私のヒーローと世界の危機と愛しい日常風景   作:淵深 真夜

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引き続き、ジェノス視点です。


彼女を食い荒らした蟲

 昼間、去って行った時とは違い訳の分からんTシャツの私服から、以前と同じ忍び装束で奴は現れた。

 おそらくは、ヘラが来た後に感知していた生体反応のうち一つはこいつだったのだろう。スピードからして車かと思っていたが、このスピード狂忍者にとってそれは小走り程度にすぎなかったのか。

 

 それにしても、こいつは何故いつもいつも、俺にとって面倒で厄介で最悪のタイミングでばかり現れるんだ!?

 

「だ、誰!?」

 ヘラもソニックの存在に気づき、怯えた声を上げる。俺が彼女の前に立ちはだかり、ソニックと向き合うと、奴は俺の行動を不愉快そうに鼻で笑った。

 

「貴様は虫唾が走るほどに模範的な『ヒーロー』だな。目の前にいる者なら何でも手当たり次第に助けて、感謝される。なるほど、貴様程度の安い自尊心を満たすには、効率的で合理的だ」

 

 奴の見当はずれな嫌味を無視して、だが視線を外さずに後ろのヘラに言う。

「逃げろ。自分の車まで逃げて、全速力で走らせろ」

 

 G4のパーツで改良した俺の最高速度を上回った奴相手ではそれでも分は悪いが、すぐ側にいるよりはマシだ。

 しかし、俺の言葉にヘラは「でも……」と躊躇する。

 何に躊躇しているのかは、わかった。だから言ってやる。

 お前が今日、ここに来たのはあまりに残酷な罠であったことを。

 

「エヒメさんは、ここにはいない!」

「……え?」

 奴が何度も尋ねて、知りたがっていた情報を答えても、その情報を受け止めきれずに俺の後ろでヘラは呆けた声を上げる。

 

「ここにはいない! お前に送られてきたメールは全部ウソだ!」

 現状を、与えられた情報を理解できず困惑して硬直しているヘラを動かす言葉をぶつける。

 逃げるよりも、助けを求めるよりも先に出てきた言葉が、エヒメさんについてだった。

 なら、これで立ち上がれるだろう。

 

「早く行け!! エヒメさんに謝りたいんだろ!!」

「!」

 背後で立ち上がる気配と同時に、目の前に影が、闇が迫る。

 まだ本気を出す気はないのか、追いつける。

 ヘラの背中を切り払おうとした刃を掴み、握り折る。

 ソニックはさっさと刀から手を離して、俺を飛び越える。刀は初めから囮か!

 

 ブーストを起動させつつ、防火扉をもぎ取って投げつける。

 さすがに狭い廊下、階段でそんなものが投げつけられたら避ける場所は限られているので、上手くソニックとヘラを分断することが出来た。

 ヘラは俺の言葉が効いたのか、ソニックといい俺といいかなりの無茶をしているが、それを気にしたり怯えた様子はなく、一目散に走って階段を駆け下りる。

 

 無駄に後ろに回って速さの主張という挑発は、さすがに今回はしない。そもそもこの手狭な空間でそんなことをする余裕は俺にも相手にもないが、奴のスピードを生かせないのは俺にとって都合がいい。

 奴自身の腕力といい、武器の威力といい、それらはどれも俺の装甲を超えていない。

 避ける必要がないのなら、狭くても奴よりは動きようもある。

 

「おい、ソニック! 貴様はどうやって、ヘラのことを知った!?」

 そんな考えで若干余裕が生まれ、応戦の合間に尋ねてみると、奴は鼻で笑いながら答える。

 

「はっ! エヒメの現在の写真ではなく昔の写真しか晒せていない時点で、その頃の知り合いであることは明白だろうが! 見るからに辛気臭いお嬢様学校の制服だったから少し調べたらすぐにどこの学校かは分かったし、学校が分かればあの女にたどり着くのも簡単だろうが! 『6月』なんてわかりやすいヒントもあったしな!」

 

 なるほど。むしろこいつは仕事柄、事前に情報をつかんでおくことが重要なはずだ。

 俺よりはるかに断片的なヒントから目的の情報を掴みとることには長けていたのか。

 

 だが、こいつも同じ罠にはまっている。

 エヒメさんの写真や情報を晒したあの「6月」という名は、「ジューンブライド」の由来くらいを知っていれば誰でも即座にヘラを連想する名前。

 エヒメさんの母校を知り、そこからヘラを知って奴は6月=ヘラと結び付け、あとは俺と同じよう「June」で検索して、見つけたのだろう。あの、SNSを。

 

 その名は、まんまと狙い通りにだまされた俺が言うのもなんだが、あまりにわかりやすすぎて逆に怪しいくらいの罠だった。

 あのSNSに誘導させるために、寄生虫が自分の宿主の名を騙っただけだ。

 

「ソニック!! お前は間違えている!! あの女は、エヒメさんの敵じゃない!! 先生はあの女の、ヘラの名を覚えていなかった!!」

 弾丸のように撃ち出される苦無や手裏剣を叩き落としながら、ソニックに怒鳴りつけてヘラを「敵」ではないと判断した根拠を叫ぶが、ソニックは「あのハゲの記憶力が当てになるか!! 俺の名も忘れてた男だぞ!!」と返してくる。

 

「それは貴様が先生にとって覚えるに足らぬ雑魚だからだろうが!!」と率直な感想を言い返せば、「死ね、ポンコツ!!」と叫んで前方回転蹴りをかましてきたので、それを防いで聞き返す。

「貴様は、先生の名を忘れたことがあるのか?」

 

 ソニックはいぶかしげな顔になって飛びのき、俺に言い返す。

「バカか、クソガキが。あの忌々しい奴の名など、忘れたくとも忘れるわけが……」

 途中まで言って、自分の言葉が、その心理こそが根拠になることに気づいたのか、奴は目を見開く。

 

 そう。どんなに忘れたくとも、忘れようと努力していたとしても、先生にとって妹のすべてを奪い取って、壊しつくして、今なお殺し続ける怨敵の名を忘れるわけがない。

 ただでさえ短くて元ネタも有名な女神の名だ。「ヘラ」という名が上げられて、即座に思い出せない訳がなかったんだ。

 

 俺はあの時、自分で思った疑問に勝手な回答を与えず、もっと注意深く先生の様子を窺うべきだった。

 誰の名を挙げた時点で先生の顔が険しくなったか、「もういい」と言ったのはどのタイミングだったのかに気づきさえすれば、このような勘違いは起きなかった。

 あの寄生虫になど、利用されなかった。

 

 俺の悔恨は、奴の返答で中断される。

 奴のあまりにも低い声音、そして静かで酷薄に言い切った。

「――それがどうした?」

 

 疑似神経に、回路に氷水が走ったような悪寒。

 奴は俺の言葉を信じていないのではなく、はじめから眼中になどないと言いたげに言い切った。

 

「それがどうした? 貴様は何を俺に期待しているんだ?

 俺が今、ここにいるのはあいつの為だとでも思っているのか? ……はっ! バカらしく、そして青臭い。

 老婆心で教えておこうか、偽善者のクソガキ。この世には、他人の為にできることなど何もない。あるのは全て、自己満足だ」

 

 元々童顔だったが、髪を短くしてやればさらに幼く、俺より年下のような容姿でありながらどこまでも深く、冷たく、暗い目で悟ったように奴は語る。

「俺が今、ここにいるのは俺自身の為だ。俺の獲物を、俺の許可なく横からかすめ取ろうとした害虫を潰し、殺す。ただそれだけの話だ。

 あの女が実は無関係だったのなら、次の容疑者を殺しに行く。手間は増えるがそのストレスはその手間の数だけ容疑者を殺せばいい。それだけの、シンプルな話だ」

 

 あまりの暴論に一瞬、言葉を失う。

「……思い切りがよすぎるだろ、貴様」

「ウダウダと無意味に考えて、目的を見失う間抜けよりはマシだ」

 いっそうらやましいほどに自分本位で、揺るぎなくて歪みないその考えに素で感想を口にすると、ソニックは再び皮肉気に顔を歪ませて苦無を二つ、二刀流のように構えて俺に向ってきた。

 

 比較的、他の部位と比べて強度が低く、そして機能が多い眼球部を狙いすました攻撃を防ぐ俺に、奴は攻撃の手を緩めず、嘲りの笑みを浮かべたまま語る。

「いらんのなら、よこせ!」

 

 何をだ? と尋ねる間もなく、言葉は続く。

 俺自身も訊く気など、わかりきっていたがな。

 

「いらないから、あんな状況と場所で、無防備に置き去りにしたんだろう? どうでもいいから、同じ失敗を何度も何度も学習せずに繰り返すのだろう?

 それなら、俺によこせ。いらんのなら、俺の手で何もかもを汚して染めて潰して壊し尽くしてやる」

 

 その言葉に、体の回路ではなく生体部品である脳のどこかが、ブツリとキレた。

 脳裏に浮かんだのは、こちらを一瞬横目で見て、見せつけながら彼女の唇を奪ったあの瞬間。

 あれを思い出してしまったら、わずかでもあった昼間の出来事による感謝や負い目など吹き飛んだ。

 

「誰がっ! やるかっ!!」

 

 苦無を叩き折り、そのままブーストを起動させて連打、マシンガン・ブローを放った。

 頭に血が上って何も考えずに放ったそれは、俺にとって有利なこの場でも容易くよけられて、校舎の壁を破壊しただけだった。

 それこそが、奴の狙いだった。

 

 俺が殴り砕いた壁の穴から見えたのは、正門。

 その正門前に止めた車に駆け寄るヘラの後ろ姿が、見えた。

 

「近道製造、感謝する」

 厭味ったらしく奴は言って、駆けた。

 初めから奴は俺の言葉を、疑いもしてなければ信じてもいなかった。俺など、眼中になかった。

 

 ヘラが実際はどんな人間なのかなど、奴自身が語った通りどうでもいいことだったのだろう。

 こいつも俺と同じく、振り上げた拳を誰にでもいいから振り下ろしてぶつけたかっただけだ。そのぶつけるに最適な相手が、ヘラだっただけにすぎない。

 

 この場は自分には不利だということを奴自身も冷静に判断していたからこそ、離脱に専念するのではなく、俺と応戦しながら俺を誘導し、ヘラへの最短距離の為に俺を利用して壁を破壊させた。今までの言動は全て挑発ですらなく、俺はまんまと利用されたにすぎない。

 俺は本当に、学習が下手で周りを全く見ていない。自分のバカさ加減に死にたくなりながらも、全速力を出してソニックを追うが、届かない。

 

 ヘラは、校舎が破壊されたことすら気づいていないのか、まったく後ろを振り向かずに車に一直線に走り、ドアを開ける。

 入るな! 逃げ場を失う! と叫ぶつもりだった。

 だが、ヘラが自分の車のドアを開けた瞬間、センサーが自動で起動した。

 

 同時に、思い出す。

 こちらに向かってきていた生体反応は二つであったこと。

 ヘラは、車のカギをかけていなかったことを。

 

 俺の意志関係なくセンサーが働く場合は、故障以外ではただ一つだけ。

 危険物を……高エネルギー反応を感知した場合だ。

 

「逃げろ! 爆弾だ!!」

 

 俺の言葉に反応したのか、それとも意味は理解しきれず、ただ思ったよりもはるかに近い距離から声が聞こえたことに驚いただけなのか、車に乗り込みかけた体制のままヘラは、目を丸くして振り返った。

 

 ソニックは、最初から変わらず俺など眼中になく、俺の言葉に興味を抱かず、ただ無表情でヘラの肩を掴んだ。

 その手には闇夜でも切っ先が輝く苦無が握られていた。

 

 ヘラが現状を理解する前に、ソニックの苦無がヘラの喉を切り裂く前に、俺が二人の元にたどり着く前に、狂気の結晶が炸裂した。

 

 * * *

 

 車まで数メートルという至近距離にまで近寄らないと感知できなかっただけあって、爆弾の威力は大したことがない。

 高級車ゆえに耐火性が高いというのも抜いても、車内で爆発しておきながら車が炎上していない時点で確実に、ネットで拾えるような製造法で素人が作ったものだろう。

 

 下手したら、車内で閉じ込められた状態で爆発しても死なない可能性の方が高い、派手な花火にすぎないレベルのものだったが……殺意は低くとも悪意の高さはもはや人間の域を超えている。

 俺は、たまたま飛んできて関節部に刺さった「釘」を引き抜く。刺さったというより挟まったと言った方が正確で損傷はないが、それはもちろん俺だからに過ぎない。

 

 低コストで作る爆弾の威力が、低いのは当たり前だ。それを補うのに使われる手段が、爆弾に釘などを埋め込み、爆発したときにその釘を四方八方に炸裂させること。

 しかしこれも爆弾単品よりは爆弾らしい威力になる程度に過ぎず、少なくとも即死させてやれるものではない。

 出血多量で嬲り殺すためか、致命傷には至らない拷問じみた怪我を負わせるためのもの。

 

 こんなものを用意するほどの狂気に、言葉を失う。

 俺だけではなく、後ろの二人も同じく何も言わずにただその場に散らばり、地面を派手にえぐり穿つ釘の欠片や、爆発でめちゃくちゃになった車内を眺めている。

 

 ……爆弾が炸裂した瞬間、俺の背後に二人はいた。

 俺はそのまま自分の頭部だけを守り、吹き飛んできた釘の散弾からソニックはともかくヘラを守った。

 

 ソニックがあそこからでも、あのタイミングでも逃げられるのはまだ予測していたが、ヘラを連れて避けたのは意外だった。

 とっさだったのか、何らかの意図があったのかはわからない。

 本人も、目を見開いて驚いたような顔をしていたから、おそらくは本人さえも意外なとっさだったのだろう。

 

「……何……これ?」

 呆然とヘラが、自分の車の惨状をようやく理解したのか、呟く。

 その問いの答えには想像はつくが、まだ答えられない。

 答えるために、俺はセンサーを起動させる。

 ソニック以外にやってきていたもう一人を探していると、ソニックが「くそっ!」と声を荒げた。

 

「……クソガキの方でも守っているのかと思ったら、こっちか。こいつはともかく、俺に余計なことをするな!!」

 突然、意味が分からない事を喚きだした。独り言にしては盛大に声を上げて怒鳴ったかと思ったら、不愉快そうに奴は顔を歪めて俺と向き合う。

 

「おい。この女じゃないとしたら、誰が『6月』なんだ? 貴様には見当がついているんだろう?」

 一体何の気まぐれか、ヘラが本当に「6月」がどうかなどどうでもいいと言っていた奴が、ヘラを殺すのはやめて、本物のエヒメさんの敵に狙いを定めたらしい。

 今までの言動を悪びれず、掌を返すのが気に食わないが、ヘラを殺すのをやめたのは俺にとっても好都合だ。

 

 こいつにヘラを殺されたら、それこそ俺はエヒメさんにどんな顔で会い、なんて詫びればいいかわからない。

 だからここは、こいつへの殺意に耐えて、こいつがまた気まぐれを起こさないように答える。

 

「ちょうどいい。今、向かってきている」

 センサーは奴の動きを捉えている。

 猛スピードで車を走らせ、こちらに向かってくるのは「心配のあまりに駆け付けた」というポーズか。

 それとも……。

 

 ライフラインが断絶されて、あたりに人工的な光がない正門前が急に光で満ちる。

 俺は特に問題などなかったが、ソニックは目の前に手をかざして光を抑え、ヘラは座り込んだまま目がくらんだのか、光の方から顔をそむける。

 

 光は、ヘッドライトだ。

 小さくて玩具じみた、曲線の多いフォルムの軽自動車。逆光で色はよくわからないが、おそらく色も玩具じみた明るい色をしているのだろう。

 そんないかにも男より女性向けの可愛らしい車が、一直線に向かってきた。

 

 スピードを緩めなどせず、むしろアクセルを全力で踏込み、殺意ではなくただただもういらないゴミを壊して捨てるように、その車は光で目が眩んでいるヘラに向かって突進してきた。

 ソニックは白けた顔をして、動かない。

 元々期待などしていなかったので、俺が前に出てその車に向かってゆくとさすがにブレーキをかけた。

 

 高くて生理的に嫌な音が響き、ソニックとヘラは耳を塞ぐ。

 車は俺の前で止まることは出来なかったが、俺が片手で止めるには十分なほどに減速していた。

 ボンネットは派手に凹み、エアバッグが飛び出てきて運転手の身を守るが、勢いが強すぎたのか相手は鼻を抑えて悶絶している。

 

「こいつか?」

 あまりにも唐突で、そしてあからさまな悪意にソニックはもはや驚く気も起きずに白けた顔を続行して尋ねる。

「あぁ。こいつが、エヒメさんの『敵』だ」

 俺の答えに、やっと光に眩んだ痛みが引いて目を再び開けたヘラが絶句する。

 俺の言葉よりも、見覚えのある車を見たからこその絶句なのかもしれないが。

 

 俺は未だに運転席で悶絶している奴を引きずり出すべく、運転席のドアをもぎ取った。

 

 ……俺は本当にバカだ。

 先生から、人の言葉を自分の中で独自解釈するのはやめろと言われたのに、まったくその注意を生かせていなかった。

 

 俺は振り上げた拳を下ろす、具体的な人物が欲しかっただけだ。

 その相手にヘラを認定し、俺の思い込みに都合が良かったから信じ込んでしまった。

 

 信用できる相手ではないことなど、わかり切っていたのに。

 奴の話が俺にとって都合がよくて、そしてつじつまもある程度は通っていた。

 

 違和感を覚えながらも、ぎこちない何かを感じ取りながらも、それを無視していた。

 

 寝具に針を埋め込んだのも、プレゼントを台無しにしたのも、自作自演?

 そんなこと、する意味などないんだ。学園の教師さえも逆らえない学園の権力者が、わざわざ被害者を演じる必要などない。

 

 エヒメさんが気に入らないのなら、ただそう言えばいいだけだ。

 それだけで、具体的に何をしろと言わなくても、むしろそんなつもりなどない、ただの愚痴にすぎなかったとしても、ヘラの取り巻きは勝手にご機嫌取りの一環でエヒメさんに嫌がらせをしただろう。

 

 奴は言った。「スマホを操作しながら、『お仕置きしなくちゃ』と言っていた」と。

 ヘラが今も大事そうに持っているのは、かなり古そうなガラケーだ。エヒメさんを名乗ったであろう偽メールが届いたことに疑問を抱かないということは、おそらくあれはエヒメさんも知っている連絡先。寮生活以前から使用している、ネットには繋がらないキッズケータイだ。

 

 そしてヘラはSNSを、「何のこと?」ではなく「何、それ?」と言った。存在自体を疑問に思っていた。

 こいつは学園の方針通り、おそらく家でもネット環境に未だほとんど触れていない。だから、「SNS」という言葉自体が通じなかった。

 あんな自己愛をさらけ出したSNSはもちろん、ファンサイトの掲示板に写真や情報をぶちまけることなどできやしないんだ。

 

 あぁ、思い返せば思い返すほどに、穴だらけの話だ。

 鵜呑みにした俺を殺してやりたい。

 

 本当はもっと早くに、ヘラがエヒメさんのトラウマではないことに気づいてもよかった。

 

 俺がヘラを見て、「フブキに似ている」と感じた時点で、エヒメさんが怯えている対象がヘラではないと判断するべきだった。

 ヘラがエヒメさんのトラウマそのものなら、こいつとよく似た雰囲気を持ったあの女に、エヒメさんが懐くわけないだろ!

 

 俺は、先生の言葉を思い出す。

「名前を聞いただけでも過呼吸になる」とサイタマ先生は言った。

 

 エヒメさんはヘラの名前を、はじめから自分で言えた。

 過呼吸になったのは、歩き方さえも思い出せなくなるほど怯えたのは、ヘラに呼びかけられた時ではなかった。

 

「待って! ヒメちゃん!」

 エヒメさんはこの呼びかけで、膝から崩れ落ち

 

「ミラは黙ってなさい!!」

 この名が、呼吸の仕方さえも忘れさせた。

 

 エヒメさんは、立ち上がることすらできず、呼吸すらも忘れても、それでも俺に伝えた。

 

「ヘラは違う」と。

 

 こいつの名など、一度たりとも出てこなかった。

 

「貴様は、罪悪感から逃げ出したかったのですらなかったんだな」

 この女は元から、罪悪感など持ち合わせていない。自分が悪いなど、心の底から思っていない。だから、俺に伝言を断られたとき、何を言われたのかが理解できなかったんだな。

 

「何も悪くないけど罪悪感を抱いて謝罪する、健気で優しくてかわいそうな悲劇のヒロイン」を演出するためだけに、俺を呼び出した女を車の中から引きずり出す。

 

 ヘラは眼を見開いて、エヒメさんを食い荒らし、そして今はお前自身を食いつぶそうとしていた寄生虫の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

「……ミラージュ」






本日の夜9時頃に、ホワイトデー番外編を活動報告にでも載せます。
重い展開続きで疲れた方は、こちらもどうぞご覧ください。

そして、最近花粉症で集中ができないせいか、ちょっとスランプ気味なので、明日は更新を休ませてもらいます。
水曜には更新再開出来るように頑張ります。

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