意を表明させてもらうよ」
「ん?何だ何だ?」
何をするのかと訝しんでいると、ツツジは袖を捲って作った力瘤に手を添えた。
その瞬間、背筋を冷たい何かが駆け抜ける。
「私が夕食の準備をしよう」
「――ッ!!??」
一瞬、目眩がしたような。
直後に記憶がフラッシュバックし、阻止限界点を突破したコロニーが残っている時のバスク・オムの顔が、何故かちらついた。
「――ダ、ダメだ!それだけは!!」
菱亜学園チーム『ハウンドクロス』が先手大将、”キャプテン・アゼリア”ことカンザキ・ツツジの、唯一と言っていい欠点。
料理である。
「…?食材がないのか?」
「いや、それはある。あるが…とにかくダメなんだ!」
「はて…然らば何故だ?」
肘を抱き、顎に人差し指を添えて本気で分からないように首を傾げる。
「…あぁ~そう!お前は客人だから、俺が作るべきだ!いや作らせてくれ!」
「それは、まぁ理解できるが…私の立場…」
「はいはいお客様は座っててください!おっと、こんなところにガンダムTHE ORIGINのブルーレイがある!見ながらゆったりくつろいでてくれ!」
「???」
ツツジを立ち上がらせ、背中を押して居間へと導いて座らせた。
怪訝そうな顔は無視し、素早く台所へ移動して聞こえないように大きく深呼吸する。
(危ねぇ…ツツジの料理はアレだからな…)
何とか阻止限界点を死守し切った。脳内のバスク・オムがいい笑顔になる。
ともかく、これで一安心である。夕食を何にするかを考えつつ、冷蔵庫を開けてみた。賞味期限が近い卵、鶏肉、野菜室には玉葱がある。そうだ、親子丼に――
「ごめんください」
「お、この声は…」
と、店とは逆の裏口から、さっきも電話越しに聞いた声が響いた。
こちらが返事するより早く、フルデ・アルトが上がってくる。
「あ、丁度良かったですね。今から作るんですか?」
外出する時よりラフな格好のアルトが、台所へやってきた。
「おう、どうした?」
「どうしたって…どうせ夕食の準備もできていないだろうと思って来たんですよ。ツツジさんは…」
「居間に待機させた」
「そのようですね」
そう言って苦笑いするアルト。
彼も、一緒にツツジの料理の洗礼を浴びた仲間であり、事情は知っているのだ。
「さ、後はぼくがやりますよ」
「あ、でも…」
「いいですから、さぁ」
彼は料理の腕もいい。自分が作っては時間もかかるし味も保証できないので、渋々ここは任せることにした。
居間へ向かうと、ツツジは座布団に姿勢正しく正座しており、再生が始まった「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN Ⅲ 暁の蜂起」を見ている。
「フルデさんが来たようだが、夕食は任せていいのか?」
「……」
何だか、妙に疲れた。
Act.24『灯台下暗しⅡ』へ続く